恋と鍵とFLAYVOR

六葉翼

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【隅田と私と青の時】





隅田澄香。

彼女は同学年でクラスは一組、私と悠斗君は三組だ。彼女の姿を通夜の席で見かけなかった。報せを聞いて体調を崩してしまったらしい。

悠斗君と最後のお別れができなかった事を悔やんでいるだろう。

私は思うのだ、あの場に悠斗君はいなかったと。亡骸は確かにあっても、彼の魂は、あの香りと香りの源と共にある。そんな気がしてならない。

隅田はお洒落な紙袋を手に提げていた。

街で評判のケーキ屋さんの袋で多分中身はモンブラン。

和栗をふんだんに使ったスポンジを使わないモンブランで、やはり栗のペーストが練り込まれた三角のクレープ生地で包まれている。

一番上にマロングラッセと金箔…悠斗君の好物だよね。

私だって考えた、でもお仏壇に備えたら半日も持たないし。

そんなに沢山のケーキお父さんとお母さんには量があり過ぎて哀しいじゃないかって。

それを躊躇せず持って来た。

いつも冷静で理知的と評判の隅田が。

羨ましいくらい放課後悠斗君の側にいて、なんで彼女じゃないんだろう。

私は腕時計を翳して見る。

暑さで文字盤に書かれたラテン数字が溶けて見えるのは仕様のせいだ。

タイムマシンが時間旅行するとき現れる数字みたい。

でも過ぎた時間は戻らない。たとえ戻れるにしても何時まで私たちは時間を遡れば彼に好きになってもらえるのだろう。

私は裏口にそっと身を隠そうとした。

「小野瀬さん」

見つかってしまった。

隅田は私の姿を確認すると即座に顔を背け両手で顔をごしごし拭いている。

かと思えば玄関の一番上にすっと立ち私に向かって言った。

「あんたここで何してるの?!」

「悠斗君にお線香でもと思って」

「授業中でしょ」

「そう言う…隅田さんだって」

「私はお葬式出れなかったから、ちゃんと先生に断って図書委員を代表して来たの」

「ああ、そうなんだ」

「裏口でなにやってんの」

「チャイム押しても出ないから、お台所かなって」

隅田は射抜くような目で私を見て言った。

「あんたがその首からぶら下げているものは、どうやら鍵のようだけれど」

しまった、リボンを外して引き出しを探した時だ。

あまりに暑いんで私第2ボタンまで外していた。

「非合法の匂いがするわ」

嗅ぎつけられた。

「それにその鍵…音無君が持っていた鍵に酷似しているのだけれど」

人を追い込む時こういう喋り方をすると大変効果的、と隅田は私に教えてくれている訳ではない。

「説明して小野瀬さん」

「説明」

「そう、私に分かるように説明して」

「なぜ隅田さんみたいな聡明で可愛い女の子が側にいて音無君は好きにならなかったのか私正直疑問だったの…何故?」

私は肩を竦めた。

「でも今分かった」

「質問に答えないばかりか、今私を侮辱した」

隅田はひらりと玄関の階段から飛び降りた。

その時水色のパンツが少しだけ見えた気がして、私は胸が少し高鳴る。

「選ばれない事はけして恥じ入る事ではないと思うの」

「黙れ、その口!」

隅田と掴み合いになる。


夜家に帰った私は部屋で自分のPCの液晶モニターの前にいた。

さすがに隅田とは掴み合いになったがバトルには発展しなかった。音無君の家の前でさすがにそれは出来ない。お互いに引いたのだ。

隅田は直に帰宅するであろう悠斗君のお母さんを待ち、私は帰宅した。

後日放課後の図書室で話そうと約束を交わして。

「これから私は音無君のお母さんと会う事になるけど、お母さんにあんたの事は言わない。先生にもね」

肩で息をしながら隅田は私に言った。

「全て自分で確かめるまではね」

隅田は、あれでなかなかに良い女なのではないか。

いずれにしても、翌日私を待っているのは破滅の二文字かも知れない。

あんたんとした気持ちと奇妙な清々しさが混じり合う。

隅田には包み隠さず話してしまおう。そんな気分。

元より私は音無君がらみで誰1人欺いてはいない。

私の所業に関しては聞かれない事に答えていないだけだ。

そんな言い訳じみたスタンスや言葉が通用しない事は分かっていたが。

突然着信音が部屋に鳴り響く。

悠斗君のお母さんだ。

なんだろう、身に覚えがあり過ぎて私はなかなかでる事が出来ない。

「もしもし、小野瀬ですが」

「もしもし、私悠斗の母です」

「先日はありがとうございました」

「突然電話して、おかしな事を言うけど、ごめんなさい」

「はい」

鍵は出る時ちゃんと閉めた。部屋の照明のスイッチは入れてない。

忘れた物なんてない筈だ。

「…悠斗の部屋の香りが変なの。とても強い匂いが籠っていて、はっきり分かるくらい強い香りで」

私は冷水を浴びた気分になる。窓を開けて換気するわけにはいかなかった。

香水の匂いは部屋に残ったままだったのだ。

「誰か悠斗の部屋に入ったのかしら。夫は帰宅が遅いし、急に電話してごめんなさい」

悠斗君のお母さんは明らかに狼狽していた。

私は、なんて事をしてしまったのだろう。香水の瓶の蓋を開けたばかりに悠斗君の部屋の空気を汚し、お母さんを不安にさせてしまうとは。

「そう言えば夕方隅田さんという女の子が訪ねて来たけど、まさかあの子が」

隅田が疑われているのか。

「隅田さんは、そんな人じゃありません!」

私は思わず叫んでいた。

なんで私は隅田を庇うのか。いや、隅田は私の事をお母さんに言わなかった。

そしてこの件で100%の咎や謗りを受けなくてはならないのは私だからだ。

「全て私がやった事です、ごめんなさい」

電話口でふふと笑う声がする。

「隅田さんは2階に案内してないわ」

「そうですか」

「貴女に至っては家に来てもいないし」

私は沈黙する他なかった。

「友達思いなのね、でも過ぎたるは、何とかって言うでしょ」

「すみません」

電話口のお母さんの声が少し軽くなった。

「もしかしたら香りの強いものが部屋にあるのかも」

「悠斗君のお部屋のものは手付かずのままですか」

「ええ、最近は私が部屋に入って掃除するのも嫌がっていたんで気がひけて」

「私も親とよくそれで喧嘩します」

「どこの子も一緒ね」

「最近は雑貨屋さんでもアロマ・キャンドルとか香水みたいなものも簡単に買えます。悠斗君も誰かに誕生日プレゼント貰ったか贈るつもりの品があるのかも」

こうして話しているとまるで彼が今も生きているみたい。

「この暑さですものね。香りの元を探したら見つかるかもね」

「お部屋の換気は」

「ええ、そうするつもりよ」

ふと会話が途切れた後お母さんは私に言った。

「悠斗と仲良くしてくれてありがとう」

悠斗君のお母さんは見つけるだろう。香りの源を。

それが女性の使う香水であったり、高価な品だと気がつくかも知れない。

けれど多分旦那様にもその話はしない。

部屋の換気をすっかり済ませたらドアを閉める。

来月請求書が届いたら、携帯やパソコンの契約は解約されて、私はもう2度とあの部屋を訪れる事はない。

誰の手や目に触れる事なく彼女が守って行く。解き明かされぬ彼の秘密も本も香水も、全部だ。

「小野瀬さんも隅田さんも、とてもいい
子。多分あの子は幸せな学校生活だったと思うの、だから小野瀬さん」

「はい」

「死んだ人の香りなんて追ったら駄目よ」

「はい」

「この間貴女から、そんな話を聞いて心配したの」

お母さんの言葉は優しかった。

「お話出来て嬉しかったです」

「私もよ、夜分にごめんなさい」

電話が切れた後私はPCの黒い画面を眺めていた。

私は悠斗君が好き。ただそれだけだった。

なのに傷つけてはいけない人を傷つけてしまう。

指先がキーに触れる。

省電モードが解除され目の前に検索した画面が現れる。

【HEURE BLEUE  GUERLAIN】

1912年発売。

L'HEURE BLEUE(ルールブルー)とは「青の時」を意味する。

ゲラン家は175年続く調香師の家系。 
息子とセーヌ河のほとりを散策中だった3代目調香師ジャック・ゲランが太陽が消え星も無い空を見た時のことだ。黄昏があたりを青色に変えていく光景に深い感銘を受け創作された。 最もロマンチックな香水とも呼ばれている。しかし彼がこの香水に投影したイメージは【言葉にならない災いの前兆】それを香水で表現したのだと生前に彼は書き残している。

ゲランが歴史に名高い調香師の中でも、とりわけストーリー・テラーと呼ばれる由縁である。

第一次世界大戦前の平和な時代。

穏やかでけだるい夏の黄昏時に感じた不安。ボトルはレイモンド・バカラによる傑作のひとつ。当時は全ての香水に違うボトルを作る事はなく、この香水が初めて…

「災いの前兆か」

私の粗末な嗅覚が調香師の香りに込めた意図を嗅ぎ当てた。なんて事があるはずもなく。

私を戦かせたゲランの香水は優雅で上品で完璧だった。

こんな香りを身に纏う女性と彼が何処かで出会っていたのだという憶測。敵わないと感じさせる空気。それに尽きる。

私は音無悠斗君の突然の死を受け入れられず。

彼のベッドに染み付いた香水の香りに翻弄された。

しかし否応なしに幕引き。もうこれ以上何も出ては来ないだろうと思われた。

少なくとも私の身の周りにゲランなんて使ってるセレブはいないのだから。

PCを閉じてベッドに身を投げ出す。

その日私は色々あって自分で思うより心も体も疲れていたようだ。

ベッドに身を投げ出す。

すぐに夢なく香りも音すらない暗闇の底に私は静かに落ちていった。
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