触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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最終章

外伝 6.〝触手〟の魔女

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 ラビブ神父と共にクーデターを成功させた英雄リンは臨時統領コンスルに就任する。

 暫定政府は、リンとラビブ神父にもう一人を加えた三名の臨時統領コンスルよる三頭政治トリウムヴィラトゥスとなった。しかし、この時既に英雄リンが実権をほぼ手中に収めていた。

 ラビブ神父も抵抗はしたが、英雄リンは国内外で華々しく勝利を積み重ね、民衆の支持を背景に中央集権化を推し進め、とうとう彼女を国家元首に置く『イリュリア帝国』の建国に至った。

 皇帝エンペラーとなってからも、リンは自ら戦場に赴き勝利を続け、イリュリアはここに『黄金期』を迎えた。

 しかし、それもの話。

 不世出の英雄リンを失ったイリュリアは、国際社会における影響力を徐々に失っていった。


 触手の魔女・外伝 6.〝触手〟の魔女


「こうして、その巧みに敵軍を絡め取り周辺都市へ触手を伸ばす――これは欲するものを得ようと働くことの慣用句ね――ところから、リンには『触手の魔女』という二つ名が付けられ、誰もが認める英雄になったのでした……ちゃんちゃん」

 リンの活躍をソフトに表現した絵本をパタンと閉じると、私のお話に黙って聞き入っていた子供たちがにわかに騒ぎ出す。

「すごーい!」
「ねえ、ずっと負けなかったって本当なのー?」

 リンは、戦史上でも稀な『不敗の将』として評価が高い。戦いの場から身を退いた私からしても、彼女の人並み外れた指揮能力と戦略眼には畏敬の念を抱かずにはいられない。

(けど、それ以上に恐ろしいのは政治能力の方なのだけれど……)

 一体、いつあれほどの政治能力を身に着けたのだろうか? 誰かに習ったのでなければ、リンは政治に関しても天性のものがある。

 そんな傑物と呼ぶに相応しいリンだが、生涯を通じてリンが勝利の美酒だけを味わい続けてきたかと言えば、それは「NO」だろう。

「生涯不敗……と、そう言われているけどね。どうでしょう。ちょっとぐらい負けたこともあったりしたんじゃないかしら?」

 実際、ちょっとどころではなく負けている。私は、彼女が苦しみ続けていた学院生時代を間近で見ていたのだから当然知っている。

(もう少し、優しくしてあげたら良かったかしら……)

 子供たちの面倒を見るようになってから、私はそんな風に思うようになった。

「でも、どうしてそんなすごい人が死んじゃったのー?」
「そりゃあ……人間なんだから、いつかは死ぬわ。英雄だって、私だって、皆だってそうよ。でも――」
「オレ知ってるー。リンは、で死んじゃったんだって!」
「――コ、コラ!」

 唐突に子供の口から飛び出してきた言葉に驚いて、私は咄嗟にその子を叱りつけた。ビクッと肩を跳ね上げ、縮まった首で私を見上げるその子を問い詰める。

「そんな言葉、どこで覚えてきたの!?」
「え……配給のにいちゃんが言ってた……」

 あの男……誠実そうに見えたが、子供に何てことを教えているのか。

(これだから男は……!)

 私が思わず握り拳を固めると、子供たちが一斉に身体をビクつかせた。

(――いけない、いけない!)

 うっかり、を出して子供たちを怯えさせてしまったようだ。きっと、ばつが悪そうにするこの子には、そこまで悪気はなかったに違いない。

 私は握り拳を解いて、「梅毒」という言葉を乱りに使わないよう言い含めた。

「まあ、でも、そういうことを言う人が居るのも分かるけどね……。リンは、ちょっと性にだらしないところがあったから……英雄色を好むというかなんというか……」
「色って、どういうこと?」
「……忘れなさい」

 独り言のつもりで呟いた言葉を、耳聡い別の子供に捉えられてしまった。

 もう、こんな時ばっかり耳が良いんだから。

 再びぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた子供たちを静め、私は先程言いかけた言葉の続きを言った。

「――とにかく、リンはきっと生きてるわ。彼女は殺しても死なないような人だったから」
「えー!? せんせー、英雄様と友達だったのー?」
「ふふ、そうよ? 知らなかった?」

 嘘だあ、と変に疑り深い子供たちに私は曖昧な笑みで返す。

「さて、それじゃあ読み聞かせの時間はおしまい! もう夜も遅いから、ベッドに入りましょう?」

 そう言うと、子供たちは最初こそ嫌がる素振りを見せるものの、いつも通りそれぞれの部屋に戻してベッドに入らせると、殆どの子供はすぐに眠ってしまった。手がかからなくていい。

 子供たちの安らかな寝顔を眺めつつ、まだ眠っていない数人の子供に挨拶してから、私は階段を降りて一階へ向かった。そして、壁にかけてあるランプを持って夜の暗がりの中へと出る。

 教会を改築して建てたこの孤児院の裏手には、ポツンと一基だけ手製の墓がある。今日は、子供たちにせがまれてリンの話なんかを読まされたから、色々と思い出してセンチメンタルな気分になってしまった。

 私はその場に座り込んで、ここへ来たばかりの頃からするといくらか「墓」の体裁が整った墓を眺める。

「――。果たして、リンは本当にヘレナ様のご遺志を継いでくれるのでしょうか……」

 リンが公の場から姿を消す直前、彼女は私のもとを訪れていた。

『事情が有って暫く年単位で国を空ける』

 開口一番、とんでもないことを言う奴だ。今や皇帝エンペラーと仰々しく呼ばれるようになったリンだが、そこまで登り詰めるのにどれほどの苦労があったことだろうか。所詮、ヘレナ様の後を追うだった上、道半ばで退場リタイアした私には、もはや想像すら及ばない。

『……それは、時季とかいうのが影響してるの? 最近、私の眼からしてもリンは時季に逆らうようなことばかりしているように見えるけど……』
『いえ、時季に逆らっているから事情が出来て国を空けざるを得なくなったのではなく、事情の所為で時季に逆らわざるを得なくなったのよ。因果関係が逆ね』

 しかし、実にあっけらかんとしたものだった。

 リンは苦労して手に入れたものを全て手放し、どこかへ消えようとしている。そこまでしなければならないほどの事情とはいかほどか。

 まだ、ヘレナ様の抱いた〝理想〟の実現には至っていないというのに。

『で、用件なんだけど……』

 リンは、胸に抱いていた赤ん坊に視線を落とした。

『この子のことを頼みたいの。お願いできる?』

 最近まで出ていた腹が引っ込んでいるから、この赤ん坊はきっとリンの子だろう。赤ん坊を見る彼女の眼には、深い慈愛の色が備わっている。

 ここは孤児院だ。行き場をなくした子供を受け入れるための施設。難色を示す理由がない。

 私は快く頷き、彼女から赤ん坊を受け取った。

『もちろん、それは構わないけれど……アナタは大丈夫なの?』
『……心配してくれるの?』
『当たり前でしょう』

 そう言うと、リンはきょとんと間抜けな顔をした後、昔のように少女然とした笑みを浮かべた。

『大丈夫。私は最初から何も変わっちゃいないつもりよ。変わるのはいつも周りの方。私があまりにも曲がらないものだから、真っ直ぐ進み続けるものだから、そのうち皆の方が道を逸れてどっか行っちゃうだけ』
『……そっちじゃないわ。アナタ自身のことよ』
『ああ、そう。愚問すぎて全然分からなかったわ』

 分かっていた癖に、すっとぼけて。フン、と鼻を鳴らしてみせるリンの顔には『自信』の色しか浮かんでいない。そんないつもと変わらぬ彼女の態度に安心した自分が少し恨めしかった。

『私は必ず帰ってくる。それは確定していることなんだから、心配なんてするだけ損よ』
『……頼もしい限りね』

 きっと、本当にその通りになるのだろう。私が心配しても無駄なのだろう。

 しかし、祈らずにはいられない。
 リンの無事を、その幸福を。私は人間なのだから。

『じゃあね――!』

 用件を終え、さっさと踵を返して去ってゆく年季の入った背中に私は叫んだ。

『――ねえ、この子! 名前はなんていうの!?』
『決めてない! 名前のが切れちゃって! そっちで勝手に決めといて良いよー!』
『はあ……? 信じられない……ほんと、いい加減なんだから……』

 さっきの慈愛の色は私の見間違いだったのか?
 ――いや、恐らくこれがリンなりの「愛」なのだろう。

 勝手で、気ままで、冷たい……でも、私の眼にそう映るのは、私とリンが同じ視座を共有できていないから。見ている景色が丸っきり違うから。

(これが、この子のためになること……なのよね?)

 胸の中に収まるあどけない寝顔を見ながら、その小さな身体をぎゅっと抱きしめる。私には、リンを信じることしかできなかった。

「あれから、もう十年……か」

 リンは今、どこで何をしているのか。あれから一つの便りもなく、その行方はようとして知れなかった。

 その間、イリュリアは混乱に陥ったままであり、未だ完全に持ち直したとは言えない。

(信じてる……。信じてる、けど……本当にアナタのことを信じて良いのよね……?)

 実を言えば、結構揺らいでいた。しかし、信じるほかに道があるだろうか。自ら舞台を降りた私に。

 その時、背後から「ざりっ」と、砂利を踏みしめる音がした。振り返ると、子供の一人がそこに立っていた。

「――、どうしたの? 眠れなかったの?」
「息苦しい」

 ガリ――レックスは爪を立てて喉元を掻いた。

「えっ、大丈夫!? どこか、悪いの?」

 慌ててレックスのもとへ駆け寄った私だったが、彼によってやんわりと退けられた。

 レックスは、鬱陶しそうに世界を睨み上げる。

「この世界が息苦しいったらないんですよ。先生」

 まだ顔つきにも幼さの残るレックスだが、その眼には彼の非凡さを象徴するかの如く狂気の片鱗が灯っていた。

「さっきの独り言、失礼だとは思いましたが、そこの物陰で聞いていました。あの英雄リンと知り合いだというのは、どうやら本当のことのようですね。となると、その墓もまた本物なのでしょうね」

 墓には『ヘレナ・アーヴィン ここに眠る』と私の手で刻んである。だが、レックスがその文言に疑いの眼を向けていたことは知っていた。

「この――穢らわしい敗北者がッ!」

 私は、再び驚かされた。レックスが、墓に向かって勢いよく唾を吐き捨てたのだ。

「――ちょっと、レックス! 何をするの!?」
「革命は不全に終わりました。先のイリュリア含む周辺国家の醜態は、貴族がに取って代わった程度の変化しか齎しませんでした。社会は、更なる変化を……更なるを必要としているのです」
「な、なにを言っているの……? どうしちゃったの……?」

 いつものレックスとは様子が違う。まるで、人が変わってしまったかのようだ。普段のレックスは、柔和で、誰にでも優しく穏やかで、時々ぼうっと考え事をするような大人しい子なのに……。

 学院の友達の影響なのだろうか?

「僕の体には、英雄リンの血が流れているそうですね」
「ど、どこでそれを……?」
「失礼だとは思いましたが、先生の日記を読ませてもらいました」

 確か……日記にはレックスのことも書いてあった筈だ。時を見て教えるつもりだったが、よもやこんな形になってしまうとは予想だにしていなかった。

「驚きましたよ。魔力量が少ないものだから、どうせロクな血が流れていないと思っていた孤児みなしごの我が身に、そんな値打ち物の血が流れていたなんて。売血で食っていけそうです」

 レックスは冗談めかして肩をすくめさせた。

「……レックス、血なんて関係ないのよ。アナタは、アナタなんだから」
「あはは、使い古されすぎた説教ですね」
「どうして、そんな憎まれ口をくの?」

 普段の彼は、例え怒ってもこんな口の利き方はしない。すると、レックスは薄笑いを浮かべたままこう問うてきた。

「では、お聞きしますが……僕はどっちです?」
「え……?」
「上か、下か――僕はどっちです?」
「……意味がわからないわ!」
「中庸に答えはありません」

 レックスは傲岸不遜にもまっすぐに『上』を指し示した。

「僕は上を目指すことにしました。この息苦しさから逃れるためには、もはやそれしか方法がない。下に行くのは、屍になってからでも遅くないですからね」

 そして、レックスは墓に向けていた侮蔑的な視線を消し、今度は一転して親愛の籠もった視線を私へ投げかけた。

 私は、閉口して何も言えなかった。レックスの豹変もそうだが、その態度や視線にあまりにも身に覚えがありすぎて、彫像のように固まってしまった。

(アナタも……そうなのね)

 言葉で止めても、暴力を用いても、きっとレックスを説得することができないだろう。ましてや、殺してでも止めるなんてことは私にはできない。血が繋がっていなくとも、レックスは私の息子同然だった。

 彼は、やると言ったらやるだろう。
 だから、止めても無駄なのだ。それが分かってしまった。

 私が眼を逸らすと、レックスはふっと雰囲気を和らげて笑った。

「リンとヘレナのこと……今度、僕にも教えてくださいよ」
「どうして……? あんなに侮蔑的な振る舞いをしておいて、その相手に興味があるっていうの……?」
「はい。先人たちから学ぶことは多いですから」

 そう言って笑うレックスの顔は不自然なまでにいつも通りで……私にはそれが、どうしようもなく狂気的に感じて仕方ないのだった。


To Be Continued⇛
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