触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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最終章

1.雲蒸竜変 その③:仲間を求めて

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 ミーシャの生家は投獄時に競売にかけられており、既に他人の手に渡ってしまってるとのことで、暫くは兵舎の私の部屋に泊まらせてやることにした。スピード出世の弊害で、来た時と同じ狭い部屋のままなのでちと窮屈だ。まあ、そこは追々もう少し階級に見合った住居へ移させてもらうとしよう。

 一日経って、ミーシャもだいぶ元気になった。

 ご飯もちゃんと食べられているから、そのうちに本調子になるだろう。衰弱していただけで怪我の程度は軽かったから、自前の治癒魔法で完治まで持っていける筈だ。

 お互いに昼飯を食べ終わったところで、私は空き皿を流しに運びつつまだベッドのミーシャに尋ねる。

「ところで、ミーシャに聞きたいんだけど」
「な、なに……かな……?」
「まだ戦う気はある? 一応、将校魔法士官トリブヌスだったんでしょ? 復隊するなら、口利きするから私と一緒に戦ってくれると嬉しいんだけど」

 ちらりとミーシャの様子を伺うと、いつも通りの無表情で何を考えてるのかさっぱり分からなかった。

「別に戦いたくないって言うなら別にそれも構わないわよ? 亡命するならガリアにでも行ったら良いわ。向こうにはロクサーヌもいるし。幾らか餞別として金銭を恵んでやる余裕もある。返さなくてもいいけど、気が咎めるってんなら向こうから送ってくれたらいいし」
「あ、あの……ひとつ、聞いてもいいかな?」
「良いわよ」

 私は皿を一旦水に付けておき、ミーシャの前に戻った。

「どうして、リンちゃんは今もこの国に残ってるの……?」
「それはもちろん、革命を完遂おわらせるためよ。そして、幸せになる。とね」

 すると、ミーシャはぎゅっと掛け布団を掴んで眼を伏せた。

「リンちゃん……なんか、変わったね」
「そう?」
「つめたくなった」

 それは、私がマネ(アブズ)の月を蝕むものリクィヤレハになったことにかけて、シャレで言っているのか? なんて、茶化せる雰囲気でもなかった。

(こんなにも親切にしてやって、まだ足りないという気なのか。ミーシャは)

 しかし、続けてミーシャが言うには、そういう訳でもないようだった。

「ネルちゃんが失踪した理由もわかる気がする……」
「……どういう意味?」
「なんだか……リンちゃんの側にいたら『危ない』って気がするの……たぶん、を知っているからこそ、今のリンちゃんに対してそう感じるんだと思う……」

 思う、なんて曖昧さを残した言い方をしているが、それはどこか確信めいた口調でもあった。

「リンちゃんは……んじゃない?」

 私は何も言えず、閉口するばかりだった。ミーシャの友情に感謝する一方で、これ幸いと味方を増やそうという打算があったのは確かだ。しかし、見抜かれているとは思わなかった。

 ミーシャが申し訳無さそうにぼそりと呟く。

「だから……ごめん。一緒には、戦ってあげられない」
「……そっか」

 居た堪れなくなって、私は俯くミーシャを抱き締めた。

「良いのよ。友人だからって、何でも一緒とはいかないわ」

 ミーシャの人生だ。友人だからこそ、強要することはできない。

 どこへなりとも行くがいいさ。

 時計を見ると、そろそろ出かけなければならない時間だった。本当は出かけている間に返答を考えてもらおうと思ってこのタイミングで切り出したのだが、無用な気遣いになってしまった。

 私はミーシャから身を離す。

「それじゃあ……私はさっき言った通りこれから留守にするけど、何か困ったことがあったらそこのベルを鳴らせば兵舎付の使用人が来てくれる筈だから。あと、夕食は作ってあるから適当に食べてね。帰りは遅くなる……もしかしたら、明日になるかも」
「う、うん。いって、らっしゃい……」
「いってきまーす」

 これから、ミーシャがどのような道を選ぶにしろ、その先に彼女の幸福が待っていることを祈ろう。

 なんとなく、私はこれがミーシャとの最後の別れになる気がしていた。

(用事を終えて兵舎に戻った時、たぶんミーシャは……)

 その先は、考えないことにした。

 私は、宿舎の玄関口に待たせておいた馬車に乗り込み、御者へ最初の目的地を告げる。

「――カフヴェハーネ、『ウシュピジンの店』へ」

 御者の返事と共に、馬車はゆっくりと動き出した。






 さて、こっちはこっちでやらなきゃならないことが山積みだ。

 革命を完遂おわらせるためには、私の才能だけでは不足だ。ルシュディーはたぶん職業軍人なので、命令が下れば協力してくれるだろう。

 問題はこれから会う連中だ。奴らは、もれなくそういうプロ意識の欠片もないエゴイストの屑ども。私の持てる全てを駆使して口説き落とさねば、協力は望めないだろう。

 店員に案内され予約しておいた個室へ入り、適当な席に腰を落ち着ける。注文はあるかと聞かれたので、私はザクロアイスを頼んだ。店員が下がり、個室内は私一人だけになる。

 ここ『ウシュピジンの店』は、かつてベネディクトと会った時にシンシアが利用した店だ。革命の嵐が吹き荒れる現在においても、幸運なことに未だ営業を続けているようだったので、それを知った私は懐かしさからこの店を再び利用することにした。

 昔と変わらない内装を眺めていると、ダン、ダン、と乱暴な足音が近付いてくる。余りにを伴って。

 ダン――と、ひときわ大きな足音の後、個室の扉が勢いよく開かれる。

「――殺すぞ」
「こんにちは、グィネヴィア。元気してた?」

 開け放たれた扉の向こうから、とんだを引っ提げて登場したグィネヴィアは、私が子供の時に夢見ていた『星団プレイアデス』の制式服に身を包んでいた。そう、高等部においても優秀な成績を残した彼女は、『星団プレイアデス』の儀仗魔法士官コーテイジになったのだ。

 その後ろから、ひょこっとレイラが顔を出す。

「こんにちは」
「レイラも。元気してた?」
「うん」

 朗らかに微笑むレイラもまた、グィネヴィアと同じ制式服を着ていた。正直、例年の魔法使いウィザードと比べればレイラは見劣りする実力だが、『黄金世代』と称えられた同窓生たちも、ある者は亡命し、ある者は斃れ、深刻な人材難に陥っている。そんな事情もあり、また先に『推薦』を得ていたグィネヴィアからの強い希望もあって、レイラも儀仗魔法士官コーテイジになることができたらしい。

 私は、不機嫌さを隠そうともしないグィネヴィアを宥めつつ着席を促した。

「まあまあ、とにかく座ってよ。お二人さん」
「……ふん、そっちが座ってるってのに、こっちがいつまでも立ってるってのは癪に障る。言われなくてもそうさせてもらう!」

 二人は、私の正面の席に座った。それと同時、店員がザクロアイスを持ってきてくれる。私は遠慮なくスプーンを取ってアイスにパクついた。

「二人も何か頼む? ザクロアイス、美味しいよ」
「コーヒー」

 ぶっきらぼうにグィネヴィアが注文し、それに続いてレイラも「じゃあ、私もコーヒーとザクロアイスを……」と注文する。

 注文が来るのを待ちながら話し始めても良かったが、それはグィネヴィアが拒んだ。注文を運んできた店員に話を聞かれたくないらしい。

 暫くして、コーヒー2杯とザクロアイスを運んできた店員が退室したところで、グィネヴィアがコーヒーに手を付けることなく切り出す。

「で、何の用だ? こんな秘め事の匂いがする店に呼び付けるとは。それに、〔月の女神〕という気取った符号には何の意味があるんだ。月、女神……つまり、魔女ウィッチの換言か?」
「いや、私のこと」
「は?」

 そんな眼で見るなよ、グィネヴィア。

「一コ下の王党派にシンシアって娘が居たんだけどさ、その娘が私のことを〔月の女神〕なんて大仰に言ってくれたのよ。昔、この店を利用した時にその符号を彼女が使ってね……それを思い出して、また使ってみたってワケ」

 すると、レイラが顔を曇らせる。

「王党派ってことは、その娘……」
「ああ……大丈夫。ヨッパに居たけど、私が脱出させて今はガリアへ亡命中」

 向こうへ着いてたら手紙が来ると思うけど、それは未だ届いていなかった。レイラは、ほっとしたように胸をなでおろしたが、グィネヴィアは逆に眉根をひそめた。

「ほら見ろ。そのような話、店員風情に聞かせられるか」
「別に私は気にしないけどね。ヤバくなったら殺せばいいじゃん?」
「気狂いが」

 グィネヴィアは、吐き捨てるようにそう言いって、ぷいと顔を背けた。

 さて、ザクロアイスもすっかり食べ終わってしまった。そろそろ本題に入ろう。

「まあ、話ってのはそう大したことじゃないのよ。『星団プレイアデス』、解散するんだってね」
「……ああ」

 グィネヴィアは、難しい顔で頷いた。

 英雄王家から革命政府へ体制が変化する過程で、儀仗魔法士官コーテイジの仕事である伝統的儀礼などはどんどん減っていった。その上、戦火は未だ陰りを見せないでいる中、優秀な魔法使いウィザードを遊ばせておく道理もないということで、この度『星団プレイアデス』の解散が決定した。

 つまり、『星団プレイアデス』の目ぼしい人材を抱え込むなら今がチャンスという訳だ。

「口利きするからさぁ、私と同じ軍隊で戦ってくんない? 私、グィネヴィアのことは結構買ってるのよ? だって、これまで色々な敵と戦ってきたけど、初見でマネの解放バーストに眼だけでも付いてきたのは、後にも先にもグィネヴィアぐらいだし」

 いつからか、解放バーストの存在は相手も知るところとなり、私もそれを前提で戦うようになっていた。しかし、あの『サバイバル実習』の時、グィネヴィアは私の情報など何も持っていなかった筈だ。

 それなのに、ピタリと眼で追いかけられた記憶は今思い出してもぞっとする。その後の対応もなかなか判断力に優れたものだった。

「グィネヴィアが居れば百人力だし、レイラも参謀として大活躍間違いなし!」
「死んでも御免だね」

 再び吐き捨てるように言うグィネヴィア。だけど、残念でした。私が話しかけているのはアンタじゃない。

 そして、これは『お願い』ではなく――『確認』だ。

 私は、じっとレイラの動向を窺う。

「ねえ、レイラ。この国に私の側より安心安全な場所があると思う?」

 既に、手紙を通じてレイラには話を通してある。私がこれからやろうとしていること、その算段、私の心の内、その全てをあらかじめ細大さいだい漏らさず彼女に打ち明けておいた。

 だから、これは『確認』なのだ。

「……ジェニーちゃん。私はリンを信じても良いと思うよ?」
「は……な、なんで!?」

 動揺するグィネヴィアに対し、私は笑みを深めた。一方のレイラは淡々と語る。

「リンは狂ってなんかいないよ」

 そう言うレイラの両眼には、狂気の光がちろりと覗いていた。そして、その瞳に映り込んだにも。

「私たちも、そろそろ前に進むべきなんじゃないかな。を捨て、新しきに生きる時が来たんだよ」
「そ、それは……」
「私が何が言いたいか、ジェニーちゃんなら分かるよね?」

 古きとは諸侯派のこと。グィネヴィアが、いつまでも死人であるフェイナーン伯に心を囚われ続けている事実は、レイラにとって辛気を催す恋の障害に違いない。そもそも、フェイナーン伯がそう褒められたところばかりの人間ではないこともあるだろう。

 だから、この一件に際して私とレイラの利害は一致している。

 私は二人の協力を得たい。レイラは、政変と私という外的刺激を利用して、グィネヴィアの心からフェイナーン伯の影を遠ざけたい。その第一歩として、諸侯派という時代遅れの派閥意識を捨てさせようというのだ。

「ジェニーちゃんが、これからどう頑張ったところで……もう『諸侯派の活躍』にはならないんだよ。今は……誰も彼も『共和派の活躍』だって捉える」

 革命によって王党派は壊滅した。一方、かつて王党派と対立構造を形成していた諸侯派は、その流れに乗って共和派へと転じることで生き残りを図った。

 そうして諸侯派貴族は大半が自由主義貴族となったが、特権階級へ向けられる激しい敵意を受けて一人、また一人と表舞台から姿を消していった。

 旧来の体制を捨てきれないものは分離主義貴族となった。王都近辺では全く存在感のない分離主義だが、地方ではそれなりの勢力を築いていると聞く。

 そういった大きな変革の中で、いつまでも共和派でも分離主義派でもなく『諸侯派』の枠組みに拘っている変わり者は、グィネヴィアぐらいのものだった。

「ね、分かるでしょ? 何年も前に死んだ人のことなんて、誰も思い出すことも――」
「――それ以上、言わないで!」

 身を切るような叫びでレイラの話を遮ったグィネヴィアは、涙を滲ませる眼を覆った。

「お願い、レイラ……言わないで……」
「……ごめん、ジェニーちゃん。言い過ぎた」
「いえ……レイラが……レイラが、正しいよ……」

 どうやら、グィネヴィアとて心のどこかでは分かっていたことのようだった。

「私が知っていたパパは……物事の一側面でしかなかった……」

 フェイナーン伯の所業、その血なまぐささと打算、そして――やはり、その中に含まれるをすら、全ては多面的な人間の一側面に過ぎない。

 何度も見ないふりをしようとして、できなくて。その度に、現実に残された爪痕と理想のフェイナーン伯との板挟みにグィネヴィアは苛まれていたのだろう。

 だが、それも今日までだ。

「パパの汚名をそそぐために頑張っていたけど……その実、無為に押し潰されそうだった。もう誰も……フェイナーン伯の爵号からパパを思い出すことはない……」

 フェイナーン伯の爵号は、彼の遠い親戚が受け継いでいる。今、フェイナーン伯といえばそちらのことを指す。

 誰も、過去のフェイナーン伯を話題に出すことはない。口にすることをタブー視されている訳でもなく、単に革命の嵐が吹き荒れる今、衰退した民宗派のことなど遥か忘却の彼方へ追いやられているだけだ。

「リンのことだって、何度も杖を交えていれば分かる……その身に渦巻く尽き果てぬ勝利への執念と、余りにも傲慢な良心……そして、一握りの狂気……」

 さんざんな評価だな。しかし、話の腰を折ってはなんなので、抗議は別の機会にするとしよう。

「人間性は下劣でも……リンを取り巻く、何が何でも勝利へ押し上げようとする『運命才能』の働きだけは信じられる……」
「――グィネヴィア」

 私は、レイラからのアイコンタクトを受けて口を開いた。

「死者に心を預けても、何も返って来やしないわ。受けた恩に報いたいというのなら、それはアンタ自身の立身出世こそが最大の恩返しってことになるんじゃないの?」

 これは、グィネヴィアを説得したいがために吐いたおためごかしではない。私もまた、死した家族や友人、志半ばで散っていった思想家たちへの手向けとして立身出世を望んでいる。

 そして、私自身の幸福のためにも。

 グィネヴィアが、咳混じりに喉を鳴らした。

「そうは言うけど……儀仗魔法士官コーテイジ以上の魔女ウィッチゴールアガリがどこにある?」
「あるわよ。アンタがレイラと共に協力してくれるというのなら、相応の対価をくれてやるわ」

 それはなにかと視線で問うグィネヴィアに対し、私は満を持して告げた。

「――アンタには、『エドム地方』をくれてやる」
「はあ!? ……冗談だろう?」

 私はただ微笑み、否定も肯定も口にしなかった。
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