触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第四章

4.決着 その⑤:五手目

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「クク……アーッハハハハ!」

 何処からともなく『実験室』に笑声が響き渡る。

「……驚いたな、『スライム』だって? とんでもない――そいつは七罪セブン・シンズの一人! じゃあないか!」

 それは存外に幼い声だった。私と同い年か、少し下くらいの少年のような、声変わりもまだ途上というような声。

 だが、それよりも今は内容の方が気にかかった。

 七罪セブン・シンズ――その言葉は、いつかに貰った資料にも載っていた。かつて大門パスを開いて魔力素を独占しようと目論見むが失敗し、『人魔開闢ミトス・クリエティオニス』を引き起こして〝人界〟から魔力素と魔族・魔物を絶滅させた連中のことを民宗派はそう呼んでいる、と。

「……全く、妙ちきりんな呼び方しやがって……」
「ってことは、今の本当なの? マネ――じゃなくて、アブズさん?」
「止めろ。その名はとうの昔に捨てた」

 しかし、想像していたよりもマネが結構な長生きで驚いた。というか、やっぱりとんでもないことをしでかしているではないか。有名は有名でも悪名の方だ。

「ロクでもない奴だとは思ってたけど、ここまでとはね」
「……オレ様だって反省はしてるさ……浅慮だった」
「『浅慮だった』……? ふざけるなよ、貴様ァ!」

 少年の声には、そのあどけなさに似つかわしくない怒気が滲んでいた。

「貴様ら〝魔界〟の糞どもは、犬畜生にも劣る原種オリジネスの絞りカスだッ!」
「……アレについては本当に反省している。だが、一つ言い訳をさせてもらうと、大門パスを開いただけであんなとんでもないことになるだなんて、当時はおろか今の魔法技術でも一度やってみないことには分からなかっただろうぜ」
「――そんなことを言っているんじゃあない! 僕は民宗派の出自だが、その教義に賛成している訳じゃあないし、そもそも過ちは誰しも犯すもの! 僕が怒っているのは、における魔力素の独占と人間からの収奪のことだッ!」

 彼の言う『魔力素の独占』とは、つまり〝人界〟にはない魔力素それが〝魔界〟にはあるという対照的な現状を言っているのだろうとは理解できる。しかし、『人間からの収奪』とは何のことか。私には全くもって心当たりがない。

 けれども、そう思ったのは私だけのようで、マネはその体組織の動きを少しだけ乱した。

「その『収奪』ってのは……【契約召喚パクトゥム】のことを言っているのか?」
「それ以外に何があるッ!?」

 愚問であるとばかりにルクマーンは憤る。しかし、二人はそれで分かりあったのだろうが、私は置いてけぼりを食らっていた。

「ちょっと。私だけ、あんまり話についていけてないんだけど。教えてよ、マネ」
「……〝魔界〟の連中がどうして【契約召喚パクトゥム】に応じるのか、その理由を考えたことはあるか?」
「ないわ。使い魔メイトってのは魔法士カラギウスの側には昔から居て当然のものとして認識してたし、そこに疑問を挟む余地はなかった」
「そうか……」

 少し沈黙を挟んで、マネがゆっくりと〝魔界〟視点の事情を説明する。

「オレ様なんかが偶に契約するのは〝人界〟への興味や暇つぶしからだが……もちろん、そうじゃない切実な動機の奴らもいる。力が弱く、魔力素に飢えるものに取っては、〝人界〟に分体を送り込むことが結構な食い扶持になるんだ。〝魔界〟はしみったれたところで、弱肉強食の理に従ってそれぞれの領分が厳格に決まってる閉塞的な世界だ。それ以上のものを望むなら、〝人界〟を頼るほかないのさ」
「――ああ、〝人界〟の魔法使いウィザードが己のアニマで練り上げた僅かな魔力を掻っ攫うしかないな!」

 ルクマーンが嫌味な言い方をする。私としては、協力の対価としていくらかの魔力を彼らが持ち帰る分には何の文句もない。傭兵に賃金を渡すようなものだ。有用だから使っているのであって、鬱陶しいセールスマンに無理矢理押し売りされた訳でもない。

「リン! 君は鈍感な奴だ。鈍ちんだ。頭が良いんだろう? だのに分からないのか? それとも誇りがないのか? 人間は無明時代ジャーヒリーヤを脱してなお、奴らに食い物にされているんだぞッ!」
「そうなのかもね」

 正直、今まで全く考えたことも聞いたこともない新しい感性に触れて、私は戸惑いを隠せないでいた。

 過去、『魔力素は資源だ』と話す〝魔界〟の住民は何度か居た。人間社会が限りある資源を奪い合って血みどろの闘争を繰り広げるように、きっと〝魔界〟では魔力素を巡って闘争が行われるのだろう。

 とどのつまり、ルクマーンはその闘争の中へ人間という種も参戦しようと言っているのだ。

 そのために〘人魔合一アハド・タルマ〙の術を改良し〝魔界〟の住民から魔力を奪い、また大門パスを再び開き〝人界〟に魔力素を戻そうというのだろう。

「――でも、誰がそんなことして欲しいって言ったワケ?」
「何だって……?」

 物分りの悪いルクマーンに対し、私は懇切丁寧な説明をくれてやる。

「魔力素が欲しいかどうかって聞かれたら、そりゃあ~、まあ、欲しいわよ? 潤沢な資源を惜しげなく使うことで齎される〝力〟と繁栄は、それはそれは凄まじいものでしょう」
「よく分かっているじゃないか。理想郷ユートピアは革新の中にこそある! その原動力たる魔力素はいくらあっても足りないぐらいだ!」
「それは……その通りだと思うわ。私なんて、医学や治癒魔法が発展してなかったらもう十回ぐらい死んでるし。今さら石と木だけの原始時代には戻れないもの」
「なら――」
「でもね、残念なことにアンタの〝思想〟はかつすぎるのよ」

 急進的な言動は、往々にして多勢の顰蹙を買う。そして、それが強硬的であればあるほど、先進的すぎればすぎるほど、顰蹙は『反発』へと変わる。

「アンタの〝思想〟は百年……いえ二百年ぐらい先、技術革新に伴って高まるリソースへの渇望が生むような〝思想〟だわ。それを今やったところで、誰もついていけないわ。……ねえ、アンタのその〝思想〟って一体、民宗派のどれくらいの人に受け入れられている訳?」
「ぐっ……」

 私の指摘に対し、ルクマーンはぐうの音も出ないようだった。その〝思想〟を打ち明けたものがいるとしたら、それは恐らく『ソーテイラー』ぐらいのもので、他のものには一言も話していないに違いない。なぜなら、話す前から受け入れられないであろうことが彼自身にも分かっているからだ。

「ああ、そうだ! ご明察だよ! 話したのも受け入れてくれたのもソーテイラー様だけさ! それ以外の奴には、理解もできないだろうから話してすらいない! ――だが、それが何の問題になる!? 僕の正しさや功績は、後世の連中が必ずや評価してくれる筈だッ! 僕にはその確信があるッ!」
「あのさぁ……それ、そもそも根拠はあるの?」
「……なんだって?」
「だから、成功する根拠――勝算のことよ」

 寝耳に水のような反応をするルクマーン。しかし、一般論としてそこまで大それたことをやろうというのだから、相応の根拠があってしかるべきだと私は考える。

大門パスを開くと、原種オリジネスとかいうヤバいのが覚醒めざめちゃうかもしれないんでしょ? だいたい、〝魔界〟全体に喧嘩を売って人間が勝てるとも思えないんだけど」
「はぁ……なにかと思えばそんなことか。つくづく、君には失望したよ」

 ムカッとくる言い草だ。それにつられて、私の方もついつい刺々しく言葉を返す。

「御託はいいから、根拠があるなら言ってみなさいって。それともないの? ないならないで、私はいいんだけど?」
「ッ――いいかい? この世に確かなことなど存在しない! ただ一つ確かなことがあるとすれば――それは! この荒野を切り拓かんとする開拓者精神チャレンジ・スピリッツのみだ!」
「はあ……?」
「失敗など、ハナっから勘案にも入れていない! なぜなら、僕は成功するまで挑戦し続けるつもりだからだ!」

 そういう精神論は求めていない。熱っぽいルクマーンの演説とは対照的に、私の心は急速に冷めてゆく。「失望」という言葉、今度は私が使わせてもらう番のようだ。

「つまり、ないのね?」
「見縊るな、凡人風情が一丁前に。君たちの考えつくような問題については、既に対策を考えてある」
「なら最初から『ある』って普通に言いなさいよ」

 面倒くさい奴だ、と小声で言い捨てると、声しか聞こえないが呼吸の音だけでルクマーンが怒気を孕んだのが分かった。だが、さっきまでと違ってそれを表に出すことなく、抑えつけるように深呼吸を繰り返してから、彼は冷静に言う。

「――君に勧告する。もし、将来のどこかで僕の〝思想〟に一分でも説得力を感じたなら、即座に民宗派へと身を寄せろ。君を月を蝕むものリクィヤレハにする」
「あら、マネの魔力波長パターンをお望みなんでしょうけど、生憎と〘人魔合一アハド・タルマ〙の術で力を借りられる対象はランダムなんじゃなかった?」
「一体いつの話をしているんだ。この僕が、今までどれだけ〘人魔合一アハド・タルマ〙の術を改良してきたのか忘れたか? 【契約召喚】の繋がりを利用して、使い魔メイトを特定して力を借り受ける種類のものも作ってあるさ。君のような存在を想定してね」

 ……こいつ、本当になんてものまで作っていやがる。やはり、ここでキッチリ殺しておかないと駄目だ。

「でもそれなら、後でと言わず今から私を無理矢理月を蝕むものリクィヤレハにしちゃえばいいじゃない」
「はっ! 僕はできないことはしない主義でね。それに――どうやら、お喋りできるのもここまでのようだからな」

 唐突なルクマーンの言葉にも私は動じることなく、ちらと右腕のバングルを確認した。

「悪いが、君とはここでお別れだ。既に僕はその場にはいない。会話中に移動し、『逃げ道』を確保させてもらった」
「あっそ、別に構わないわよ。はお互い様だしね」
「なに?」

 右腕のバングルから「ピー」と間の抜けた電子音が鳴ると、ようやく準備の終わった秘密兵器――『広域非破壊探査装置NDIシステム』の起動を告げる衝撃が大気を揺らした。

 そちらに天才アン=ナービガがいるなら、こちらには天才ジーニアスがいる。
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