触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第五章

4.ヨッパ攻囲戦 その①:親切な心

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 4.ヨッパ攻囲戦

「信用できん!」

 東方軍総司令官である彼の言うことは至極もっともだった。

「誰が上官殺しをやった糞魔女ウィッチの作戦なんぞを――!」
「しかしですね、総司令官閣下」

 黙って受け入れる訳にもいかないので、私は抗弁を試みた。

「あの男は反革命主義者だったのです。私は革命を志すものとして当たり前のことをしたまで」
「戯言を……この俺が貴様の学院時代の振る舞いを知らぬと思うてか!」
「いいえ」
「ッ――この、残虐非道の植民者ゴイめが! 今すぐここから出ていけ!」
「総司令官閣下、自分は混血ですよ」

 すると、彼は頭の血管が破れるのではないかと心配してしまうほどの大声で叫び、私と周りの声を掻き消す。そして、口角あわを飛ばして私を作戦会議中の司令部から追い出した。

 全く、最近の植民者ゴイ差別には困ったものだ。以前は「やって来た側」ということで、なんとなく植民者ゴイ優位のような雰囲気があったが、それが革命の最中で逆転し、今や行き過ぎなぐらいに土着民レヴァント優位の雰囲気になっていた。

 こういう話になると、混血の自分は相変わらず身の置き所がなくて居た堪れない気分になる。

(まあ……ともかく、

 彼がどれだけ致命的な下手を打っても挽回できる見込みが私にはあった。それに、そもそもの話をするなら、私は目先の勝ち負けには全く頓着していない。

 私の目的は、ヘレナの成すことを見届けることなのだから。

 幸いにして、軍隊には私の敵ばかりという訳ではない。半数の将校は総司令官の差別的発言に白い眼を向けていたのを確認できたし、私を『少佐』に昇格させた派遣議員――軍隊が革命的か否かを監視する役割――の連中も私に同情的な態度だった。

 という訳で、必ずしもここで私の作戦が採用される必要はない。『提案した』という事実さえあれば、評価は必ず後から付いてくる。

 さて、私の今後が安泰となったところで――次に考えるべきはヘレナの動向だろう。

 私は見晴らしの良い丘の上に登って、そこからヨッパの街を見下ろした。この街はかつて『大移動』の際に要港として激戦地となった過去があり、街をぐるりと囲うように高い石造りの城壁が築かれていた。

 時代遅れといえば時代遅れの防衛設備だ。長らく王党派の勢力圏の一部として平和を享受していたから、防衛設備の刷新も遅れていた。

 最新鋭の防衛設備というのは、魔道具アーティファクトと巨大な魔石ノクティルカを用いた結界防壁のことをいう。そこへ大砲や魔法をしこたまぶちこむのが現代流の攻城戦だ。

 建国から三百年、イリュリアが未だ『未回収のイリュリア』を奪還できない理由も、難攻不落の都市アッシュルに作られた巨大結界を突破できなかったからである。

 そんな取るに足らない時代遅れの城壁が、ここへ来て私たちの前に立ちはだかっていた。

(大砲が届かない……)

 砲台をあの城壁のもとに近付けようとすれば、城壁の上から打ち下ろされて破壊されてしまう。なぜなら、向こうも同じ型の砲台を使っているからだ。性能が同じなら、城壁分の高所を取っている防衛側の方が射程を確保できる。

 そして、仮にどうにか届かせたところで、だ。

 現行の大砲では、すぐさま城壁内の魔法使いウィザードの手によって修復される程度の損害しか与えられない。まだまだ、魔法を用いた建築技術の方が上であり、発展途上の大砲はシンプルに火力が足りていなかった。

(まったく誰なの……こんな頑丈な城壁を作った奴は。良い仕事しすぎよ)

 その上、どうやら反乱軍はを引き込んでいると来た。

 ガリア帝国、神聖エトルリア帝国、アルゲニア王国――旗こそ掲げていないが、どこの所属か丸わかりの船舶がひっきりなしにヨッパの港を出入りしている。

「――けど、それがどうしたというのかしら」

 私の眼には、堅牢なヨッパの城壁が砂上の楼閣の如く頼りないものに映っていた。しかし、この状況のに気付かぬヘレナではないだろう。

「ねえ、アンタはこれからどう出るつもりなの?」

 イスラエル・レカペノスの動向は新聞で手に入った。なんでも、ヨッパを挟んで北側でヨッパ包囲網の一角を形成する別部隊に派遣議員として来ているらしい。これは偶然か、前から決まっていたことなのか、それともヘレナの仕組んだことなのかは定かではない。しかし、事実としてヨッパ近辺にイスラエル・レカペノスが居るという事実は見過ごせない。

(まさか、ヨッパから打って出る気?)

 理由はどう用意する。防衛側にわざわざその堅牢な陣地を捨てさせるのは容易なことではない。海からの補給も万全で長期の籠城もできる構えな上、これまでの反乱軍が我々によってされたとなれば、彼らは死ぬまで抵抗は止めないだろう。止めても死ぬのだから、戦って死ぬことを選ぶ筈だ。

 どう反乱兵を誘導するかを考えていると、ふと背後に何者かの気配がした。魔法使いウィザードとは少し異なるその魔力の気配に、私は心当たりがあった。

「……ワキール?」
「当たりだよぉ……隣、良いかい?」
「どうぞ。アンタが今どういう立場か知らないけど、面倒はごめんよ。見つからないようにしてよね」

 そう言うと、岩に腰掛けて座る私の足元からワキールは顔だけを出してきた。まあ、それなら良いだろう。後ろからは私と岩で見えないし、横と正面から来たらすぐに分かる。

「久しぶりね。あれからかしら?」
「よしてくれよぉ。あれから色々あって……過去の自分は痛いガキだったと反省しているところなんだから」
「痛いとまでは私も言わないけどね」

 言わないけど、少し背伸びをしている微笑ましいガキだと思っていた。しかし、人間誰しもそういう風に振る舞う時期があるものだ。そして、いつしか自発的ではなく社会の一員としてようになる。

「ところで、その間延びした話し方は変わってないんだ」
「これは癖だからねぇ」

 それも大人ぶって作っているキャラだと思っていた。

 さて、再会の挨拶はこれくらいで良いだろう。私は、ワキールがここへ来た理由を汲み取り、本題の方向へ舵を切った。

「――で、『寄合エクレシア』の調子はどうなの?」
「端的に言うと割れてるねぇ。真っ二つだ。現状で良しとする穏健派と、ヘレナに従う急進派とでねぇ……。まあ、これは『寄合エクレシア』に限ったことではなく、元・王党急進派アーヴィン・クラブの全体で起こっていることが『寄合エクレシア』でも起こっているというだけだねぇ」
「ふーん。アンタはどっちなの?」
「……情けない話、決めかねているんだ……」

 ワキールは、本当に心の底から悔しそうにそう言った。

「『正解』が分からない。この数年間で、やつがれは所詮魔族の気まぐれに知識と魔法を与えられただけのケツの青いガキでしかないと思い知らされた……。連中、国のためだ人のためだと言うけれど、その前にやつがれを助けて欲しいよぉ」
「甘ったれてるわね。ま、それも仕方のないことよ。慰めてあげるわ」
「え?」

 すっとぼけたような足元の顔に向かって、私は思い切り靴裏を叩きつけた。

「舐めるなっ、クソガキッ――! 元はと言えばこれはアンタらの始めたことでしょうがッ! 緩めるも早めるも自由だが、己の行動には最期まで責任を持てッ! 無責任な途中下車は許さない……ッ!」
「う、うぐ……がっ! や、やめ……」

 ワキールは腕を掲げてガードする姿勢こそ見せるものの、何故かそこから移動しようとしない。なので、私は遠慮なくガードの上から蹴りを浴びせ続けた。

「『正解』なんて誰も知らない! 間違える勇気もないなら始めから何もするなッ! 分かったか、このクソガキがッ!」
「わ、わるかった……もう、もう言わないからぁ……!」

 最後に一発強めに叩き込んで、私は蹴るのをやめた。

「どう、元気出た?」
「で、出る訳ないだろぉ……い、いかれてるよぉ……」
「そう? 殴って欲しそうに見えたのだけれどね」
「そんなわけぇ……」
「ま、気にすることないわよ。私の家族のことは。私も、もう気にしてないから」

 暴動を主導した煽動家アジテーターを殺した時点で、私の中では決着の付いている事柄である。あの時抱いた怒りを『革命』全体へ向ける気にはなれなかった。当時はその理由が自分でも分からなかったけど、今は分かる。それはヘレナに対して『未練』があったからだ。

 私は、涙眼のワキールを見下ろしながら話しかける。

「ねぇ、ワキール。私は元から『革命』なんぞに関心はなかったわよね」
「そうだねぇ……」
「だから今、私の興味はヘレナが何をするのかってことだけなのよ。それを見届けたら……たぶん、亡命でもするわ」
「亡命? 見るだけ見てぇ……?」
「だって、この国は治安が悪いでしょ? それを良くしたいとは思わないし。私の幸せってものを考えてみたんだけど、別に何かしたいとか、何かになりたいとか、そういうのはないし、どっか別の国でほどほどに出世してまあまあ贅沢して暮らすわよ」

 私のような魔女ウィッチが亡命すると、結構な報酬が貰える。もちろん、元・外部者ということで国の中枢深くへは相当な能力を示さなければ近づかせてもらえないだろうが、私にとっては僅かな金子を貰うだけでも十分だ。

「ワキール。私はアンタにくれてやるような『正解』を持ってない。だから、一緒に見に行きましょうよ。ヘレナの成すことを。何事も、始めるのに遅すぎるということはないのよ」

 返事はなかった。しかし、それは必要ないからだ。彼の顔を見れば、その心は手に取るように分かった。

 声もなくワキールが地面に沈み、私もそろそろ戻ろうかと岩から立ち上がった時、今度はまた別の気配が背後に現れた。振り向くと、不安そうな顔をしたコーネリアがそこに立っていた。

「……コーネリアの隠形ハイドって、そんなに上手かったっけ。全然気付かなかった」
「誰と、話していたの?」
「コーネリアの知らない人」

 そう言うと、コーネリアは何か言いたげだった。しかし、口にはしない。私は「ふっ」と笑って謝罪した。そして、ワキールのことを説明する。

「アイツは『寄合エクレシア』のワキールって奴よ。反民宗派にしてい革命派の月を蝕むものリクィヤレハ。ヘレナのもとで色々と動いてて、その時に知り合った。けど、今は人生に迷ってるみたい」
「貴方と一緒ね」

 妙な当たりの強さを訝しんでいると、コーネリアは思いっきり顔をしかめた。

「一つ、友人として忠告しておくわ。ヘレナのもとへ行っても貴方は幸せにはなれない」
「どうして、そう思うの?」
「ヘレナは狂人だから」

 そんなことは知っている。恐らく、コーネリア以上に私の方がより深く知っている自信がある。私が尋ねたかったのはそういうことじゃない。

「違う違う。どうして、私がヘレナのもとへ行くと思ったの? 見るだけよ、見るだけ。話、聞いてたんじゃないの?」
「……心配なの。ヘレナと貴方は、傍目にもウマが合うようだったから」
「アンタ、眼ぇ付いてる?」

 実際のところ、コーネリアの懸念は正しい。私は別にヘレナが間違っていると言い切るつもりはないのだから。そして、正しいと言い切るつもりもまたない。

 要するに、私はまだヘレナに期待している。それが、私の『未練』の正体だ。

「ウマが合うどころじゃない。私とヘレナはなのよ。互いに互いの『才能』に惚れ込んでる者同士だもの。けどね、だからこそ私がヘレナのもとへ行くことはない」
「どうして?」
「実は、ヘレナを見付けた時に殺意を抑えられるか自信がないのよ」
「……驚いたわ」

 コーネリアは、気まずそうに口ごもる。

「家族のことは……もう、気にしていないとばかり」
「いえ、そうじゃないわ」

 何か勘違いしているらしいコーネリアに、私の心の中でも一番聞こえの悪い本音を打ち明ける。

「私は自分より優れている奴が気に食わないの。というか、存在が許せない。ヘレナのことは人間的には嫌いだけど才能は認めてる。そして、世の中を良くできるとしたらヘレナのその才しかいないと思ってる。――だからこそ、殺してやりたいのよ」

 実際にはやらない。なぜなら、私はその才能に期待しているからだ。殺すデメリットより、生かすメリットを理性では理解している。しかし、いざヘレナを眼の前にした時、私は剣を振り上げて飛びかからない自信がなかった。

「心配してくれてありがとう。でもね、案ずることはないと言っておくわ。私はモラリストだから。ここからどう転んだとしても、きっと悪いようにはしないわよ」

 だから、そんな顔をしないでくれ。私は、コーネリアがくれた親切と友情には絶対に報いるつもりでいるのだから。

 どうしたらいい? どうしたら、私のこの気持ちを伝えられる?

「コーネリア! ――幸せになろう!」

 以外の表現方法を私は知らない。
 私は、真正面からコーネリアを抱き締めた。
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