恋と鍵とFLAYVOR

六葉翼

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【星とほおずき前編】

【隅田澄香】

祖母の葬儀から帰った私は庭で一人遊びをしていた。喪服を持たない私は襟に白いレースの飾りがついた黒いサテンのワンピースを着ていた。

いつもするみたいに遊び友達を呼ぼうとスカートを両手で、ぽんぽん叩く。ぽんぽんぽんぽん。

「ねえ!どうして誰も来ないの!」

私はむきになってスカートを叩く。

私の肩に誰かが優しく手をのせる。振り向くと母がそこに立っていた。

「もう誰も来ないのよ」

「どうして、どうして誰も来ないの?」

「それは、澄香が大きくなったから」

私は明日から小学校に入学する。小学校に入学すれば小学校のお友達が沢山出来る。

「澄香が今まで遊んでいた子たちは伏見のおばあちゃんの家にみんな帰ったの」
母は私に説明した。

「今まで澄香が見たり触れたりしたものは他の人には見えないものなの」

母は腰を屈めて私の目線に合わせるようにして言った。

「人に見えないものが見えるという事は私やおばあちゃんや御先祖様から受け継いだ大切なもの。でも、それは澄香を幸せにしてくれない」

「幸せ」

「将来勉強して、やりたいお仕事を見つけて、お母さんみたいに結婚してお母さんになりたいと思ってもなれない」

「そんなのいや」

「そう、だから見えないものが見える澄香は、おばあちゃんが蓋をして閉じてしまったの、代わりに澄香は自分で幸せになる道が開いたの」

見えないものが見えると幸せになれない。

好きな人のお嫁さんになる事もケ-キ屋さんにもなれないんだ。

他の人が見えないものを私は見てはいけないんだ。

母の言葉は私の心に深く刻まれた。

他の人が見えないものが見えると幸せにはなれない。

幼い頃の私はそんな事微塵も考えたりはしなかった。

だって私の身の回りには生きている人間よりも、そうでないものの方がずっと沢山いた。

そういう物に囲まれて暮らしていた。

ある日スカートの中から肢が出ていた。

「いやあ、毛虫」

それは毛虫というにはあまり大きな毛むくじゃらな物体で、猫の前肢だった。

黄色い目を光らせた牛くらいの猫がニタニタ笑いながらスカートの中から飛び出した。

首が三連に繋った、けたたましい声で鳴く黒鳥。

おびだたしい数の魚の顔。不思議な事に彼らはどの角度から見ても私に正面から見た魚の顔を見せるのだ。

全身が緑の裸の女。見上げるほどに背が高く電信柱みたい。でもニ本の腕はとても長くて地面について直角に折れ曲がっていた。

次から次へと不思議な造形のものたちが飛び出して来る。

「見かけんと思ったら、あんたらこっちに来てたんか」

振り向くと和服姿の祖母が立っていた。

「おばあちゃん」

私は祖母に駆け寄る。そして祖母の背中に隠れるようにして庭を覗き込んだ。庭に終結した変なものたちは、じっと大人しくして私と祖母につぶらな瞳を向け立っていた。

「悪いもんやないよ」

私の頭を祖母の手が優しく撫でる。

菩薩様みたいな笑みを浮かべて私を見下ろす祖母の左の目は黒い皮の眼帯で隠れていた。

もの心がついた時私は祖母の眼帯がとても怖かった。

「こわないよ」

祖母はある日私に眼帯を取って見せた。

祖母の左の眼球があった場所にはガラスの義眼が収まっていた。

義眼の真ん中には鬼灯が星のように赤く光っていた。

「おばあちゃんちに咲いているのと同じやで」

鬼灯は秋になると赤く色づく。けれど祖母の家には一年中鬼灯があった。

京都の伏見にある母の生家。石段を登った先には百日紅の手摺があって玄関の表札に描かれた家紋も鬼灯。外灯にも屋敷の中の襖にも、調度品にも鬼灯の絵があしらわれていた。

暮れかけた庭で祖母は私に言った。

「この子らは、なりはこんなんでも私らを守ってくれる神さんの使い、けんぞくなんよ」

「けんぞく」

私と祖母が彼らを見ると彼らは恭しく頭を垂れて膝まずいた。

「みんな神さんの御使いや」

「神さんてどこにいるの?」

祖母はそっと絣の着物の袖を空に翳した。

祖母が指指した先には夕暮れ時の星もない空に一つだけ輝く光があった。

「ほら、あれ」

私は空を見上げてその明るい星を見た。

「あれがうちらの神さんや」

それは金星だった。

「神さんの星」

私はうっとりしながら祖母と暗くなるまでその星を眺めた。息をひそめて。庭には私と祖母と彼らしかいなかった。

空にあるあの星は神様の星でいつも私たちを見守ってくれている。

祖母はその星を守りお祀りする星の巫女だと初めて、私はその時知った。

「お母さん、昨日送ってもらった蝦名芋炊いてみたんだけど」

母が玄関から顔を覗かせ、祖母に声をかける。

「ちょっと味みてくれる?」

はいはいと祖母は愛想よく返事を返すと庭を後にする。

「澄香もご飯だから家に入りなさい」

「ご飯やて、行こか」

祖母の言葉に頷いて私はちらり庭を見る。そこには何もいなかった。

濃さを増した夕闇の塀や庭木の影の中に皆溶けてしまったかのように。

「みんなどこに消えたの」

玄関までの短い距離を歩く祖母の足に追いつくと私は囁いた。

自然に小声になってしまうのは、あの子たちが私らにしか見えないから?それとも本当は見えてはいけないものだから?

「今はここにおるよ」

祖母は着物の帯の下をぽんと一つ叩いた。

「澄香とおばあちゃんは血がつながっている、あの子らは血の道を通って澄香のところに来れる」

「お母さんのとこにも?」

「お母さんは随分前に道を閉じてしまったから、あの子らは見えんよ」

「そうなんだ」

「見えないものの中には良いもんもいれば悪いもんもぎょうさんいてはる」

それは幼い頃から薄々感じてはいた。

夜寝ていると、いきなり手で口を塞いだり階段で背中を押したり、振り向くと大概そいつらは真っ黒な体をしていて、にたにた笑っていた。

「人様の目に触れんのをいい事に、悪さをしようとするものには、澄香みたいに見えてしまう子が邪魔なんよ」

祖母の手が優しく私の頭を撫でる。

「そういう子は、大きくなると悪さをされて困っている人を助ける事をするので、あれらには目障りなんよ」

祖母はそうした人たちの相談を受けて払う仕事をしていた。先祖代々から続く生業。【伏見の鬼灯の館の婆様】と言えばそのすじではかなり有名だった。

「あんたは、あの子らが守ってくれる、あの子らはとても強い、それでもあんたに悪さしようとするもんがおれば」

祖母は私に悪いものを追い払う秘密のおまじないと、いくつかの訓示を残して京都に帰った。

ケンゾクであるあの子たちを表に出す事は家以外ではしてはならない。 

けして家の敷地内から外に連れ出してはならない。

「その変わりあんたにこれをやる」

そう言って祖母は鬼灯の絵が描かれた御守り袋を私にくれた。

「これを持っていれば家の中でも外でも悪いもんは寄って来ない」

そして、祖母と話した神さんやケンゾクの話は秘密にしなければならないという事だった。

「うちらの事をよう守ってくれはる神さんやけど怒らしたら大変や、それだけは忘れたらあきまへん」

私は祖母と指切りをした。子供心に祖母と交わした指切り。それは近所の友達とする約束や指切りよりはるかに重いものだと私は感じた。

私は家の中や庭で誰も周りに人気がないのを確認してからスカートを叩く。

出て来た彼らは寡黙で私に話しかけたりはしない。そして皆従順だった。

言葉を交わす事はなくても彼らの眼を見ていれば私を好いていてくれるのが見てとれた。

私は彼らに一つ一つ名前をつけて、実によく遊んだものだ。

私は小さい頃から活発で、ものおじしない子供であった。近所に友達も沢山いた。

私はある日祖母との約束を忘れ彼らを連れて外に出た。

家来を大勢従えたお姫様になった気分で近所を歩いた。

彼らの姿は人には見えないはずだ。その日は路地で人に出くわす事はなかった。

いつも遊んでいた近所の公園に行くと幼稚園の友達が3人砂場で遊んでいた。

女の子がニ人に男の子が一人。

「澄香ちゃんだ!」

公園に入って来た私に気がつくと砂遊びの手を止めて私の方に駆け寄って来る。

「澄香ちゃん」

「今砂場でトンネル…」

私の前にいち早く着いた男の子が目の前で昏倒した。ばたばたと後ろにいた女の子ニ人も地面に倒れた。

倒れて、それっきり目を覚まさなかった。駆けつけた大人の人が救急車を呼んでくれて子供たちは病院に運ばれた。

大人が駆けつけ騒ぎになる前に私は彼らをスカートの中にしまいこんでいた。

怖くなって、その場から逃げ出した。

心の中で友達の名を呼びながら詫びた。
一刻も早く家に戻って母親に抱きついていたかった。息を切らして家の玄関の扉を開けると母は電話で誰かと話をしていた。

「お母さん!」

「澄香、京都のおばあちゃんから電話よ」

私は靴を脱いで、恐る恐る受話器を耳にあてる。

「もしもし、おばあちゃん?」

「澄香、あんた約束破ったらあきまへんえ」

祖母の口調はいつも通り穏やかで優しかった。

「おばあちゃん、ごめんなさい」

涙が自然に目から溢れ出た。

「葵ちゃんが…翔太君が…」

「大丈夫、もう元気で家に帰れる頃や、うちの子らは小さい子には少々毒気が強いようやから、会わせたらあかんの、はっきり言わんかった私のせいや、ごめんな澄香」

「私約束破って…神さんにしかられる」

「澄香が破ったのはおばあちゃんとの約束で神さんの事は誰にも言うてないから大丈夫」

「本当に?」

「ああ大丈夫や」

母が私の手からいきなり受話器をひったくると。

「お母さん澄香に何をしたの!?」

受話器に向かって噛みつくようにまくし立てた。

電話の様子から尋常ではない気配を察したのか、母の声は次第に声高に喧嘩ごしになっていった。

口調もいつも使わない関西の言葉になっていた。母が本気で怒っている証拠だ。顔面は蒼白で唇は震え、母は明らかに怯えていた。

「澄香はまだ大丈夫って言うてくれはりましたよね!兆候…兆候ってなんですか…」

私は大好きなおばあちゃんとお母さんが私の事で喧嘩するのが悲しかった。

気持ちを上手く言葉に出来なくて。

「お母さんちがうの」

そう言って泣きながら母の服の袖を引っ張る事しか出来なかった。

「…わかりました。後で澄香に聞いてみます」

母が受話器を置いて私に聞いた。

「澄香、いつから怖いものが見えるようになったの?」

「覚えてない、ずっと前から」

「髪を引っ張られたり悪さをされた?」

私は頷いた。

「なんでお母さんに言わないの!」

「お父さんに言ったら『そんなものはいないよ』って…だからお母さんにも見えないと思ったの」

「そう、澄香は小さい頃のお母さんと一緒やね」

「おばあちゃんがお守りくれてから大丈夫になった」

ケンゾクの子たちも…それは言いかけてやめた。

「おばあちゃんにちゃんとお礼言えた?」

私は頷いた「だから、お母さんもおばあちゃんとケンカしたら」

母が私を急に抱きしめたりするものだから、私は息が苦しくて、言葉の続きが上手く言えない。

ケンカしたら、あかんの。

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