触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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最終章

4.回収戦争 その①:辛勝

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 4.回収戦争

 カウムとの交渉はレイラに丸投げした。彼女なら指示した通りに話を取り纏めてくれるだろうと私は信じている。

 さて、前線基地に戻ってきた私は早速侵攻を再開することにした。

〔図7.回収の第一歩〕



 パルティア側の補給線として使われていた道を遡上するように兵を進ませ、敵軍が逃げ込んだと思われるモースル、ニネヴェ両都市の攻略に着手させた。

 両都市はプラトゥム川を挟んで隣接しており、実質、二つで一つの巨大な都市のようなものだ。歴史的には、アッカド王国の首都だったニネヴェが最初にあり、その首都ニネヴェを守るための砦としてモースルを後から対岸に築いたとされる。

 ニネヴェには、かつてアッカドの王が建設した王立図書館があるとか。
 時間があれば、是非とも見てみたい。

 敵の指揮官はが悪いということもあり、私は半ば観光気分で余裕綽々に構えていた。

 ……だが、現実はそう上手くいかなかった。

「おい。これのどこがデキの悪い指揮官なんだ?」

 ルシュディーが、ちくりと言葉の棘で刺してくる。いつもなら悪態の一つでも返すところだが、予想を遥かに越えて苦戦する兵らを現在進行形で見せられては、さしもの私も決まりが悪くて黙りこくるほかなかった。

「……指揮官が変わったんでしょ。まだ、そういう情報はこっちには入ってきてないけど……」

 これは苦し紛れに絞り出した言い訳だが、しかし現実にそうとしか考えられない。以前の指揮と現在の指揮は丸っ切り別物なのだから。

「それに――まあ、勝ちは勝ちよ」

 予想外に苦戦はしたが、こちらの新兵科――工兵魔法士官エンジニア航空魔法士官パイロット――の分、向こうの対応力を上回った。

 これがもし、我が軍の有する才人がルシュディーだけだったのなら、こちらが負けていたかもしれない。ルシュディーは駒を扱うことに長けるが、新たに駒を作り出すことはできない。私にはそれが出来る。

 モースルとニネヴェの両都市を制圧した後、私はすぐさま幕僚たちを集めて緊急軍議を開く必要性に迫られた。

 呑気に騒ぐ兵らを尻目に、机上へ地図と兵駒を広げて戦闘の振り返りを行う。

 伝令から収集した報告を元に戦闘の流れを再構築してゆく中で、私はふとに襲われる。

 そういえば、の田舎はアッカド地方だった。

『故郷の皆を幸せにするのが私の夢だ』

 彼女が、そんな風に語っていたことを今になって思い出す。

 私は今一度、地図と駒の配置を眺めた。
 上から見ても、横から見ても、やはりこんなに配置は記憶にない。

「美しい……」

 思わず心のうちをそのまま口にすると、何を言っているのかという無遠慮な当惑の視線が四方八方から私を貫いた。だが、唯一、ルシュディーだけは得心がいったような表情をしていた。

「確かに、そうだな。これはと表現すべきものなのだろうな……一分の隙もない差配。まるで、完璧な証明をされた数式を眺めているかのようだ」

 数式とは、理屈っぽいルシュディーらしい表現だ。しかし、今さっき褒め称えたその口で、ルシュディーは矢継ぎ早に苦言を呈する。

「――だが、それだけに惜しい」
「ええ、現場指揮官がの意図を完璧に理解しきれていない。だから、細かいところに綻びが出てる」
「ファラフナーズ?」

 私は大きく頷いた。
 こんなにも美しい戦い方をする奴が、この世に二人と居てなるものか。

 今、敵軍の総指揮を執っているのは、間違いなく――ファラフナーズだ。





 翌日、私は前線を部下に任せ、ゴザン後方基地の視察へ向かった。

 これから激戦が続くと予想される前線を一時でも離れるのは勇気のいることだ。しかも、敵将がファラフナーズだと分かっているのなら尚のこと。

 しかし、部下の成長を促すためには、時には『放任』することも必要なのである。

 世には、部下に仕事を任せられない上司がいるという。他人を見下ろしていると、どうしても粗が目立って見えてしまうのだろう。すると、堪え性のない者や仕事に対して潔癖な者は、見るに見かねて部下から仕事を取り上げて自分でやってしまう。これは全くもって益体やくたいもないことである。それでは、部下がいつまで経っても成長しない。そもそも、完璧な人間などこの世に存在しないというのに。

 という訳で、私は皆の成長を願うがゆえに前線を離れたのである。

「……体良く丸投げしてるだけですよね?」
「それは言わないお約束でしょ」

 もちろん、部下の成長なんてどうでもいい。丸投げしなければならない理由が出来たから、丸投げしているだけだ。

 今頃、メソポタミア軍と戦っているであろうルシュディーには大きな負担をかけることになってしまったが、彼ならきっと頑張ってくれると信じている。

(まあ、緒戦で一つぐらい負けてもなんとかなるでしょう)

 その場合、以前に兵らへ向けて発した不敗の宣言を破ることになるが、細かいことは気にしない。最悪、ルシュディーの責任にして吊り上げれば済む話だ。

 さて、こっちはこっちでやることがある。別にサボりとかではない。それはヨシュア君を連れてきていることからも分かるだろう。

 あのファラフナーズが出張ってくるとなれば、もともと予定していた作戦では不足が生じるために、こうして後方の効率化から着手しにきたのだ。これからの戦は、文字通りイリュリア軍の全力を注ぎ込まねば到底勝ち得ぬ戦になる。

 一通りゴザン基地内を見て回り、諸々のシステムの効率化を指導した後、この基地内においてへ向かう。

「こっちであってる? ヨシュア君」
「はい。捕虜への『拷問』は、こちらにある小さな池で行われていると伺っております」
「そう。じゃあ、案内して」

 基地のものには何も知らせずに抜き打ちで来たので、拷問官長は現在業務中だという。この基地の責任者によると、拷問官長は独自の拷問を編み出し採用しており、それは水のあるところで行われる拷問であるとのこと。

 しかし、責任者はそれ以上のことを把握していなかった。これは管理責任を問わざるを得ない。ということで、現・責任者には罷免を言い渡しておいた。

 とにかく、池まで行けばこの基地のが異常に膨らんでいる理由も分かるだろう。

 ヨシュア君の案内で池へ向かう道中、鼻をつく悪臭に気が付いた。

 戦場の匂いに酷似しているが、少し違う。
 正確に言うなら、の匂いだろうか?

 恐らく、責任者が拷問の詳細を把握していなかった理由はこれだろう。鼻が曲がりそうなほどの酷い悪臭だ。そりゃあ、嫌煙もする。それはそれとして罷免はするが。

 池へ近付くにつれて、悪臭が強まると共に周囲を飛び回る不快な虫の羽音が大きくなってゆく。

「ヨシュア君、グロいの苦手だったら先に戻っててもいいよ」
「……これでも私は軍官です」
「いや、ただでさえ臭いのに……その上、ゲロまで吐かれたら堪ったものじゃないから……戻りなよ。十中八九、アンタは吐くから」

 これは尋常の拷問ではない。そう察して忠告したのだが、ヨシュア君は頑なに付いてきたがった。私としても、この悪臭の中には長居はしたくないので、それ以上の説得は諦めた。

 池のほとりに着くと、虫の羽音に混じって「ゔー」という低い唸り声が聞こえることに気が付いた。そして、その唸り声は池に浮かべられた数そうから響いていた。

 そのボートは、普通のボートの上に裏返したボートをもう一艘、重ね合わせたような特殊な形をしており、「ボート」というよりは『棺』に近い見た目をしていた。

「――これはこれは!」

 ほとりに居た拷問官の一人が近付いてくる。階級章からすると――そして、キチンと軍服が配給されているところからすると――彼女が拷問官長で間違いないだろう。

「そこにいらっしゃいますのは、もしや総司令官閣下では御座いませんか!?」
「ええ。いかにも、私が総司令官よ」
「こんなところにまでご足労いただけるとは恐縮です! わたくしは拷問官の総指揮を執っております、ガートルードと申します」

 挨拶もそこそこに、私が「あれは?」とボートを指差し尋ねると、拷問官長は羽音を掻き消すように大声で答える。

「あれは『スカフィズム』と呼ばれる拷問です! 古代から伝わる由緒正しき拷問なのですよ!」
「ふーん。ボートの中を見せてもらうことはできる?」
「構いませんとも!」

 拷問官長は、部下に命じて一そうのボートを岸まで引き寄せさせた。

 上面のボートには穴が開けられており、そこから拷問を受けている捕虜――この基地に居るのは大体がパルティアから侵入してきた工作員――の顔が覗いていた。その眼は虚ろであり、自分が今、岸に引き寄せられていることにも気付いていないようだった。

 ボートが開けられると、中に潜んでいた羽虫が一斉に飛散する。

 予想はついていたが、どうやらこの鬱陶しいにもほどがある羽虫たちは皆、捕虜という揺り籠のもとで育まれたものらしい。名前も知らない生理的嫌悪感を催す虫の群れにたかられ、今なお食われ続ける捕虜を見て、案の定、ヨシュア君が嘔吐した。

(だから言ったのに……)

 拷問官長は、興奮気味に捕虜の状態を説明する。

「驚いていただけましたか!? 彼、まだ生きているのですよ!」
「へえ、治癒魔法でも使ってるの?」
「はい、その通りご明察です!」

 こんな状態になってしまえば普通は死ぬ。しかし、それは治癒魔法が発展する以前のだ。

「栄養は、このように漏斗ろうとを使って蜂蜜と牛乳を無理矢理に流し込んでおります! ですので、わたくしどもが管理している限り彼らが死ぬことは有り得ません!」

 経費が膨らんでいる理由はこれか。

 拷問官長曰く、大量の蜂蜜と牛乳は古代から使われている由緒正しいものらしく、彼女はそこに譲れない拘りを持っているようだ。

 これもまた、才能という奴なのかもしれないと私は思った。

 拷問というよりは処刑の分類に入ると思われる『スカフィズム』だが、それに現代の発展した治癒魔法を合わせることで恒久的に苦痛を与え、拷問として成立させた発想は褒めて良い。

 得てして、発明された後に見れば簡単なことのように思えてしまうものだが、最初にそれを思いつき、形にするということがまず偉業なのだ。

 拷問官長には才能がある。
 しかし――それはの才能ではない。

「いかがでしょう! わたくしの考えた拷――もごぁっ!?」

 私は抜く手を見せずカラギウスの剣を振り、実体化させた魔力刃を拷問官長の口に頬の半ばまで食い込ませた。

「で、この捕虜は何か話してくれた? ――どうしたの、口から汚い泡吹いてないで答えなさいよ」
「あ、あぐっ……!」

 拷問官長の広がった口角から、ぶくぶくと蟹のように血泡が噴き出る。

 彼女にあるのは虐遇ぎゃくぐうの才能。他人をただただ痛め付けるだけに特化した才能だ。そんなものは、乱世にも治世にも必要ない。

 どう見てもやり過ぎだ。

 度を越した責め苦を受けた所為で、心が彼方へ飛んでいってしまっているではないか。職務を逸脱し、手段が目的化してしまっている。拷問は、情報を得るために行うものであって、敵が憎くて痛め付けるために行うものではない。

 道理で、確度の不鮮明な情報しか上がってこなかった訳だ。

「アンタはクビよ」

 私は、グッと腕に力を込めて、余しておいたもう半分をスッパリ断ち斬り、彼女を文字通りにした。

 そして、これまでの経緯を遠巻きに見ていた拷問官の一人を指名する。

「――そこのアンタ。次の指揮はアンタが取りなさい」
「僕……ですか?」

 私が指名したのは若い男の拷問官だ。

 彼は怯えた様子もなく、毅然と私の前へ歩み出る。たった今、上官がにされたばかりだというのに、肝は座っているらしい。まあ、そういうところを見抜いたからこそ、指名したようなものなのだが。

「アンタ、前任者ガートルードのことをずっと不満そうな眼で見ていたでしょう。だからよ」
「はい。彼女のやり方は拷問の目的から逸脱していると常々愚考しておりました」
「――よし」

 そこのところをたがえないのであれば、前任者よりはマシになるだろう。人選が正しかったことを確信した私は、それから細かな指示を伝えてゆく。

「まずもって組織内の風通しは良くしなさい。このゴザン後方基地の責任者も変わるから、新しい奴とは仲良くね。そして、予算厳守を徹底しなさい。予想外に経費がかかった時は必ず用途を基地の責任者に説明すること。以上、分かった?」
「はい。了解いたしました。では、『スカフィズム』は廃止という方向で――」
「――いえ、それは継続なさい」

 たかだか拷問にそこまで予算は割けないが、この『スカフィズム』が齎す苦痛と羽虫の集る絵面は使

「ただし、予算を越えないように対象者は絞って……ね。こんな凄惨な拷問、見せるだけでも軟弱な奴なら何でも吐くでしょう。牛乳と蜂蜜はまだいくらか余ってるんでしょ? 捕虜に振る舞ってやりゃいいわ。多少、古くなっても問題ない」
「ははあ、そういうことですか」
「いーい? 相手は民宗派のような狂信的な連中じゃない。もとは、ただの一般人なのよ。『硬』より『軟』。懐柔策の方が効果的だと私は思うわ」

 新たな拷問官長は、納得したように何度もうんうんと頷いた。

 さて、これでこの基地が孕む諸問題は大体解決したと言って良いだろう。細かな効率化もしたし、経費も削減できた。であれば、こんな臭いところにいつまでも長居は不要である。

 私はそそくさと踵を返した。

(後で湯浴みをしなくちゃ……っと、そうだそうだ)

 しかし、言い忘れていたことが一つあったことを思い出して、すぐに首だけを新たな拷問官長へ向ける。

「ああ、それと――一度、拷問した奴らは全員殺しといて。あとあと禍根が残っても面倒だから。生かすのは奴だけで良い」
「……了解いたしました」
「捕虜は丁重に扱いなさいよ。彼らは未来のイリュリア国民だからね」

 とはいえ、それもの話だろうが。

 言わなくて良いことは胸に秘め置くとして、今度こそ私はゴザン後方基地を後にした。
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