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第1章

夜起きると俺は主人公になっていた

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 ――――…………イ!

 ――……ムイ!

 ――もう、カムイってばぁ! いい加減にしなさいっ!



 女の子の声と共にばっさり布団が取り払われ、寒々しい空気が全身を撫でた。

 たまらなくなって、俺はベッドから跳び起きる。

「うおおっ、さむっ!?」

 目の前には腰に手を当て、ジト目でこちらを見つめる黒髪の少女。

 身に着けている丈の長いチュニックは色褪せており、そこかしこに修繕の跡も見てとれた。見るからに、田舎の娘感が拭えない格好だ。

 しかしこの少女の姿に、俺の目は釘付けになってしまっていた。

 あまり見ない格好だから、という理由もない訳ではない。ただそれ以上に、信じられなかったのだ。彼女の姿形が、そのままここにある事に。

「さむっ。じゃないから! カムイったら、今何時だと思ってるの?」

 やたらハキハキ目一杯に言われて、我に返った俺は部屋の窓から外を見る。

 少し曇った窓ガラスには、いかにも冷たそうな夜がべったりと貼りついている。

「……よる、だけど」

「……よる、だけど。じゃない! 確かに『ご飯食べたら一眠りした方が良いかも』とは言ったけどさ……このまま放っておいたら、カムイはそのまま朝まで寝ちゃうでしょうが!?」

 ぶるり。と肌着だけの身体が震えた。

「か、かむい? さむい……じゃなくて?」

 そんな能天気極まりないリアクションに、少女は呆れたように溜息をつく。

「はぁ……。元々おバカさんだとは思っていたけど、まさか自分の名前まで忘れちゃうなんてね……ホラ、寝ぼけてないでさっさと目を覚ますっ!」

 少女は大きなサイドテールに纏めた髪をふるふる揺らしながら、薄汚れた掛け布団を部屋の隅へと放り投げた。

「ああっ、俺のおふとん!?」

「このしょっぱい布切れがなんなのよ! まさか、まだ寝る気!? ……ちょっとちょっと、いくらおバカさんなカムイでも私との『約束』までは忘れてないわよね……?」

 約束? そんなおっかない顔して言われても、一体何のことやら。

 しかし思い返そうとした矢先、頭の中に膨大な量の情報が一気に流れ込んでくる。

 それは、記憶。そう呼ばれているもの。

 まるで『増えるワカメ』みたいに、自分の記憶がみるみる膨らんで行くのが分かった。そして理解が出来る、この少女が何者で、自分が何者で、何故ここに居るのかも、全て霧が晴れるかのように明らかになるのだった。

 そして。

「……忘れてねーよ。花飾り……作るんだろ? 秋の収穫祭で使う」

「もう、カムイったら言い方に風情が無いんだから。『レイラニ』ね!」

「どっちだっていいだろ? どうせナトゥーラが付けるんだ。変わりゃしねぇよ」

「ちょっと、それどういう意味!?」

 そう。俺は『カムイ』という名の少年に転生していたのだった。

 いや、転生……というよりは『融合』とでも言った方が良いのだろうか。元の世界の記憶はあるし、でもこのカムイ少年の記憶もある。でも意識は元世界に居た俺っぽいし、そうなると『乗っ取り』の方が……。

 うーん、なんか頭がモヤモヤして来たぞ。

 とにかく、これはどうも夢幻の類ではない。俺が現実世界を離れて異世界に降臨したというのは、事実のようだった。

「……まったく。今日のカムイは私の専属ボディーガードなんだから、しっかりしてよね」

「へいへい」

「あーあ。もうかなり出遅れちゃってさぁ。早く行かないと、光と色がイイやつはみんな先に採られちゃうって、あれ程言ったのにぃ!」

「へいへい。俺が悪うございましたよ」

「そう思うんだったら……罰として後でキャラウェイさんとこのホイップケーキ、奢ってよ。先に言っとくけど、鬼ホイップに三枚重ねだから!」

「へいへい」

「……はちみつもマシマシでね!」

「へいへい」

「あ、あと木イチゴと山ブドウのトッピングも……」

「へいへ……って、いくら何でも盛り過ぎだコラァ!?」

 そう。俺は幼馴染のナトゥーラとそんな約束をしていたのだった。

 秋の収穫祭。そこで催されるメインイベントに、このクーザ村で一番『レイラニ』の似合う女性を決めるという、言うなれば大学のミスコンみたいなものがある。

 参加資格は、15歳以上の女性ならば誰でもOK。出場年齢に上限はなし。もしここで見事優勝することが出来れば、麓の街で行われるより大きな美人コンテストへクーザ村の代表として参加する事が出来る。

 だから、憧れなのだ。クーザ村で暮らす少女達にとっては。普段身に付けられないような美しい服だって着ることが出来るし、都会に出られるチャンスでもある。そこでも万が一優勝となれば、巡り巡って王都へ招かれる可能性だってある。華やかなものに魅かれてしまうのは、誰にだって分かる話だ。

 無論、今年から参加資格を満たすナトゥーラだって。

「……ちょっと準備するから、外で待っててくれ」

「もー。早くしてね」

「わーったって」

 ナトゥーラを部屋から追い出し、一息つく。そして頭の中で浮かんでは消える様々な記憶や知識を吟味しながら、俺は自分の置かれている状況を整理し始める。

 まず、この身体だ。脇にある古びた姿見は、前のしみったれたそれとはまるで違う若々しく鍛えられた筋肉を映し出していた。軽く体を捻ってみただけでも、しなやかさと力強さが段違い。紛れもなく、十代の身体だ。

 もちろん、顔だって以前とは別物だ。意志の強そうな目に、きりと引き締まった口元。絶世の美男……という程ではないにしろ、爽やかで好感の持てるビジュアルだ。それにファンタジー世界らしく、自毛は少しくすんだオレンジ色。さっぱり短めに切り揃えられていて、どういう訳か毛先数センチが白色に抜けている。やはり現実離れしているというか、それでも異世界らしさが感じられて悪い気はしない。

 そして、今俺が立っているこの場所。クーザ村は、山奥にあるそこそこ大きな規模の村だった。そしてこのカムイという少年は、そんな場所で暮らす木こりの一人だ。森で樹木を伐採し、時たま木の実や獣の肉を狩り、それを売ったり物々交換したりで生計を立てている。手応えはまだイマイチ薄いけど、しっかりとした記憶と経験が身体に染み付いていた。

 とはいえ、転生している身だ。その時点で、ただの木こりではないと言える。

「……ステート」

 俺は、小さく呟く。すると視界の端に二本の棒グラフの様なものといくつかの文字数字が表れたではないか。

「レベルにHPにMP……このちっこい窓は、状態欄か? はは……マジでゲームじゃんか」

 ステート。そう口にするか念じるかすれば、このような情報を得ることが出来る。これは知識として既に刻まれていた事だった。

「表示を切り替えると……今度は攻撃力、防御力、素早さ、精神力、運、それにスキル欄に装備欄……か。まぁ、オーソドックスなステータス画面だこと」

 改めて、自分の状態を確認する。

 レベルは今までの狩猟生活で多少上がっていたのか、5だった。HPの値は『100』、MPは『30』。そして攻撃力・防御力・素早さ・精神力・運の数値は全て『10』である。

「実質、レベル1ってことか……?」

 なんだか至ってとりとめのない数値に見えるけれども、まだそもそもの基準が分からないので、これが初期値にしては高いものなのか低いものなのか……それはどうにも判断することができない。

 ちなみにスキル欄には、

『ディテクト:LV1』
『ヒールライト:LV1』
『???:LV???』

 という三つのスキルが記されていた。

 『ディテクト』は、どうやら対象のステータスを確認出来るスキルらしい。『ヒールライト』は十中八九回復スキルだろう。……が、もう一方の『???』に関してはその字面の通り詳細不明だ。

 そして装備欄には、『ブロンズアックス:攻撃力+10・素早さ-2』・『布の服:防御力+6』・『革の籠手・防御力+3』というどこかで聞いたことがあるような名称と数値が並記されている。

「なるほどね……」

 ――転生したら、剣と魔法の世界に。

 ――始まりは、田舎の村。

 ――ヒロインは元気な幼馴染。

 ――すんげぇ主人公補正。

 最後のだけ実感はないけれども、それ以外はほぼ全てあの怪しい問答アンケートで答えた通りになっている。主人公補正も、きっと『???』という詳細不明のスキルに答えがありそうな気がするし、これはもう疑いようがない。



 どうやら俺ってば、マジで『主人公』に転生したらしい。



 コンコン、とノックの音。そして、扉越しに聞こえるナトゥーラの声。

「カムイぃ~? 準備できたぁ?」

「あぁ。今行くって」

 取りあえず、何となくの状況は分かった。あとは、まぁやって行くうちに明らかになるだろう。半強制的に話が進んでいるということは、この先に何かしらのイベントが待ち受けているに違いない。

 俺はベッドの脇にホルダーごと掛けてあったブロンズアックスを持ち出すと、久しく湧いてこなかった高揚感を胸に部屋を出る。それは親に新たなRPGを買ってもらった時のような、妙に懐かしい感覚でもあった。
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