触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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最終章

3.イディギナ・バリフ川渡河攻撃作戦 その③:適材適所

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 斥候部隊の報告によると、トゥトゥル砦から蜘蛛の子を散らすように逃げていった敵軍は、ギリギリ統率の取れていた川岸の防衛部隊を中心に、都市ゴザンへと集結しつつあるようだった。

〔図5.現在の戦線と敵軍の撤退ルート〕



 ゴザンは、トゥトゥルと違って特別な防衛設備などはない。またまた渡河攻撃にはなるが、ハブール川は枯れ川ワジであるため、そう苦労することなく攻め上げることができるだろう。

 しかし、ゴザンはもともとイリュリアの都市だ。あまり戦闘行為で破壊するのは兵らの士気に関わる。

 そこで、補給線を狙うことにした。

〔図6.領土回復のための侵攻ルートと狙う補給線、そして敵軍の撤退ルート〕



 トゥトゥルと違って特別な防衛設備などない状況で補給線を断たれると敵軍は大困りである。なぜか撤退の判断だけは妙に早い向こうの指揮官もそのことは重々理解しているようで、こちらの侵攻を察知した敵軍は補給線を守るために戦うことなくゴザンから出ていった。

 それから逃げる敵軍に追い付いて何度か干戈かんかを交えるも、我が軍は連戦連勝。敵軍は尻尾を巻いてパルティア領内へ逃げ帰っていった。

 さて、これで前任者のツケは回収した。

 領土回復に喜ぶ兵らを他所に、私はこれからの侵攻プランを練る。
 本番はここからだ。

 ひとまず、戦闘に関してはここらで小休止を入れる。

 国境線の近くに前線基地を築きつつ、補給線の構築や物資・兵站を集約する後方基地の人員配置などにも着手しなければならない。やることは山積みだ。ある程度はヨシュア君やルシュディーに投げるとしても、惰眠を貪る暇はないだろう。

「あー、いそがしいそがしっ。先にサボっといて正解だったわ」
「――そういう割には暇そうね」
「おっ、レイラじゃーん」

 総司令官用の特別にデカい天幕テントで一人葉巻を吹かしていると、入室許可も得ずノックもなしに褐色乙女のレイラがずかずかと上がり込んできた。

 天幕テント内に充満する煙を嗅ぎ、レイラが鼻を押さえて顔をしかめる。どうやら彼女、煙草はお好きでないらしい。私は火をつけたばかりの葉巻を揉み消した。

「で……どうなの、頼んでおいた仕事の方は。その報告に来てくれたんでしょ」
「ええ。これが頼まれてたリスト」

 適当な椅子に座ったレイラが大きなカバンの中を漁り、そこから取り出した複数に小分けされたファイルを手渡してくる。そのうちの一つを無作為に選んで、口を開く。出てきたのは、頼んでおいた通りメソポタミア地方に蠢く『分離主義者』が名を連ねる名簿だ。

 彼らは民族主義を標榜し、民族自決――自分たちの民族のことは自分たちで決める――の考えに基づき、パルティア王国からの分離独立を目指すものたちである。

 私は戦争の早期決着を目指し、武力行使のみならず裏面工作りめんこうさくを並行して進めていた。

 そのような寝業ねわざは、レイラがもっとも得意とするところである。彼女の演技力は『聖歌隊ミスティカ』をも欺き、終ぞ民宗派との繋がりを隠し通してみせたほどだ。

 加えて、肌が黒っぽいのもプラス材料に見ていた。土着民レヴァントであるという事実は、植民者ゴイであるという事実よりも、彼らメソポタミア地方の者たちにとって受け入れられやすい筈だ。

 ざっと一通り眼を通して、最初に手に取った名簿に戻る。
 そして、とある団体に丸印を付けた。

「もう、幾つかの団体と交渉を進めているらしいけど……本命はここでしょ?」
「そうだけど……どうして分かったの?」
「それがだから」

 カウム――現地語で『民族』の意――と名乗る彼らは、シュメール地方でもっとも規模の大きな分離主義者の団体であり、またもっともな団体である。

 現地の人間からも鼻つまみ者扱いをされるような彼らだが、その破落戸ゴロツキじみた過激さの一方で、カウムの代表は創設時から常に変わらず同じ人物が務めている。荒くれ者どもを纏め上げる資質は、最低限備えていると見た。

「私が直接会って話を付けるわ」
「……カウムとは、一週間後にまた話をする予定だけど……」
「三日後に早める。準備が出来次第、出発しよう」

 なるべく早く会いたいと考えていた。

 迫り来るイリュリアの侵攻は、現地の人々に危機感を覚えさせ武装化の道へ駆り立てる。

 つまり、平時は鼻つまみ者であるカウムがこの先、求心力を強めて武装化を主導する立場となる可能性が高い。その動きが本格化する前に接触し、こちらが優位な状態で話をつけておきたかった。

 私は葉巻と酒瓶をひったくって立ち上がる。これでほぼ準備OK、身軽なものだ。それと、ヨシュア君に宛てて「暫く留守にする」との旨を記した書き置きだけ残しておく。

「あ、そういえば――グィネヴィアが会いたがってたわよ。行く前に会ってく? それくらいの時間はあるわ」
「さっき会ってきたから別に大丈夫よ」

 レイラは少し疲れたようにしながらも、しゃきっと立ち上がった。そして、大きなカバンの持ち手を掴み私の出方を窺う。そのカバンひとつで旅荘の準備は出来ているらしい。

「――ワキール」

 私とレイラは、呼びかけに応えて床から生えるように現れたワキールの手を取った。




 カウムの構成員に促され、レイラと共に何の変哲もない一軒家に入ると、かすかな卓上ランプの灯りに照らされた薄暗い部屋の中、丸い木製テーブルとその向こうに座る男が私を出迎えてくれた。

「――お前がリンか?」

 男の口元に蓄えられたむさくるしい髭が、もさっと上下に開かれる。

「音に聞こえた若き『天才』とやらがどんな奴かと思えば……なんだ、まだケツの青いガキじゃねぇか」
「よく言われる」

 いきなり押しかけてきて、「まだ約束の日時ではないが会わせろ」と宣う不躾な来訪者――まあ、私のことだが――に、こうして対応してくれたことは感謝しなければならないだろう。

 だから、その無礼も一度は見逃してやる。

 カウムの代表クァイダ――マリクは、猛る猪のように「フン」と鼻を鳴らし、顎をしゃくって座るよう促した。それに従い、私はテーブルの下に入り込んでいた小さな椅子を引っ張り出してその上に座る。レイラは背後に立たせた。

「――おっと」

 椅子に体重をかけた瞬間、バキッと小気味よい乾いた音を立てて、椅子の脚がポッキリと真っ二つに折れた。

(まあ、マリクの見え見えな企み顔と、椅子を触った時の妙な感触で気付いていたけど)

 恐らく、椅子の脚に切れ込みでみ入れておいたのだろう。
 しょうもないことをする奴らだ。悪戯小僧か。

 今か今かと嘲り笑う準備をしていたであろうマリクだったが、からんからんと折れた木片が床を転がる音がするのにも関わらず、私がいつまでも後ろへ転ばずにいるものだから、彼はどういうことかと立ち上がって不思議そうにこちらを覗き込んだ。

 そして、カッと眼を見開き、「ヒュー」と人相に似合わない爽やかな口笛を吹く。

「こりゃあ驚いた。――指だけで?」

 直後、まるでマリクの言葉に応えるかのように、が「みしり」と軋んだ。

 私は、の二指でテーブルの幕板を掴むことで全体重を支え、座ったままの姿勢を保っていた。月を蝕むものリクィヤレハとしての〝力〟を使っても良かったが、手の内は隠すものである。

 それに、ある程度カマしてやらぬことには話が進まない。

 放俗ぼうぞく的なカスたちには、放俗ぼうぞく的なカスなりの流儀があるものなのだ。

 そして、それはそれとして……『返礼』はキッチリとさせてもらう。

「この椅子、壊れてるじゃない。来客用なら、ちゃんとしたものを用意した方が良いわよ」
「いや、全くもって仰る通り! こちらの不手際だ。謝罪しよう。――おい、さっさと別の椅子を持ってこい!」

 背後に控えていた構成員だろう少女を怒鳴りつけたマリクは、再びもとの椅子に腰を落ち着け――バキッ――後ろへ転がった。

「ぐあ……っ!」
「あら、?」
「イッテテテ……あ? こりゃあ……ハハッ!」

 打ち付けた腰を摩りながら、もとは椅子だった残骸にを見つけたマリクは短く笑声を発した。

「いつの間に斬りやがった?」
「斬る? 一体、なんのことかしら。それより、不良品を掴まされたんじゃないの? ちゃんと良いとこで買いなさいよ。イリュリア製の椅子とかね」
「フハハ、すっとぼけやがって。……分かったよ。お前の実力の程は」

 取り敢えず話は聞いてくれそうだ。荒っぽい手段を講じる必要がなくなって良かった。

 少女が新しく椅子を二つ運んできて、場は仕切り直される。

「さて――それで、今日は何の用だ。わざわざパルティア方面軍の総司令官閣下が自ら赴いてんだ。前に、そこの嬢ちゃんが来たのとは話なんだろうな?」

 マリクが、レイラの方に視線をやりながら尋ねる。私は頷きを返した。

「――シュメール」
「あん?」

 私はわざと言葉少なに伝えた。マリクにその意味を考えさせるために、彼の意識を惹き付けるために。

「シュメールを丸々くれてやるって言ってんの。アンタが、新たなシュメール国の盟主よ」

 マリクとその背後に控えるカウム構成員たちが色めき立つのが分かった。その中で、いち早く冷静さを取り戻したのは、やはり長たるマリクだった。

「おい、んなけったいな話を信用しろってのか。なぜ、俺たちのもとへ話を持ってきた? この地の纏め役は別に居る筈だぜ。後ろ暗いところもなく、鼻つまみ者でもなく、金もある奴がな」
「マリク、アンタには

 そう言うと、マリクはぴくりと眼輪筋を少し動かした。この反応は「YES」と取って良いだろう。彼は、いつか私が戦った『怒れる民アルガーディブ』の司令官アミール、サフルと同じく王家の血を引いている。

 だから選んだという訳ではないが、マリクを納得させる理由付けにはなるだろうと思って口にした。

「ま、アンタの言いたいことは分かるわ。その気になって乗っかって、後から空約束でしたでは困るものね」

 ここは少しばかり、こちらの事情を話して理解を求めるとしよう。

「要するに『私たちが約束を履行するか否か』が不安な訳でしょう? でも、イリュリアがそうするほかないとしたら?」
「……というと?」
「イリュリアの政治は未だ不安定。今の五頭政府クイーンケヴィラトゥスだって何時まで持つか誰にも分からない。だから、眼に見える大きな成果を欲しているのよ。それが、『未回収のイリュリア』の回収ってワケ」

 イリュリアとしては、建国以来の悲願とされる回収の達成という強力な宣伝文句を得ることが本分とも言えた。

「但し、シュメール国と言っても衛星国――という形にはなるけどね」
「なんだそれは?」
「まあ、簡単に言うと統治方法はイリュリアにならってもらうってことよ。君主制ではなく共和制。自由を尊び、平等を愛し、特権階級はもちろん廃止する。アンタらには暫定政府として最初の政府を担ってもらう予定だけど……そこから先、選挙を経ても民衆の支持を得ていられるかはアンタら次第ね」

 ごちゃごちゃとおためごかしを並べさせてもらったが、結局のところ要は『属国』ということだ。金品は持ってゆくし、兵として人員も供出させるし、兵站基地としても活用させてもらう。

「そこへ更にもう一つ注文を付けさせてもらうと、建国してもそこから完全独立を目指すのは待って欲しいってこと」
「十年?」
「ええ、そこを守ってもらえるなら色々と便宜も図るわ。約束どおりにしてくれたら、シュメールに加えてアッカドの一部も割譲しちゃう! 出血大サービスよ。どう? お得でしょ。今だけよ」

 マリクは、思考を整理するように指先でトントンとこめかみを叩きながら、顔をしかめた。

「……そもそも、シュメールもアッカドもお前らのものではないが」
「いずれそうなる」

 他人の土地を交渉のテーブルに乗せるのは、いささか無法に思えるかもしれない。だが、歴史を振り返ってみると古今東西、どこでも普遍的に行われていることだ。もともとは自分たちのものではないので、譲歩する際の心理的な障壁が少なく済むのだろう。身内の利害調整も楽だ。

(強者の特権ね)

 私に見下みおされていることを知ってか知らずか、マリクは歯をぎりぎりと軋ませながら黙考を続ける。

 分かっているとも、その心は。

「ねえ、何を悩んでいるの?」
「……少しぐらい、考えさせてくれたって良いんじゃねぇか?」

 それもそうだ。こんな難しい話を聞いたその場で即決しろとは言わない。

(普通の交渉なら、ね)

 今回ばかりは、今ここで即決してもらわなくてはならない。
 私には、時間がないのだ。

「――アンタはなの? それとも、の?」

 どっちなのかと聞いてみれば、マリクは苦悶の表情を浮かべた。だが、それが単なる見せかけポーズに過ぎないことを私は知っている。

(アンタは高潔な人間ではない)

 けれども、決して下衆なだけの人間でもない筈だ。

 たっぷり十分ほど悩み抜いた後、マリクは「詳しい話を教えてくれ」と呟いた。それは実質、私の持ってきた話を半ばまで受け入れたようなものだった。

 私は交渉が上手く運んだことに安堵し、笑みを深めた。

「では、お望み通り。――レイラ」
「はい。こちらに」

 三日の間に用意してもらった資料を差し出しつつ、私は具体的にマリクとカウムにどうして欲しいのか懇切丁寧に伝え始めた。
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