疾風バタフライ

霜月かずひこ

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第9話

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 道畑との激闘の翌日、同じ会場では女子の地区予選が行われていた。

 男子同様、強豪校がない空白地帯とあって同じレベル同士の激戦が繰り広げられる……というのがいつもの光景なのだが、



「きましたわっ!」



 豪快なスイングで爆音を奏でる人間ゴリラと



「よっと♪」



 平然とスーパープレイを連発する天才少女の存在によって状況は一変。

 突如現れた捕食者たちはかわいそうな野ウサギたちにを軽々と駆逐して、県大会へ当然のように進出。

 準決勝で当たったおかげでワンツーフィニッシュとはいかなかったものの、二人が圧倒的な存在であることは誰の目から見ても明らかだった。



「やっほー。越谷くん応援お疲れ様ー」



 閉会式後、荷物番をしていた俺の前に朝倉が姿を見せる。



「おう朝倉。ずいぶんご機嫌だな」

「まあね♪ なんたって優勝だよ。嬉しいに決まってるよ。越谷君だってそうでしょ?」

「そりゃあ俺なら嬉しいけどよ……」



 朝倉は優勝なんて数えきれないくらいしてるだろうに。

 「地区大会なんて優勝して当然!」的なテンションだと思ってたから驚きだ。



「まあいいや……そういや今宮はどうしたんだ?」

「あー華怜ちゃんなら人と会う予定があるとかで先に帰っちゃった」

「へえ、なんか意外だな」



 てっきり朝倉とイチャイチャしながら帰るもんだと思ってたぜ。

 ……ん? ちょっと待てよ。

 今宮がいない。

 それに加えて今日は京介や早瀬も家の都合でいない。

 となると…………



「えへへ♪ 二人っきりだね?」

「っ……」



 考えかけたことを言い当てられ、何も言えなくなってしまった。



「あー照れてる照れてる」

「ちげえつーの! 照れてなんかねえ!」

「顔に出すぎだよ。……いいよ? せっかくだし二人で帰ろうか」

「二人でも帰らねえ! 俺は一人で帰る!」

「えー面白くない。どうせ帰り道一緒なのに。そんなに私と帰るのが恥ずかしいの?」



 ……ほんと朝倉の奴。

 卓球の才能だけじゃなく人を煽る才能まで持ってんのか?

 だが確かに朝倉の言う通りだ。

 ここで変にごねるのもそれはそれで俺が朝倉を気にしているようにも思えてしまう。



「それとも越谷くんは女の子を一人で帰すの?」



 最終的には朝倉の挑発的な一言が決定打となった。



「はあ、わかったよ。帰ろうぜ」

「そうこなくちゃ♪」



 ……はぁ、俺っていっつもこんな展開で言い包められてるよな。

 朝倉に弱い自分に呆れながら、俺は朝倉に手を差し出す。



「荷物かせよ。途中まで持ってやるから」

「あ、うん。…………ありがと」

「お、おう」



 いつになく素直な朝倉に驚きつつ、俺は朝倉と並んで歩き出した。

 そこからは「昨日何食べた?」とか「お気に入りのテレビ番組について」など他愛無い会話が続く。

 10分程して駅に到着した。

 休日なので比較的電車は空いている。

 俺たちはちょうど空いていた座席にそろって腰を下ろした。 



「ねえちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「試合やってみてどうだったか、だろ? 正直ちょっとは面白かったぜ。道畑との一戦は特にな。……まああの後すぐ負けちまったから消化不良って感じだけど」

「……そういえばそういうこと聞いてたね。県大会出場おめでとう越谷くん」

「おい、忘れんなよ。てかお前が言うと嫌味にしか聞こえねえな」

「ひどーい。これでも本心なんだから」



 なんだよ、てっきり昨日聞いてきたことだと思ったのに。

 間違えたみたいで恥ずかしくなってきたじゃねえか。

  

「……んで何?」 

「こ、越谷くんにはさ……憧れの人っている?」



 なんだそんなことかよ。

 ひどく拍子抜けしつつも、俺はすぐに答えを返す。



「いるぜ。何なら今でもてか俺が卓球始めたのも憧れた人がいたからなんだよ」

「えー! どんな人どんな人? やっぱり可愛い人?」

「なんでだよ。普通に男だし、何なら漫画のキャラだぞ」

「――え、ええっ!? ……越谷くんてそういう趣味か。ちなみにいつから?」

「5歳くらいからじゃねえか? その人はどんな理不尽もぶっとばして怪我すら平然と乗り越えていくし、誰よりも卓球が好きなんだよ。まさしくヒーロー。シェイクの癖に俺もよく真似してた」

「あーそっちの意味か」

「そっちの意味?」

「なんでもない、なんでもない。越谷くんは気にしないでっ!」



 慌てたり、ほっとしたり、怒ったり忙しい奴だな。

 まあこれ以上は野暮ってもんだから黙っておこう。

 

「あの漫画私も好きだよ、卓球の面白さが詰まってる感じがする」

「だろだろ。……俺も昔はあの人みたいに卓球が好きだったんだぜ」

「ふーん、そうなんだ」



 まるで「知ってます」と言わんばかりに返事をする朝倉。  



「それで今はどうなのさ少年? 卓球をまた楽しめるようになってきたかい?」

「微妙だな。結局イップスはまだ治ってなかったし、昔のような卓球はできねえよ」

 

 道畑に勝った後、何度か試してみたものの相変わらずドライブは死んだままだったし、それはサーブも同じだ。

 結局の所、卓球をする楽しみを完全には思い出せずにいる。

 なんて情けないことは言えないので適当に誤魔化すと、朝倉が食いついてきた。



「じゃあ越谷くんにとっておきのお話をしてあげましょう」

「話?」

「そう。私の憧れの人、立派な翼を持った天使と飛び続けた蝶の話」



 いつになく真面目なトーンで朝倉が語ったのはだいたいこういう内容だった。



 昔々、空の上には天使たちが住んでいて、天使たちは誰が一番高くまで飛んでいくことができるかを競っていた。この話の主人公は誰よりも優れた翼を持っていた一人の天使。そいつはその翼を使って月や星を持ち帰ってきては他の天使たちに自慢していたという。他の奴らは到底そんな芸当できないだろうから、さぞ気持ちよかったんだろう。その天使は次第に傲慢になり、周りの天使たちに横暴を働くようになったんだとか。

 

「もちろん神様はそんな天使にカンカンでさ。怒って雷でその天使の翼を焼き払っちゃうんだ」



 翼をもがれた天使は飛ぶことができなくなり、地上に落ちてしまう。

 ……まあ、どこかで聞いたことがあるような話だな。

 ただ一つだけ違う所があって朝倉の話では天使は生き残ってしまったのだ。



「そこからは毎日が地獄で大変だった。飛びたいのに飛べなくて、地面をはいずるしかなくて、あれだけ近かった空はすごい高くてさ。星々の輝きはあんなにも遠い。……こんな思いをするくらいなら消えてしまいたいって思ったよ」



 架空の第三者の話をしているはずなのに、朝倉の表情はどこか暗い。

 いや、おそらくこれは絶望的な怪我から復帰を果たした彼女の寓話なのだろう。

 一呼吸おいて、朝倉は続けた。



「そんなある日、一匹の蝶が空の上にある花を目指しているのを見るんだ。その蝶は立派な翼なんて持ってないからせいぜい地上を飛び回るしかできないの。だから思いあがってた天使はその蝶を心底馬鹿にしてた。この程度しか飛べないのになんでそんなことするんだろう? 足掻くだけ無駄なのに……とかね」 

「そう思うのが普通だろ? たぶん俺でもそう思うぜ」

「確かにそうかもしんない。私だって似たようなことを思ってたよ。……けどその蝶は諦めなかった。どんな強風に吹かれても雨で羽が濡れても懸命に飛び続けた」



 挫折を味わってもなお進み続ける意思。

 俺が憧れ、尊敬する彼女の強さそのものだ。

 …………ほんとにすげえ奴だよ。



「しばらくしてね、蝶の頑張りを眺めていた天使はある日気付くの。無様にしか見えない蝶の足掻きも実は星々や月の輝きと同じくらい美しいんだって。それから心を入れ変えた天使様はもう一度空を目指すようになりました。最後は天使と蝶がそろって空の上にたどり着いてハッピーエンド。おしまい」

「……最後が強引すぎるだろ。それじゃあ絵本作家にはなれないぜ」

 

一体、どうやったらその境地にたどり着けるのか。

選手としても人間としても朝倉に負けてるよな。

俺は自分が情けなくなってつい皮肉を言ってしまう。

だが朝倉は動じない。



「だからね越谷くん」



 俺の目を力強く見つめてしっかりと俺に伝えてくる。



「――頂から見える景色が全てじゃないよ」

「……そういうもんなのか?」

「うん♪ 絶対そうだよ♪」



 かろうじて発した言葉でなんとか会話をつないだが、もう俺は朝倉の顔を直視することができなかった。

 今朝倉を見てしまったら感情がこぼれてしまいそうだったから。



「次は――」



 ちょうどその時、電車のアナウンスが目的地に到着したことを告げてきた。

 俺はこれ幸いにと席を立った。



「ここ俺の最寄だわ。じゃまたな朝倉」

「越谷君もまたねー」



 背中越しに声をかけてくる朝倉に手を振り、電車を降りる。 

 プシューと音をたてて駅から離れていく電車を見送って一息ついた。



「…………ふう。行ったか」 



 ここに朝倉はいない。

 だからこそ、こんな情けない姿を見せなくて済む。

 駅に溢れる人々の中を歩きながら、俺は一人呟く。



「頂から見る景色が全てじゃない……か」



 だけどよ朝倉。そいつは強者の理論だぜ?

 頂点に立ったことがある者だからそんなことを言えるんだよ。

 お前にわかるか? 

 決して頂上にはたどり着けない凡人の苦しみが。

 自分ではそこへ行けないと気付いてしまった時の絶望が。

 己の信じてきたものはちっぽけな幻想だと叩きつけられ、まじまじと現実を見せつけられたあの屈辱が。

 ――そんなものに価値があるはずがねえ。

 勝者は全てが肯定され、敗者は全てが否定される。

 それこそ勝負の世界の絶対ルール。 



「――だから勝てなきゃ全部ゴミなんだよ」



 吐き捨てた感情は街の雑踏に紛れ、春風に吹かれて散っていく。

 ――けれど、心に生じた鈍い痛みが消えることはなかった。

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