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第32話
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「偉そうなこと言わないでくださいな。あなたがただ、やりたいだけでしょう?」
「そうなのかな」
緊張にこわばりそうになる体から意識的に力を逃がし、全身を研ぎ澄ませる。今するべきは、取引だ。この男の瞳に溺れてはいけない。
私の決意をあざ笑うかのように引力のある男の眼は近づく。こんなときにも獣の目を見せない男の目。引力を秘めた魔物のような目に、引き付けられる。
かすかに香る酒と男にしては甘い香水。白い枕には男の手。私は女で、彼は男だ。本気になられたら力で敵いはしない。
「やっぱり面白いね」
言葉などに気をとられるわけにはいかない。大きいけれど細く長い指先が、耳元の髪をくるくるともてあそぶ。髪先がうなじをかすめるのもかまわず、まっすぐに男の目を見続ける。
近づいてくる顔。それでも視線をそらしたりしない。目だってつむらない。じっと男を睨む気持ちで見続ければ、濡れた唇が唇の上をかすめた。
それはキスというより、接触だった。この間のように、退廃的な快楽に引きずりこまれるのか、と気負っていた気持ちがほどけてしまった。それがいけなかった。
「話してごらんよ」
耳から流し込まれる色は、心臓を波立たせる。
「そうすれば僕もきっと協力できるよ」
あの夜を思い出したくもないのに、体の芯がじくりとにじむ。
「さっき言った通りです。父の命令で子供を産むために適当な種を探していただけです」
「本当に?」
耳元で産毛をなでるような囁き。
「君のもとには山と釣書がいっていたんでしょう?その中でどうしてわざわざ僕を選んだの?」
「適当です。つっ!」
宇佐見の長い髪にくすぐられていた耳をかまれた。
「君みたいな人が、適当に種馬選ぶわけない。僕を種馬に選んでどうしたかったの?生まれた子供を捨てるついでに、臼井からいくらか養育金でも貰う気だった?それとも捨てるからせめて顔と生れだけでもよくしたかったの?」
「馬鹿にしないで! そんなものお金積まれたっていらないわよ。金が必要なら稼ぐし、生まれの家格なんてそんなものよっぽどの馬鹿じゃなきゃいらないわよ。だいたい、私の子供を私の父親の元で育てられるのよ。どう考えたって腹黒にしかなれないんだから、余計な権力なんて持つ種馬なんていらないのよ」
「ふうん、つまり。僕は臼井の傍系だけど権力ないように見えたってこと」
体を起こした宇佐見の向こうに照明が淡く光る。どんな表情なのか見えなくても、冷めた目をしているのだと想像できた。
傍系とはいえ、臼井の一族。恐らく彼の個人資産だけでもそれなりのものだろう。どこをどうおしても、金も権力もあるのだ。
「違います。あの中で一番、あなたが普通に見えたの」
「普通?初めて言われたね」
「釣書の写真の中でどの人もぎらぎらしてた。その中であなたの写真だけがものすごく興味無さそうに見えたの。それだけよ」
「ふうん、そ。じゃあなんでその種馬役が梶谷くんじゃないの?」
聞きたくない名前。だけど、職場へ電話してきたのだ。当然調べたのだろう。知られていたことへの驚きなど見せる必要はない。
「彼は愛情が深いから。自分の子供を切り捨てるなんて絶対にできない人だから、こういうことには向かないわ」
淡々と返せば、宇佐見は皮肉気に笑ったようだった。
「それで、君の計画では、どうなっているの?僕から子種をもらって子供を産んで父親にたたきつけるつもりだったの?」
「そのつもりでした」
「でしたってことは変わったってこと」
とっさに言葉は出てこなかった。嘘ならつけた。けれど、彼とのことを嘘の言葉に乗せたくなかった。その逡巡が宇佐見へのなによりの答えになると気付けなかった。
嘲笑だったのか、あきれだったのか。ハッと鼻で笑った音と、宇佐見の匂いを感じたのは同時だった。
「愛しい男にいまさらながらに操を立てるってこと?自由のために子供を捨てようとしといて?」
ぎらりと光った宇佐見の瞳に映りこんだ自分は、ひどく間抜けな顔をしていた。
「いいよ。賭けてみる?」
軽い口調に冷たいものが背筋を伝った。
「そうなのかな」
緊張にこわばりそうになる体から意識的に力を逃がし、全身を研ぎ澄ませる。今するべきは、取引だ。この男の瞳に溺れてはいけない。
私の決意をあざ笑うかのように引力のある男の眼は近づく。こんなときにも獣の目を見せない男の目。引力を秘めた魔物のような目に、引き付けられる。
かすかに香る酒と男にしては甘い香水。白い枕には男の手。私は女で、彼は男だ。本気になられたら力で敵いはしない。
「やっぱり面白いね」
言葉などに気をとられるわけにはいかない。大きいけれど細く長い指先が、耳元の髪をくるくるともてあそぶ。髪先がうなじをかすめるのもかまわず、まっすぐに男の目を見続ける。
近づいてくる顔。それでも視線をそらしたりしない。目だってつむらない。じっと男を睨む気持ちで見続ければ、濡れた唇が唇の上をかすめた。
それはキスというより、接触だった。この間のように、退廃的な快楽に引きずりこまれるのか、と気負っていた気持ちがほどけてしまった。それがいけなかった。
「話してごらんよ」
耳から流し込まれる色は、心臓を波立たせる。
「そうすれば僕もきっと協力できるよ」
あの夜を思い出したくもないのに、体の芯がじくりとにじむ。
「さっき言った通りです。父の命令で子供を産むために適当な種を探していただけです」
「本当に?」
耳元で産毛をなでるような囁き。
「君のもとには山と釣書がいっていたんでしょう?その中でどうしてわざわざ僕を選んだの?」
「適当です。つっ!」
宇佐見の長い髪にくすぐられていた耳をかまれた。
「君みたいな人が、適当に種馬選ぶわけない。僕を種馬に選んでどうしたかったの?生まれた子供を捨てるついでに、臼井からいくらか養育金でも貰う気だった?それとも捨てるからせめて顔と生れだけでもよくしたかったの?」
「馬鹿にしないで! そんなものお金積まれたっていらないわよ。金が必要なら稼ぐし、生まれの家格なんてそんなものよっぽどの馬鹿じゃなきゃいらないわよ。だいたい、私の子供を私の父親の元で育てられるのよ。どう考えたって腹黒にしかなれないんだから、余計な権力なんて持つ種馬なんていらないのよ」
「ふうん、つまり。僕は臼井の傍系だけど権力ないように見えたってこと」
体を起こした宇佐見の向こうに照明が淡く光る。どんな表情なのか見えなくても、冷めた目をしているのだと想像できた。
傍系とはいえ、臼井の一族。恐らく彼の個人資産だけでもそれなりのものだろう。どこをどうおしても、金も権力もあるのだ。
「違います。あの中で一番、あなたが普通に見えたの」
「普通?初めて言われたね」
「釣書の写真の中でどの人もぎらぎらしてた。その中であなたの写真だけがものすごく興味無さそうに見えたの。それだけよ」
「ふうん、そ。じゃあなんでその種馬役が梶谷くんじゃないの?」
聞きたくない名前。だけど、職場へ電話してきたのだ。当然調べたのだろう。知られていたことへの驚きなど見せる必要はない。
「彼は愛情が深いから。自分の子供を切り捨てるなんて絶対にできない人だから、こういうことには向かないわ」
淡々と返せば、宇佐見は皮肉気に笑ったようだった。
「それで、君の計画では、どうなっているの?僕から子種をもらって子供を産んで父親にたたきつけるつもりだったの?」
「そのつもりでした」
「でしたってことは変わったってこと」
とっさに言葉は出てこなかった。嘘ならつけた。けれど、彼とのことを嘘の言葉に乗せたくなかった。その逡巡が宇佐見へのなによりの答えになると気付けなかった。
嘲笑だったのか、あきれだったのか。ハッと鼻で笑った音と、宇佐見の匂いを感じたのは同時だった。
「愛しい男にいまさらながらに操を立てるってこと?自由のために子供を捨てようとしといて?」
ぎらりと光った宇佐見の瞳に映りこんだ自分は、ひどく間抜けな顔をしていた。
「いいよ。賭けてみる?」
軽い口調に冷たいものが背筋を伝った。
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