俺と料理と彼女と家と

washusatomi

文字の大きさ
9 / 15

第9話 かわいそうな俺

しおりを挟む
 トルコの宮廷料理の洗練された味わい。俺はそれを楽しみにしていたが……千石さんを前にしてはどのお皿も味がしない。

「……」

 千石さんが何か喋っているようだが、俺の頭に入ってこない。俺もどうしたらいいのか分からないんだ。さっきからこみあげてくるこのムカムカとした気持ちを。

 嫌だ。もうこの人と料理を食べるのは嫌だ。無理。

 俺はテーブルに落としていた視線を上げた。

「ごめん。気分が悪くなった。申し訳ないけど……」

 千石さんはキョトンとした顔で俺を見る。俺はこういうとき、つまり相手の機嫌を損ねてしまいそうなとき、相手の目を見ていられない性格のはずだった。なのに、俺は彼女から視線を逸らさない。どうしたんだ、俺?

「悪いけど君と一緒に料理は食べられない」

「……帰るの?」

 俺は立ち上がった。

「あ、レストラン代、ここに置いておくから」

 クレカだけでなく現金を持ってきておいて良かった。まさかこんなことになるとは思っても見なかったが。クレカ払いだとポイントつくけど、もうここはいいや。

「え、じゃあ、私も……」と立ち上がりかけた千石さんを待たずに、俺は踵を返して店から出ようとした。

 店員さんがなぜか手回しよく、俺が預けていた鞄とコートを持って、出入り口で待ち構えていた。

 そしてそれを渡しながら小声で囁く。

「今度は偏見のない女性とお越しください」

「……」

「よい出会いが貴方にありますように」

 その後に続くのは同じ意味のトルコ語の祈りの文言のようだった。千石さんは外国風の顔立ちの人には日本語も分からないだろうと油断していたようだが、そうだよなあ、ここの店員さんがいかに日本人と違う風貌をしていても、日本で商売してるんだから、日本語出来ておかしくないよなあ。

 自宅に戻っても俺は千石さんに何も連絡しなかった。当然、千石さんからも何の連絡もない。

 あれほどの美女を逃したことになるが、別に後悔する気も湧かなかった。もともとあんなリア充な女性は俺には遠い存在だったが、今は別の意味でも心の距離が遠いと思う。

 俺はその日を境に家に帰っても料理をするのを止めてしまった。なんか、何もかもどうでもよくなった。

 なんでだろう? なんで気落ちするんだろう。俺が彼女に振られたわけでもない。どちらかといえば、俺が振った形に近いだろうに。別にちゃんと付き合ってたわけじゃないけれど。

 かわいそうなのは俺の冷蔵庫の食材だ。小松菜など葉物野菜が野菜室でしなびていく。玉ねぎから瑞々しさが薄れ、ジャガイモからちょこちょこ芽が出始めている。

 もちろん罪もない食べ物を粗末にするなどあってはならない。フードロスは社会問題だ。俺はそれらを食べきるためにしばらくの間味噌汁だけを作り続けたが、冷蔵庫を片付けた後は何も作らなかった。

 コンビニ弁当にインスタントのお味噌汁。まあ、独身男性の夕食なんてこんなもんだろう。

 お昼も弁当ではなく食堂だ。研究所にある食堂は、本社ほどランチタイムに混雑が集中することはないし、俺にとって給食が美味しかったように、プロがつくる定食だって美味しいものだ。食堂でお昼を済ませるのも悪くない。

 ある日、アジフライ定食を食べていると、「お、一ノ瀬君じゃん」と声がかかった。営業に配属されていた同期の一人だった。

「今日は研究所に来る用事があって。ここの食堂は昼でも空いていて美味いって聞いたから昼飯もこっちで食うことにしたんだ。あれ、一ノ瀬君って毎日弁当じゃなかったの?」

「いや、最近自炊してなくて」

 学生時代からスポーツマンの彼と、インドア派の俺とはさほど仲がいいわけでもない。とはいえ、お互い顔を合わせたら飯は一緒に食わないと不自然だろう。

「なあ、一ノ瀬君、千石さんと上手くやれてないの?」

「あ、ああ、うん。料理が共通の趣味になるかなと思ったんだけど……いや、俺が料理に興味なくしちゃって」

 そう。興味が失せた。料理にも千石さんにも。

「もったいないことするなあ。一ノ瀬君みたいな地味な男性が千石さんを落とせるのかと同期の男どもとしては注目してたんだぜ。料理で女性を釣るなんて、斬新な技があるもんだと感心してたのに」

「……そうか。うん、彼女が料理に興味があるんなら、他の男も俺みたいに料理でお近づきになったらいいんじゃないかな」

 俺はそこから先には進めなかったが、料理をきっかけに恋人づきあいを深められる男は他にいるだろう。

 俺が誘っておきながら、俺が放り出すような形になって、ここは少しばかり千石さんに後ろめたい気持ちがあった。

「一ノ瀬君と同じってわけにはいかないからなあ……」

「なんで? 料理ってそんなにハードルの高いものじゃないよ。高校までの家庭科で調理実習ってあっただろ?」

「いやあ、一ノ瀬君のキャラってのがあるからさあ」

 キャラ? 彼女は一応俺の人柄にそれなりに好意を持っていてくれたのか。それなら申し訳ないことをした……。

「一ノ瀬君って、女性と接点なさそうじゃん?」

「……」

 少々ムカッとするが、事実なので仕方ない。

「『モテない男性だからかわいそう』って千石さん言ってた。『真面目なのにかわい
そうよね』って」

 かわいそう?

「俺たちさあ、もう社会人じゃん? 女性だと就職の次は結婚を意識する人も出てくる年齢だろ? 一ノ瀬君みたいな堅実な男性が結婚相手としてはいいわけじゃん」

「結婚……」

「千石さんはバリバリ働きたいからさ。料理をしてくれる男性が良かったみたいだよ。家に帰ったら温かい手料理が待ってる、そんな暮らしがいいってさ」

 料理なら作るにやぶさかではないが……。

「一ノ瀬君なら結婚後も喜んで料理を作ってくれるいい結婚相手なのに、それなのに、冴えなくてモテなくて『かわいそう』だって。だから自分が相手を『してあげよう』って思ってくれてたみたいだぜ」

「『かわいそう』とか『してあげよう』って、千石さん自身がそんな言葉を使ったの?」

 相手が少し顎を引いた。

「あー、まあ、そんな言われ方は男としてはプライドが傷つけられるかもしんないけど。まあ、あれだけの美女なんだからさ。ちょっと女王様みたいなところあっても仕方ないんじゃね?」

 彼は使い終わった箸をトレイに置いた。

「女王様に『へえへえ』って下手《したて》に出ておけばいいじゃん。それで千石さんみたいな女と付き合えるんならオイシイと思うけどな~」

「じゃあ、君がそうしたら?」

 俺もまた、フォークを置いてトレイを持って立ち上がった。お皿にブロッコリーが残っている。食器回収口に食器を置いてから、それだけ指でつまんで口に放り入れた。

 そして営業の同期に聞いてみる。

「千石さんは、『かわいそう』な俺には、連絡取ろうとしないの?」

「おいおい」と彼は頭を振った。

「『かわいそう』な側から平身低頭して連絡とるべきなんじゃない? そこは」

「そうか……」

 ならいいや。俺は彼女に「かわいそう」と思われるのはまっぴらごめんだ。俺の知らないところで俺のことをかわいそうと思うのは好きにすればいいと思う。だが、もう関わり合いになりたくない。俺が彼女の「かわいそう」の範囲からズレた時に、どんな毒々しい悪意を向けられるか分からない。そんな目にあうのはごめんだ。

 千石さんは美人だ。だけど、トルコレストランでM国のお母さんを罵っていた彼女は生理的に受け付けられなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...