24 / 24
結
終幕
しおりを挟む
翌々日の夕暮れ時。宿題を片付け茶の間へやってきた弓月が最初に感じたのは、例のきつい香水だった。
「おっはろーん、弓月―! いい男がいるからついつい上がっちゃったぁ」
もう顔すら合わせたくない分家の嫡男、九十九鬼尊杜がそこにいた。うっかり開けた襖を閉めるも、それは尊杜の投げた座布団によって制止される。
「……今度は何だ」
「いやーねーもーカリカリしないでよぉ。だから、かっこいい男がいたから来ちゃったって言ったじゃない」
かっこいい男と言われても、該当者は大黒柱しかいないわけだが。それとも比呂也のことだろうか。目が腐っているとしか思えない。
「おじさんも……一応、比呂也もいねぇぞ」
「やっだー、今日は違うわよー」
ホラあれよ、と示される。見たことのある金髪が、呑気にお茶をすすっていた。額のバンダナに銀のピアス、革のジャケットにジーンズの、一見ヤクザのような男だ。李虎牙、喧嘩屋で妖狩の中国人。
思わずその頭を殴りつけた。意外にもいい音がして、男の頭がちゃぶ台に激突する。手に持っていた湯のみの中身は、幸いに全くこぼれなかった。
「おぉ、痛ぇ。いい攻撃だな」
何事もなかったように面を上げ、満足そうに笑っている。音の割りに存外平気そうだった。
「何我が物顔で茶の間にいんだよ……」
「おばさんとおじさんが、ゆっくりしてってねって言ってたのよ。二人ともお出かけしたみたいよー」
尊杜がにやにやと人の悪い笑みをたたえて指を振る。タイミングが悪すぎる。頭を抱える弓月の背中を、虎牙がばしばしとたたいた。
「まぁまぁいいじゃねぇか! で、何の用だ?」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎」
座りながら文句を言うも、本人は一切気にしていない。人の話を聞かない性質らしい。
「おお、忘れてたぜ。俺じゃなくて、黑幻が話あ」
声が不自然に途切れ、再び男の顔がちゃぶ台に沈んだ。重たい音が茶の間に響き、次いで袖が彼の頭を覆い隠す。
「黙っていれば余計なことを」
背筋を駆ける寒気に身構える。純血の妖狩、中国本家。冷ややかな眼差しを男に向けた、宵黑幻が佇んでいた。
「……何だよ」
「フン。忠告に来ただけだ」
ざらついた冷気が、皮膚を余すところ無く撫でていく。これだけ暑いにも関わらず、この男がいる場所だけがひどく寒い。殺意を垂れ流しにしているからであることは、火を見るよりも明らかだ。
空気がぴんと張り詰める。
「忠告?」
奥歯を噛み締め寒気をやり過ごしながら、弓月は先を促した。
「どれだけ抗ったところで、お前は妖狩の運命から逃れることはできん。この俺がそうなったように、いずれはお前も狂気に蝕まれていくだろう。遵守しても背いても、結末は変わらない」
「つまり――逃げようとするのは無駄だから諦めろ、ってか?」
妖狩の本家は右目をすがめ、かすかに嗤う。
「察しがよくて何よりだ。鬼を一匹斬っただけで使命を拒む小娘が、怖気づいて途中で放り出す可能性があるからな」
なるほど、そういうことか。この男、どうやら弓月が逃げ出すのではないかと思っているらしい。ご丁寧に脅しをかけにきたようだった。
弓月もまた笑みを返す。
「ハッ。言われなくたって逃げねぇよ」
それからぐいと心臓に親指を押し当てた。
「俺には一緒に馬鹿やってくれるダチがいるんでな。逃げられねぇってぇんなら、鎖巻いたままで暴れてやらぁ。てめぇみてぇにはならねぇ。絶対に、ならねぇ」
自分の周りには頼りにできる人間がいる。罪に押しつぶされそうになっても、支えてくれる人がいる。どうせ逃げられないのなら、逃げずに腰をすえて戦ってやる。
たとえ狂気が果てにあったとしても、後悔することなどないように、支えてくれる人と共に、今を徹底的に生きればいい。協力者は作るななんて、契約にはない。契約にないことは違反にならない。文句など言わせない。契約に無いのだから、どう解釈してもおかしくはないはずだ。
黑幻はそれを黙って聞いていたが、やがて音も立てずにきびすを返す。
「その言葉、忘れるなよ」
「上等だぜ」
冷たい音を投げつけてから、黑幻が襖を引き開ける。傍近くにいた虎牙に対して何かをささやいてから、彼は完全に姿を消した。立ち込めていた殺気は完全に霧散し、夏の気配が一斉に押し寄せてくる。
尊杜が「ふうん」と呟いた。それから指を組んで顎を乗せ、弓月のほうを面白そうに眺めやる。
「そういう答えを出したのね。いいんじゃない、あんたらしくて。羨ましいくらいだわ」
「あ?」
意味を汲み取り損ね、尋ね返す。尊杜はいつぞやと同じように、柔らかく苦笑して首を傾げた。
「この年まで生きるとね、そう簡単に軌道修正することができないのよ」
妖狩の分家、その嫡男として今までを生きてきた尊杜には、本当に羨ましく映っているのだろう。弓月を見上げる眼差しは、どこか眩しそうだった。
「がんばんなさい。あたしは応援しちゃうわよ」
「好、好。悩みあったら相談しろよ!」
虎牙が再び弓月の背中を力いっぱいに殴りつけ、豪快に笑い声を立てて襖に手をかけた。
と同時に襖が大きく揺れた。次いでなにやら話し声、幾度か交わされた後に情けない悲鳴。
「ああああ!! すみませんすみません、マジですみませんんん!! でしゃばりすぎましたごめんなさいいい!! ですからそのっ! あのっ、投げないでぇぇぇ!!」
襖が大きく膨らみ、弾けた。背中から虎牙に激突し、顔面から落ちる一つの影。冷たく妖しい笑みを浮かべた黑幻が、
「さっさと妖に食われてしまえ。腰抜けが」
毒づいてきびすを返す。
「……比呂也。お前、何したんだ」
「あっ、ゆ、弓月これは違うんだぜ、誤解っ! 黑幻さん顔綺麗なのに距離近くてそのー、あのー、えっとーどきどきしちまって! 別に怖かったとか脅されたとかそーいうんじゃなくて、ちょっと襖ダイビングをしたいお年頃っつーか!」
わざとらしく、かつ意味不明の言い訳に、弓月は全身から力が抜けていくのを抑えられなかった。どうせうっかり失言して、黑幻の怒りに触れたのだろう。
「おう! 元気何より! いいことだ!」
雪崩に巻き込まれていたはずの虎牙が這い出てくる。心なしかボロボロのような気もするが、本人は至って平気そうだった。頑丈なのはいいことだ。
「これだけ元気なら、お前も鎖巻いて暴れられるな。一緒に暴れる奴ができたんだからよ!」
弓月の額を張り飛ばしてから、虎牙は再び豪快に笑う。それから何かを思い出したように弓月へ目をやり、大きくうなずいた。
「俺も負けてらんねぇな。一緒に暴れ、れるようにする。お互い、精進ってところだな。な、坊主!」
次いで比呂也が肩を叩かれる。ようやく起き上がった比呂也は再び、たたみと仲良くなっていた。仕方がない。弓月ですらよろめくのだ、常人じゃ押し返すことすら難しい。
もっとも、これからは押し返せるようになってもらわないと困るのだが。せめて動けないという状態からは脱出してほしいものである。
弓月の視線を受けて、比呂也が顔だけ持ち上げる。
「あ……弓月、伝言。『雛ごときが寄り集まって何ができる。せいぜい無様に足掻くがいい』ってよ。何か滅茶苦茶嬉しそうだったけど、何かあったのか?」
それは果たして本当に嬉しかったからなのか、聞く気にはなれなかった。
我ながら、この選択は正しいのか分からない。むしろ契約を根底から覆すことになりかねない。少なくとも、本家本元の純血のお気には召さなかったようではある。
「いいじゃない、面白くて」
相変わらず尊杜は笑い転げている。心底おかしそうに、だが心底対岸の火事を決め込んでいた。
「あんたなら全然いけるんじゃない? だってこんなに強力な味方がいるんだもの、きっとどこまでだって行けちゃうわ」
「おう! 味方がいるなら大丈夫だ、安心して突っ走ればいい」
比呂也が立ち上がり、埃を払っている。その脇をすり抜けようとして、弓月はふと足を止めた。癖になりつつあったそれをやめ、肩越しに比呂也を振り返る。
「おい、比呂也」
「仕事か?」
「おう。あの鬼みてぇに、妙な力つけた奴がまだいるらしい。休んでる暇なんかねぇぞ」
まっすぐにこちらを見つめて、比呂也が笑う。
「今度は役に立つからな。弓道二段をなめんじゃねーぞ」
「言ってろ、ヘタレ」
玄関を抜け、外に出る。空は夕暮れ、もうすぐ夜になる。妖の刻、黄昏がやってくる。気配はそこここでうごめいている。
「がんばってー、弓月ー、ひろちゃぁーん」
「突っ走れ! 振り返るな、後悔するな! がんばれよ!」
言われなくてもこのまま走る。走って走って走り抜けてやる。弓月は返事の代わりに、小さく拳を掲げてみせた。
比呂也が隣にやってくる。今までずっと一緒にいてくれた、大切な友。これからも妖狩として罪を重ねるだろう弓月のそばで、生きていくと言ってくれた幼馴染。
そばで支える人がいる限り、共に立ち向かってくれる人がいる限り、自分はきっと大丈夫だ。一人なら苦しかったことも、二人なら軽くなるだろう。重すぎる鎖を巻いたまま、暴れまわることもできるだろう。少々頼りなくはあるが、一人で抱え込まずにすむことが、こんなにも安心して、こんなにも心強く思えるとは。柄にもなく、そんなことを考えた。
「行くぞ、比呂也。遅れんなよ」
「がんばりまっす」
そして二人、並んで走る。若い妖狩と幼馴染――人間初の妖狩見習いが、闇夜を裂いて駆け抜ける。
秋の気配漂う夕暮れ、黄昏を迎えようとする空の下。
妖と狩人たちが交錯する、その直前の出来事である。
~アヤカシガリ 終~
「おっはろーん、弓月―! いい男がいるからついつい上がっちゃったぁ」
もう顔すら合わせたくない分家の嫡男、九十九鬼尊杜がそこにいた。うっかり開けた襖を閉めるも、それは尊杜の投げた座布団によって制止される。
「……今度は何だ」
「いやーねーもーカリカリしないでよぉ。だから、かっこいい男がいたから来ちゃったって言ったじゃない」
かっこいい男と言われても、該当者は大黒柱しかいないわけだが。それとも比呂也のことだろうか。目が腐っているとしか思えない。
「おじさんも……一応、比呂也もいねぇぞ」
「やっだー、今日は違うわよー」
ホラあれよ、と示される。見たことのある金髪が、呑気にお茶をすすっていた。額のバンダナに銀のピアス、革のジャケットにジーンズの、一見ヤクザのような男だ。李虎牙、喧嘩屋で妖狩の中国人。
思わずその頭を殴りつけた。意外にもいい音がして、男の頭がちゃぶ台に激突する。手に持っていた湯のみの中身は、幸いに全くこぼれなかった。
「おぉ、痛ぇ。いい攻撃だな」
何事もなかったように面を上げ、満足そうに笑っている。音の割りに存外平気そうだった。
「何我が物顔で茶の間にいんだよ……」
「おばさんとおじさんが、ゆっくりしてってねって言ってたのよ。二人ともお出かけしたみたいよー」
尊杜がにやにやと人の悪い笑みをたたえて指を振る。タイミングが悪すぎる。頭を抱える弓月の背中を、虎牙がばしばしとたたいた。
「まぁまぁいいじゃねぇか! で、何の用だ?」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎」
座りながら文句を言うも、本人は一切気にしていない。人の話を聞かない性質らしい。
「おお、忘れてたぜ。俺じゃなくて、黑幻が話あ」
声が不自然に途切れ、再び男の顔がちゃぶ台に沈んだ。重たい音が茶の間に響き、次いで袖が彼の頭を覆い隠す。
「黙っていれば余計なことを」
背筋を駆ける寒気に身構える。純血の妖狩、中国本家。冷ややかな眼差しを男に向けた、宵黑幻が佇んでいた。
「……何だよ」
「フン。忠告に来ただけだ」
ざらついた冷気が、皮膚を余すところ無く撫でていく。これだけ暑いにも関わらず、この男がいる場所だけがひどく寒い。殺意を垂れ流しにしているからであることは、火を見るよりも明らかだ。
空気がぴんと張り詰める。
「忠告?」
奥歯を噛み締め寒気をやり過ごしながら、弓月は先を促した。
「どれだけ抗ったところで、お前は妖狩の運命から逃れることはできん。この俺がそうなったように、いずれはお前も狂気に蝕まれていくだろう。遵守しても背いても、結末は変わらない」
「つまり――逃げようとするのは無駄だから諦めろ、ってか?」
妖狩の本家は右目をすがめ、かすかに嗤う。
「察しがよくて何よりだ。鬼を一匹斬っただけで使命を拒む小娘が、怖気づいて途中で放り出す可能性があるからな」
なるほど、そういうことか。この男、どうやら弓月が逃げ出すのではないかと思っているらしい。ご丁寧に脅しをかけにきたようだった。
弓月もまた笑みを返す。
「ハッ。言われなくたって逃げねぇよ」
それからぐいと心臓に親指を押し当てた。
「俺には一緒に馬鹿やってくれるダチがいるんでな。逃げられねぇってぇんなら、鎖巻いたままで暴れてやらぁ。てめぇみてぇにはならねぇ。絶対に、ならねぇ」
自分の周りには頼りにできる人間がいる。罪に押しつぶされそうになっても、支えてくれる人がいる。どうせ逃げられないのなら、逃げずに腰をすえて戦ってやる。
たとえ狂気が果てにあったとしても、後悔することなどないように、支えてくれる人と共に、今を徹底的に生きればいい。協力者は作るななんて、契約にはない。契約にないことは違反にならない。文句など言わせない。契約に無いのだから、どう解釈してもおかしくはないはずだ。
黑幻はそれを黙って聞いていたが、やがて音も立てずにきびすを返す。
「その言葉、忘れるなよ」
「上等だぜ」
冷たい音を投げつけてから、黑幻が襖を引き開ける。傍近くにいた虎牙に対して何かをささやいてから、彼は完全に姿を消した。立ち込めていた殺気は完全に霧散し、夏の気配が一斉に押し寄せてくる。
尊杜が「ふうん」と呟いた。それから指を組んで顎を乗せ、弓月のほうを面白そうに眺めやる。
「そういう答えを出したのね。いいんじゃない、あんたらしくて。羨ましいくらいだわ」
「あ?」
意味を汲み取り損ね、尋ね返す。尊杜はいつぞやと同じように、柔らかく苦笑して首を傾げた。
「この年まで生きるとね、そう簡単に軌道修正することができないのよ」
妖狩の分家、その嫡男として今までを生きてきた尊杜には、本当に羨ましく映っているのだろう。弓月を見上げる眼差しは、どこか眩しそうだった。
「がんばんなさい。あたしは応援しちゃうわよ」
「好、好。悩みあったら相談しろよ!」
虎牙が再び弓月の背中を力いっぱいに殴りつけ、豪快に笑い声を立てて襖に手をかけた。
と同時に襖が大きく揺れた。次いでなにやら話し声、幾度か交わされた後に情けない悲鳴。
「ああああ!! すみませんすみません、マジですみませんんん!! でしゃばりすぎましたごめんなさいいい!! ですからそのっ! あのっ、投げないでぇぇぇ!!」
襖が大きく膨らみ、弾けた。背中から虎牙に激突し、顔面から落ちる一つの影。冷たく妖しい笑みを浮かべた黑幻が、
「さっさと妖に食われてしまえ。腰抜けが」
毒づいてきびすを返す。
「……比呂也。お前、何したんだ」
「あっ、ゆ、弓月これは違うんだぜ、誤解っ! 黑幻さん顔綺麗なのに距離近くてそのー、あのー、えっとーどきどきしちまって! 別に怖かったとか脅されたとかそーいうんじゃなくて、ちょっと襖ダイビングをしたいお年頃っつーか!」
わざとらしく、かつ意味不明の言い訳に、弓月は全身から力が抜けていくのを抑えられなかった。どうせうっかり失言して、黑幻の怒りに触れたのだろう。
「おう! 元気何より! いいことだ!」
雪崩に巻き込まれていたはずの虎牙が這い出てくる。心なしかボロボロのような気もするが、本人は至って平気そうだった。頑丈なのはいいことだ。
「これだけ元気なら、お前も鎖巻いて暴れられるな。一緒に暴れる奴ができたんだからよ!」
弓月の額を張り飛ばしてから、虎牙は再び豪快に笑う。それから何かを思い出したように弓月へ目をやり、大きくうなずいた。
「俺も負けてらんねぇな。一緒に暴れ、れるようにする。お互い、精進ってところだな。な、坊主!」
次いで比呂也が肩を叩かれる。ようやく起き上がった比呂也は再び、たたみと仲良くなっていた。仕方がない。弓月ですらよろめくのだ、常人じゃ押し返すことすら難しい。
もっとも、これからは押し返せるようになってもらわないと困るのだが。せめて動けないという状態からは脱出してほしいものである。
弓月の視線を受けて、比呂也が顔だけ持ち上げる。
「あ……弓月、伝言。『雛ごときが寄り集まって何ができる。せいぜい無様に足掻くがいい』ってよ。何か滅茶苦茶嬉しそうだったけど、何かあったのか?」
それは果たして本当に嬉しかったからなのか、聞く気にはなれなかった。
我ながら、この選択は正しいのか分からない。むしろ契約を根底から覆すことになりかねない。少なくとも、本家本元の純血のお気には召さなかったようではある。
「いいじゃない、面白くて」
相変わらず尊杜は笑い転げている。心底おかしそうに、だが心底対岸の火事を決め込んでいた。
「あんたなら全然いけるんじゃない? だってこんなに強力な味方がいるんだもの、きっとどこまでだって行けちゃうわ」
「おう! 味方がいるなら大丈夫だ、安心して突っ走ればいい」
比呂也が立ち上がり、埃を払っている。その脇をすり抜けようとして、弓月はふと足を止めた。癖になりつつあったそれをやめ、肩越しに比呂也を振り返る。
「おい、比呂也」
「仕事か?」
「おう。あの鬼みてぇに、妙な力つけた奴がまだいるらしい。休んでる暇なんかねぇぞ」
まっすぐにこちらを見つめて、比呂也が笑う。
「今度は役に立つからな。弓道二段をなめんじゃねーぞ」
「言ってろ、ヘタレ」
玄関を抜け、外に出る。空は夕暮れ、もうすぐ夜になる。妖の刻、黄昏がやってくる。気配はそこここでうごめいている。
「がんばってー、弓月ー、ひろちゃぁーん」
「突っ走れ! 振り返るな、後悔するな! がんばれよ!」
言われなくてもこのまま走る。走って走って走り抜けてやる。弓月は返事の代わりに、小さく拳を掲げてみせた。
比呂也が隣にやってくる。今までずっと一緒にいてくれた、大切な友。これからも妖狩として罪を重ねるだろう弓月のそばで、生きていくと言ってくれた幼馴染。
そばで支える人がいる限り、共に立ち向かってくれる人がいる限り、自分はきっと大丈夫だ。一人なら苦しかったことも、二人なら軽くなるだろう。重すぎる鎖を巻いたまま、暴れまわることもできるだろう。少々頼りなくはあるが、一人で抱え込まずにすむことが、こんなにも安心して、こんなにも心強く思えるとは。柄にもなく、そんなことを考えた。
「行くぞ、比呂也。遅れんなよ」
「がんばりまっす」
そして二人、並んで走る。若い妖狩と幼馴染――人間初の妖狩見習いが、闇夜を裂いて駆け抜ける。
秋の気配漂う夕暮れ、黄昏を迎えようとする空の下。
妖と狩人たちが交錯する、その直前の出来事である。
~アヤカシガリ 終~
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる