計略の華

雪野 千夏

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第28話

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「なんかありました?」
部屋に入ったとたん山内が顔をあげた。
「なんで?」
「軽やかでしたよ、足音」
「足音?」
「先輩、いつもは忍者かってくらい足音ないのに、なんですか。本当、スリッパがヒールかってくらい跳ねてましたよ」
我ながらそんなに分かりやすかったのか。とはいえ、これ以上顔には出さない。
「山内、あんた暇みたいね。そういう後輩には仕事を分けてあげるわ」
「わっちょ、なに置くんですか。やめて下さいよ、俺骨董とか無理ですから」
「大丈夫よ。あんたならできる」
「勘弁してくださいよー」
「何やっているんだ」
ぴしりとスーツをまとった梶谷に屋上での名残りなんか見当たらない。それでもどこかにあるのではないかと、目を走らせてしまう自分がいた。
「梶谷さん。いいところに、望月さんが横暴なんですよ」
「横暴?」
大きな黒目はいつもと同じ角度で私を見た。それに意味を見出してしまうのは自分が変わったせいだ。
「なにかいいことがあったのか聞いただけなのに、急に仕事押し付けてきて」
「別に、本当にやろうと思ったわけじゃないわよ。からかっただけよ、大げさね」
「え、嘘ですって、先輩本気でしたよ。目が笑ってなかったです……」
梶谷はぽんぽんと山内の肩をたたいた。
「ま、手負いの獣と、空腹の女子には逆らうな」
「あ、そうですよね」
頷くと山内は引きだしをあけた。期間限定のチョコの箱を開けた。
「なによ」
「一個どうぞ」
「あら、そう。ありがとう」
個包装チョコ一つ取りだすと、山内のデスクにおいて、箱を奪った。
「なっ」
「空腹の女子はありがたく頂くわ」
「せんぱーい」
くすくすと後ろで笑う梶谷の声が、甘酸っぱい。精一杯、顔を作ってパソコンに向かった。
この恋を選んでよかった。ほんのり甘い桜味のチョコだった。

内線が鳴った。三人の視線がこの部屋に一台しかない電話にむかった。
「山内」
「いや、これ完全にこの間の苦情ですって。先輩ですって」
「そっちのほうが近いでしょ」
「部長のクレーム処理は先輩じゃないとだめなんですから。頼みますよ」
押し付け合っているうちに、梶谷が受話器をとった。
「新事研、梶谷です。はい。おりますが……少々お待ち下さい」
保留を押した梶谷と目があった。胸がはねた。
「望月、外線。宇佐見さんて方から」
生まれて初めて心臓の音を聞いた気がした。
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