心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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ブライアン

5 地獄の始まり

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 大きな物音と叫び声が聞こえた。ドアを開けると、執事のジョンソンが慌てたようにこちらに向かってきた。あいつが慌てるなんて何があったのだ?俺が階段に向かうと、アダムがいた。

「少し、少し背中を押しただけなんだ」

 叫ぶようにアダムはそう言って泣き出した。

「叔母様がいけないのよ。お母様の部屋から出てきたの。お母様の日記帳を持っていたのよ。私見たの。お母様が書いているところ。中身は見せてもらえなかったけど。お母様の大事なものっておっしゃってたわ。それを叔母様が盗んだのよ」

 ケイラが真っ赤な顔をして早口で喚き立てている。階段の下を見ると、アニーが倒れていた。頭から血が流れている。

「取り返そうと思ったんだ。お母様の日記帳だから。でも・・・」

 泣きじゃくりながらアダムは話を続けようとする。俺はそれを無視して階段を降りてアニーを見下ろした。

 8歳の子どもに押されて階段を落ちた?アニーは枯れ木のように細かった。いつも恨めしそうに妻のアリーを見てぼんやりと立っていた。幽霊のような女。

 俺はアニーが手にしているものに手を触れた。わずかにアニーの指が動く。忌々しくなり俺はわざと乱暴にそれを引き抜いた。アニーの口が動いた気がしたが、よく見えなかった。

「アダムとケイラを連れて行け」

 俺の命令にメイドたちが速やかに行動する。残されたのはジョンソンだけになった。

「すぐに医者を・・」

「やめろ」

 ジョンソンを制すると、彼を驚いたように俺を見返した。

「しかし・・・」

「いいからやめろ」

 俺が再度言うと、ジョンソンは黙って目を伏せた。

「アニーは誤って階段を踏み外したのだ。気づいたのは朝お前が起きて支度を開始した時。いいな」

 今は夜だがまだ寝るには早い時間だ。このままアニーはここで一晩過ごしてもらう。残酷なようだが仕方がない。アダムを守るためだ。

「姉を亡くし消沈し切っていたのだろう」

 俺はそう言い残し自室に戻った。ジョンソンの顔は見なかった。





 俺に婚約者候補がいると知ったのは、5歳くらいの時だったと思う。相手は同じ派閥の伯爵家 ロゼルス家の娘だった。そもそもは祖父同士が知り合いだった。祖父の時代は派閥内の結びつきが今以上に強く、同じ年代の伯爵家嫡男同士とのことで交流していたらしい。お互いの子どもを結婚させよう、まだ結婚する前から相手はそんなことを言っていたと聞く。

 父が生まれた時、彼はわざわざ家にやってきて子どもが男だったことを嘆いた。彼の家でも男が生まれており、次に期待しましょうなどと言い出したため、祖父は嫌気がさして付き合いを控えるようにした。我が家は二代前に王族の降嫁先に選ばれている。そのために縁を結びたいと思われているようだが、相手は当時継承権10位の王子の次女だった。正直押し付けられたとも言える縁談であり、政治的にも影響はほとんどない。しかし相手はこちらの思惑も気にしないようで、何度も交流を求めてくる。祖父はうんざりしていた。

 そんな時に孫の俺の代になって、ロゼルス家にも娘が生まれてしまった。奴は意気揚々と我が家を訪れ、ようやく約束を果たすことができると息巻いた。わざわざ出産直後の母にも面会を求め、いかに過去自分達は付き合いが深かったかを語った。その話の中身はほとんどが嘘八百。家中が辟易していた。

 そうして初めて先方の娘と会うことになった。それまではまだ小さいからという理由で会うことはなかったのだが、相手は年々しつこくなってくる。なんとか結婚を回避する方法はないか。実際会って先方に何か落ち度を見つけよう。まるで敵と会うくらいの意気込みでその日はやってきた。

 現れたのは2人の娘だった。姉が気に入らなかったら妹の方でいい。相手の言い分に両親は憤慨したが、それだけで婚約を断ることはできない。

    大人たちが席を外し姉妹と俺だけにされると姉のほうがすぐに俺の側にやって来た。にこやかに話し出したが、何の話をしたか覚えていない。しかし妹のことを、自分の真似ばかりするとイヤそうに話していたことは覚えている。

    その後も何度か会う機会があったが、いつも姉妹2人と一緒だった。姉はニコニコと愛想がいいのだが、妹のほうは暗くほとんど会話もしなかった。

    何度目かの時に妹の着ているドレスにどこか見覚えがあった。前回姉が着ていたドレスだとしばらく見ていて気づいた。嫌いな相手でも貴族の作法として、相手を褒めなくてはならない。似合っていると褒めたドレスだった。

    すぐに気づかなかったのは、ドレスについていた装飾がなかったことだった。よく観察してみると寸法も合っていないし、裾のほうは変なシワもあった。

    俺の視線に気づいたせいか、妹は居心地悪そうに離れたところで俯いている。その様子に俺はイラついた。いつもオドオドしていて覇気がない。仮にも伯爵家の娘ならもっと堂々と構えるべきであろう。それだけ見ても彼女との婚約は考えられなかった。 

    俺が妹をガン見していることに気づいた姉は大げさにため息をついた。そうして、妹は自分が婚約をしたいので辞退するように言ってくること、前回俺がドレスをほめたので癇癪を起こして装飾を外して着れなくしてしまったこと、捨てるしかないドレスを着てほめてもらおうとしていることなどを話した。

    正直言って意味がわからなかった。同じドレスを着たからと言ってまた褒めるわけがない。癇癪起こしてめちゃくちゃにしたドレスを何故また着るのかも理解できなかった。それなら両親に言って同じドレスを買ってもらえばいいのに。よくわからないまま、俺は妹のほうは気味が悪いという印象しかなかった。





 やがて相手の祖父が亡くなり、両親はいよいよ婚約はなかったことにしようとしていた。その頃、侯爵家の三女との婚約打診があったのだ。当然我が家としたらそちらを優先する。

    しかし社交界では我々の婚約の話はすでに決定したと思われていた。彼らは先手を打って噂を流していたのだ。そのうえ相手は我が家の家紋の刺繍を施したハンカチを出してきた。それはその家の人間であるという証明になる。例えば、それで相手を信用させて買い物をすることもできる。もちろん支払いはこっち持ちである。それは脅しだった。

    やむなく婚約が決定し、俺は姉のアリーと夫婦になった。それでも妹のアニーとは離れられるとおもいきや、彼女まで我が家にやってきた。地獄の始まりとも思える結婚生活であった。

 
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