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第三部 女東宮、錦濤の姫宮の凱旋
八十 翠令、都の人々に策を伝える(一)
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京の都に到着した翠令一行は、佳卓の兄君の北の方の邸宅をこっそりと訪れた。昼日中の下男下女が出入りしている中に紛れて中に入ると、既に佳卓から早馬で知らせが届いており、翠令はそのまま寝殿に通される。
佳卓の兄夫妻は翠令を見てまずは無事を喜んでくれたが、同時に眉を顰める。
「良かった……。命を落とすようなことはなかったようだね」
「ですが、随分やつれてしまったものですね……。身体は痩せましたし髪の艶もありません。何があったのです?」
翠令は自分のことは手短に説明し、それから佳卓の策を詳しく語った。
北の方は絶句し、兄君も呻く。
「佳卓……あいつめ……。奇計奇策を思いつくことにかけては彼の右に出る者はいないと思っていたが……。いくらなんでも……なんてことを……」
翠令は佳卓を庇う。
「されど事態は八方ふさがりです。打開策を思いつくことが出来たのは、さすがと褒めて差し上げるべきでしょう」
「……上手く行けば何もかもが解決する。しかし、ことが露見すれば……悪いが左大臣家として公に助力ははできない」
翠令は黙って頷いた。十分に予想できた答えだった。ただ、この邸宅の女主人である北の方が助け舟を出してくれる。
「必要な準備には我が家の下男下女をお使いなさい。私には妹もいますからそちらにも頼みましょう。品物の購入など妹が手元の女房にでも任せてしまえば、もう左大臣家との関りを疑われる可能性はほとんどないでしょう。もっとも……そもそも、こんな謀がなされているなど誰も想像もしないと思いますが……」
佳卓の兄も言い添えた。
「この策を成し遂げたいのなら、竹の宮の姫君に正確にお伝えすることが肝要だ。翠令が襲芳舎に参内できるように取り計らおう。私は公には関われないが、妻の女房と竹の宮の姫君を引き合わせるくらいは出来るからね」
ただ、その前に翠令には会っておきたい人物がいた。
「白狼と話をしておきたいのですが……」
「そうだな、彼も前もって知っておきたいだろう。分かった。では、姫君を訪問するのは明日にしよう」
日が暮れる直前。翠令は白狼と衛門府の役所で会った。
翠令が下女姿で衛門督の朗風を訪ね、彼が時間を空けてから白狼を呼び寄せる。部屋の最奥の片隅に椅子を三つ用意し、人払いも済ませておいた。
翠令は委細を漏らさず全て話し、その間、白狼はただ食い入るように翠令を見つめていた。
「……どう思う、白狼?」
白狼は「佳卓は……」と口火を切ったが、その後しばらく黙り、それから言葉を吐き出した。
「あいつは本当に妙ちくりんな企みごとを思いつくもんだな……」
「佳卓様も『ろくでもない策』と繰り返しておられた。どうにか改善できないかと何度も考え直しておられたが……やはり竹の宮の姫君にこうして頂くしかないんだ……」
「だろうな……。あの女が関契を持ち出すのがこの策の肝だからな……」
「佳卓様が、白狼に謝っておいてくれと重ね重ねお頼みだった。女君に危ないことをさせることは決してあの方の本意ではない」
「分かってる。あいつは、他人に危ない真似をさせるくらいなら、自分が死地に飛び込む方を選ぶ男だ」
「白狼、お前だってそうだろう? 姫君にこのようなことをさせる……心配じゃないか?」
白狼は傍の壁を苛立たし気にドンッと叩いた。
「心配に決まってるだろうが!」
朗風が肩を竦める。
「おいおい、白狼……人目につくような騒ぎは困るよ……」
分かっている、と白狼は怒気を抑えた低い囁き声で返した。
翠令にも小さな声で、だがはっきりした口調で語り掛ける。
「あの女はこの策に乗るだろう。俺たちが反対するしないの問題じゃない。あの女が決めることだ。そしてあの女は自分の意思でその役割を引き受ける。そういう気概のある女だ。そしてきっとやり遂げる」
「……」
白狼は一つ呼吸をして目を瞑った。
「俺はあの女に言った。『その先に希望があると信じて走れ』と。あの女は必ず走り通す」
白狼は内裏の襲芳舎に視線を向ける。その玻璃のような瞳の中で、炎が静かに燃えているようだ。
白狼がぐっと何かを呑み込むように喉仏を動かすと、再び翠令を見た。引き締まったその表情は、何人もの手下を従えて京の都を荒らしまわった盗賊の頭領らしい。
「あの女を助けるぞ」
翠令だって出来ることがあるなら何でもしたい。だが……。
「何が出来る?」
白狼は朗風を呼ぶ。
「おい、朗風!」
「はいはいはい……。ええ、衛門督、宮城の門を司る私のやることがあるんですよね。ま、やったが最後、私の首は確実に飛びますがね」
「……朗風様……」
朗風は笑う。
「もちろんやりますよ。だって佳卓様の策を成功させるためでしょう? 私はあの御方の乳兄弟なんですからね。腐れ縁ってやつですよ」
やれやれと愚痴るような声を出しながらも、むしろ朗風は乗り気の様子で身を乗り出している。
「上手く関契を後宮から持ち出せれば、私が関契を受け取って東国の佳卓様の元まで馬を走らせます。最後の仕上げの華々しい役割を私にやらせてくれるなら協力してもいいですよ、どうですか?」
翠令が何か問いかける前に白狼がさっさと決めてしまった。
「よし。それで行こう」
佳卓の兄夫妻は翠令を見てまずは無事を喜んでくれたが、同時に眉を顰める。
「良かった……。命を落とすようなことはなかったようだね」
「ですが、随分やつれてしまったものですね……。身体は痩せましたし髪の艶もありません。何があったのです?」
翠令は自分のことは手短に説明し、それから佳卓の策を詳しく語った。
北の方は絶句し、兄君も呻く。
「佳卓……あいつめ……。奇計奇策を思いつくことにかけては彼の右に出る者はいないと思っていたが……。いくらなんでも……なんてことを……」
翠令は佳卓を庇う。
「されど事態は八方ふさがりです。打開策を思いつくことが出来たのは、さすがと褒めて差し上げるべきでしょう」
「……上手く行けば何もかもが解決する。しかし、ことが露見すれば……悪いが左大臣家として公に助力ははできない」
翠令は黙って頷いた。十分に予想できた答えだった。ただ、この邸宅の女主人である北の方が助け舟を出してくれる。
「必要な準備には我が家の下男下女をお使いなさい。私には妹もいますからそちらにも頼みましょう。品物の購入など妹が手元の女房にでも任せてしまえば、もう左大臣家との関りを疑われる可能性はほとんどないでしょう。もっとも……そもそも、こんな謀がなされているなど誰も想像もしないと思いますが……」
佳卓の兄も言い添えた。
「この策を成し遂げたいのなら、竹の宮の姫君に正確にお伝えすることが肝要だ。翠令が襲芳舎に参内できるように取り計らおう。私は公には関われないが、妻の女房と竹の宮の姫君を引き合わせるくらいは出来るからね」
ただ、その前に翠令には会っておきたい人物がいた。
「白狼と話をしておきたいのですが……」
「そうだな、彼も前もって知っておきたいだろう。分かった。では、姫君を訪問するのは明日にしよう」
日が暮れる直前。翠令は白狼と衛門府の役所で会った。
翠令が下女姿で衛門督の朗風を訪ね、彼が時間を空けてから白狼を呼び寄せる。部屋の最奥の片隅に椅子を三つ用意し、人払いも済ませておいた。
翠令は委細を漏らさず全て話し、その間、白狼はただ食い入るように翠令を見つめていた。
「……どう思う、白狼?」
白狼は「佳卓は……」と口火を切ったが、その後しばらく黙り、それから言葉を吐き出した。
「あいつは本当に妙ちくりんな企みごとを思いつくもんだな……」
「佳卓様も『ろくでもない策』と繰り返しておられた。どうにか改善できないかと何度も考え直しておられたが……やはり竹の宮の姫君にこうして頂くしかないんだ……」
「だろうな……。あの女が関契を持ち出すのがこの策の肝だからな……」
「佳卓様が、白狼に謝っておいてくれと重ね重ねお頼みだった。女君に危ないことをさせることは決してあの方の本意ではない」
「分かってる。あいつは、他人に危ない真似をさせるくらいなら、自分が死地に飛び込む方を選ぶ男だ」
「白狼、お前だってそうだろう? 姫君にこのようなことをさせる……心配じゃないか?」
白狼は傍の壁を苛立たし気にドンッと叩いた。
「心配に決まってるだろうが!」
朗風が肩を竦める。
「おいおい、白狼……人目につくような騒ぎは困るよ……」
分かっている、と白狼は怒気を抑えた低い囁き声で返した。
翠令にも小さな声で、だがはっきりした口調で語り掛ける。
「あの女はこの策に乗るだろう。俺たちが反対するしないの問題じゃない。あの女が決めることだ。そしてあの女は自分の意思でその役割を引き受ける。そういう気概のある女だ。そしてきっとやり遂げる」
「……」
白狼は一つ呼吸をして目を瞑った。
「俺はあの女に言った。『その先に希望があると信じて走れ』と。あの女は必ず走り通す」
白狼は内裏の襲芳舎に視線を向ける。その玻璃のような瞳の中で、炎が静かに燃えているようだ。
白狼がぐっと何かを呑み込むように喉仏を動かすと、再び翠令を見た。引き締まったその表情は、何人もの手下を従えて京の都を荒らしまわった盗賊の頭領らしい。
「あの女を助けるぞ」
翠令だって出来ることがあるなら何でもしたい。だが……。
「何が出来る?」
白狼は朗風を呼ぶ。
「おい、朗風!」
「はいはいはい……。ええ、衛門督、宮城の門を司る私のやることがあるんですよね。ま、やったが最後、私の首は確実に飛びますがね」
「……朗風様……」
朗風は笑う。
「もちろんやりますよ。だって佳卓様の策を成功させるためでしょう? 私はあの御方の乳兄弟なんですからね。腐れ縁ってやつですよ」
やれやれと愚痴るような声を出しながらも、むしろ朗風は乗り気の様子で身を乗り出している。
「上手く関契を後宮から持ち出せれば、私が関契を受け取って東国の佳卓様の元まで馬を走らせます。最後の仕上げの華々しい役割を私にやらせてくれるなら協力してもいいですよ、どうですか?」
翠令が何か問いかける前に白狼がさっさと決めてしまった。
「よし。それで行こう」
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