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第四章
2.人倫から鳴る軋音 その③:匂い立つ
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新年を迎えて春が過ぎ、夏の陽気が降り注ぎ始めた頃、私は高等部への進級を果たした。
所属はもちろん――『特進クラス』!
……と、自信をもって言い切りたいところだが、実際はぎりぎりだった。成績の方はなんとか上位三分の一に入れたものの、私の戦闘スタイルが問題視されて『特進クラス』に入れるべきではないと職員会議で槍玉に挙げられてしまっていたらしい。
らしいと伝聞調なのは、事は私の預かり知らぬところで起こり、そして解決していたからだ。
学院職員も一枚岩ではなく、職員会議においては私を評価してくれていたものも居た。
曰く、「偶発的に関与したフェイナーン伯の一件にてその解決に尽力し、ツォアル事変では開通式中に客車まで乗り込んできた敵を乗客の被害なく退け、その後の反攻作戦では敵の司令官を討ち取り、ベレニケ掃滅作戦でも見習いでありながら一線級の魔法使いに比肩する戦果を挙げました。大魔法祭においても剣術部門三連覇、『団体戦』では十年ぶりの優勝に貢献するなど、大きな実績を挙げています。素行に多少の問題こそあれども、それを導くのも我ら大人の役目かと存じます」……とのこと。
私の頑張りを見てくれていた人も居たのかと柄にもなく感動しかけたが、よくよく話を聞くと私を庇ってくれた教師というのは、私が以前ルシュディーに貰った弱みで脅しておいたコンラッドだった。
因みに、上記の経緯を私に話してくれたのもそのコンラッド当人だ。
取り敢えずで脅して味方に引き込んでおいたコンラッドが、まさかこんなにも能動的に尽くしてくれるとは思ってもみなかったので、私は表向き平静を装いつつも内心では胸を撫で下ろしていた。
(……脅しといて良かった~)
こんな外道の悪役みたいな台詞を吐く時がくるなんて夢にも思っていなかった。備えあれば憂いなしとは正にこのことだ。
私は、庇ってくれたお礼として不倫の証拠写真を一枚くれてやった。別に惜しくはない。懲りない男コンラッドは、こうして脅されてもなお不倫を続けている救いようのない阿呆だから、必要になったらまた撮ればいいだけだ。
やはり後ろ盾のない中立派は厳しい。王党派に居たままなら、こんな危機は訪れることすらなかった筈だ。
今のところ、コンラッド以外の教師への働きかけはこれといった成果を得られていなかったので、別の道を模索すべきでないかとモチベーションが下がり気味だった。しかし、今回の一件を経てもう少し強引にでも味方を増やすべきだと改めて実感した。『推薦』のことも考えると、もう一人二人は教師を口説き落としておきたい。できれば『推薦』の権限を持った教師がベストだが、この際高望みはしまい。
それはそれとして、問題は学院内だけでなく学院外にも山積みだった。
この新年を迎えてから私が夏に進級するまでの数カ月間、政治情勢に結構な進展があった。
〝狂王〟の財政改革の中には、免税特権を有する貴族への課税が含まれていた。これに対し、法服貴族によって構成される高等法院は激しく抵抗してきた。そして、彼ら高等法院は『課税の賛否は全国議会のみが決める権利を持つ』と主張した。
全国議会とは、聖職者・貴族・平民の三身分の代表者数百名がイリュリア王国のさまざまな議題について論ずる場である。過去に何度か開かれているが、ここ百年ほどは開かれていない。
これを受けて、自分たちも発言権を得たと思った平民たちは高等法院を大いに支持した。
しかし実のところ、全国議会が過去の例にならって行われるのであれば、議決権は身分ごとに各1票ずつ。もし聖職者と貴族が結託した場合、平民の声は反映されることなく封殺されてしまう。
果たして、期待を裏切られた平民が黙っているだろうか。
後日、私の懸念は的中した。
高等法院は、過去の例にならい身分ごとの投票で決議を取るべきと主張し、裏切られたと感じた平民は手のひらを返したように高等法院へ罵声を浴びせた。
これに対し、高等法院は平民代表者数の倍加を認めることで鎮火を図った。これは、もともとあった「人口比からして各身分の代表者数が同数であるのは不公平だ」との批判を受けてのことである。因みに、この国の聖職者・貴族の数は全体の8%。1割にも満たない。
ニック・ジェイコブ財務大臣もまた、代表者数の倍加を支持した。その結果、〝狂王〟は自身の意向に関わらず、この申し出を飲まざるを得なくなった。平民の不満は、これで一度鎮火した。
そして1月、選挙規則が公布され、各地で行われた選挙によって議員が選出、5月には王都に議員が招集された。
この時、私の知っている人物だと、ロイ・アーヴィン宰相が貴族の代表者として、ラビブ神父が聖職者でなく平民の代表者として参加した。
そして、なんとあの不倫クソ教師のコンラッドも、聖職者の代表者として議員に選出されていた。思わぬところで強大なコネができ、僥倖というほかない。
王都に議員が集まり、これでようやく財政改革が進むかと思いきや、またまた揉め事が怒る。採決が、身分ごとに1票で行われると通知された議員たちが、不満を表明し始めたのだ。彼らは、代表者数の倍加が何の意味もない誤魔化しだと理解してしまった。
議会は早々に採決の方法を巡って紛糾した。
6月、平民の代表者たちは全国議会から離脱し、自らを『人民議会』と呼称した。それは、平民こそが国体であると高らかに宣言するものだった。
彼らは自分たちこそが国政を担うに相応しいと、様々な政策を打ち出した。もちろん、そんな勝手は許さぬと〝狂王〟も抵抗を試みたが、結果としてそれは失敗に終わる。
やがて、聖職者の大半、貴族の一部が人民議会に合流し、全国議会は事実上、潰えた。
「――で、人民議会設立の立役者様が私に何の用?」
玄関口で、私は初っ端から前置き抜きでカマした。すると、ラビブ神父は入口のドアを開けた姿勢のまま固まり、隙間から少しだけ顔を覗かせる。
「固いことを言わないでくれないか。君と私の仲だろう」
「二回、顔を合わせただけね。今日を入れても三回」
「つれないね」
聖職者でなく平民の代表者として議員になったラビブ神父は、常に平民寄りの立場を貫き、更にはパンフレットを出版するなど平民たちの思想的な屋台骨となり、平民たちから厚い支持を得ていた。
「ヘレナから話を聞いてない訳でもないでしょ。私は『革命』には――」
「参加しない……だろう? 知っているとも」
ラビブ神父は訳知り顔で何度も頷いた。では、一体他に何の用があるのか。うら若き乙女をこんな深夜にこっそり自宅まで呼び出すほどの用が。
それも、こんな忙しい時に。
玄関口でいつまでも話すのも何だということで私は家の中へ通された。
家の中は、聖職者らしく綺麗に整えられた内装だったが、その上には薄っすらとほこりの層が出来上がってた。議員としての活動は、掃除もできないぐらいに忙しいと見ゆる。
私は、案内された応接室のソファに座った。
ラビブ神父はカーテンを締め切り、卓上ランプにぼうと灯りをともす。
(……凄い汗)
夜の暗さと、案内されている時は背中しか見ていなかったので気付かなかったが、ラビブ神父の顔はランプの灯りを反射するほどにひどく汗ばんでいた。
「今のところ……『革命』は順調に推移していると言っていい」
「そうみたいね」
遅まきながら、現在の国の状況を見てようやくヘレナのしたいことが私にも分かってきた。だがしかし、民衆の盛り上がりに反比例してヘレナの動きがどんどんと静かになってゆくのが気にかかった。
数少ないベン、ポーラ、シンシアといった王党派の面々との交流の機会である資料の手渡しも、ここのところはめっきり途絶えている。
ふと、会話が途切れて場は沈黙に包まれた。だのに、ラビブ神父は手揉みするばかりでなかなか本題に入ろうとしない。何をナーバスになっているのか知らないが、このままでは埒が明かない。緊張をほぐそうと、私は世間話を振ることにした。
「ねぇ、ルゥとカルバは元気にしてる?」
「いや……わからない」
「ちょっと、どういう意味よ」
私の気遣いは早々に頓挫した。前のめりになる私に、ラビブ神父は気まずそうに口を開く。
「実は……ヘレナ君とは既に袂を分かっていて、私は『寄合』の事情をよく知らないんだ。ナタリーは向こうに残してきているのだが、余計な詮索が入るのを避けるために連絡は断っている。だから、ルゥとカルバの様子を知りたいのならヘレナ君に直接聞いてくれないか」
私の預かり知らぬところで、二人は訣別していたらしい。ナタリーさんや『寄合』がヘレナの方にあるということは、恐らく主体はヘレナであり、ラビブ神父はそこから一人離脱した形だろう。
(一体何を企んでるの、ヘレナ……?)
疑念は付きねど、今はラビブ神父だ。
「君が『革命』への関与を厭う気持ちは十分に理解している……だが、もしかしたら将来、その気が変わることもあるかもしれない」
「かもね」
「っ――その時は!」
適当に漏らした私の相槌に、ラビブ神父は驚くほど俊敏に反応した。思わず、面食らって仰け反ってしまう。
そんな私を見て、ラビブ神父は己の焦りを自覚し、少しばかり冷静さを取り戻そうと息を入れる。
「平民たちをどう思う。あの異常な熱量……明らかに当初の予定になかった民宗派の所為だ」
「はあ」
果たして、そう言い切れるものだろうか。私には、そうは思えない。
例えば、『怒れる民』にしたって民宗派が利用したとはいえ、もともと火種はあった訳だ。遅かれ早かれ、どこかから燃え広がったであろうことは想像に難くない。
「全国議会、人民議会と経て、私は徐々に危機感を覚え始めた。機を見て、ブレーキをかけるつもりなのだが……そのことで、ヘレナ君と意見の相違があってね。彼女の目指す未来と、私の理想がズレ始めた。その結果、私は一人、人民議会で孤軍奮闘しなくてはならなくなった」
ヘレナは『革命』を推し進めるつもりだろう。対して、ラビブ神父は日和ったという訳か。それも良かろう。或いは、そちらの方が正解かもしれないのだから。
「この時局を読み誤ったら私の命は塵芥の如く容易く吹き飛ぶであろう。しかし死そのものよりも、それによって訪れる無為をこそ私は恐れる」
「……無為には、ならないわ」
「今ならヘレナ君の気持ちがよく分かる。君に異常な執着を示したその理由が」
私の話を聞いていない。彼は一方的に語りたいだけらしい。
「『英雄』……その輝きが幻だとしても、縋り付かずにはいられない。この寄る辺なき世界では、それくらいしか頼るものがない……」
「私は『唯一神』の代替品ではないわ」
「分かっている……分かっているとも……」
扱いづらい奴だ。前に収容所で見た時はもう少し芯の強い人間に見えたのだが。しかし、人間は変わるものだ。現実に打ちのめされることもあろう。
私は眼の前の男を憐れに思いつつ、また一方では今をときめく人民議会の有力議員と友好的な関係を築きたいという打算を抱きつつ、慰めの言葉を口にした。
「ヘレナとは一緒にやれないけれど、アンタとなら別に構わないわ。まあ、例の――民宗派との最終決戦が無事に終わって色々と落ち着いてからの話だけど」
「それは本当か……!? しかし、どうして……」
「アンタは善良で弱いから。殺す必要がない」
そう言うと、ラビブ神父は一瞬安堵したような顔をしたが、すぐに表情を曇らせた。
「……それはつまり、ヘレナ君のことは殺さなくてはならないと思っているということか?」
「ヘレナは強い。才能があり、清濁併せ呑む度量がある。その上、発想のスケールもでかい。所詮は俗物に過ぎない私とは比べ物にならない大人物で、負け惜しみの一つも言えやしない」
初等部・中等部と負けに負け続けた私だが、その胸裡には常に反骨心が渦巻いていた。しかし、ヘレナに対してだけは「負けた」と、未来永劫に渡って「勝つことはできない」と心の底から認めてしまっている。
「――そんな奴はもう、殺すしかない」
ラビブ神父が息を呑む。剣呑な表現になったが、これは嘘偽りない私の本心だ。
「もちろん、現実には殺すことはない。もし、私が本能のままに動く獣だったのなら話は別だけど、生憎と私は人間。なけなしの道徳心ぐらいは持ち合わせている」
なければ、あの時に右腕でなく首を斬り落としている。
ヘレナは優秀な人間だ。この国の未来には欠かせない人材。私の個人的な下らない嫉妬で殺して良い訳がない。
さて、そろそろお暇させてもらうとしよう。私には民宗派との最終決戦に向けた準備がある。それに今できる話もそうない。
私は、おもむろにソファから腰を浮かせた。
「また、いつか会いましょう。その時はもう少し詳しい話もできる筈だから」
「ああ……ありがとう。少し、気が楽になったよ」
「礼には及ばないわ。私もこの国に生きる魔女の一人なのだから、この国の行く末を案じるのは言ってみれば責務のようなものよ」
ただし、と私は去り際に付け加える。
「『英雄』の呼び名は好かない。次からは『天才』と呼んで欲しいわね」
コクコクとラビブ神父が頷くのを確認して、私は彼の自宅を後にした。
ラビブ神父との対話を振り返って頭の中で整理しながら、暗い夜道をとぼとぼと歩いていると、なんだか退屈さを覚えて私はマネに話しかけた。
「ねえ、私ってなんか最近妙に頼られてない?」
「そうだな。ちっとは周りの奴に認められたって事じゃねぇの」
「嬉しいけど、鬱陶しくもあるわね」
集団の中で生きる私たち人間は、常に自分の立ち位置をエコーロケーションのように周囲の人間との距離感から推し測ることで把握している。最近はそのエコーの反射が多すぎて、私の立ち位置の変化が嫌でも如実に分かってしまう。
「全ての人の期待に応えることは不可能な訳だし、気が重たくなるわ」
「別に応える必要はねぇ」
「でも、失望されると気分が悪いわ」
「存外に、繊細なんだな」
「悪い?」
「いいや……ただ、人間らしいとは思う」
それは果たして褒め言葉として言っているのか、それとも貶し言葉として言っているのか。
ただ、私の思い違いでなければ、マネが「人間らしい」という言葉を口にした時の様子は、何らかの含意を感じさせるものだった。
(一体、いつからマネはそう秘密主義者になったんでしょうね)
思い返してみるに、フェイナーン伯の一件を片付けた後ぐらいにはもう自分のことを話したがらなくなっていたような気がする。
(まあ、別に話したくないというのなら無理には聞かないわ……)
これからの人生、対話の時間はたっぷりとある。この忙しい時に拘るほどのことでもないのだから。
私は、これで使うのも何度目かになる言葉で疑問に蓋をした。
所属はもちろん――『特進クラス』!
……と、自信をもって言い切りたいところだが、実際はぎりぎりだった。成績の方はなんとか上位三分の一に入れたものの、私の戦闘スタイルが問題視されて『特進クラス』に入れるべきではないと職員会議で槍玉に挙げられてしまっていたらしい。
らしいと伝聞調なのは、事は私の預かり知らぬところで起こり、そして解決していたからだ。
学院職員も一枚岩ではなく、職員会議においては私を評価してくれていたものも居た。
曰く、「偶発的に関与したフェイナーン伯の一件にてその解決に尽力し、ツォアル事変では開通式中に客車まで乗り込んできた敵を乗客の被害なく退け、その後の反攻作戦では敵の司令官を討ち取り、ベレニケ掃滅作戦でも見習いでありながら一線級の魔法使いに比肩する戦果を挙げました。大魔法祭においても剣術部門三連覇、『団体戦』では十年ぶりの優勝に貢献するなど、大きな実績を挙げています。素行に多少の問題こそあれども、それを導くのも我ら大人の役目かと存じます」……とのこと。
私の頑張りを見てくれていた人も居たのかと柄にもなく感動しかけたが、よくよく話を聞くと私を庇ってくれた教師というのは、私が以前ルシュディーに貰った弱みで脅しておいたコンラッドだった。
因みに、上記の経緯を私に話してくれたのもそのコンラッド当人だ。
取り敢えずで脅して味方に引き込んでおいたコンラッドが、まさかこんなにも能動的に尽くしてくれるとは思ってもみなかったので、私は表向き平静を装いつつも内心では胸を撫で下ろしていた。
(……脅しといて良かった~)
こんな外道の悪役みたいな台詞を吐く時がくるなんて夢にも思っていなかった。備えあれば憂いなしとは正にこのことだ。
私は、庇ってくれたお礼として不倫の証拠写真を一枚くれてやった。別に惜しくはない。懲りない男コンラッドは、こうして脅されてもなお不倫を続けている救いようのない阿呆だから、必要になったらまた撮ればいいだけだ。
やはり後ろ盾のない中立派は厳しい。王党派に居たままなら、こんな危機は訪れることすらなかった筈だ。
今のところ、コンラッド以外の教師への働きかけはこれといった成果を得られていなかったので、別の道を模索すべきでないかとモチベーションが下がり気味だった。しかし、今回の一件を経てもう少し強引にでも味方を増やすべきだと改めて実感した。『推薦』のことも考えると、もう一人二人は教師を口説き落としておきたい。できれば『推薦』の権限を持った教師がベストだが、この際高望みはしまい。
それはそれとして、問題は学院内だけでなく学院外にも山積みだった。
この新年を迎えてから私が夏に進級するまでの数カ月間、政治情勢に結構な進展があった。
〝狂王〟の財政改革の中には、免税特権を有する貴族への課税が含まれていた。これに対し、法服貴族によって構成される高等法院は激しく抵抗してきた。そして、彼ら高等法院は『課税の賛否は全国議会のみが決める権利を持つ』と主張した。
全国議会とは、聖職者・貴族・平民の三身分の代表者数百名がイリュリア王国のさまざまな議題について論ずる場である。過去に何度か開かれているが、ここ百年ほどは開かれていない。
これを受けて、自分たちも発言権を得たと思った平民たちは高等法院を大いに支持した。
しかし実のところ、全国議会が過去の例にならって行われるのであれば、議決権は身分ごとに各1票ずつ。もし聖職者と貴族が結託した場合、平民の声は反映されることなく封殺されてしまう。
果たして、期待を裏切られた平民が黙っているだろうか。
後日、私の懸念は的中した。
高等法院は、過去の例にならい身分ごとの投票で決議を取るべきと主張し、裏切られたと感じた平民は手のひらを返したように高等法院へ罵声を浴びせた。
これに対し、高等法院は平民代表者数の倍加を認めることで鎮火を図った。これは、もともとあった「人口比からして各身分の代表者数が同数であるのは不公平だ」との批判を受けてのことである。因みに、この国の聖職者・貴族の数は全体の8%。1割にも満たない。
ニック・ジェイコブ財務大臣もまた、代表者数の倍加を支持した。その結果、〝狂王〟は自身の意向に関わらず、この申し出を飲まざるを得なくなった。平民の不満は、これで一度鎮火した。
そして1月、選挙規則が公布され、各地で行われた選挙によって議員が選出、5月には王都に議員が招集された。
この時、私の知っている人物だと、ロイ・アーヴィン宰相が貴族の代表者として、ラビブ神父が聖職者でなく平民の代表者として参加した。
そして、なんとあの不倫クソ教師のコンラッドも、聖職者の代表者として議員に選出されていた。思わぬところで強大なコネができ、僥倖というほかない。
王都に議員が集まり、これでようやく財政改革が進むかと思いきや、またまた揉め事が怒る。採決が、身分ごとに1票で行われると通知された議員たちが、不満を表明し始めたのだ。彼らは、代表者数の倍加が何の意味もない誤魔化しだと理解してしまった。
議会は早々に採決の方法を巡って紛糾した。
6月、平民の代表者たちは全国議会から離脱し、自らを『人民議会』と呼称した。それは、平民こそが国体であると高らかに宣言するものだった。
彼らは自分たちこそが国政を担うに相応しいと、様々な政策を打ち出した。もちろん、そんな勝手は許さぬと〝狂王〟も抵抗を試みたが、結果としてそれは失敗に終わる。
やがて、聖職者の大半、貴族の一部が人民議会に合流し、全国議会は事実上、潰えた。
「――で、人民議会設立の立役者様が私に何の用?」
玄関口で、私は初っ端から前置き抜きでカマした。すると、ラビブ神父は入口のドアを開けた姿勢のまま固まり、隙間から少しだけ顔を覗かせる。
「固いことを言わないでくれないか。君と私の仲だろう」
「二回、顔を合わせただけね。今日を入れても三回」
「つれないね」
聖職者でなく平民の代表者として議員になったラビブ神父は、常に平民寄りの立場を貫き、更にはパンフレットを出版するなど平民たちの思想的な屋台骨となり、平民たちから厚い支持を得ていた。
「ヘレナから話を聞いてない訳でもないでしょ。私は『革命』には――」
「参加しない……だろう? 知っているとも」
ラビブ神父は訳知り顔で何度も頷いた。では、一体他に何の用があるのか。うら若き乙女をこんな深夜にこっそり自宅まで呼び出すほどの用が。
それも、こんな忙しい時に。
玄関口でいつまでも話すのも何だということで私は家の中へ通された。
家の中は、聖職者らしく綺麗に整えられた内装だったが、その上には薄っすらとほこりの層が出来上がってた。議員としての活動は、掃除もできないぐらいに忙しいと見ゆる。
私は、案内された応接室のソファに座った。
ラビブ神父はカーテンを締め切り、卓上ランプにぼうと灯りをともす。
(……凄い汗)
夜の暗さと、案内されている時は背中しか見ていなかったので気付かなかったが、ラビブ神父の顔はランプの灯りを反射するほどにひどく汗ばんでいた。
「今のところ……『革命』は順調に推移していると言っていい」
「そうみたいね」
遅まきながら、現在の国の状況を見てようやくヘレナのしたいことが私にも分かってきた。だがしかし、民衆の盛り上がりに反比例してヘレナの動きがどんどんと静かになってゆくのが気にかかった。
数少ないベン、ポーラ、シンシアといった王党派の面々との交流の機会である資料の手渡しも、ここのところはめっきり途絶えている。
ふと、会話が途切れて場は沈黙に包まれた。だのに、ラビブ神父は手揉みするばかりでなかなか本題に入ろうとしない。何をナーバスになっているのか知らないが、このままでは埒が明かない。緊張をほぐそうと、私は世間話を振ることにした。
「ねぇ、ルゥとカルバは元気にしてる?」
「いや……わからない」
「ちょっと、どういう意味よ」
私の気遣いは早々に頓挫した。前のめりになる私に、ラビブ神父は気まずそうに口を開く。
「実は……ヘレナ君とは既に袂を分かっていて、私は『寄合』の事情をよく知らないんだ。ナタリーは向こうに残してきているのだが、余計な詮索が入るのを避けるために連絡は断っている。だから、ルゥとカルバの様子を知りたいのならヘレナ君に直接聞いてくれないか」
私の預かり知らぬところで、二人は訣別していたらしい。ナタリーさんや『寄合』がヘレナの方にあるということは、恐らく主体はヘレナであり、ラビブ神父はそこから一人離脱した形だろう。
(一体何を企んでるの、ヘレナ……?)
疑念は付きねど、今はラビブ神父だ。
「君が『革命』への関与を厭う気持ちは十分に理解している……だが、もしかしたら将来、その気が変わることもあるかもしれない」
「かもね」
「っ――その時は!」
適当に漏らした私の相槌に、ラビブ神父は驚くほど俊敏に反応した。思わず、面食らって仰け反ってしまう。
そんな私を見て、ラビブ神父は己の焦りを自覚し、少しばかり冷静さを取り戻そうと息を入れる。
「平民たちをどう思う。あの異常な熱量……明らかに当初の予定になかった民宗派の所為だ」
「はあ」
果たして、そう言い切れるものだろうか。私には、そうは思えない。
例えば、『怒れる民』にしたって民宗派が利用したとはいえ、もともと火種はあった訳だ。遅かれ早かれ、どこかから燃え広がったであろうことは想像に難くない。
「全国議会、人民議会と経て、私は徐々に危機感を覚え始めた。機を見て、ブレーキをかけるつもりなのだが……そのことで、ヘレナ君と意見の相違があってね。彼女の目指す未来と、私の理想がズレ始めた。その結果、私は一人、人民議会で孤軍奮闘しなくてはならなくなった」
ヘレナは『革命』を推し進めるつもりだろう。対して、ラビブ神父は日和ったという訳か。それも良かろう。或いは、そちらの方が正解かもしれないのだから。
「この時局を読み誤ったら私の命は塵芥の如く容易く吹き飛ぶであろう。しかし死そのものよりも、それによって訪れる無為をこそ私は恐れる」
「……無為には、ならないわ」
「今ならヘレナ君の気持ちがよく分かる。君に異常な執着を示したその理由が」
私の話を聞いていない。彼は一方的に語りたいだけらしい。
「『英雄』……その輝きが幻だとしても、縋り付かずにはいられない。この寄る辺なき世界では、それくらいしか頼るものがない……」
「私は『唯一神』の代替品ではないわ」
「分かっている……分かっているとも……」
扱いづらい奴だ。前に収容所で見た時はもう少し芯の強い人間に見えたのだが。しかし、人間は変わるものだ。現実に打ちのめされることもあろう。
私は眼の前の男を憐れに思いつつ、また一方では今をときめく人民議会の有力議員と友好的な関係を築きたいという打算を抱きつつ、慰めの言葉を口にした。
「ヘレナとは一緒にやれないけれど、アンタとなら別に構わないわ。まあ、例の――民宗派との最終決戦が無事に終わって色々と落ち着いてからの話だけど」
「それは本当か……!? しかし、どうして……」
「アンタは善良で弱いから。殺す必要がない」
そう言うと、ラビブ神父は一瞬安堵したような顔をしたが、すぐに表情を曇らせた。
「……それはつまり、ヘレナ君のことは殺さなくてはならないと思っているということか?」
「ヘレナは強い。才能があり、清濁併せ呑む度量がある。その上、発想のスケールもでかい。所詮は俗物に過ぎない私とは比べ物にならない大人物で、負け惜しみの一つも言えやしない」
初等部・中等部と負けに負け続けた私だが、その胸裡には常に反骨心が渦巻いていた。しかし、ヘレナに対してだけは「負けた」と、未来永劫に渡って「勝つことはできない」と心の底から認めてしまっている。
「――そんな奴はもう、殺すしかない」
ラビブ神父が息を呑む。剣呑な表現になったが、これは嘘偽りない私の本心だ。
「もちろん、現実には殺すことはない。もし、私が本能のままに動く獣だったのなら話は別だけど、生憎と私は人間。なけなしの道徳心ぐらいは持ち合わせている」
なければ、あの時に右腕でなく首を斬り落としている。
ヘレナは優秀な人間だ。この国の未来には欠かせない人材。私の個人的な下らない嫉妬で殺して良い訳がない。
さて、そろそろお暇させてもらうとしよう。私には民宗派との最終決戦に向けた準備がある。それに今できる話もそうない。
私は、おもむろにソファから腰を浮かせた。
「また、いつか会いましょう。その時はもう少し詳しい話もできる筈だから」
「ああ……ありがとう。少し、気が楽になったよ」
「礼には及ばないわ。私もこの国に生きる魔女の一人なのだから、この国の行く末を案じるのは言ってみれば責務のようなものよ」
ただし、と私は去り際に付け加える。
「『英雄』の呼び名は好かない。次からは『天才』と呼んで欲しいわね」
コクコクとラビブ神父が頷くのを確認して、私は彼の自宅を後にした。
ラビブ神父との対話を振り返って頭の中で整理しながら、暗い夜道をとぼとぼと歩いていると、なんだか退屈さを覚えて私はマネに話しかけた。
「ねえ、私ってなんか最近妙に頼られてない?」
「そうだな。ちっとは周りの奴に認められたって事じゃねぇの」
「嬉しいけど、鬱陶しくもあるわね」
集団の中で生きる私たち人間は、常に自分の立ち位置をエコーロケーションのように周囲の人間との距離感から推し測ることで把握している。最近はそのエコーの反射が多すぎて、私の立ち位置の変化が嫌でも如実に分かってしまう。
「全ての人の期待に応えることは不可能な訳だし、気が重たくなるわ」
「別に応える必要はねぇ」
「でも、失望されると気分が悪いわ」
「存外に、繊細なんだな」
「悪い?」
「いいや……ただ、人間らしいとは思う」
それは果たして褒め言葉として言っているのか、それとも貶し言葉として言っているのか。
ただ、私の思い違いでなければ、マネが「人間らしい」という言葉を口にした時の様子は、何らかの含意を感じさせるものだった。
(一体、いつからマネはそう秘密主義者になったんでしょうね)
思い返してみるに、フェイナーン伯の一件を片付けた後ぐらいにはもう自分のことを話したがらなくなっていたような気がする。
(まあ、別に話したくないというのなら無理には聞かないわ……)
これからの人生、対話の時間はたっぷりとある。この忙しい時に拘るほどのことでもないのだから。
私は、これで使うのも何度目かになる言葉で疑問に蓋をした。
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クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
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陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
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戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
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ゲームコインをザクザク現金化。還暦オジ、田舎で世界を攻略中
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