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最終章
1.雲蒸竜変 その④:悪徳の輩
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王都の一等地には、いくつもの豪邸が建ち並ぶ高級住宅街が存在する。その中でも、一際眼を引く豪奢な邸宅の前に私は立っていた。別名、『悪徳の宮』――そんな風に呼ばれることもあるらしい。
この悪趣味な邸宅の主に、私は用があった。
フェイナーン伯のような護衛は居ない。なぜなら、この住宅街全体が高い塀で囲われており、厳重に警備されているからだ。
私が呼び鈴を鳴らすと、『悪徳の宮』の主――コンラッド外務大臣が自ら出迎えてくれた。
「久しぶり、コンラッド」
「ああ、久しいねえ。リンくん」
今日は、日々お忙しくしているコンラッドに、私が無理を言って時間を作ってもらった。
挨拶もそこそこに、私は食堂へ案内される。
美食家として知られるコンラッドは、食堂だけは絶対に飾らない。大勢の客が来ても不自由しない幾つかの広いテーブルと、その上にかかる白いテーブルクロス、後はささやかな照明だけが食堂を構成していた。
まるで、神聖なる礼拝堂のような冒しがたい厳粛な雰囲気だった。
向かい合うように設けられた席の下座へ着いた私は、机上の食前酒に手を伸ばし、そっと口に含む。
(……美味い)
文句の付けようもない上等な酒だ。度数がかなり高いが、それを感じさせないまろやかな口当たりがある。気が付けば、私はまるで清らかな水を飲むように、するすると杯の中身を全て胃に落とし込んでしまった。
私は、向かいの席に座るコンラッドが一口分の食前酒を飲み下したタイミングを見計らって切り出した。
「聞いたわよ。アンタ、国教会を破門されたんだってね」
「ああ、反国教会的な態度を取り過ぎたかなあ? しかし、それがどうしたというのだろう。某の心は昔も今も変わらず『唯一神』と共にある」
「あっそ……」
よくも、いけしゃあしゃあとそのような聖職者然とした台詞を真顔で吐けるものだ。例え、『唯一神』が本当に降臨してきて、コンラッドの所業を直接に咎めたとしても、彼は悪びれもなく今と同じように弁明するだろう。
ラビブ神父とは大違いの生臭坊主……いや、もう破門されているのだから、ただの生臭だ。生臭いおっさんだ。
「まあ、認めたくはないけれど……アンタのそれもまた、才能ってヤツなのかもね」
「ありがとう。素直に褒め言葉として受け取っておこう」
悪徳の才能か……昔なら、即座に斬り捨てていたかもしれない。だが、今はどのように使えるかという風に考えてしまう。
コース料理の最初の一皿、前菜が使用人たちの手で運ばれてくる。色鮮やかに飾られた皿の上には、見るものを楽しませる工夫が随所に盛り込まれていた。
「才能といえば……某の台所を任せる彼女も、正しく『天才』と称するに相応しい」
「へえ、美食家のアンタがそこまで言うとはね」
「料理はねえ……結局は味だよ。どれだけ趣向や工夫を凝らそうと、見るものを楽しませる仕掛けを施そうと、肝心要の味が損なわれては本末顛倒。しかし、彼女はその点――味もサービスも最高峰だ」
コンラッドはとても満足げな顔で前菜を行儀よく貪り食らう。
そこまで持ち上げられると、否応なく期待してしまう。しかしその一方で、どうせ期待外れなのだろうという冷笑的な疑りもあった。
だが、そうしていざ口にした前菜は、事前に上げに上げた高いハードルを悠々と超えてきた。
「これは……」
素材本来の味わいをベースに、ソースの塩味と酸味が加わり、得も言われぬ調和を生み出していた。前菜でこれなら次は、と食欲を煽られる。
だが、この料理の真に特筆すべき点はそこではない。
「気付いたかね? 今日の料理には、きみの故郷エドムの味が取り入れられているそうだよ」
「エドムの味……昔、フェイナーン伯のお屋敷に招かれた時も同じ趣向で饗されたことがあるわ。だけど、その時とは比べ物にならない……!」
これは、紛うことなきママの味だ。もう、味わうことはできないと思っていたあの味がここにある。
(――欲しいな)
私は堪らず問うていた。
「……料理人の名は?」
「教えないよお。今は某だけの料理人さ。まあ、もっとも才能ある彼女のことだから、いずれ歴史に名を残すぐらい有名になってしまうだろうけれどね。某のように」
「アンタの場合は悪名でしょうが」
さて、確かに感動するほど美味い飯だが、私はそのために来た訳ではない。天才料理人の存在は心の片隅にでも留め置くとして、そろそろ本題に入ろう。
名残惜しくも手早く前菜を片付けた私は、カバンの中から茶封筒を取り出した。
「これ、もう要らないから返すわ」
「ほう。というと、中身は某の愛の記録かね?」
コンラッドは、さして気にしていない様子だった。これは演技でもなんでもない。彼は、私が初めて脅しにいった時からその余裕の表情を崩さなかった。彼の政治力を持ってすれば、魔法学院の見習い風情が不倫を告発したところで握り潰せる自信があったのだろう。
だが、そんな組織内政治力の権化のような男が、高等部進級時の職員会議にて私を庇ってくれたことに私は意味を感じていた。
恐らく、コンラッドは私に秘められた将来性を見抜き、才能を認めてくれたからこそ、私に華を持たせてくれたのだ。
「脅すのはもう止めよ。アンタも国教会を破門されちゃったことだし、改めて対等な関係を築きたいと思ってね」
すると、たちまちコンラッドが美食家から政治屋の顔になる。
「予備役になったきみと?」
この男、ころころと主張を変える変節の政治屋だが、その嗅覚は本物だ。クズとしか表現できない人間性でも、この激動の時代に生き馬の目を抜く政界を生き残ってきた実力は伊達じゃない。
何か偉大なことを成す力はないが、周りがどうあれ必ず己だけは生き残り、腐敗を貪る『悪徳の才能』が彼にはある。
ゴミのような才能に反吐が出そうだが、しかし馬鹿と鋏は使いようである。
「すぐに出世するわよ。私はイスラエル・レカペノスとコネがあるから」
好感触であることを敏感に察した私は、次に饗されたスープを音を立てないように啜る。
「私はアンタの腐敗を咎めるようなことはしないわ。甘い汁を吸いたいというのなら、アンタがやめてくれというまで吸わせてあげる」
「ほう」
「だから、力を貸して」
コンラッドは、食事の手を止めて顎に手を当てた。真剣味のない緩んだ表情をしているが、その眼だけは弱った獲物を物色する禿鷹のようにギラついている。
「こちらへの見返りは?」
「今の外務大臣のポストをまたくれてやるわよ」
「はい、商談成立」
即決だった。私はテーブル越しに伸ばされたコンラッドの手を取り、短めの握手をした。
「具体的な内容を聞く前だってのに、やけにあっさり私に賭けてくれるのね」
「ふっ……二者択一を迫られた時、凡愚は迷い、どちらへ転んでも良いように身を振る。だが、それこそ大きなミステイク。通は即断即決。全賭け。これが大事。全身全霊でなくては、人は生きて行けないのだよ」
そんなこと言って、どうせ口先だけなのだろう。私の立場に陰りが出来れば、コンラッドはそれこそ即断即決で切り捨てる筈だ。その癖、やはりどちらへ転んでも良いように逃げ足を残し、自分へ累が及ぶことも避けきるだろう。
(まあ、それでも良いわ)
私が上り調子になってから擦り寄ってきたコンラッドと腹の探り合いをしながら関係を構築するのと、あらかじめ話を付けておくのでは全然違う。『根回し』は政治の一番肝心なところだ。
政治力を用いてコンラッドを従えることは容易ではない。だから、私は天才ぶりで彼をやりこめるつもりでいた。
――時季。
初めてヘレナから聞いた時は戸惑ったそれも、今では何となく理解し始めている。
時季とは――即ち、人心。
そこのところを違えなければ、コンラッドは自ずと私に恭順するだろう。
「某は信じているよ。リンくんの成功を」
「信じる必要はないわ。現実が私の才能に追いついてから、アンタは私の背後に続けば良い。でも、順番よ? ちゃんと列に並んでよね。抜かしたりしたら怒るから」
「ほう、それは気を付けなければなあ」
魚料理、口直し、肉料理……。
私たちは、極上のコース料理を堪能しながら、人知れず悪巧みの具体性を突き詰めていった。
この悪趣味な邸宅の主に、私は用があった。
フェイナーン伯のような護衛は居ない。なぜなら、この住宅街全体が高い塀で囲われており、厳重に警備されているからだ。
私が呼び鈴を鳴らすと、『悪徳の宮』の主――コンラッド外務大臣が自ら出迎えてくれた。
「久しぶり、コンラッド」
「ああ、久しいねえ。リンくん」
今日は、日々お忙しくしているコンラッドに、私が無理を言って時間を作ってもらった。
挨拶もそこそこに、私は食堂へ案内される。
美食家として知られるコンラッドは、食堂だけは絶対に飾らない。大勢の客が来ても不自由しない幾つかの広いテーブルと、その上にかかる白いテーブルクロス、後はささやかな照明だけが食堂を構成していた。
まるで、神聖なる礼拝堂のような冒しがたい厳粛な雰囲気だった。
向かい合うように設けられた席の下座へ着いた私は、机上の食前酒に手を伸ばし、そっと口に含む。
(……美味い)
文句の付けようもない上等な酒だ。度数がかなり高いが、それを感じさせないまろやかな口当たりがある。気が付けば、私はまるで清らかな水を飲むように、するすると杯の中身を全て胃に落とし込んでしまった。
私は、向かいの席に座るコンラッドが一口分の食前酒を飲み下したタイミングを見計らって切り出した。
「聞いたわよ。アンタ、国教会を破門されたんだってね」
「ああ、反国教会的な態度を取り過ぎたかなあ? しかし、それがどうしたというのだろう。某の心は昔も今も変わらず『唯一神』と共にある」
「あっそ……」
よくも、いけしゃあしゃあとそのような聖職者然とした台詞を真顔で吐けるものだ。例え、『唯一神』が本当に降臨してきて、コンラッドの所業を直接に咎めたとしても、彼は悪びれもなく今と同じように弁明するだろう。
ラビブ神父とは大違いの生臭坊主……いや、もう破門されているのだから、ただの生臭だ。生臭いおっさんだ。
「まあ、認めたくはないけれど……アンタのそれもまた、才能ってヤツなのかもね」
「ありがとう。素直に褒め言葉として受け取っておこう」
悪徳の才能か……昔なら、即座に斬り捨てていたかもしれない。だが、今はどのように使えるかという風に考えてしまう。
コース料理の最初の一皿、前菜が使用人たちの手で運ばれてくる。色鮮やかに飾られた皿の上には、見るものを楽しませる工夫が随所に盛り込まれていた。
「才能といえば……某の台所を任せる彼女も、正しく『天才』と称するに相応しい」
「へえ、美食家のアンタがそこまで言うとはね」
「料理はねえ……結局は味だよ。どれだけ趣向や工夫を凝らそうと、見るものを楽しませる仕掛けを施そうと、肝心要の味が損なわれては本末顛倒。しかし、彼女はその点――味もサービスも最高峰だ」
コンラッドはとても満足げな顔で前菜を行儀よく貪り食らう。
そこまで持ち上げられると、否応なく期待してしまう。しかしその一方で、どうせ期待外れなのだろうという冷笑的な疑りもあった。
だが、そうしていざ口にした前菜は、事前に上げに上げた高いハードルを悠々と超えてきた。
「これは……」
素材本来の味わいをベースに、ソースの塩味と酸味が加わり、得も言われぬ調和を生み出していた。前菜でこれなら次は、と食欲を煽られる。
だが、この料理の真に特筆すべき点はそこではない。
「気付いたかね? 今日の料理には、きみの故郷エドムの味が取り入れられているそうだよ」
「エドムの味……昔、フェイナーン伯のお屋敷に招かれた時も同じ趣向で饗されたことがあるわ。だけど、その時とは比べ物にならない……!」
これは、紛うことなきママの味だ。もう、味わうことはできないと思っていたあの味がここにある。
(――欲しいな)
私は堪らず問うていた。
「……料理人の名は?」
「教えないよお。今は某だけの料理人さ。まあ、もっとも才能ある彼女のことだから、いずれ歴史に名を残すぐらい有名になってしまうだろうけれどね。某のように」
「アンタの場合は悪名でしょうが」
さて、確かに感動するほど美味い飯だが、私はそのために来た訳ではない。天才料理人の存在は心の片隅にでも留め置くとして、そろそろ本題に入ろう。
名残惜しくも手早く前菜を片付けた私は、カバンの中から茶封筒を取り出した。
「これ、もう要らないから返すわ」
「ほう。というと、中身は某の愛の記録かね?」
コンラッドは、さして気にしていない様子だった。これは演技でもなんでもない。彼は、私が初めて脅しにいった時からその余裕の表情を崩さなかった。彼の政治力を持ってすれば、魔法学院の見習い風情が不倫を告発したところで握り潰せる自信があったのだろう。
だが、そんな組織内政治力の権化のような男が、高等部進級時の職員会議にて私を庇ってくれたことに私は意味を感じていた。
恐らく、コンラッドは私に秘められた将来性を見抜き、才能を認めてくれたからこそ、私に華を持たせてくれたのだ。
「脅すのはもう止めよ。アンタも国教会を破門されちゃったことだし、改めて対等な関係を築きたいと思ってね」
すると、たちまちコンラッドが美食家から政治屋の顔になる。
「予備役になったきみと?」
この男、ころころと主張を変える変節の政治屋だが、その嗅覚は本物だ。クズとしか表現できない人間性でも、この激動の時代に生き馬の目を抜く政界を生き残ってきた実力は伊達じゃない。
何か偉大なことを成す力はないが、周りがどうあれ必ず己だけは生き残り、腐敗を貪る『悪徳の才能』が彼にはある。
ゴミのような才能に反吐が出そうだが、しかし馬鹿と鋏は使いようである。
「すぐに出世するわよ。私はイスラエル・レカペノスとコネがあるから」
好感触であることを敏感に察した私は、次に饗されたスープを音を立てないように啜る。
「私はアンタの腐敗を咎めるようなことはしないわ。甘い汁を吸いたいというのなら、アンタがやめてくれというまで吸わせてあげる」
「ほう」
「だから、力を貸して」
コンラッドは、食事の手を止めて顎に手を当てた。真剣味のない緩んだ表情をしているが、その眼だけは弱った獲物を物色する禿鷹のようにギラついている。
「こちらへの見返りは?」
「今の外務大臣のポストをまたくれてやるわよ」
「はい、商談成立」
即決だった。私はテーブル越しに伸ばされたコンラッドの手を取り、短めの握手をした。
「具体的な内容を聞く前だってのに、やけにあっさり私に賭けてくれるのね」
「ふっ……二者択一を迫られた時、凡愚は迷い、どちらへ転んでも良いように身を振る。だが、それこそ大きなミステイク。通は即断即決。全賭け。これが大事。全身全霊でなくては、人は生きて行けないのだよ」
そんなこと言って、どうせ口先だけなのだろう。私の立場に陰りが出来れば、コンラッドはそれこそ即断即決で切り捨てる筈だ。その癖、やはりどちらへ転んでも良いように逃げ足を残し、自分へ累が及ぶことも避けきるだろう。
(まあ、それでも良いわ)
私が上り調子になってから擦り寄ってきたコンラッドと腹の探り合いをしながら関係を構築するのと、あらかじめ話を付けておくのでは全然違う。『根回し』は政治の一番肝心なところだ。
政治力を用いてコンラッドを従えることは容易ではない。だから、私は天才ぶりで彼をやりこめるつもりでいた。
――時季。
初めてヘレナから聞いた時は戸惑ったそれも、今では何となく理解し始めている。
時季とは――即ち、人心。
そこのところを違えなければ、コンラッドは自ずと私に恭順するだろう。
「某は信じているよ。リンくんの成功を」
「信じる必要はないわ。現実が私の才能に追いついてから、アンタは私の背後に続けば良い。でも、順番よ? ちゃんと列に並んでよね。抜かしたりしたら怒るから」
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