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「今日はありがとうございました」
 カフェを出て、駅へと向かいながらお礼を言う。
 三咲先輩はうなずいた。
「うん。その彼女、喜んでくれるといいな」
 そうだった、デートの下見の設定だった。すっかり忘れていた。
「そうですね、あはは……」
「…………」
 三咲先輩の目がこちらを向いたまま、足が止まった。
 なんだ?
「三咲先輩……?」
「…………」
 視線の先はオレ──ではなく、オレの後ろにある病院だった。病院の隣には公園があり、遊んでいる子供たちの声が聞こえてくる。
「……さっきの」
「はい?」
「言いたいこと言って、孤立してるお兄さんの話。似たような女子が、昔、いたんだ。ストレートに言うタイプで、周りからちょっと疎まれているようなやつ」
「へぇ……」
 空みたいなやつって、案外どこにでもいるんだなぁ。
 それも女子かぁ……。
 …………。
 ……ん?
 ズバズバ言ってくる女子……?
「……俺は、どうにかしてやりたかった。悪いやつじゃなかったんだ。でも、結局、あいつの周りに残ったのは俺だけだった」
 三咲先輩がふぅ、と息を吐く。
「悪い、こんな話して。帰るか」
「あ、あの……!」
 止めていた足を再び駅へと進めようとする三咲先輩を呼び止める。
「その子と、何かあったんですか……?」
 三咲先輩は立ち止まって、振り返った。

『都合がいい扱いを受けてるのね』
『余計な一言ね』
『きみ、友達少ないでしょう』

 物事をストレートに言う女子──沙耶さんのことだ。
 きっと、その性格から沙耶さんが女子グループから浮いていたであろうことは、想像に難くない。
 でも、それをどうにかしたいと思っていた三咲先輩が、どうして沙耶さんに恨まれているんだ?
 沙耶さんが言っていた、三咲先輩が約束の日に来なかったって──いったい、三咲先輩に何があったんだ?
 ぐるぐると思考が巡る中、三咲先輩は言った。
「……いや、もう忘れたよ」
「そ、うですか……」
 オレがなんとか返事をすると、三咲先輩は改札の中へ消えて行った。
「……忘れたって、何よ、あいつ」
 いつの間にか、沙耶さんが隣に立っている。
「沙耶さ……」
 なんと言葉をかけていいか、見当もつかないまま名前を呼ぶ。
 傷ついた表情をしていた沙耶さんが、一瞬で怒りの表情で振り向いた。
「後輩の前だからって、カッコつけて、ブラックコーヒーなんて飲んじゃって。知ってる? あいつ、本当は、コーヒーにミルク二つと砂糖三本入れるの。だったらもう、ココア頼めって言ってるのに、ココアを頼むのは恥ずかしいんだって」
「はあ……」
 ぷりぷりと怒る沙耶さんに、明日から役に立たない三咲先輩の豆知識を叩き込まれた。
「まぁ、いいわ。実際、今日は勉強させなかったし、作戦成功ね! この調子でどんどん三咲を祟っていきましょ」
「ま、まだやるんですか!?」
「当然でしょ。明日、昼休みに屋上集合ね。あ、お昼ご飯は持ってきても良いから」
 言いたいことだけ言って、立ち去ろうとする沙耶さん。
『ちょっと』
 そんな彼女を、空が呼び止めた。
『協力したんだから、ぼくが成仏する方法くらい教えてくれても良いんじゃない?』
 空と沙耶さんの視線が交わり、火花を飛ばしているようにも見える。
 さっきの友達いない発言が、空の気に障っていたのかもしれない。
 やめてくれ~!
 こういう空気、マジで苦手なんだよ~!
 沙耶さんは口を開いた。
「……成仏するには、この世に残っている未練を解消することよ──それじゃ、頑張ってね」
『そんなの、最初から知ってるってば!』
 沙耶さんはもう振り向かない。あっという間に、彼女の後ろ姿は人混みに紛れて見えなくなっていった。
 空は悔しそうに顔を歪めた。
『騙された。思い返してみれば、ぼくがサッカー以外で成仏する方法がわかるなんて、一言も言ってないや』
 確かに。オレがそう聞いたとき、『協力するなら教えてあげる』としか言っていない。他の方法がわかる、知ってる、とは一言も言っていないのだ。
 まんまと、沙耶さんに言いくるめられたわけだ。
 結局、オレたちのことはオレたちでなんとかしなきゃいけないことに、変わりはない。
 空が成仏するには、オレがサッカー部のスタメンに選ばれることで、かつてサッカークラブでスタメンになれなかった空の未練を、オレが代わりに達成するしかないのか……。
 ……本当にそうか?
「本当に、空はオレがサッカー部でスタメンになったら、成仏するのか?」
『どういう意味?』
 沙耶さんに騙されて、機嫌が悪い空に気を遣うことも考えずに、オレはずっと不思議だったことを尋ねる。
「だって、お前、大してサッカー上手くなかったじゃん」
『はぁ!?』
 空があからさまに不機嫌な声をあげた。
 やべ、言い方ミスった。
 そう思った頃にはもう遅い。
『そりゃぼくは、陸ほどサッカー上手くなかったかもしれないけど! 塾では成績一位だったし、中学受験も第一志望に合格間違いなしだった! ぼくはサッカーさえできたら、完璧になれたんだよ!』
 ギャンギャンと空が捲し立てる。
 オレは少しでも落ち着かせようと、静かに言う。
「そうじゃなくて……サッカー以外に未練があるんじゃないか、って聞きたかったんだよ」
『サッカー以外に未練? ……あぁ、そうだね、強いて言えば、ポンコツな弟が心配ってくらいかな。いろんな人に騙されて利用されて。最後には、悪いことの片棒担がされちゃいそう』
「なんだと?」
 今度は、オレが不機嫌な声をあげる番だった。
 友達に頼られることを、利用されてるなんて言うなよ。
 そんなこと、わかってんだよ。
 わかってても、そうでなきゃいけないんだよ。
「馬鹿なふりでも……ピエロでも演じてないと、お前みたいに周りに誰もいなくなっちゃうだろ! お前はいいよな! 誰にどう思われようと嫌われようとハブられようと! 平気なんだから!」
 駅前で人通りが多い通りにもかかわらず、オレは怒鳴った。
 オレ以外には空の姿が見えないので、突然大声を出したヤバいやつに映っているだろう。ジロジロと通り過ぎていく人たちの視線が突き刺さる。
 でも、そんなことを気にしている余裕はなかった。
『なにそれ……』
 空は拳をぎゅう、と握りしめた。
『人に嫌われて平気なわけないだろ! どうしてお前の周りには人が集まるのに、ぼくには友達がいなかったんだよ!!』
「どうしてって……ちょっとは人の気持ちを考えろよ!」
「…………っ!」
 これまで、無自覚でやってたのかよ。
 お前の言葉が鋭すぎるから、正論すぎるから、人を傷つけるから──それらを空は悪気なくやっていたのか。
 周りから距離を置かれる理由もわからないまま、ただ勉強だけをしていたのか。
 オレに小言を言いながら、見下したようなことを言いながら──そんなこと思ってたのかよ、お前。
『陸なんて、もう知らない! 祟りでもなんでも、勝手にやってろ!』
「あ、おい!」
 空はそう叫んで、どこかへと消えていってしまった。
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