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24. 日本の近況とジェフティア

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 2033年度、日本は令和の所得倍増計画(RIDP)の11年目において、すでに当初の目的であるGDPを倍増である1100兆円超えを達成していた。とは言え、その値はインフレの影響を除いた名目値であり、実質的にはこの10年間の経済の伸びは概ね1.6倍と算定されていた。

 しかし、後述するように大きな経済成長のうねりが押し寄せてきており、RIDPの計画年である2035年には、1250兆円を超えると考えられている。このように、景気が上向き平均的な収入が増える一方で、様々な施策が功を奏して低所得層の収入が底上げされた結果、数字以上に人々の幸福感は増してきている。

 これは、日本のみならず世界の先進国において、貧富の差というより少数の富裕層が際限なく富むという現象に対し の対抗策を掲げて実施していった結果である。
 このような施策が可能になったきっかけは、イギリスのオクスフォード大学のジョン・ホルトン教授が発表した論文であった。これは、少数の富裕層がますます富むという現象を放置していくと、やがて治安の悪化、さらに暴力革命がおこるということを、最新の経済・社会モデルを用いて説得力をもって説明したものだった。

 元々、先進国の政治指導者さらに富裕層の人々の知能は高く理解力は優れているし、とりわけ世の中の情勢には気を配っている。彼らは、ホルトン教授の論文の説得力を認めたうえで、自分が生で感じている世界及び自国の世論・情勢を分析して、もはや行動に移すしかないことを悟った。

 大体において、個人が決して生活する上では使いきれない数兆円の資産を持ってなんの意味があるか?多くの富裕層はそれを感じてはいたが、富は同時にスターテスであり、かつ権力でもある。それを手放すのは惜しい。しかし、政治が富の集中を是正する方向で動き始めた状況で、それに反する形で強い働きかけは躊躇った。

 結果として、先進国が一致して累進課税を復活させて、かつ資産に対しても課税するようになった。無論嘗てであれば、そうした場合は富裕層は国籍をタックスヘブンの近い途上国に移して、そうした課税を逃れることができた。しかし、現状では、世界ネットワークの存在と各国政府の介入で、ほぼすべての銀行間の取引、預金はすでに丸裸になっている。

 そして、国籍を移しても、その個人の収入の源がある先進国であれば、それに課税できるようになっているので、金の動きが丸裸になっている現状では逃れようがないのだ。このことで、過去上昇を続けてきた世界のジニ係数(1920年0.43から2005年には0.68になっているが日本は0.56/2019年)は急激な下降に転じている。

 日本もその流れに乗っている。元来日本は比較的貧富の差が小さい国であったために、その修正努力は比較的早めに実を結んだと言えよう。日本は先進国ではあるが、農林水産業などある部分で極めて生産性が低い部分があって、一人当たりのGDPは相対的に低かった。

 それでも、GDPそのものは高かったのは先進国の中では人口が多いためである。その意味では、アメリカ合衆国は人口が3億を超えて世界でも有数の多さであるのに、一人当たりのGDPも高いという化け物のような国である。日本は、しかしジェフティアの存在により、農林水産業の生産性を大いに上げることに成功している。

 ジェフティアでは現在250万人が農林水産業に従事しているが、世帯収入は1千万円を大きく超えており、他の産業に劣っていない。さらには、日本本土の農水産業も多くの農家や漁業従事者がジェフティアに移動したために、大規模化に成功しており、ジェフティアと同様に他の産業に劣ることはなくなってきている。

 なにしろ、日本本土の農家は消費地に近く、日本人が好む野菜や果物といった付加価値の高い産物を生産できる気候があるのだ。さらに、漁業はすでに採取漁業は資源の枯渇が深刻で、養殖による漁獲が主になっているが、気温の関係でジェフティアでは養殖できない魚種も多いので、棲み分けができている。
 このジェフティアと日本本土の棲み分けは、寒冷化で相当に変化することは、すでに常識であり、現在その準備中の段階である。

 このように、日本は所得倍増計画の中で、着々と経済力を高めるのに合わせて財政再建も進めてきた。現在の日本政府の国債を含めた負債は420兆円であり、その政府資産(主として政府が所有する関連機関の債権)がほぼ等値である。過去ピーク時の負債1150兆円から劇的に減ったわけであるが、これは日銀が買い集めていた国債を国庫に移した結果のものである。

 過去、これは禁じ手として封印されてきたが、日銀は日本政府の完全子会社であり、国会で決議を経ることでこの措置は完全に合法であり、それを三嶋首相の指導の下で実現したものである。この手法は財政政権に腕を振るった高橋元財政再建大臣が主唱したものでもあった。

 また、政府資産は政府の関連機関が利益を生む体質に改善した結果、国債費以上の利益を生んでいるので、プライマリー・バランスは完全に黒字化している。ただ、所得倍増計画で動かしていた諸施策が定常化して、インパクトが無くなった結果、日本経済に停滞感が生まれてきたことも確かである。
  
 しかし、寒冷化という事象が事実と判明して、それに向けての世界の動きは、日本の産業界にとって大きな追い風になった。無論、その事象の兆候を最初に捕らえ、それを事実と立証したのは日本であり、その対策に対して自国が有利になるように仕組むのは当然のことである。 
 さらには、その対策としての主たる要素である、核融合炉とセルロース・澱粉変換工場を実用化したのは日本であることからも、そもそも日本が有利になるようになっていたのだ。

 日本は、核融合炉については、心臓部である融合炉本体の加熱装置と融合反応励起装置については、製法は公開せずに技術を独占した。110万㎾級の融合炉本体は径10mで高さ15mの円筒形であるが、それ自体は単なる高級ステンレスSUS316のがらんどうの円筒である。

 しかし、それに設置する励起部は別にして加熱装置と励起反応装置は、電源装置を別にしても20mの立方体の建屋に収まる装置であり、日本のみが供給できる。その500億円の値がついた装置の、2032年の世界の必要量は180基であり、次年度には350基が必要とされている。

 また、セルロース・澱粉変換工場については、核融合炉とはまた別の問題である。これは、使われている技術そのものに新規性はなく、時間をかければ先進国であれば実用化は可能である。しかし現時点で、実用化してすでに実用運転も済ませているのは日本のメーカーのみであり、装置はそれなりに洗練されたものである。

 だから、日本の場合は量産効果もあって、大体心臓部の売値の50億円で十分な利益が見込めるが、他国では同じ値段では作れないであろう。ちなみに、核融合炉の場合の心臓部の売り値は500億円であって、利益率は60%に達するものの、これも量産の効果があってのもので、他国では利益は出ないであろう。
 
 そのように、核融合炉は完全に日本の独占であるが、その需要に追い付かなければ、世界中から技術を公開して他国でも建設できるようにするようにとの要求が殺到することになる。そして、寒冷化による命がかかっている状況で日本はそれを断れない。

 セルロース・澱粉変換工場についても、各国は先に述べた事情で殆ど日本から購入しているが、韓国など一部の国は1セットのみを買い込んで、残りはそれをコピーして国産化を目論んでいるようである。当然、国産化の後は海外に売り込むつもりであろう。また、中国は流石に1セットということはなく、10セットを申し込んでいるが、これも国産化を見込んでいることは確実である。

 だから、日本では国が産業界を組織して、この2種類の設備を全力で作る体制を整えた。そのための工場群を建設するために、5兆円の資金を官民で用意してあらゆる必要な建設機械、最優秀の技術者及び職人等の人材、土地の確保についてもいかなる苦情をも押しのけて着工を優先した。

 そして国会は、そのために必要な時限立法をした。なにしろ、世界の人々の命がかかったプロジェクトなのだ。一方で、これらの建設の効果によって2032年のみでGDPを3%押し上げると言われているのだ。しかもそれは、世界が待ち望んであるもので、日本でしか生産できないものなのだから非常措置もやむを得ない。

 ちなみに、中国は尖閣沖事変により、政変が起きて共産党政権が形の上では倒れた。その後設立された政府は全首脳を刷新したメンバーではあったが、共産党政権に担ってきたもの達であった。彼らはすでに共産党独裁政権のよる矛盾が高まって、人民に不満が渦巻いていることを承知して、選挙を導入することはやむを得ないと判断した者達であった。

 この点は共産党が倒れた後のロシアに事情はよく似ている。さらに、周辺の自治区が独立したこともまた、ロシアと同様であり、現状では中国は上海を首都とした人口8億人の国であって、モンゴル自治区など周辺の異民族が主となっている国とは仲が悪い。
 だから、日本は中国と韓国についてのセルロース・澱粉変換工場の心臓部納入は出来るだけ遅らせて、実質的に注文を受けた中でも最後としている。いずれにせよこの両国とは仲が悪いのだ。

 稔は現在ジェフティアの西日市中央駅から、ジェフティア鉄道線に乗り込んで、ジンバブエの首都ハラレに向かっている。一緒に乗っているのは、彼の部下である仁科洋治であるが、彼は稔がジェフティアの支社に赴任して以来の付き合いだ。

 仁科は、当時未だ市街地を建設中の西日市に赴任した時には27歳でまだ独身であったが、29歳の時に日本で付き合っていた彼女を口説き落として結婚した。彼女は雑誌社の社員だったのだが、現在は西日市に設立された、元の雑誌社の支社で働いている。そして、男4歳、女1歳の2人の子供の母となっている。

 西日市に限らず、ジェフティアでは女性は結婚後も働くのが基本であり、その分保育所、幼稚園は整っていて、乳幼児から預けて働くのに問題はない。その点では、日本においては2020年ごろまでのとりわけ首都圏においては、子育てをしながら働く女性を取り巻く環境は劣悪であった。

 その頃の統計で、働く女性は出産を機に仕事を止めざるを得なかった女性が、50%余に達するということで、とりわけ乳幼児の保育の体勢が整っていなかったことが原因になっている。その頃、『働き方改革』などと言い出した政府は、女性の労働力も当てにしないとどうしょうもないということに気付いて、ようやく予算を付けて、対策を打ち始めたところであった。

 2033年の現在では、それらの対策が功を奏して、働く母親が不安なく預けられる保育所に待たずに子供を預けられるようになってきた。日本の場合に、そのような保育所に働く人は年配の女性が多いが、年配者の比較的少ないジェフティアでは主としてアフリカ人の女性が多く働いている。

 仁科が、車窓からどこまでも続く、ジェフティアの緑に覆われた農場を見ながら稔に言う。
「斎田部長、このジェフティア鉄道がハラレまで繋がったのは3年前でしたかね?それまで、車で600kmの道はちょっとつらかったですから、鉄道が繋がって3時間で通えるようになって時には嬉しかったですよ」

「ああ、飛行機は便が少なかったからなあ。車で6時間だったからそっちで行くようになるよね。荷物もあったしね」斎田稔が部下の言葉に応じる。

 ジェフティア鉄道は、最初の3年で西日市からジェフティア領の中心地の中央市と、ジェフティア大学がある大学市まで、それぞれ280km、160kmが繋がった。どれだけ大学が重視されているかよく解る、早期の建設であった。
 実際にジェフティア大学がアフリカ全土に与えた影響と、それが日本への声価に繋がったことを考えれば、政府のこのプライオリティの置き方は正しかったと言えるだろう。

 その後、ジェフティア建設の経済効果によって、モザンビークとジンバブエのが急速な経済発展を遂げた。そして、それに伴う両国の要請に基づく円借款によって、大学市駅からジンバブエのハラレまでの160kmは仁科が言ったように3年前に完成した。
 ジェフティアがその一部であった、モザンビークの首都マプトまでは、その距離が1000㎞を上回るので、現状ではまだ工事は3分の1程度の進捗であるが、途中のペイラまでは繋がっている。

 ジンバブエの場合には、日本から得た資金によって荒廃していた農場を再生した。農場については、この国が白人に支配されていたころ、日本とほぼ同じ面積の平坦な国土に、多くの大農場があり質の高い穀物、食肉などを生産して食料の輸出国であった。

 しかし、クーデターにより白人を追いだして、愚かな政策で経済をぼろぼろにした結果、殆どの農場が荒廃して食料の輸入国に落ちぶれていたのだ。ジンバブエは資源の豊かな国と言われているが、その資源は金・銀、石炭、クロムなどで実際のところ国を長期支えるほどのものではない。

 さらに、降水量は少なくはないが、ほぼすべての国土が岩盤であり、地下水に乏しい。そのため、実質的に大規模な水源が国土の大部分の遥か下を流れる大河ザンベジ川しか無い。だから、以前国を支配していた白人は多くのため池を作って農業用水を賄っていたが、それでも灌漑用水には困っていた。

 だから、揚水ポンプも使って、ザンベジ川から大規模かつ長大な灌漑水路を建設すれば、以前の農産に倍する収穫が得られるのだ。その点では、ジェフティアにおける灌漑用水網が参考になるのだが、ジンバブエの人々も目の前に実例をみて日本への援助要請をしたのだ。

「それにしても、ジンバブエの農産の伸びは凄いですよね。今や完全に輸出国になっていますからね。まあ、アメリカの農産が完全に落ち込んでいるのを埋めるほどではないですが。食料価格はこの数年ずっと上昇傾向にありますから、ジンバブエの人も豊かになりましたよね」
 仁科の言葉に稔も同調する。

「ああ、おかげでハラレを始め、その周辺にガス供給システムを売り込むことができたんだからな。それにしても、今のジンバブエの政治体制を見ると、何であのバカなハイパーインフレなどを起こしたのか解らんな」

「30年以上も大統領でおさまっていた、ムガベが悪いということになっていますけど、今のジムラ大統領を始め首脳陣はけっこうまともそうですね。この農業インフラ投資も彼らが決断したわけですから」

「ああ、この国は日本と同じくらいの面積だけど、耕作適地は2倍ではきかないだろう。あまり、寒冷化の影響はないようだし、今後は農業立国で十分やっていけるだろう。特にその意味では鉄道が輸送に効くよな」

 ハラレにビジネスため高速列車に乗って移動をしている、㈱アサヒジェフティア支社の技術部斎田稔と仁科課長の会話であった。

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