差し伸べられなかった手で空を覆った

楠富 つかさ

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すべての過去は明日への踏み台にすぎない

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 彩瑛さんがを喪ってから五年の月日が経った。今わたしは東京の大学で油絵を学んでいる。女性と花を一枚のキャンバスに描く作品を多数描き、なんどか賞も取った。
 地元には同世代の天才画家がいて、その人が水彩の白雪姫なんて一部の界隈では呼ばれているらしく、それと対比してかわたしは油彩の花魔女なんて呼ばれている。
 四月の四日、わたしは二十二歳になった。新学期ということもあり、街には学生の姿も多い。四年生になったわたしは大学にあまり用はなく、街をぶらついてはモデルになってくれそうな女性を漁っていた。
 都会の生活はなにかとお金が必要で、挙句にモデルへの謝礼もあって常に金欠。それでも彩瑛さんからもらったお金に手を付けたくなくて、女性向け風俗の仕事を始めてしまった。仕事で数多くの女性に出会ったけど、やはり彩瑛さんのように目を奪われ、心を奪われるほどの人には出会えなかった。

「……あの子」

 下りた踏切にふらふらとした足取りで近づくセーラー服姿の少女、気になったのは彼女の容姿うんぬんではなく――。

「君、死ぬつもり?」

 止めなければ線路内に侵入しそうだった少女の肩に触れる。朝の通学時間帯だというのに彼女はカバンを持っていなかった。彼女の目は彩瑛さんを喪って間もないわたしによく似ていた。

「……死にたいんです。止めないでください」
「止めたいわけじゃないよ。ただのナンパ。少し遊んでかない?」

 わたしの言葉に奇異の目を向ける少女。わたしは自殺を否定しない。その人が選ぶ死に方を肯定する。けれど……目の前で人が死ぬのは困る。電車が止まるのも迷惑。そんなことを言っているうちに、とっくに電車は通り過ぎてしまって、彼女とホームへ向かいながら、取り敢えずベンチに座らせる。

「都会の駅って転落防止の扉があって邪魔だよね」
「……お姉さん、ほんと変な人ね」

 自販機でコーラと桃味の水を買う。彼女は桃味の水を受け取った。

「名前は? 本名じゃなくてもいいよ。なんて読んだらいい?」
「……好きに呼べば?」
「じゃあ……サエ。サエは何で死にたいの?」

 花はいつか散る。だから美しくて……わたしが花とともに描く女性は皆絵の中で息絶えている。首を吊ったり、毒をあおったり、刃を突き立てたり……そんな絵ばかり描くから魔女なんて呼ばれてしまうのか。
 けれど一番美しかったのは……やはり彩瑛さんだった。彼女は死んでも美しくて、美しいまま死んだ。わたしはもっと、美しい死を知りたい。いつか自分が美しく死ぬために。

「……私、女の子が好きで、親友のこと好きになって、それで……拒絶された。だからもう、死ぬしかないのよ……あの子に嫌われながら生きるなんて……できない」
「そっか。わたしもさ、女の子が好きで……好きになった人が女の子だったってだけか。あの頃のわたしは彼女がいればそれで満足だった。彼女と勉強して、絵を描いて、セックスして……。でも結局、今はお金のためによく知らない女の子ともセックスしちゃうんだ。したことある? セックス」
「は? ないし!! 私まだ十六だよ!?」

 声を荒げたサエは恥ずかしかったのか、目をそらして桃味の水を勢いよく飲む。少し咽るあたり、子供っぽくて可愛らしい。

「わたしはその年でもうしてたけどね。してみたい? 死ぬ前に一回くらいどう?」
「……あの子とじゃなきゃ意味ない。アンタはそんな仲だった彼女となんで別れたのよ」

 アンタ呼びに少しだけ驚く。けっこう慣れてくれたのかな。

「彼女が自殺したから。ヒヤシンスを見に行く約束をしていたのに……。ねぇ、今からヒヤシンスを見に行かない?」
「脈絡が……もう好きにしてよ。言っておくけど、お金はないから」
「大丈夫、稼いでるから!」

 各停しか止まらない小さな駅から電車に乗ってターミナル駅を目指す。学校によってはまだ新学期じゃないかもしれないけれど、制服姿のまま連れまわすわけにもいかずサエの服を購入した。

「いいのか?」
「後で身体で返してもらうから」
「おい!?」
「冗談だよ」

 春のピクニックデートにふさわしい恰好になったら電車で北へ。ヒヤシンスの見ごろは折り返しも過ぎてしまったが、訪れた公園では綺麗に咲いていた。

「はーん、これがヒヤシンスか。名前言われてもピンとこなかったけど、紫のこれなんてほぼラベンダーじゃね?」
「まあまあ違うんだけどね。そっちの赤いヒヤシンスの前、椅子を置いたから座って」
「わぁった。何するんだって……絵? 今から絵を描くのか?」
「一応、写真も撮るけど、スケッチ程度だよ。絵具までは持ってないし。もっとも、絵の完成品が見られるかはサエ次第だけど」
「ふーん」

 赤いヒヤシンスとサエをスケッチブックに描く。彼女が望んだ電車に挽かれる死に方と、ヒヤシンスの逸話から……何かが激しくぶつかって出血している様を描いていく。

「腕はだらーんとさせていいよ」

 鉛筆を動かしながらも会話はやめない。二時間くらい描き続けていると、サエが空腹を訴えてきた。絵もいい頃合いだし、お腹が空くのは生きたい証拠。近くのファストフード店に入りハンバーガーを食べることにした。

「描いた絵、見てみたいんだけど」
「あー、食べ終えてからの方がいいかもね」

 流石に食事中に見る絵ではないという自覚がある。食べ終えてから、スケッチブックを手渡す。

「うへぇ……芸術ってわからない……。でもまあ、死ななくてよかった。今日はそれなりに楽しかったよ。だからその……この後どうするの? なんていうか、身体で払うのも、ありっていうか……」
「うんうん。じゃあ、わたしの下宿先に行こうか。ねぇ、サエ――」
「優花……押見優花おしみゆうか。私の名前。アンタは?」
「ふふ、猪俣愛弥だよ。一晩だけど、よろしくね。そうだ、優花に一つだけお願いがあるんだ」
「……なに?」
「気が向いたらでいいよ。今朝の君みたいな子がいたら、手を差し伸べてほしい……お願い」

 彩瑛さん……わたし、すっかり浮気者だね。許してほしいとまでは言わないけど、これが今のわたしなりの生き方だから、もうしばらく向こうで見守っていて。
 西日を手で覆いながら、わたしと優花は駅へと歩き出した。
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