Defense 完結 2期へ続く

パンチマン

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そして終戦へ

戦争の事後報告書 ー完ー

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長く続いた世界大戦は終わった。

戦争はジェネッサ陣営の勝利で幕を閉じた。

数多くの犠牲者を生んだ戦争。戦争の終結と勝利を祝うジェネッサ圏の国々では一週間の間街中を花吹雪が舞い続けた。

泥沼だった戦争。その反動から戦後は数多くのプロパガンダ映画が製作された。それに魅了された青少年の間では戦争ごっこが流行った。敵との戦闘、塹壕将校、従軍看護婦。はたまた処刑を命ずる士官。誰も怪しむ者などいなかった。誰も真実を知ろうとしなかった。


中央諸島連合は解体され、セグワ島はオーシア国が直接支配した。帝政を強引に廃止させ、古来から住む人々の慣習を無視した政策だった。だが、誰も異は唱えられなかった。戦勝会議に参加したスカイラインの経済学者、トンプソンは手記でスカイライン大統領を批判した。


「スカイラインの大統領は、戦勝会議で強めに批判するべきだったのだ。戦勝国の中でも大国でありながら、財界や軍人達に屈したオーシア大統領は中央諸島を強引に引き裂こうとしている。こんな愚行は憎悪しか生まない。彼らは戦勝国。異議を唱えられるのは、戦勝国内にしかいないのだ。彼らは自らの利益しか追求していない。このままだと歴史は繰り返されてしまうだろう。」


また、オーシアの軍事評論家であるミラは戦争終結と勝利に湧く街をみて、著書である本にこう著している。


「国民は常に賢くなければならない。我々オーシア人は中立国セグワに我が物顏で上陸し、戦争を正当化して、併合した。中央諸島は引き裂かれ、やがて再び戦火の渦に巻き込まれる。もちろんそんな不都合な事を明るみに出すわけがない。この事実を1人でも多くの国民が知らなければ、歴史は繰り返されるだけだ。」


セグワ戦線を勝利に導いたエリックとライアンは英雄として迎え入れられた。ライアンは戦後、本国でこう演説した。


「これは、正義のための戦争だった。我が国の失われた国民のためにも今後とも彼らの分までこの国を強くしなければいけない。あの戦争はすべての戦争を終わらすための戦争だったのだ。」


国民はこの言葉に熱狂した。その口車に乗せられたSF小説作家デルズはこう言った。


「あの戦争は、あらゆる戦争を生み出す可能性を潰したのだ。今後は戦争は起きずに皆が平和に暮らせるだろう。」



だが、そんな浅はかな思惑通りにはいかなかった。

中央諸島ではオーシア統治に反発する勢力が海賊行為を行い、オーシアの客船を2ヶ月の間で3隻沈めた。犠牲者は千人を優に超え、オーシア国内ではセグワ島のより確立した統治政策を求める声が高まった。憎しみと憎しみがひしめいていた。
 
各地でも似たような抗争や衝突が多発した。


デルズはこう言うべきだったのかもしれない。


「これは、あらゆる戦争を生み出す戦争だった。」


と。


年表 戦時史

2000年 10月 積年の貿易摩擦と失業問題でスカイラインに不満を抱いたバンク系テロリストが同国の国際空港で未曾有のテロを敢行。

2000年 10月4日  テロ発生後のバンク政府の対応を受けて、スカイライン政府は「国民の生命を守る大義のため」と称してバンク国に対して宣戦布告。これを機にオーシアを始めとした北オーシア大陸、及び近隣国家間で軍事同盟ジェネッサが始動。バンク国も大陸内の国家で軍事同盟、セパイア大陸同盟を始動させ、大海を挟んだ環大洋戦争が勃発した。

2000年 11月3日 北オーシア大陸西洋を航海中だったジェネッサ連合艦隊が襲撃を受ける。これが開戦後初の戦闘。

2000年 11月16日 ジェネッサは北オーシア大陸からそう遠くなく、なおかつバンク大陸へ唯一陸続きになっているネレコフ列島へと侵攻を開始。この事を見越していたセパイアは早期に軍を展開。

2000年 11月29日 第一次ネレコフの戦い。艦隊数で勝っていたセパイアが襲来したジェネッサ艦隊を撃退。航空戦でも優位を確保した。

2000年 12月3~10日 第二次ネレコフの戦い。航空戦が主で7日に渡る戦闘でジェネッサの航空戦力が優勢。しかし依然としてセパイア艦隊は健在。

2000年 12月13~16日 第三次ネレコフの戦い。合流したオーシア海軍の3つの航空母艦を主体として総攻撃に乗り出す。当初は優勢だったが、セパイアの潜水艦部隊が密かに艦隊と合流。対応が遅れて3空母のうち一隻が沈み、もう一隻は甲板に着弾。ジェネッサ艦隊は混乱に陥り作戦は失敗。撤退した。

2001年 1月 海上からの侵攻は不可能と判断したジェネッサは空からの攻撃を主とする事を決定。スカイライン、オーシア、ヴェランダの三ヶ国から選りすぐりの精鋭航空兵を招集。

2001年 1月16~18日 ジェネッサは、戦闘機隊、爆撃機隊と共に空挺団をネレコフ列島に派遣。セパイア艦隊の猛攻撃をかいくぐって空挺団は続々と降下を開始。それを見計らってジェネッサ艦隊が侵攻。空と海からの侵攻により、作戦は順調に進展。相当数の犠牲者を出しながらもネレコフ列島を制圧。

2001年 1月23日 セパイアはネレコフ列島を奪還すべく反攻をすぐさま開始。およそ1ヶ月間、ジェネッサはネレコフ列島付近で防衛戦を強いられる事になる。

2001年 2月 ジェネッサはネレコフ列島の損耗を受け、新たな作戦案を模索。その時、北オーシア大陸とバンク大陸との間に位置する中央諸島国家に目を向ける。

2001 3月1日 オーシア連邦の北隣の国オーセシアの首都が、極地付近を迂回してきたセパイア艦隊の攻撃を受ける。死傷者は民間人含め100人程度に上った。

2001年 3月20日 オーセシア近海をネレコフ列島に向けて航行中だった輸送艦隊が、セパイア潜水艦の攻撃により撃沈。セパイア側は北オーシア大陸近海に潜水艦隊を貼り付かせる作戦に出た。これによりネレコフ列島に援助がたどり着けず、落ち着き始めていたネレコフ戦線が再加熱。死傷者が増加していく。

2001年 4月4~6日 死の掃海作戦。ジェネッサは北オーシア大陸近海に対潜爆雷を搭載した駆逐艦と、哨戒機を一斉に展開させた。丸2日かかってほとんどの脅威の排除に成功。しかし展開した駆逐艦の約半数が撃沈されるなど重大な被害を被った。

2001年 6月28日 大陸侵攻作戦。ジェネッサはネレコフ列島からバンク大陸へと侵攻を開始。セパイア圏のデーテル共和国へ侵入して激しい地上戦が勃発。

2001年 7月2日 哨戒任務中だったデーテル共和国空軍隊と、地上部隊援護のため飛行していたスカイライン空軍機隊が激突。長時間にわたる格闘戦の後スカイライン空軍が勝利。だが攻撃機隊の損傷が激しかった事から本来の任務は続行不可能になり、援護要請をした地上軍は壊滅の危機に陥り撤退。戦線が押し戻される。

2001年 7月4~10日 ペイバックデイ。デーテル共和国国防軍が行った国内に侵入したジェネッサ軍に対する総反攻作戦。最初の2日で元の国境線まで押し戻したが、オーセシアを始めとした多数のジェネッサ側の援軍が到着した事で形勢逆転。デーテル共和国は首都近郊まで押し戻された。

2001年 8月10日 デーテル共和国国家元首と各国務大臣国外逃亡。部隊統率が乱れて軍が混乱。

2001年 8月11日 指揮官なきゲリラ戦。まばらになったデーテル国防軍は、各自の判断でゲリラ戦へ移行。だが部隊統率が取れなくなったデーテル国防軍は、次第に同士討ちになり始め、夜までには大半が投降し始めた。

2001年 8月12日 デーテル共和国首都陥落。事実上のデーテル共和国降伏。

2001年 8月29日 セパイアがジェネッサ領となったデーテル共和国を包囲。睨み合いが続く。

2001年 9月15日 ジェネッサ司令部は膠着状態に陥り始めた戦線を打開するために作戦会議を招集。この会議で中央諸島侵略が可決された。

2001年 12月2日 中央諸島近海に軍派遣。中央諸島国家の中で、環境に恵まれたセグワ島が最優先攻撃対象に指定される。

2001年 12月4日 領土明け渡しに否定したセグワ島へ侵攻開始。犠牲者を出しながらも、その日のうちに北東部沿岸へ上陸成功。

2002年 1月9~11日 トヨの戦い。都心部で激しい市街戦へと発展。戦力差で大きく上回るジェネッサは都心部で善戦。セグワ軍は郊外へと撤退。

2002年 1月29~2月10日 トヨの戦い。郊外部でセグワ軍が善戦。期間中、日国とイーランカスの援軍が到着。さらに善戦。ジェネッサは予想外の反撃と、損害を受けて侵攻は一時停止。

2002年 2月11日 ストレイト会議。ヴェランダの空軍隊を主として爆撃一掃する事で決定。

2002年2月18日 郊外部絨毯じゅうたん爆撃。条約違反のクラスター爆弾を用いた事で、逃げ遅れた民間人含めてセグワ軍の死傷者は500以上にも及んだ(確認戦果のため実際はこの数値より多いものと認識されている)

2002年 3月1日 デーテル共和国付近を包囲していたセパイアに動きあり。戦車隊を前進させてデーテル内へと侵攻。ジェネッサの攻撃ヘリ部隊や戦車隊が即座に展開、反撃したため何とか食い止めた。

2002年 3月3~4日 ソーン攻勢。ヴェランダ空軍の爆撃機隊がデーテル共和国付近に張り付いたセパイアを爆撃。この爆撃にもクラスター爆弾を使用。この爆撃を皮切りにデーテル共和国ソーン地方に集められた決死隊が一斉に包囲網へ突撃。ソーンで包囲網が突破されると、各方面隊も侵攻を開始して包囲網を打ち破るのに成功した。

2002年 3月26日 デーテル共和国の西隣のビレンゾと北隣のステン民主国との二方面戦闘へと移行した。

2002年 4月1日 バンク国と隣接するステン民主国を最優先に侵攻。順調に侵攻していたが、夕暮れ時にバンク軍を主とするセパイアがデーテル共和国へ殺到。ステン方面へ展開していた軍が退路を断たれる非常事態へと陥った。

2002年 4月2日 ビレンゾに展開していた軍は攻撃を中止してステン方面軍の救出へと動き出す。前方のステン軍と後方のバンク軍と板挟み状態になったジェネッサのステン方面軍は、大損害を受ける。なんとか救出に回ったビレンゾ方面軍も、ビレンゾ軍の追撃や道中の草むらに隠れた民兵ゲリラの襲撃などにより被害を被り、侵略は難航を極めた。

2002年 4月3日~5日 地獄の撤退戦。ビレンゾとステン民主国の侵攻のために展開したジェネッサ軍が撤退し始めた。ステン方面軍は特に被害が大きく、その大半が戦死か捕虜になるかだった。ビレンゾ方面軍も痛手を負い、デーテル共和国内へ撤退。この機を境に再び戦線はデーテル共和国国境線付近で再び膠着した。

2002年 4月13日 セグワ戦線、ハーグスの戦い。トヨを突破したジェネッサ軍はセグワ首都まであと一歩に迫っていた。だがハーグスと呼ばれる草原帯でセグワ軍は塹壕などの防衛陣地を築き上げていて、待ち構えていた。以後数ヶ月間戦線は全く動かず膠着状態が続いた。

2002年 5月2日 血の春攻勢。セグワ軍が形成逆転を狙って行った大規模攻勢。接近戦へと発展して、凄まじい白兵戦となった。結果としてはセグワの攻勢失敗となったが、ジェネッサの損害も大きかった。

2002年 5月10~12日 ビレンゾ内乱。ビレンゾ国内で親オーシア派勢力が武装蜂起した事件。経済状況があまり良く無かったビレンゾでは親オーシア思想が強く、ジェネッサの再侵攻作戦の噂が広まった事に乗じて内乱が起こった。小規模だった内乱は午後までに大規模な内乱へと発展。結局2日に渡って内戦状態になったが、ジェネッサ軍がデーデル共和国から出られなかったこと、バンク軍が介入した事、この2つにより内乱は鎮圧され、捕らえられた親オーシア派はバンク軍により全員処刑された。

2002年 6月2日 反戦運動。オーシア国内で起きた大規模反戦運動。ジェネッサ側の軍人数名が、デーテル共和国にて女性を強姦した事が原因。しかし政府は取り合わずに継戦。それ以後、デーテル内部で似たような事案が発生しても、報道される事なく揉み消されるようになった。

2002年 6月5日 ハーグス攻勢。セグワ戦線にて、これ以上セグワ戦線に時間と兵力を割けないと思った軍部が画策した攻勢。ジェネッサはセグワ軍目掛けて戦車隊や戦闘機など総力を用いて攻撃したが、セグワ空軍のエース部隊の活躍や地上軍の反撃などにより失敗。

2002年 6月24日 第2次ハークズ攻勢。戦車隊を全面に押し出して繰り出した攻勢。実戦経験豊かな砲兵隊の攻撃により足止め、またしても失敗に終わった。

2002年 8月2日 夏季攻勢。セグワ軍が残った戦力を結集させて実行した攻勢。日国の空挺団降下を皮切りに敢行。春攻勢同様凄まじい白兵戦となり、一時はジェネッサ側の陣地深くまで侵攻する事に成功した。しかし数で劣っていたセグワ軍は次第に総兵数で押されるようになり、最終的には人数比は白兵戦で1人対5人となるまで差がついた。その結果時間が経つと共に押し戻され始めて失敗。大勢が戦死し、一部は捕虜として収容所へ送られた。

2002年 8月29日 反撃攻勢。ジェネッサ側のセグワ軍に対する攻勢。ジェネッサ側はセグワ軍を物量差で圧倒して防衛線を突破。なんとか戦線を維持しようと戦闘を継続したセグワ軍だったが、数の暴力で、中では滅多撃ちにされたり、銃剣で何人からも同時に刺されたりと、残虐さを極めたと言われている。この反攻はわずか1時間半で完了、セグワ軍はあっという間に全滅した。

2002年 10月29日 戦力を万端に揃えたジェネッサ軍はセグワ首都ロレーヌへと侵攻を開始。

2002年 10月30~11月16日 首都攻防戦。ゲリラ戦や精鋭だった親衛隊の奮起もあって持ちこたえていたが、やはり物量の差で劣るセグワ軍は、次第に武器弾薬の供給不足で追い込まれ始める。11月初旬には弾薬不足に陥っていたが、それでも数週間戦い続けた。だが最終的には戦車に対抗できなくなり総崩れ。無駄に戦死者が出る事を懸念したセグワの国家元首は降伏。11月16日にセグワ戦線は終結した。

2003年 2月1日 占領したセグワ島を利用してバンク大陸への攻撃を行い始めた。

2003年 3月4~2004年5月初旬 爆撃作戦などの航空作戦が主で、地上戦線に目立った動きはない。

2004年 5月20日 ジェネッサ軍バンクへ向け侵攻開始。先の作戦の結果を受けビレンゾへは軍を向かわせず一極集中型でステン民主国へと侵攻。

2004年 5月20~10月15日 ステン攻防戦。一進一退の大激戦となった。おおよそ5ヶ月間、地上航空ともに激しい接近戦となる。この戦域に両軍は次々と増援を送り込み、必然的にこの戦闘の勝敗が戦争の行方を左右する事は明白となった。結果ジェネッサはこの戦いで勝利。ステン民主国を制圧してバンク侵攻への道が開けた。この戦線は環大洋戦争中、最も激しい戦闘として扱われている。

2004年 11月20日 ビレンゾ制圧作戦。ステン民主国を制圧したジェネッサはバンク侵攻の手口を増やすために隣国のビレンゾへと侵攻を開始。

2004年 11月20~12月1日 本土戦に向けてバンク軍は既に撤退しており、バンクを除くセパイア連合軍との戦闘になった。最初の数日間は戦線は動かなかったが、くすぶっていた親オーシア派が再度武装蜂起。ジェネッサ側と合流した事でセパイア連合軍はビレンゾを放棄して撤退。

2004年 12月16日 ジェネッサ司令部は、バンク侵攻前に戦力を再編。おびただしい犠牲者が出ていたことから和平交渉の道を探り始める。

2005年 1月26日 バンクにて新政権誕生。融和主義を掲げる国家元首がジェネッサへ歩み寄り始める。セパイア連合司令は猛反発。

2005年 2月4日 ステン侵攻。セパイア連合は融和主義に反対するバンク強硬派と合流してステン民主国奪還作戦へ乗り出す。

2005年 2月4~3月4日 ステン1ヶ月戦争。強硬派はバンク政府の意思を無視して独走。セパイア連合軍は一時首都付近まで侵攻するが、ジェネッサ空軍の活躍により形成逆転。猛追撃を被り大損害を出した。

2005年 4月1日 第1回和平交渉会議。オーシア国家元首、バンク国家元首、これにジェネッサ総司令部を加えた和平交渉。領土割譲、賠償金等の折り合いがつかず次回の会議へ持ち越し。

2005年 4月15日 勝ち目が無いと踏んだセパイア連合は和平交渉を優位に持っていこうと、時間稼ぎと武力侵攻を画策。再度バンク軍強硬派と結びつきステン民主国とビレンゾを攻撃。セパイア空軍はデーテル共和国までを攻撃対象として作戦を敢行。この作戦はセパイアの思惑通り、次の和平交渉に大きく影響を与えた。

2005年 5月1~2日 第2回和平交渉会議。オーシア国家元首、バンク国家元首、ジェネッサ総司令部とセパイア総司令部を加えた和平交渉会議。オーシア陣は領土割譲と多額の賠償金を求めたが、セパイア陣は否定。互いに戦争で疲弊しきっていたため妥協案を模索。翌日の会議では、少額の賠償金および旧デーテル領デトイント島とネレコフ列島の全面割譲と、中央諸島のセグワ島全面併合で折り合いがついた。上記の条件付きで停戦する事で両陣営は合意。

2005年 5月5日 デトイント条約締結。世間一般の認識としてジェネッサの勝利とされた。しかしセパイア連合には継戦力があった事などを背景に知識人の間では、痛み分け条約と揶揄され再度戦争が勃発する恐れがあるとして危惧された。
 この条約により、オーシアはデトイント島をデーテル共和国から割譲され、ネレコフ列島はスカイライン領となった。またオーシアはセパイア陣営とバンク国との合意を元にセグワ島を全面併合。ここに約5年間の環大洋戦争が終結した。

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