触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第五章

5.英雄の誕生 その①:旧友

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 5.英雄の誕生

「――魔女ウィッチだ! 杖を持ってるぞ!」
「使わないけどね」
「なにっ――がぐぁッ!」

 適当に雑兵を斬り伏せながら、あてどなく戦場を彷徨う。この付近に足を踏み入れた時に感じた誘引力のようなものを、今はなぜだか微塵も感じない。あれはただの錯覚だったのか? ついに私の気も触れてしまったか。

「怯むなァ! 敵は一人だ!」
「あれ?」

 そんな時である。最初は、反乱軍にイキのいい奴が居るなくらいの認識だった。

 しかし、どうもこれは……。

 猛々しく吼える反乱軍の女分隊長のもとへ近付けば近付くほどに、その違和感は確信へと変わる。

「ぎゃあああああ!」
「もしかして……ヨナちゃん?」
「ぐぁあッ!」

 邪魔な雑兵の悲鳴に私の声が掻き消されていないかと気を揉んだが、すぐに彼女の眼の色が変わった。どうやら、無事に届いたらしい。そして、彼女の正体は私の思った通りの人物であったようだ。

「――止まれ!」

 反乱軍の兵士たちは、分隊長の突然の心変わりに動揺し、訳を尋ねるような視線を向ける。

「あれは私の旧友だ。何人がかりだろうと――お前らじゃ勝てん! 時間が惜しい、邪魔だから他に回れ! この場は私が一人で何とかする!」

 そう言って、彼女――ヨナちゃんは部下の兵士たちを強引に解散させた。

(よく統率されている)

 反乱軍の兵士たちが散り散りになってゆくのを横目で見届けた後、私はふっと剣を降ろした。そして、女分隊長――ヨナちゃんもまた、戦闘の構えを解く。

「……リンちゃん。こんなところで何やってるの?」
「見に来たのよ。何をやってるのかなーって」
「嘘でしょ?」
「ほんと」

 思わぬ顔なじみとの再会に気が緩み、私はけらけらと気安く笑ってみせたが、ヨナちゃんの方は頬をピクリともさせなかった。気まず過ぎて、笑いはすぐに引っ込んだ。

 ヨナちゃんは、皺の刻まれた眉根を殊更にしかめる。

「リンちゃんの両親のことは私も聞いてる。『革命』に巻き込まれて、理不尽で無惨な死を遂げたって」
「そうね」
「――じゃあ、なんで革命派の軍隊なんかに!」

 説明するのが非常に面倒くさい。それより、ヨナちゃんの事情の方が気になった。私が家族をツォアル侯のもとへ避難させたのと前後して、ヨナちゃんの家族もまたドマ村から避難したと聞いている。だが、それ以降の足取りは私のママの死によって把握できなくなっていた。

「そういうヨナちゃんこそ、どうして反乱軍に?」
「これ以上、この地獄を座視していられないからよ!」

 喉が張り裂けんばかりに叫ぶヨナちゃんの表情は鬼気迫るものがあった。確かに、最近の議会の横暴は眼に余る。反革命主義者の疑いをかけられたものは大体処刑され、マトモなものは大体国外へ脱した。

 今、王都にあるのは『恐怖』だけだった。

 ヨナちゃんは、なおも声高に叫び続ける。

「私は旧時代に固執する王党派とは違う! 利害の一致で一時的に手を組んでいるだけの穏健共和派! 『革命』には、ここらで歯止めが必要なことは誰の眼にも明らかでしょ!」
「うーん、たしかにね」

 同意を示すと、パァっとヨナちゃんの顔に喜色が広がる。

「なら、リンも反乱軍こっちに――」
「――でも、ヨナちゃんには無理じゃない?」

 そういうと、ヨナちゃんはポカンと大口を開けた。

 ヨナちゃんは器ではない。

 国を変えるとか、社会に変革を齎すとか、そんな大それたことは彼女にはできやしない。なぜなら、からだ。彼女が富籤たからくじを当てるような幸運に恵まれたところで、歴史書どころか新聞の死亡者リストに載るのが関の山の取るに足らない人間だからだ。学もなく、〝思想〟もなく、才能もない凡人だからだ。

「……どうして、そんなこと言うの?」
「器じゃない。止めときなよ。家へ帰って、柔らかい布団にでも潜って、この嵐が過ぎ去るのを待ってた方が絶対に良い。身のためだよ」
「……帰る場所なんて、もうない。私の家族は――反革命主義者の疑いをかけられて殺された!」

 そうだったのか……ヨナちゃんも、私と同じ悲しみを……。

 だが、その悲しみは『革命』そのものではなく、現時点の『革命の有り様』へ向けられているらしい。その点、いくらか理性的で安心した。

 であるならば、なおのこと。私は言わねばならない。

「じゃあ、同じく『革命』で家族を失ったものとして言わせてもらうわ。ヨナちゃん、家へ帰りなさい。アンタは器じゃないから」
「そうやって私を見下して……!」

 歯噛みして肩を震わせるヨナちゃんだったが、不意に全身の力を抜いた。

「ねえ……昔さ、何も考えずに野山を駆け回っていた頃、私がリンちゃんを見る眼は透き通っていたと思う。優越感も、劣等感もなかった」
「……そうね、対等な関係だったと思うわ」
「でも、リンちゃんに魔力があるって判明してからは劣等感でいっぱいだった」

 それは、過去に犯した罪を神に懺悔するかのような、そんな口ぶりだった。

「村を出て、リンちゃんが王都で華々しくやっているんだと思うと、すごく嫌だった」
「どうして?」
「――私も、そうしたかったから」

 別に華々しいこともなかったし、ヨナちゃんにもそのことは手紙で伝えていたように思うが、謙遜と取られてしまったのかもしれない。あるいは、羨望の眼差しが思考に狂いを生じさせていたか。

「したいなら、すればよかった」
「できっこないよ。私には村を出る勇気なんてなかった。リンちゃんを羨む一方で開き直りもあった。私はこのまま村の中だけで育って、そして同じく取り残され仲間のズラーラ辺りと適当に結婚して、子供を生んで、停滞と共に死んでゆくんだろうなって……」

 その時、ヨナちゃんは昔みたいに笑った。

「でも、残念。ズラーラはリンちゃんのことが好きだったみたい」

 あのズラーラが、ね。ヨナちゃんは時々思い込みが激しいから、本当かどうかは分からない。しかし、本当なら悪いことをした。その想いを汲んでやれなかったどころか、『収容所あんなところ』へ放り込んで殺してしまったのだから。彼の想いに応えられなかったとしても、せめて断りの文句ぐらいは告げてやりたかった。

「でもね、今はそういう夾雑物よけいなものの全てがどうでも良く感じるの。戦火に巻かれて遥々王都まで逃げて来た甲斐はあった。結局、村も王都もそれ以外も大して変わらなかった。どこもかしこもクソだった」

 ヨナちゃんはゆっくりと、再び剣を構える。

「――気に入らないなら、自分で変えるしかない。そんな簡単なことに気づくまで、随分と時間がかかっちゃった」

 正面へ据えられた白刃は、慣れた手付きでピタッと震えなく構えられる。ヨナちゃんも、この数年間遊んでいた訳ではないらしい。

「リンちゃんが、心から手を引くよう言ってるのは分かる。私を見下して言っている訳じゃないのも……」

 もはや、言葉による説得は叶わぬと見て、私もまた再びカラギウスの剣を構える。

「それでも、私は戦うことを止めない」
「そう……」

 ごめんなさい。ヨナちゃん、貴方のいくさはここまで。後の結末は新聞でも読んで知って欲しい。どこか、安全な場所で……。

 私たちは、どちらからともなく距離を詰め、互いに剣を振るった。

 ――まるで、己の半身を斬るかのようだった。

 僅かな間を置いて、カクンと崩れ落ちるヨナちゃんの体を抱きとめた私は、崩れた壁の向こうへ呼びかけた。

「そこのアンタ、さっさと出てきなさい!」
「……気付いていたのか?」

 ヨナちゃんは、分隊長に抜擢されるだけあって剣の才能があったらしい。もっとも、それは『常人の剣』だったが。

 そういう訳で、部下の殆どは信頼するヨナちゃんの命に従い他の戦場へ向かったようだが、唯一、彼だけは密かにこの場に留まっていた。その理由は、本人すら自覚していないだろう慕情ゆえと私は見抜いていた。

「ヨナ分隊長を一刀で下す腕前だ。俺に争う気は――」
「この娘を連れて、出来るだけ速やかにこの場を離れなさい」

 戸惑う彼に、私は強引にヨナちゃんの身を預けた。

「この戦、反乱軍が負けるから」

 これは別に予言でもなんでもない――事実だ。もともと、玉砕覚悟の突撃なのだ。ヘレナがそうなるように状況を追い込み、兵たちには事実を直視させぬよう戦意を高揚させることで覆い隠している。

 しかし、それも長くは持つまい。後三十分もすれば、反乱軍は総崩れになるだろう。だから、その前にヨナちゃんを安全地帯まで運んで欲しかった。

「さあ、行って。ヨナちゃんのことを想うなら、どこか遠くへ……」
「……分かった」

 ヨナちゃんを背負い駆けてゆく彼を、私はその姿が見えなくなるまで見送った。






 私は一つ、気付きを得た。

「――吐きなさい」

 ヘレナの居所を探りたいのに、反乱軍の相手ばかりするのは効率が悪いということに気付いたのだ。

「どうしてだ……俺たちは同じ革命派のの筈だろ……!?」
「アンタがさっさと喋らないのがいけないんでしょ。ほら、イスラエル・レカペノスの居場所はどこ?」
「ぐっ……頂上だ! 反乱軍の襲撃を受ける前は砦の頂上に居た筈だ! これでいいか!?」
「ふふ……ありがとね」

 味方の士官を尋問し、私はイスラエル・レカペノスがこの砦を訪れていた事実と、その居場所が砦の頂上付近であろうことを知る。

 占領したばかりの砦に奴がのこのこやって来た理由は知らない。大方、目先の勝利のために気が緩んでいたのだろう。まさか、ヘレナの目的が自分を殺すことで、そのためだけにこんな大規模な反乱を仕掛けたとは思うまい。私もポーラとベンから聞いてなきゃ分からなかっただろう。

「さて……じゃあ、行きましょうか」

 迷いはなかった。砦の頂上を見据え、戦場のド真ん中を突っ切ってゆく。

 だが、その時――戦場ここへ足を踏み入れた時以来の強い誘引力を感じて、すぐに足が鈍り出す。

 次の瞬間、そう遠くない戦場の一角で大きな爆発が起こった。大気を揺るがす爆炎は、熱気と共に瓦礫を吹き上げ、それらを私のところまで届ける。見ると、爆心地では両軍の兵士が炎に包まれて走り回っていた。運良く無事に爆炎から逃れたものもいるが、皆恐れ慄いたように震えて縮こまっており、そこだけ戦闘が止まっていた。

 気が付くと、私は砦を目指すことを止めて、誰もが逃げ出すその爆心地へ向かっていた。

「――リン?」

 足元から声が響く。それに対し、最初から彼女の存在を視認していた私は、驚くことなくその呼びかけに応じた。

「久しぶり、ルゥ」

 熱風渦まく空間の中、あの時のままの異形で、あの時のままの死に体で、あの時のままの淀んだ眼をしたルゥがそこにいた。

 地面に横たわるルゥは、ぐぐと首を持ち上げようとして途中で諦めたようにパタッと地に頭を預けた。

「死ぬ前に……また、リンと会えるなんて……」

 重傷の状態で喋ったからか、ルゥの口から「ゴプッ」と血の塊のようなものが出てきた。私は彼女のもとへ駆け寄り、喋らぬよう制しようとしたが、近くで彼女の傷の具合を詳しく見て口を噤んだ。

 ルゥの腹部は、まるで猛獣の爪にえぐられたように乱暴に引き裂かれており、よく見ると背後にはらわたが飛び散っていた。私は治癒魔法をロクに使えない。だが、仮に使えたとしてもこれではもう手遅れだろう。

 私は、最期の時を彼女の好きにさせてあげることにした。

「ルゥは……ヘレナを手伝うことにしたのね」
「……うん。民宗派の親玉なんて……生かしておいても何の得もないと思って……」

 あのルゥが、物騒なことを言うようになったものだ。これを成長とは言いたくない。ルゥは戦士として使えなくとも、魔法の才能があった。聖徒魔法士官クレリクスか医官にでもなって、戦闘とは別のところで世のため人のために活躍する未来もあった筈なのに……一体、どこで歯車が狂ってしまったのか。

 私はやるせない気持ちで一杯だった。

「リン……お願いがあるの……」
「なに?」
「あっちでヘレナが戦っているから……助けて、あげて……」

 そう言って、ルゥは砦の方を指さした。どうやら、ヘレナはイスラエル・レカペノスを殺すために自ら砦へ乗り込んでいるらしい。

 そちらも気になる。だが、今は……。

「……恨んでないの?」

 私を、ナタリーさんを、そしてヘレナを……恨んでいないのか。そう聞くと、ルゥの淀んだ眼が少しばかり揺らいだ。

「恨んでるよ……でも……行ってあげて……」
「……分かったわ。ルゥ……」

 ルゥの側に付いていてあげたいという気持ちもあったが、ここは彼女の意志を尊重することにした。

「ヘレナのことは任せなさい」
「ありがとう……私のことは、心配しなくて良いから、ね……」

 そう言って、ルゥは両隣の黒焦げ死体の手を掴んだ。まだ熱が残っているのか、じゅっと音を立ててルゥの掌が焼ける。

も、一緒だから……」

 私は眼を剥いた。面影もなにもあったものじゃない。顔も手も足も――カルバに至っては全身に刻まれていた呪祷刺青スティグマータも――全て、等しく丸っと黒焦げてしまっているのだから。

(二人は、ルゥを庇ったのだろうか……?)

 二人の死体と爆心地の位置関係を見て、私はなんとなくそう思った。カルバはともかく、かつて凄惨な仕打ちをしたナタリーさんが、その身を投げ出してまでルゥを庇うなんて常識では考えられないこと。だが、両隣の死体を見詰めるルゥの親愛の眼を見れば見るほど、そうとしか思えなくなった。

 やがて、ルゥの呼気が見る見るうちに弱まってゆく。

 もう、まもなく――死ぬ。

 様々な情念が私の脳裏を駆け巡り、ルゥとの思い出が一つ、また一つと浮かんでは消えて行く。

「ごめんなさい……ルゥ。アンタも、幸せにしてやりたかった……」

 今は彼女との友情に報いよう。

 私は、ルゥの最期を彼女の望むままにし、ヘレナとイスラエル・レカペノスの待つ砦へ急いだ。
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