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第四章
3.ターニングポイント その①:決戦の日
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3.ターニングポイント
数日前、我が国の軍部は7月14日を『決戦の日』と定めた。
事の発端は、ヘレナが民宗派の本拠地の図面を内通者から入手したことから始まる。
これまで、各地に点在する民宗派の拠点を発見次第、虱潰しに襲撃してきたが、奴らの本拠地だけは分からずじまいだった。というのも、偉大なる呪祷士ルクマーン・アル=ハキムによる隠蔽工作や記憶処理が完璧に近いものだったことが大きな理由だ。
しかし今回、本拠地の位置情報どころか図面まで入手したということで、その報を受けた『聖歌隊』はそれはそれは大喜びで民宗派構成員を殊更に苛烈に拷問し、図面とその位置情報が正しいことの裏付けを取った。
先程完璧に近いと称えた記憶処理も、本拠地の位置情報と図面という民宗派構成員にとって無視し得ぬ重大な因子を用いて、執拗に繰り返し精神と脳を揺さぶることで打ち破ったという。
記憶処理により本人ですら忘れている情報も、一度は海馬に刻み込まれている訳だから、施錠を打ち破ってさえしまえば、封印されし記憶を無意識下から引き出せる。民宗派の相手をする中で発展した現代尋問技術の賜である。
それから秘密裏に事を進め、軍部は民宗派本拠地強襲作戦を立案し、奇襲的に攻撃をしかけるに相応しい最適な日付を算出した。
それが7月14日だったという訳である。
〝狂王〟は、治安悪化を名目に王都周辺へ軍隊を召集させた。もちろん、それは表向きの理由であり、本当は民宗派を攻撃する戦力を確保するためだ。
事情を知らぬ平民や、一部の人民議会の議員などは声高にこれを批判したが、だからといって軍隊を退かせる訳にも行かず、決行日である14日まで〝狂王〟には舌先三寸で凌いでもらうこととなった。
この出来事は、政治的苦境にある〝狂王〟が面倒事を押し付けられたという見方もできる。
一方、私がその話を聞いたのが7月9日、ラビブ神父に呼び出される前日のこと。私は、『卓抜戦力』として学院の生徒の中から特別に強襲作戦への参加を求められた。
ヘレナとの約束もあるので拒否するつもりはなかったが、一つだけ問題があった。
折悪しく、北の隣国ヒジャーズ王国が『領土回復』を大義名分に掲げ、アラブ新領地へ攻め込んできたというのだ。その所為で、私は戦支度を整える傍ら前線に近いドマ村に住む家族の避難の手配もしなければならなかった。
いくらママもドマ村に思い入れがあるとはいえ、近くまで攻め込まれている上に民宗派のごたごたでその対応も遅れるとあっては、流石に重い腰を上げて村を離れる決心をしてくれたらしい。
親戚の家へ預けても良かったが、ここで諸侯派のことが気にかかった。親戚の家もエドム地方――つまり、諸侯派の影響が色濃い土地にあるからだ。かといって、王都に寄越すこともできない。こちらは王党派の影響が色濃い土地だ。
(こんなところで関係悪化の弊害を受けるとはね……!)
にっちもさっちもいかなくなった私は、王党派でも諸侯派でもない人物を頼ることにした。その人物とは、こんな時のために親交を繋いでおいたイツァク卿あらため現・ツォアル侯である。
絶賛稼働中の鉄道を使って王都からツォアルへ向かった私は、挨拶もそこそこにツォアル侯に家族のことを相談した。
「……成程。話は分かったよ」
ツォアル侯は葉巻を一吸いする。そんな日常的な動作からも、何だか威厳めいたものが感ぜられた。もう、あの時の愚図はどこにもいない。私の眼の前にいるのは、押しも押されもせぬ一端の貴族だ。
「父の仇は君が討ってくれたと聞く。その恩、片時も忘れたことはない。王党派・諸侯派、その間に挟まれる悲哀は父の背中を見ていた僕が一番良く知っているからね」
「では……」
「ああ、君の家族は我が屋敷で受け入れよう」
ツォアル侯は、私の家族を快く引き受けてくれたばかりか、ムウニスのことも心配いらないと保証してくれた。
元は王党派が遣わした護衛のムウニスだが、私に立てた『守る』という誓いを守るべく、出頭命令を無視してまでツォアル侯の屋敷に付いてきてくれることになっていた。出頭命令を無視したムウニスの公式の扱いは『行方不明』となっている。ツォアル侯はそういう厄介事まで含めて面倒を見ると豪語した。
本当、感謝してもしきれない。
「鉄道の敷設……今のところは順調だそうですね。どうです? 邪魔な奴とかいませんか。明日までには消してみせますよ」
「それは……遠慮しておくよ。キリがなさそうだからね!」
ツォアル侯は父親そっくりの豪放な笑い声を部屋中に響かせた。私はそれに懐かしさを感じると共に大きな安心感を覚えた。
(貴族の中では傍流たるツォアル侯は自由主義貴族を自称している。暴徒たちの標的になる可能性も低い)
家族も鉄道も、彼に任せておけば安心だ。
「では、家族は明日のうちには到着する予定ですので。どうぞよしなにお願いします」
「ああ、任せ給え!」
「ふふっ」
私は、何か困ったことがあれば絶対に協力するとだけ言い残し、急いで王都へ蜻蛉返りした。
この時、7月12日。『決戦の日』は二日後に迫っていた。
「リン」
昼頃、午前の授業を終えた『特進クラス』の教室で、ヘレナに話しかけられる。すると、それだけで周囲の空気がピリッとしたのが分かった。私よりも、周りの方が緊張しているのがなんだかおかしかった。
ヘレナは、わざわざ義手の方に書類を纏めたファイルを持ち替えてから私に渡し、耳元で囁くように話す。
「目を通しておけ。覚えたら燃やせ」
「あら、いつのまにか命令形でしか喋れなくなっちゃった?」
なんとなくムズ痒く感じて誂いを口にすると、ヘレナは何も言わずに去っていった。ずっと、押し殺しているような風だった。何を押し殺しているかまでは、今のだけでは分からなかったが。
ともあれ、私もまたそのファイルを持ってその場を離れ、人気のないところでぱらぱらと中身を閲覧する。一戦闘員程度の扱いでしかない私は、出発時刻や本拠地の場所すら知らされていない。それは正に今これから知るところである。
読み終えた私はすぐにファイルに火をつけた。
出発は14日の午前十時。私たち『卓抜戦力』の見習い組は、授業の途中で抜け出して馬車に乗る。
目的地は――内海。
その水底こそ奴らの本拠地だった。王都の目と鼻の先に敵が居たというのに、これまで気付けなかった私たちの手落ちを笑いたければ笑え。
作戦決行は、各地から同時に集まってきた馬車が内海へ到着する予定時刻、正午頃だそうだ。
私たち戦闘員に与えられた目的は二つ。
歴史の闇へ消えた古術〘人魔合一〙を現代に蘇らせた天才、偉大なる呪祷士こと『ルクマーン・アル=ハキム』の殺害。
そして、国教会の台頭によって歴史の闇へ消える運命だった古い信仰を蘇らせたもう一人の天才、預言者こと『ソーテイラー』の殺害。
主な標的は民宗派の中心人物であるこの二人。彼らさえ消せば、残された民宗派は放っておいても瓦解するだろう。元より泡沫勢力だ。
普段は別々に居場所をくらませている二人だが、7月14日に限って本丸の本拠地へ集まる。その理由は、我々の度重なる妨害によって遅れに遅れた再統合計画にテコ入れを加えるため。
(そうはさせない。民宗派はここで必ず潰すッ……!)
ルゥをあんな目に遭わせたことは絶対に許せない。その咎、この私の命にかえても必ず精算してみせる。
私はファイルが完全に燃え尽きるのを見届けてから立ち上がり、学院校舎とは別の方向へ歩き出した。
「おいおい、どこへ行くんだ? 教室はそっちじゃねえぞ」
「今から授業なんて受けても身が入る訳がないでしょ」
「フケるのか?」
決まりきったことを聞く奴だ。
「午後の授業はフケるッ!」
「――カカカ!」
闊達としたマネの心地よい笑い声を聞きながら、私は昂ぶる気を落ち着かせるべく街の人波の中へと身を紛らせた。
7月14日――『決戦の日』。
学院を発った馬車は、ゆっくりと迂回路を取りながら内海を目指す。
窓の外は、普段は授業を受けている時間帯なので、あまり見る機会のない平日昼の王都の光景だが、そう長いこと見ていたいと思えるようなものではなかった。
どこを見ても、そこは荒んだ顔付きをした暴徒まがいの淪落どもの吹き溜まり。数年前の健全な活気は見る影もなく、代わりに異様なまでの『熱気』が立ち込めている。
それはどこから来る熱か。誰も口にしないが、誰もがその答えを知っていた。
揺らいでいる。
権威が、権力が、音を立てて揺らいでいる。
それに伴い、私たち魔法使いに対する信仰にも似た畏れもまた薄まってきている。もしかしたら、奴らは大したことないのではないか。銃や大砲、そして〘人魔合一〙の力があれば……。
そのような認識が広まるのに乗じて、古き良き信仰を蘇らせようという主張がそこはかとなく囁かれるようになった。
元より、過去と現在の信仰形態は土着の『神々』から国教会の掲げる『唯一神』へ信仰対象が挿げ替えられた程度の変化で、昔ながらの慣習や迷信など国教会の本来の教えに反するようなものも、三百年という歳月を経てもなお意外と多く残っていたりしていた。だから、それを戻そうという試みは実際のところ簡単なものなのかもしれない。
しかし、政治的にはあまりいただけない選択だ。
関係の深い元・宗主国のアルゲニア王国や教皇の膝下である神聖エトルリア帝国はもちろんのこと、ガリア帝国を始めとする信仰対象を同じくする国々との関係悪化も避けられないだろう。
また、魔法使い中心の社会からの変革は、間違いなく月を蝕むものの脅威を軽んじて日和見を決め込んでいたそれら国々へ容易く波及する。その時になってようやく危険を認識した彼らは、今度は躍起になって我が国へ介入してくるに違いない。
つまり、総合的に言うと現状は非常に不味い。
民宗派を潰すことでこの流れも止まると信じたいが、そればかりは未来が来るまで分からなかった。
その時、隣――ロクサーヌの手元から、ボギッという物騒な音がした。
「ロクサーヌ、そんなにじろじろ見ない方が良いわ。皆、殺気立ってるから」
「ええ……ですが、もう少しだけ……」
殺気立ってるのは、ロクサーヌも同じようだった。
半年ほど前、ロクサーヌの友人――一組のヨアナという子が、暴動の最中で命を落とした。ヨアナは、背後の民間人を守るために月を蝕むものと戦い、そして守りきれず共に死んだ。
その事件以来、ロクサーヌはこのような状況を生み出した民宗派に対する反感を募らせていた。加えて、ロクサーヌの父親がやっている商売の方にも陰りが出始めていた。もしかしたら、ロクサーヌの民宗派に対して感じている怒りは、私がルゥを想う以上のものかもしれない。
「――この国は腐敗している! その事実は口にしないまでも、誰しもが気付いている筈だ! 見て見ぬ振りなど出来ない筈だ!」
広場を横切った時、人だかりの中心に立つ人物が大仰な身振り手振りで人々に呼びかける姿が目に止まった。あれは、最近この国でよく見られるようになった熱源の一つ。
「だが、幸いにして腐敗は一部だ! 早急にこれを取り除けば、まだ間に合う!」
彼の言葉に聴衆は血走った眼で歓喜の声を上げる。代弁者の存在が嬉しいのか、或いは熱に浮かされているだけで何も考えていないのか。
「魔法士、何するものぞ!」
彼の発する熱が聴衆へ伝搬してゆく。演説、場の空気、人の心、その全てが最高潮を迎えつつあることが肌で分かった。
「――武器を取れ!」
そんな物々しい演説の締め括りを受けて、通り過ぎた後方の広場から地鳴りのような怒号が聞こえてくる。これから、また新たな暴動が始まるのだろう。
私は、席を立ちかけたロクサーヌを手で制した。
「よしなさい。それは私たちの仕事じゃないわ」
「――ですがッ!」
「全部は無理なのよ。私たちの腕は短く、華奢すぎるから……世界の全てを抱き止めてあげることはできない。今はやれることをやるしかないの」
家族はツォアル侯の屋敷に避難させた。友人たちはロクサーヌ以外は学院で授業を受けている。後顧の憂いは断った。そして、それはロクサーヌも同じである筈だ。
「民宗派との完全なる決着を付けるためには、ロクサーヌの力が絶対に必要だわ」
安心をロクサーヌにもお裾分けするように、私は彼女の手を握った。すると、ロクサーヌはやけに素直にストンと再び座席に腰を落ち着けた。そして、そのまま黙りこくる。
不貞腐れているのかと思ったが違う。その瞳には、静かなる闘志がめらめらと燃えていた。
(もう、大丈夫だろう)
ロクサーヌは、その鬱憤の矛先を対民宗派に絞ってくれた。
私はロクサーヌの集中を乱さぬように、自身の思い描く戦術について一つ一つマネと検討してゆく。戦術・其ノ五十二は今回の戦場で役立ちそうだとか、百八十五は止めておこうかとか。
その中で、マネはやはりあの戦術に対して異議を唱えた。
――なあ、本当にアレやんのか?
これまでも、あの戦術に関してはマネからはくどいぐらいに何度も確認をされていた。しかし、私の心はその戦術を思いついた時から変わっていない。
(やるわ)
心の中でそう呟いて返すと、今のが最終確認のつもりだったのか、それ以上の確認はなかった。
数日前、我が国の軍部は7月14日を『決戦の日』と定めた。
事の発端は、ヘレナが民宗派の本拠地の図面を内通者から入手したことから始まる。
これまで、各地に点在する民宗派の拠点を発見次第、虱潰しに襲撃してきたが、奴らの本拠地だけは分からずじまいだった。というのも、偉大なる呪祷士ルクマーン・アル=ハキムによる隠蔽工作や記憶処理が完璧に近いものだったことが大きな理由だ。
しかし今回、本拠地の位置情報どころか図面まで入手したということで、その報を受けた『聖歌隊』はそれはそれは大喜びで民宗派構成員を殊更に苛烈に拷問し、図面とその位置情報が正しいことの裏付けを取った。
先程完璧に近いと称えた記憶処理も、本拠地の位置情報と図面という民宗派構成員にとって無視し得ぬ重大な因子を用いて、執拗に繰り返し精神と脳を揺さぶることで打ち破ったという。
記憶処理により本人ですら忘れている情報も、一度は海馬に刻み込まれている訳だから、施錠を打ち破ってさえしまえば、封印されし記憶を無意識下から引き出せる。民宗派の相手をする中で発展した現代尋問技術の賜である。
それから秘密裏に事を進め、軍部は民宗派本拠地強襲作戦を立案し、奇襲的に攻撃をしかけるに相応しい最適な日付を算出した。
それが7月14日だったという訳である。
〝狂王〟は、治安悪化を名目に王都周辺へ軍隊を召集させた。もちろん、それは表向きの理由であり、本当は民宗派を攻撃する戦力を確保するためだ。
事情を知らぬ平民や、一部の人民議会の議員などは声高にこれを批判したが、だからといって軍隊を退かせる訳にも行かず、決行日である14日まで〝狂王〟には舌先三寸で凌いでもらうこととなった。
この出来事は、政治的苦境にある〝狂王〟が面倒事を押し付けられたという見方もできる。
一方、私がその話を聞いたのが7月9日、ラビブ神父に呼び出される前日のこと。私は、『卓抜戦力』として学院の生徒の中から特別に強襲作戦への参加を求められた。
ヘレナとの約束もあるので拒否するつもりはなかったが、一つだけ問題があった。
折悪しく、北の隣国ヒジャーズ王国が『領土回復』を大義名分に掲げ、アラブ新領地へ攻め込んできたというのだ。その所為で、私は戦支度を整える傍ら前線に近いドマ村に住む家族の避難の手配もしなければならなかった。
いくらママもドマ村に思い入れがあるとはいえ、近くまで攻め込まれている上に民宗派のごたごたでその対応も遅れるとあっては、流石に重い腰を上げて村を離れる決心をしてくれたらしい。
親戚の家へ預けても良かったが、ここで諸侯派のことが気にかかった。親戚の家もエドム地方――つまり、諸侯派の影響が色濃い土地にあるからだ。かといって、王都に寄越すこともできない。こちらは王党派の影響が色濃い土地だ。
(こんなところで関係悪化の弊害を受けるとはね……!)
にっちもさっちもいかなくなった私は、王党派でも諸侯派でもない人物を頼ることにした。その人物とは、こんな時のために親交を繋いでおいたイツァク卿あらため現・ツォアル侯である。
絶賛稼働中の鉄道を使って王都からツォアルへ向かった私は、挨拶もそこそこにツォアル侯に家族のことを相談した。
「……成程。話は分かったよ」
ツォアル侯は葉巻を一吸いする。そんな日常的な動作からも、何だか威厳めいたものが感ぜられた。もう、あの時の愚図はどこにもいない。私の眼の前にいるのは、押しも押されもせぬ一端の貴族だ。
「父の仇は君が討ってくれたと聞く。その恩、片時も忘れたことはない。王党派・諸侯派、その間に挟まれる悲哀は父の背中を見ていた僕が一番良く知っているからね」
「では……」
「ああ、君の家族は我が屋敷で受け入れよう」
ツォアル侯は、私の家族を快く引き受けてくれたばかりか、ムウニスのことも心配いらないと保証してくれた。
元は王党派が遣わした護衛のムウニスだが、私に立てた『守る』という誓いを守るべく、出頭命令を無視してまでツォアル侯の屋敷に付いてきてくれることになっていた。出頭命令を無視したムウニスの公式の扱いは『行方不明』となっている。ツォアル侯はそういう厄介事まで含めて面倒を見ると豪語した。
本当、感謝してもしきれない。
「鉄道の敷設……今のところは順調だそうですね。どうです? 邪魔な奴とかいませんか。明日までには消してみせますよ」
「それは……遠慮しておくよ。キリがなさそうだからね!」
ツォアル侯は父親そっくりの豪放な笑い声を部屋中に響かせた。私はそれに懐かしさを感じると共に大きな安心感を覚えた。
(貴族の中では傍流たるツォアル侯は自由主義貴族を自称している。暴徒たちの標的になる可能性も低い)
家族も鉄道も、彼に任せておけば安心だ。
「では、家族は明日のうちには到着する予定ですので。どうぞよしなにお願いします」
「ああ、任せ給え!」
「ふふっ」
私は、何か困ったことがあれば絶対に協力するとだけ言い残し、急いで王都へ蜻蛉返りした。
この時、7月12日。『決戦の日』は二日後に迫っていた。
「リン」
昼頃、午前の授業を終えた『特進クラス』の教室で、ヘレナに話しかけられる。すると、それだけで周囲の空気がピリッとしたのが分かった。私よりも、周りの方が緊張しているのがなんだかおかしかった。
ヘレナは、わざわざ義手の方に書類を纏めたファイルを持ち替えてから私に渡し、耳元で囁くように話す。
「目を通しておけ。覚えたら燃やせ」
「あら、いつのまにか命令形でしか喋れなくなっちゃった?」
なんとなくムズ痒く感じて誂いを口にすると、ヘレナは何も言わずに去っていった。ずっと、押し殺しているような風だった。何を押し殺しているかまでは、今のだけでは分からなかったが。
ともあれ、私もまたそのファイルを持ってその場を離れ、人気のないところでぱらぱらと中身を閲覧する。一戦闘員程度の扱いでしかない私は、出発時刻や本拠地の場所すら知らされていない。それは正に今これから知るところである。
読み終えた私はすぐにファイルに火をつけた。
出発は14日の午前十時。私たち『卓抜戦力』の見習い組は、授業の途中で抜け出して馬車に乗る。
目的地は――内海。
その水底こそ奴らの本拠地だった。王都の目と鼻の先に敵が居たというのに、これまで気付けなかった私たちの手落ちを笑いたければ笑え。
作戦決行は、各地から同時に集まってきた馬車が内海へ到着する予定時刻、正午頃だそうだ。
私たち戦闘員に与えられた目的は二つ。
歴史の闇へ消えた古術〘人魔合一〙を現代に蘇らせた天才、偉大なる呪祷士こと『ルクマーン・アル=ハキム』の殺害。
そして、国教会の台頭によって歴史の闇へ消える運命だった古い信仰を蘇らせたもう一人の天才、預言者こと『ソーテイラー』の殺害。
主な標的は民宗派の中心人物であるこの二人。彼らさえ消せば、残された民宗派は放っておいても瓦解するだろう。元より泡沫勢力だ。
普段は別々に居場所をくらませている二人だが、7月14日に限って本丸の本拠地へ集まる。その理由は、我々の度重なる妨害によって遅れに遅れた再統合計画にテコ入れを加えるため。
(そうはさせない。民宗派はここで必ず潰すッ……!)
ルゥをあんな目に遭わせたことは絶対に許せない。その咎、この私の命にかえても必ず精算してみせる。
私はファイルが完全に燃え尽きるのを見届けてから立ち上がり、学院校舎とは別の方向へ歩き出した。
「おいおい、どこへ行くんだ? 教室はそっちじゃねえぞ」
「今から授業なんて受けても身が入る訳がないでしょ」
「フケるのか?」
決まりきったことを聞く奴だ。
「午後の授業はフケるッ!」
「――カカカ!」
闊達としたマネの心地よい笑い声を聞きながら、私は昂ぶる気を落ち着かせるべく街の人波の中へと身を紛らせた。
7月14日――『決戦の日』。
学院を発った馬車は、ゆっくりと迂回路を取りながら内海を目指す。
窓の外は、普段は授業を受けている時間帯なので、あまり見る機会のない平日昼の王都の光景だが、そう長いこと見ていたいと思えるようなものではなかった。
どこを見ても、そこは荒んだ顔付きをした暴徒まがいの淪落どもの吹き溜まり。数年前の健全な活気は見る影もなく、代わりに異様なまでの『熱気』が立ち込めている。
それはどこから来る熱か。誰も口にしないが、誰もがその答えを知っていた。
揺らいでいる。
権威が、権力が、音を立てて揺らいでいる。
それに伴い、私たち魔法使いに対する信仰にも似た畏れもまた薄まってきている。もしかしたら、奴らは大したことないのではないか。銃や大砲、そして〘人魔合一〙の力があれば……。
そのような認識が広まるのに乗じて、古き良き信仰を蘇らせようという主張がそこはかとなく囁かれるようになった。
元より、過去と現在の信仰形態は土着の『神々』から国教会の掲げる『唯一神』へ信仰対象が挿げ替えられた程度の変化で、昔ながらの慣習や迷信など国教会の本来の教えに反するようなものも、三百年という歳月を経てもなお意外と多く残っていたりしていた。だから、それを戻そうという試みは実際のところ簡単なものなのかもしれない。
しかし、政治的にはあまりいただけない選択だ。
関係の深い元・宗主国のアルゲニア王国や教皇の膝下である神聖エトルリア帝国はもちろんのこと、ガリア帝国を始めとする信仰対象を同じくする国々との関係悪化も避けられないだろう。
また、魔法使い中心の社会からの変革は、間違いなく月を蝕むものの脅威を軽んじて日和見を決め込んでいたそれら国々へ容易く波及する。その時になってようやく危険を認識した彼らは、今度は躍起になって我が国へ介入してくるに違いない。
つまり、総合的に言うと現状は非常に不味い。
民宗派を潰すことでこの流れも止まると信じたいが、そればかりは未来が来るまで分からなかった。
その時、隣――ロクサーヌの手元から、ボギッという物騒な音がした。
「ロクサーヌ、そんなにじろじろ見ない方が良いわ。皆、殺気立ってるから」
「ええ……ですが、もう少しだけ……」
殺気立ってるのは、ロクサーヌも同じようだった。
半年ほど前、ロクサーヌの友人――一組のヨアナという子が、暴動の最中で命を落とした。ヨアナは、背後の民間人を守るために月を蝕むものと戦い、そして守りきれず共に死んだ。
その事件以来、ロクサーヌはこのような状況を生み出した民宗派に対する反感を募らせていた。加えて、ロクサーヌの父親がやっている商売の方にも陰りが出始めていた。もしかしたら、ロクサーヌの民宗派に対して感じている怒りは、私がルゥを想う以上のものかもしれない。
「――この国は腐敗している! その事実は口にしないまでも、誰しもが気付いている筈だ! 見て見ぬ振りなど出来ない筈だ!」
広場を横切った時、人だかりの中心に立つ人物が大仰な身振り手振りで人々に呼びかける姿が目に止まった。あれは、最近この国でよく見られるようになった熱源の一つ。
「だが、幸いにして腐敗は一部だ! 早急にこれを取り除けば、まだ間に合う!」
彼の言葉に聴衆は血走った眼で歓喜の声を上げる。代弁者の存在が嬉しいのか、或いは熱に浮かされているだけで何も考えていないのか。
「魔法士、何するものぞ!」
彼の発する熱が聴衆へ伝搬してゆく。演説、場の空気、人の心、その全てが最高潮を迎えつつあることが肌で分かった。
「――武器を取れ!」
そんな物々しい演説の締め括りを受けて、通り過ぎた後方の広場から地鳴りのような怒号が聞こえてくる。これから、また新たな暴動が始まるのだろう。
私は、席を立ちかけたロクサーヌを手で制した。
「よしなさい。それは私たちの仕事じゃないわ」
「――ですがッ!」
「全部は無理なのよ。私たちの腕は短く、華奢すぎるから……世界の全てを抱き止めてあげることはできない。今はやれることをやるしかないの」
家族はツォアル侯の屋敷に避難させた。友人たちはロクサーヌ以外は学院で授業を受けている。後顧の憂いは断った。そして、それはロクサーヌも同じである筈だ。
「民宗派との完全なる決着を付けるためには、ロクサーヌの力が絶対に必要だわ」
安心をロクサーヌにもお裾分けするように、私は彼女の手を握った。すると、ロクサーヌはやけに素直にストンと再び座席に腰を落ち着けた。そして、そのまま黙りこくる。
不貞腐れているのかと思ったが違う。その瞳には、静かなる闘志がめらめらと燃えていた。
(もう、大丈夫だろう)
ロクサーヌは、その鬱憤の矛先を対民宗派に絞ってくれた。
私はロクサーヌの集中を乱さぬように、自身の思い描く戦術について一つ一つマネと検討してゆく。戦術・其ノ五十二は今回の戦場で役立ちそうだとか、百八十五は止めておこうかとか。
その中で、マネはやはりあの戦術に対して異議を唱えた。
――なあ、本当にアレやんのか?
これまでも、あの戦術に関してはマネからはくどいぐらいに何度も確認をされていた。しかし、私の心はその戦術を思いついた時から変わっていない。
(やるわ)
心の中でそう呟いて返すと、今のが最終確認のつもりだったのか、それ以上の確認はなかった。
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彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
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