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4話
声を売った男
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声を売った男
その男は、よく喋った。
再生ホテルに来てから、私はもう何人もの宿泊者を見てきたが、彼ほど言葉を惜しまない人間はいなかった。
三十代半ば。身なりは整っている。声も、悪くない。
「声の仕事をしてまして」
夕食の時間、彼は自分から話しかけてきた。
「ナレーションとか、朗読とか。需要あるんですよ、意外と」
自慢でも卑下でもない、軽い口調だった。
「ここ、声がよく響くでしょ?」
私は頷いた。
「だから選んだんです。ちょっと喉を休めたくて」
だが、彼の喉は疲れていなかった。
むしろ、使いすぎて硬くなっている。
その夜、私は目を覚ました。
――誰かに、呼ばれた気がした。
声は、低い。
落ち着いていて、優しさを装った響き。
「大丈夫だよ」
「君のためを思って言ってる」
「俺がいないと、困るでしょ」
耳に、まとわりつく。
廊下に出ると、その男の部屋から光が漏れていた。
ドアは少しだけ開いている。
中から聞こえる声は、一つではなかった。
女の声。
若い。
怯えている。
「……やめてください」
次の瞬間、男の声が重なる。
「誤解だよ」
「そんなつもりじゃない」
「被害者ぶるのは、よくない」
私は、ノックもせずにドアを押した。
部屋の中に、男は一人しかいなかった。
椅子に座り、スマートフォンを握っている。
女の姿はない。
「……聞こえました?」
男は、少し驚いたように笑った。
「このホテル、変ですよね」
笑顔は崩れない。
「さっきの声、誰のですか」
「誰でもないですよ」
即答。
だが、呼吸が乱れている。
「過去の仕事の相手、ですよね」
私は言った。
「あなたに『教えられた』人たち」
男の表情が、わずかに固まった。
「俺、ちゃんと導いてましたよ」
声に力がこもる。
「才能があるって言って。伸びるって言って。感謝もされました」
「境界線は、引いていましたか」
男は一瞬、言葉を失った。
「……大人同士ですから」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
複数の声が、一斉に響く。
「違う」
「断れなかった」
「嫌だった」
「怖かった」
男は立ち上がり、耳を塞いだ。
「やめろ……!」
声は止まらない。
「あなたは、声を使って支配していた」
私は淡々と言った。
「恋愛でも、仕事でもない。
上下関係です」
「俺は、被害者だ!」
男は叫んだ。
「向こうが勝手に勘違いしたんだ!」
その叫びに重なるように、
低い声が、はっきりと返ってきた。
――拒否したよ
――何度も
男は、その場に崩れ落ちた。
翌朝、彼の部屋は空だった。
フロントに尋ねると、夜明け前にチェックアウトしたという。
彼が残したものは、何もない。
録音も、文章も、名刺も。
ただ、廊下には、奇妙な静けさが残っていた。
その日の夜、私はホールで一人、椅子に座った。
声は、力を持つ。
だからこそ、扱い方を間違えれば、人を壊す。
歯科衛生士として、私は知っている。
強く噛みしめすぎた歯は、
いつか、必ず欠ける。
静まり返った空間で、
私は自分の喉に、そっと手を当てた。
もう、誰かを縛る声は、いらない。
その男は、よく喋った。
再生ホテルに来てから、私はもう何人もの宿泊者を見てきたが、彼ほど言葉を惜しまない人間はいなかった。
三十代半ば。身なりは整っている。声も、悪くない。
「声の仕事をしてまして」
夕食の時間、彼は自分から話しかけてきた。
「ナレーションとか、朗読とか。需要あるんですよ、意外と」
自慢でも卑下でもない、軽い口調だった。
「ここ、声がよく響くでしょ?」
私は頷いた。
「だから選んだんです。ちょっと喉を休めたくて」
だが、彼の喉は疲れていなかった。
むしろ、使いすぎて硬くなっている。
その夜、私は目を覚ました。
――誰かに、呼ばれた気がした。
声は、低い。
落ち着いていて、優しさを装った響き。
「大丈夫だよ」
「君のためを思って言ってる」
「俺がいないと、困るでしょ」
耳に、まとわりつく。
廊下に出ると、その男の部屋から光が漏れていた。
ドアは少しだけ開いている。
中から聞こえる声は、一つではなかった。
女の声。
若い。
怯えている。
「……やめてください」
次の瞬間、男の声が重なる。
「誤解だよ」
「そんなつもりじゃない」
「被害者ぶるのは、よくない」
私は、ノックもせずにドアを押した。
部屋の中に、男は一人しかいなかった。
椅子に座り、スマートフォンを握っている。
女の姿はない。
「……聞こえました?」
男は、少し驚いたように笑った。
「このホテル、変ですよね」
笑顔は崩れない。
「さっきの声、誰のですか」
「誰でもないですよ」
即答。
だが、呼吸が乱れている。
「過去の仕事の相手、ですよね」
私は言った。
「あなたに『教えられた』人たち」
男の表情が、わずかに固まった。
「俺、ちゃんと導いてましたよ」
声に力がこもる。
「才能があるって言って。伸びるって言って。感謝もされました」
「境界線は、引いていましたか」
男は一瞬、言葉を失った。
「……大人同士ですから」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
複数の声が、一斉に響く。
「違う」
「断れなかった」
「嫌だった」
「怖かった」
男は立ち上がり、耳を塞いだ。
「やめろ……!」
声は止まらない。
「あなたは、声を使って支配していた」
私は淡々と言った。
「恋愛でも、仕事でもない。
上下関係です」
「俺は、被害者だ!」
男は叫んだ。
「向こうが勝手に勘違いしたんだ!」
その叫びに重なるように、
低い声が、はっきりと返ってきた。
――拒否したよ
――何度も
男は、その場に崩れ落ちた。
翌朝、彼の部屋は空だった。
フロントに尋ねると、夜明け前にチェックアウトしたという。
彼が残したものは、何もない。
録音も、文章も、名刺も。
ただ、廊下には、奇妙な静けさが残っていた。
その日の夜、私はホールで一人、椅子に座った。
声は、力を持つ。
だからこそ、扱い方を間違えれば、人を壊す。
歯科衛生士として、私は知っている。
強く噛みしめすぎた歯は、
いつか、必ず欠ける。
静まり返った空間で、
私は自分の喉に、そっと手を当てた。
もう、誰かを縛る声は、いらない。
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