恋と鍵とFLAYVOR

六葉翼

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【馬鹿と私とムスクの香り】

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翌朝は、いつもより少しだけ遅い時刻に目が覚めた。登校時間も当然遅めになるが遅刻を心配する程ではない。

登校時間が多少ずれただけで普段行き会うう事のない人に出くわす事もある。

昇降口の前でクラスメートの未来にあった。未来はいつも始業時間ぎりぎりに登校して来る。

「おはよう」

未来に声をかける。

未来は私を指差して。

「言ったのにリボン!」

生活指導の先生みたいだ。

未来は私のリボンタイの結び方がダサイといつも難癖をつける。

「もっと緩めないと可愛くないよ」

逆生活指導にあう。私は突っ立ったまま新婚の奥さんにネクタイを直してもらう旦那みたいになっている。

「出来た!よし完璧!さあ行こう」

未来と連れ立って昇降口に入る。室内履きに履き替えている時妙な香りがした。

「なにかな、この臭い」

未来が思わず鼻を摘まむ。かと言って生ゴミや腐乱死体のような異臭がした訳ではなくて。

多分いい香り、なんだろう。ジャコウジカ、ムスク、男性用のフェロモン系の香水だ。

デパートで香水のサンプルを嗅いでいたら親切な女性店員さんが色々教えてくれた。

その中の香りの1つだ。

悠斗君の部屋にあった香水とは似ても似つかない香り。

私たちのいる反対側の男子の下駄箱から匂ってくる。

そっちから出てくる男子が皆怪訝な顔や失笑を浮かべながら廊下を通り過ぎる。

「繭、あっちからバカの気配がするよ」

「バカ?」

気配じゃなくてあからさまに匂いだけど。

「藤池翔太って知ってる?」

「名前ぐらいは」

未来は悪戯っぽい顔をして私の手を引いた。

「ほらほら」

未来に促され男子用の下駄箱のある方を覗き込んだ。

なんか、いかにもチャラいですって感じの男子が1人天に向かって香水を振り撒いている。

殺虫剤で蚊を狙うように断続的に何回かに分けて。

「やっぱり藤池だよ~」

未来が押し殺した声ではしゃいでいる。

藤池という男子生徒はたっぷりと身の周りに香水を振り撒くと満足したように一つ頷いた。

そして何を思ったのか空中の蚊を捕まえるみたいに両手をひらひらさせている。なんの儀式だろう。

彼は頷くと、こちらに向かって歩き出した。

すれ違い様に私たちを見て、こう言った。

「香水は吹き付けるものではなく着るものだよ、お嬢さん方」

なるほど、ファビュラスでブリリアントなバカだ。

何かと話しかけてくるバカを無視して私と未来は教室に向かう。ニ年の教室はニ階だ。

「小学校の時からあだ名はキザ夫だったけどね」

教室に向かう途中で話題は自然と藤池の話になった。特に興味はない。しかし未来は小中と学区が同じだったらしく、藤池の事にやたら詳しい。

「高一まではあんなんじゃなかったよ、元々調子のいいやつだったけど」

高ニになったばかりの頃バイト先で知り合った彼女が出来てから藤池は変わった、らしい。どうでもいいが。

「何でも年上の彼女らしくて、その彼女に影響されてるらしいよ」

「で、結果があれなの?」

「背伸びしてるの、見え見えで痛いよね~」

「まあ、さっき撒き散らしてた香水、かなり高いと思うよ」

「買ってもらったんだよ、セレブな社長婦人に」

「社長婦人って」

「結構学校じゃ有名だけど…あいつのつき合ってる女って既婚者だよ。毎朝ベンツで送り迎えしてもらってるの見た事ない?」

セレブな社長婦人。送り迎えのベンツ。

図書室の窓から見た風景。

「いいわね、お金持ちって」

隅田の呟き。て、事は悠斗君も見ていたかも知れない風景。

「セレブ」

私の頭に閃くものがあった。

そのまま教室の入り口と未来に背を向けると駆け出していた。

「未来、悪いけど先、すぐ戻る!」

「なに?トイレ?ホームルーム始まっちゃうよ」

教室をチラ見したが藤池の姿は見当たらない。

私たちが登って来た六組の教室横の階段。あそこが昇降口から教室に一番近い。

階段の前に着くと予鈴がなり始めていた。近くにスピーカーがあるせいかやたら音がでかくて階段や廊下に響いていた。

予鈴が鳴り始めているにも関わらず藤池は悠長に階段を登って来るところだった。

「藤池」

私は彼の前に駆け寄ると矢継ぎ早に彼に質問を繰り出した。

私たちの話し声は予鈴の音にかき消され周りには聞き取れない。明らかだれか悪戯でボリュームいじってるな。

慌てて階段を登って来る生徒も何名かいた。誰1人私たちの事なんて気に止めてなんかいなかった。

でも次の瞬間そこにいた人たち全員が足を止め私たちを見た。

私は階段の壁を背にして藤池と話をしていた。私の顔のすぐ真横の壁に藤池が掌をついた。そのまま体を密着させるように体を刷り寄せて来る。

「…いいけど、今度デートしてくれる?」

数えらんないくらいの虫が足元から這い上がってくる感覚。

「別に構わないけど」

私は答えた。完璧にこいつ色ぼけの勘違い野郎だ。

彼は私の顔色を伺いながら私の髪や頬に触れるしぐさをして見せる。
口が半開きなのはやっぱバカだからか。

さっきまで壁に触れてた汚い手、そんなんで私に触れたら躊躇なく張り倒す。でも生憎そこまでの度胸はないようだ。

「さっき下駄箱で君を見た時、ああこういう普通っぽい子もいいなって」

ほめてんのか挑発してのかなめてんのか。やっぱムスクはダメだな。というか一気に印象悪くなった。

「タイが揺るんでるよ。ちゃんと結ばないと」

指先が私のタイに触れた瞬間。

「なにすんのバカ」

未来が私と藤池の間に飛び込んできた。

「せっかく私が可愛くゆるゆるにしたのに!ダサ!ダサ!!ついでお前も、ダサ!!!」

そっちなの!?

「ファビュラスむかつく」

「キザ夫が!」

私と未来は呪いの言葉を吐いた。

「え…あの…」

ダサイと言われて藤池は少なからず動揺しているようだ。

ここで逃げられては元も子もない。

「藤池聞きたい事あっから放課後下駄箱にいろよ」

私は階段の上から藤池を指差した。

「お前が繭にした不埒な行為は全て私のスマホに録画させてもらった」

繭がスマホをつき出す。そんな事は頼んでないが。

「なにこれ、罠?」

藤池は愕然としている。

「繭の約束破ったり変なことしたら担任とお前の彼女に動画見せるからな」

未来のスマホをチラ見する。ぎっしり私の動画で画面が埋めつくされている。

五分前に未来を置いて走りさる私の後ろ姿まで。

【走る繭のお尻】

腰砕けになりそうなタグや絵文字が踊っている。遠足や体育の時の着替え悠斗君のお通夜の時の動画まで。

「お前にも話がある」

私は未来の耳をつまんで廊下を歩く。

「愛ゆえの無垢なストーキングだよ~」

私も人の事言えた義理ではないが。

「愛ゆえにか…」

私は教室で未来の撮りためた私の動画や写真を削除しながら思った。

放課後会う事になってる隅田にそんな言い訳は通用しないだろうな。

「そう言えば、音無君のお通夜の時に未来が言った『いやん』て言葉が妙に耳に残っててさ」

スマホを未来に返しながら私は言った。

未来はきょとんとした顔で私を見た。

「私、そんな事言ってないよ」


放課後。私は図書室の扉の前にいた。扉の前には札が一枚掛けてある。

【本日は図書の貸し出しは終了しました】

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