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第三章 次女キャサリンの「王子の夢は誰も知らない」
すべてをかけた懸け
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キャサリンを連れてこの門をくぐることをどれほど夢に見たことだろう。
リチャードは車でサマー領主邸まで迎えに行き、オックスフォードに近いアーネンバラ公領の屋敷までキャサリンを連れて来た。
キャサリンは、車に乗ってから大学への期待や兄弟のこと、それにもうすぐ生まれる姪のことなどありとあらゆる話をいつものようにリチャードに聞かせてくれていた。
しかし、大通りを公邸の方に曲がった途端に私の顔を見て「嘘でしょ。」と一言発したまま絶句した。
「ようこそキャサリン・サマー、我が屋敷へ。」
「リチャード殿下なの…?」
キャサリンは消え入りそうな声で呟いた。
「ああ、ごめんよ名を偽って。しかし偽ったのは名前だけだ。私は本音でずっと君と話していた。」
「でも、お料理が趣味だって…それにお裁縫や編み物も教えてくれるって言ってたじゃないっ…ですか。」
「うん。どれも嘘は言ってない。本当のことだ。私は見た目は取り澄ました輝きの王子なんて呼ばれているけどね、本当は無口で内向的なだけなんだ。人前に立つのもあまり好きじゃない。」
「そんなっ。」
「家の中で主婦みたいな仕事をするのが好きでね。小さい頃は女に生まれとけばよかったとだいぶ悩んだよ。弟のヘンリーのほうが社交的で王様に向いてるから私を廃位にして王位を継いでほしいと何度も思った。でもね、そんな時に君に出会って男でよかった、第一王子として生徒会長に祭り上げられていてよかったと初めて思ったんだ。女だと君と結婚できないし、そもそも出会えなかったからね。さっ、着いたよ。今日はそんな話をするために来たんじゃないだろ? 屋敷に入って私の自信作を見て欲しいな。」
「…待ってください。殿下の自己批判は行き過ぎです。貴方の冷静で公平なものの見方をする指導力をみんな頼りにしているんですよ。高校でもそうでしたし、多くのイギリス国民もそう思っているはずです。知識は豊富だし勉強家で真面目だし安心して王位を預けられる人格者だと世の人たちは思っているんです。ヘンリー殿下は少々おいたが過ぎる時がありますからね。もうちょっと自分の価値を自分で認めてあげたらどうですか?」
「………。」
「聞いてます?」
「ん? ああ、聞いてる。でもキャスがそんなに私のことをかってくれてるとは思ってもみなかったんだ。ずっと…その…ずっと振られ続けてたし。やっぱり私なんかを好きになる人なんていないよなぁと思ってた。でも、君のことは諦めきれなかったっていうか、諦めようとする気持ちも持てなかったんだ。しつこくて悪いとは思ってたんだけどね。」
「…殿下。」
この時、車の窓が叩かれた。トンプソンだ。
「あの…お話し中、失礼いたします。お茶の用意が出来ておりますので続きはお部屋の中でされてはいかがでしょう。ここですと、そのう…人目もありますし。」
そう言われて気づいた。
お互いが話に夢中になって座席から身を乗り出すようにして話していた。
玄関の車寄せに止まったままの一般車を興味深げに見ている者たちもいる。
私達は即座にシートベルトを外して車を降りた。
キャスを人目から守りながら扉の中へエスコートする。ひんやりとしたホールの空気を感じるとほっとした。
「内奥の間にお茶を用意してございます。」
トンプソンはそれだけを言うと私達を2人きりにした。
「内奥の間って?」
「プライベートな客用の応接室なんだ。滅多と使わない部屋だけどね。」
リチャードはキャスを連れて屋敷の奥へと入っていく。召使たちも入ってこない扉を開けた先にリチャードのプライベートスペースがある。
「まぁ、素敵…パッチワーク、刺繍、トゥールペイント、これってまさか…。」
「そう私の作品だ。乳母のアマリーの趣味ということにしてるんだけどね。この趣味を知ってる者はそう多くないんだ。」
「でも私達兄弟は知ってるじゃない。」
「ああ、リカルド・ジェンキンスの趣味としてね。」
「…そうだったわ。」
キャスがお茶を入れてくれた。
リチャードがその様子を眺めていると、怖い目で睨まれた。
また呆けた顔をしていたらしい。
しょうがないだろう、好きな女が自分の部屋で自分のためにお茶をついでくれているのだ。どうしても顔が緩むのは仕方がない。
「ずっとこうやって君と2人で暮らしていたいな。」
「…殿下。」
「ああ、ごめんごめん。心の声が漏れてしまった。」
◇◇◇
ゆったりとお茶を飲んだ後に、部屋を案内した。
キャスはキッチンの設備に目を丸くしていた。
お菓子やパンも作るので、どうしても道具類が多くなってしまう。そして裁縫室にも材料やミシンなどが充実している。
リチャードは外で金を使うことが無いので、こういうものを買う時にトンプソンが嫌な顔をしたことはない。
なんとか予算内に収まっているのだろうと言うとキャスが呆れた顔をした。
「殿下は屋敷の予算経営をトンプソンに一任しているんですか?」
「ああ、彼は信用できるからね。」
「それでも、彼が病気になったりして大要や経緯を知っている人がいなくなったらどうするんですか。殿下も把握しておくべきだと思います。」
「んー、そういうことは奥さんである君にしてもらおうと思ってたんだ。経済に明るい人の方がいいだろ?」
キャスがくるりと目を回す。
もうこの人は…という心の声が聞こえるようだ。
庭に出て植物の説明を始めるとついつい饒舌になってしまう。
枯れそうな植物たちが頑張っているエリアではベス・エバンズ方式の水をやらない園芸理論も披露した。
そして研究・実験場になっている屋根のある作業場や温室のあるコーナーに来た時に、キャスが目の前にある変わった形状をした鉢を見てなんだろうと思っているのがわかった。
「これだよ。君に見て欲しかったのは。ここに花芽が出来ているだろう。これが全部咲くとこんな感じになるんだ。」
そう言って見せたのは菊人形の写真だ。流れるような山を模したものもある。一輪咲きの大輪の鉢もある。
「でも、花は?」
「それは電気を当てる時間を調節して、開店時期に咲くようにしてるんだ。日本人は四季を大切にする。秋に豪華な花と言えば菊だからね。」
「…完敗です。ここまでしてくださっていたとは思いませんでした。これを店頭に置いたら目を引きますね。典子も喜ぶと思うわ。」
「キャスにそう言ってもらえると、庭師と2人で苦労したかいがあるよ。」
もう一度、屋敷の中に入って最後のプレゼンテーションだ。
「キャサリン、大切な話がある。これからも振られるために声を掛けることはあるかもしれないが、私はプロポーズは生涯一度と決めている。これでダメだったらしつこくすることは諦めるよ。好きでいることは許してほしい。遠くから君の幸せを祈るから。」
胸がドキドキする。
顔に血が上っていくのがわかる。
手が汗ばんでぶるぶる震えているが、キャサリンにプレゼン用の冊子を渡した。
「まず、1ページ目を見て欲しい。」
プロポーズと言いながら、突然営業マンがするようなプレゼンを始めたリチャードにキャスは驚いている。
リチャードはプロジェクターも駆使して、夜なべしてパソコンで作った映像をキャサリンに見せた。
イギリスの国を1つの企業だと考えて就職して欲しいこと。
キャスがキャリアウーマンとして挑戦したい分野の営業でも経営でも研究開発でもよい、どの分野でも国として何かの団体を任せて応援していくこと。
そのことに五月蠅く言う連中はリチャードが身をもって対処するし、すべての世論が反対に回るようだったら王族の身分を捨てる覚悟があること。
そしてプロジェクターを切って、資料を手放して、キャスの前に跪く。
「キャサリン・サマー、私は貴方のことをこの身体の細胞の一つ一つをもって、そして魂のすべてで愛しています。どうかわたしと結婚してください。そして私と共に人生を歩んで行ってもらえませんか?」
シーンとした間が怖い。
涙が盛り上がって来るのを懸命に堪える。
がっくりと肩を落としそうになった時に、キャサリンが両手をリチャードの肩に置いた。
「殿下、どうか椅子に座ってください。」
キャサリンの目を見ることが出来ない。
肩に置かれた手の温もりを振り切って、リチャードは椅子にどさりと腰を下ろした。
……駄目か。
リチャードは両手で顔を覆って、俯いた。
「すまない。何も言わなくていいよ。…君の……君の幸せを祈っている。ちょっと時間をくれないか。なんとか立ち直るから。」
絞り出すようにそう言って、空っぽになってしまったのにいやに重くなった身体になんとか力を入れようと努力する。
「殿下、自分で勝手に自己完結しないでください。」
その怒るような声音に思わず顔を上げる。
「私にも考える時間が欲しいですし、殿下にお話しすることがあるんです。」
「なんだ。何でも言ってくれ。」
少し涙声になってかすれているのがみっともないが、人生最大の絶望の中にあったリチャードはそんなことは気にならなかった。
そうして、キャサリンは自分の心情を語り始めた。
リチャードは車でサマー領主邸まで迎えに行き、オックスフォードに近いアーネンバラ公領の屋敷までキャサリンを連れて来た。
キャサリンは、車に乗ってから大学への期待や兄弟のこと、それにもうすぐ生まれる姪のことなどありとあらゆる話をいつものようにリチャードに聞かせてくれていた。
しかし、大通りを公邸の方に曲がった途端に私の顔を見て「嘘でしょ。」と一言発したまま絶句した。
「ようこそキャサリン・サマー、我が屋敷へ。」
「リチャード殿下なの…?」
キャサリンは消え入りそうな声で呟いた。
「ああ、ごめんよ名を偽って。しかし偽ったのは名前だけだ。私は本音でずっと君と話していた。」
「でも、お料理が趣味だって…それにお裁縫や編み物も教えてくれるって言ってたじゃないっ…ですか。」
「うん。どれも嘘は言ってない。本当のことだ。私は見た目は取り澄ました輝きの王子なんて呼ばれているけどね、本当は無口で内向的なだけなんだ。人前に立つのもあまり好きじゃない。」
「そんなっ。」
「家の中で主婦みたいな仕事をするのが好きでね。小さい頃は女に生まれとけばよかったとだいぶ悩んだよ。弟のヘンリーのほうが社交的で王様に向いてるから私を廃位にして王位を継いでほしいと何度も思った。でもね、そんな時に君に出会って男でよかった、第一王子として生徒会長に祭り上げられていてよかったと初めて思ったんだ。女だと君と結婚できないし、そもそも出会えなかったからね。さっ、着いたよ。今日はそんな話をするために来たんじゃないだろ? 屋敷に入って私の自信作を見て欲しいな。」
「…待ってください。殿下の自己批判は行き過ぎです。貴方の冷静で公平なものの見方をする指導力をみんな頼りにしているんですよ。高校でもそうでしたし、多くのイギリス国民もそう思っているはずです。知識は豊富だし勉強家で真面目だし安心して王位を預けられる人格者だと世の人たちは思っているんです。ヘンリー殿下は少々おいたが過ぎる時がありますからね。もうちょっと自分の価値を自分で認めてあげたらどうですか?」
「………。」
「聞いてます?」
「ん? ああ、聞いてる。でもキャスがそんなに私のことをかってくれてるとは思ってもみなかったんだ。ずっと…その…ずっと振られ続けてたし。やっぱり私なんかを好きになる人なんていないよなぁと思ってた。でも、君のことは諦めきれなかったっていうか、諦めようとする気持ちも持てなかったんだ。しつこくて悪いとは思ってたんだけどね。」
「…殿下。」
この時、車の窓が叩かれた。トンプソンだ。
「あの…お話し中、失礼いたします。お茶の用意が出来ておりますので続きはお部屋の中でされてはいかがでしょう。ここですと、そのう…人目もありますし。」
そう言われて気づいた。
お互いが話に夢中になって座席から身を乗り出すようにして話していた。
玄関の車寄せに止まったままの一般車を興味深げに見ている者たちもいる。
私達は即座にシートベルトを外して車を降りた。
キャスを人目から守りながら扉の中へエスコートする。ひんやりとしたホールの空気を感じるとほっとした。
「内奥の間にお茶を用意してございます。」
トンプソンはそれだけを言うと私達を2人きりにした。
「内奥の間って?」
「プライベートな客用の応接室なんだ。滅多と使わない部屋だけどね。」
リチャードはキャスを連れて屋敷の奥へと入っていく。召使たちも入ってこない扉を開けた先にリチャードのプライベートスペースがある。
「まぁ、素敵…パッチワーク、刺繍、トゥールペイント、これってまさか…。」
「そう私の作品だ。乳母のアマリーの趣味ということにしてるんだけどね。この趣味を知ってる者はそう多くないんだ。」
「でも私達兄弟は知ってるじゃない。」
「ああ、リカルド・ジェンキンスの趣味としてね。」
「…そうだったわ。」
キャスがお茶を入れてくれた。
リチャードがその様子を眺めていると、怖い目で睨まれた。
また呆けた顔をしていたらしい。
しょうがないだろう、好きな女が自分の部屋で自分のためにお茶をついでくれているのだ。どうしても顔が緩むのは仕方がない。
「ずっとこうやって君と2人で暮らしていたいな。」
「…殿下。」
「ああ、ごめんごめん。心の声が漏れてしまった。」
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ゆったりとお茶を飲んだ後に、部屋を案内した。
キャスはキッチンの設備に目を丸くしていた。
お菓子やパンも作るので、どうしても道具類が多くなってしまう。そして裁縫室にも材料やミシンなどが充実している。
リチャードは外で金を使うことが無いので、こういうものを買う時にトンプソンが嫌な顔をしたことはない。
なんとか予算内に収まっているのだろうと言うとキャスが呆れた顔をした。
「殿下は屋敷の予算経営をトンプソンに一任しているんですか?」
「ああ、彼は信用できるからね。」
「それでも、彼が病気になったりして大要や経緯を知っている人がいなくなったらどうするんですか。殿下も把握しておくべきだと思います。」
「んー、そういうことは奥さんである君にしてもらおうと思ってたんだ。経済に明るい人の方がいいだろ?」
キャスがくるりと目を回す。
もうこの人は…という心の声が聞こえるようだ。
庭に出て植物の説明を始めるとついつい饒舌になってしまう。
枯れそうな植物たちが頑張っているエリアではベス・エバンズ方式の水をやらない園芸理論も披露した。
そして研究・実験場になっている屋根のある作業場や温室のあるコーナーに来た時に、キャスが目の前にある変わった形状をした鉢を見てなんだろうと思っているのがわかった。
「これだよ。君に見て欲しかったのは。ここに花芽が出来ているだろう。これが全部咲くとこんな感じになるんだ。」
そう言って見せたのは菊人形の写真だ。流れるような山を模したものもある。一輪咲きの大輪の鉢もある。
「でも、花は?」
「それは電気を当てる時間を調節して、開店時期に咲くようにしてるんだ。日本人は四季を大切にする。秋に豪華な花と言えば菊だからね。」
「…完敗です。ここまでしてくださっていたとは思いませんでした。これを店頭に置いたら目を引きますね。典子も喜ぶと思うわ。」
「キャスにそう言ってもらえると、庭師と2人で苦労したかいがあるよ。」
もう一度、屋敷の中に入って最後のプレゼンテーションだ。
「キャサリン、大切な話がある。これからも振られるために声を掛けることはあるかもしれないが、私はプロポーズは生涯一度と決めている。これでダメだったらしつこくすることは諦めるよ。好きでいることは許してほしい。遠くから君の幸せを祈るから。」
胸がドキドキする。
顔に血が上っていくのがわかる。
手が汗ばんでぶるぶる震えているが、キャサリンにプレゼン用の冊子を渡した。
「まず、1ページ目を見て欲しい。」
プロポーズと言いながら、突然営業マンがするようなプレゼンを始めたリチャードにキャスは驚いている。
リチャードはプロジェクターも駆使して、夜なべしてパソコンで作った映像をキャサリンに見せた。
イギリスの国を1つの企業だと考えて就職して欲しいこと。
キャスがキャリアウーマンとして挑戦したい分野の営業でも経営でも研究開発でもよい、どの分野でも国として何かの団体を任せて応援していくこと。
そのことに五月蠅く言う連中はリチャードが身をもって対処するし、すべての世論が反対に回るようだったら王族の身分を捨てる覚悟があること。
そしてプロジェクターを切って、資料を手放して、キャスの前に跪く。
「キャサリン・サマー、私は貴方のことをこの身体の細胞の一つ一つをもって、そして魂のすべてで愛しています。どうかわたしと結婚してください。そして私と共に人生を歩んで行ってもらえませんか?」
シーンとした間が怖い。
涙が盛り上がって来るのを懸命に堪える。
がっくりと肩を落としそうになった時に、キャサリンが両手をリチャードの肩に置いた。
「殿下、どうか椅子に座ってください。」
キャサリンの目を見ることが出来ない。
肩に置かれた手の温もりを振り切って、リチャードは椅子にどさりと腰を下ろした。
……駄目か。
リチャードは両手で顔を覆って、俯いた。
「すまない。何も言わなくていいよ。…君の……君の幸せを祈っている。ちょっと時間をくれないか。なんとか立ち直るから。」
絞り出すようにそう言って、空っぽになってしまったのにいやに重くなった身体になんとか力を入れようと努力する。
「殿下、自分で勝手に自己完結しないでください。」
その怒るような声音に思わず顔を上げる。
「私にも考える時間が欲しいですし、殿下にお話しすることがあるんです。」
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