差し伸べられなかった手で空を覆った

楠富 つかさ

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彼女は自分の運命を支配できぬ不自由な者らしい

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 七月のとある日、彩瑛さんが学校を休んだ。……その可能性を私はこれまで全く検討したことがなかった。軽い夏風邪だから明日にはまた登校するとメッセージがスマホに入っていた。

「お大事にっと」
『ありがとう。帰りに買い物を頼めるかしら? 後払いになるけれど』
「了解ですよっと……」

 彩瑛さんのことだ。具合の悪い時に食べやすいものはおろか、風邪薬があるかもあやしい。
 正直、彩瑛さんがいない教室で一日を過ごせるか不安なのでわたしも早退してしまいたいくらいなのだが、早退したら早退したで彩瑛さんのための買い物中に周囲から浮くのではないかと不安な気持ちにかられる。正直、今でもクラスで浮いているのだから……平日の日中にスーパーで買い物なんてできない。夏休みと言い張るには正直七月になったばかりがすぎる。

 テスト後の席替えを経て彩瑛さんとは少し離れた位置になってしまった。正直、周りの席の人とはちょっとした会話はするのだけれど、彩瑛さんといる時間が多いせいかはやり周囲とは壁を感じる。……わたしが一方的に感じているだけなのだろうか。中学時代の友達はクラスが違うのでごくまれにしか話す機会がない。メッセージのやり取りもたまにするけど、とりとめて話題もない。テストの話はちょっとしたけど。
 一日どうしていいか分からず、なにかと彩瑛さんのことばかり考えていたらお昼休みになっていた。
 ……お昼ご飯、どうしよう。普段は彩瑛さんがわたしの席までやってきて、問答無用で隣の椅子を使って座り、わたしの机でお昼を食べていた。……ここで、一人で、食べるのか。流石にお手洗いへお弁当を持っていくのは嫌だ。どこか人の少ないところでこっそり食べるか、いっそ食べずに図書室で本を読みながら過ごそうか……。そんなことを考えていたら、声をかけられた。いよいよシメられるのではと恐る恐る振り返ると、

「あ、そんな怖がらないでください。横山紗智よこやまさちって言います。卯花さんと同じ中学でした。あの、愛弥さんと呼んでもいいですか?」
「もちろん。紗智さん……で、いいですか?」
「はい。……ここ、いいですか?」

 紗智さんはわたしの隣の席に座ると、お弁当を広げた。紗智さんはゆるく縛った長髪と銀縁の眼鏡が、いかにも地味な文学少女といった感じをさせる女の子だった。まぁ、地味で眼鏡っていう点ではわたしも人のことは言えないのだが。

「いきなりな話、私は卯花さんが恋愛的な意味で好きなの。でも中学時代あまり話せなくて……。一つ印象的だったのが、ある質問をされたの。『人はどうして生きなきゃいけないのか、貴女はどうして生きているのか?』って。私は、家が花屋をやっていて……だから、家業を継ぎたいと思っているって話したら、それ以来めっきり」

 唐突なカミングアウトからの彩瑛さんの謎言動。正直、頭が理解しようとしたがらないが、それでも紗智さんは話を止めない。

「私と愛弥さん、似てると思うの。凡庸というか、当たり障りない感じが。だから、あなたのことライバルだと思ってるけど、同じくらい仲良くなりたいとも思ってる。ねぇ、あなたは何のために生きてるの? どう答えたら、卯花さんに認めてもらえるの?」
「わたし、まだそんな質問されてないんだけど……」

 彩瑛さんの言葉に、時折だけど哲学の香りを感じることは確かにある。けれど、そんな真正面からレゾンテートルについて問われたことは、今のところ無い。そう伝えると、紗智さんは少しだけ納得しきれないといった表情を浮かべた。

「今日はありがと。言ったこと全部本心だから、また声かけていい?」
「それは、もちろん」

 確かに紗智さんとわたしは似ている。だったらなぜ、彩瑛さんはわたしと一緒にいてくれるんだろう。それを、わたしから問うっていう選択肢もある……よね?


 頼まれた買い物、経口補水液や栄養ドリンク、ヨーグルトに日持ちするゼリーなどなど、買いこんで彩瑛さんのマンションを訪れた私。多少は動けるようで、ルームウェアに身を包んだ彩瑛さんに迎えられて部屋に上がる。

「悪いわね。風邪薬はあったから多少よくなったけど、流石にお腹が空いたわ」
「一応、おかゆのレトルトもあるけど……」
「ゼリーを食べてから考えるわ。ありがと」

 結局、元が小食の彩瑛さんはゼリーだけで満足してしまったようだ。

「身体、拭いてもらおうかしら。頼める?」
「え、あ、うん……」

 お風呂場でお湯を出し、洗面器に溜める。何本かあるタオルのうち、比較的薄くて柔らかいタオルをお湯につけ、きつめにしぼる。彩瑛さんはすでに上を脱いで背中をこちらに向けていた。
 その白くすべすべな肌にドギマギしながら、思い出したのは昼間の一件。わたしは、彩瑛さんのこと恋愛的に好きなのだろうかということと、何のために生きているのか、その二つが頭をぐるぐるとする。

「ねぇ彩瑛さん。彩瑛さんは何のために生きてるの?」
「あら、そろそろ貴女に聞こうと思っていた質問、先取されちゃった。……分からないのよ。それを知りたいから、今は生きてる。愛弥は?」

 新しいルームウェアに袖を通しながらの彩瑛さんに問われ、私自身も午後の授業中ずっと考えていた答えを提示する。

「今はまだ、死にたくない。だから、生きてる」

 私の答えに、彩瑛さんは満足したかのように笑った。

「あはは、そうよ。愛弥ならそう答えてくれると思った。だから貴女は特別なの」

 わたしの答えが、彩瑛さんの求めるもの、なんだろうか。こんな曖昧な答えが? ……むしろ、曖昧を求めていた。だから紗智さんじゃなくて、わたし……なのかな。

「うつしたらごめんなさい。でも、今こうしたいから」

 すっと彩瑛さんの顔が近づく。少しだけ紅潮して、桃のような肌、長いまつげ、うるうるとした唇。すべてが近づいてきて、そして重なった。やわらかくて、熱くて……。

「愛弥、貴女が初めてよ」

 四月のあの時を思い出すこの熱が、決して忘れられないわたしの……ファーストキス。
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