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螺良 羅辣羅

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第七章

12

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「どうしたんだ?」
いつものように朱鷺世が宮廷で働く女官たちの住居を訪れて、出てきた露と一緒に歩いて広大な庭の奥に向かう途中だった。
「どうしたって?怪我をしちゃったの」
 普段、感情を表に出さない朱鷺世が左手に白布を巻いた露を見て、大きな声を出した。
「私が悪いのよ。食器を運んでいた時に裾を踏んでしまって転んでしまったの。お皿が割れてしまって、そこに手をついて、手の平を切ってしまったの」
「傷は深いのか?」
「出血がひどくて、一緒にいた仲間が悲鳴を上げたので、私もびっくりしてしまったけど、そんなに深くはないわよ」
 二人が会うと座る庭の奥深くにある大木の前まで来ると、いつものように二人はその根元に腰を下ろした。
「すぐに仲間が白布を巻いてくれて、宮廷のお医者さまを呼んでくれたの。女のお医者さまでね。傷口に塗り薬を塗った柿の葉をおいて、布を巻いてくれたの。それから五日経った今日、わざわざ私を訪ねてくれて、傷口を見てくれたのよ。その方、五日ごとに宮廷にいらしているのですって。傷口がきれいに塞がるか気になったからといって、私のような下の者でも心配だったとおっしゃったわ」
「そうか…他に怪我はなかったか?」
「……転んだときに、膝を打ったわ」
「他には?」
「手首も強くついてしまって痛いの。だから、みんながわたしの仕事を代わってくれた」
「それは良かったな。無理はするな」
「朱鷺世は?今は忙しいのでしょう。六日振りかしら、会うのは」  
「うん……」
 朱鷺世は顔を前に向けて、その先をぼんやりと見ているふうだ。露も朱鷺世と同じ方向を向いていたが、目を左に寄せて、朱鷺世を盗み見た。並んで座っているので、朱鷺世の顔の表情はよくわからなかった。すると朱鷺世は腰にぶらさげた袋の中に手を入れてから中の物を取り出し、手の平に載せて露の前に出した。
「……何?……びわ?」
「ん」
「これ……どうしたの?」
「差し入れでもらった」
「朱鷺世は食べたの?」
「ん」
「私に持って来てくれたの?」
「そうだ。……その手では食べづらいだろう」
 そう言うと朱鷺世はびわの皮を剥いて、露の口元のその実を持っていった。
 露は右手を添えて、びわの実を一口かじった。
「甘い!」
「うん。甘いな」
「美味しいわ」
 露は朱鷺世の手からびわを一つ全部食べた。
「もう一つある」
 足の間に置いていた袋の中から、もう一つびわを出して、朱鷺世は先ほどと同じように剥いて露に食べさせた。
「最近の舞の練習はどう?」
「うん」
 露に言われて、朱鷺世は今日の稽古場のことを思い出していた。
 あの男……一日おきに稽古場に来る。たまに連日来ることもある。
 そして、そのたびに二人で稽古場の中央に立ち、どう舞うかを話し合っている。昨年はあの男と話した記憶がないのだが、今年はむやみやたらと話をする。朱鷺世からではなく、ほぼあの男からだが、ああしようこうしよう、朱鷺世はどう思う?とよく聞いてくる。
 今思い出したら、あの男、俺のことを朱鷺世と呼んでいたな。
 確かに身分を考えたら、そう呼び捨てられても仕方がない。
 この前は舞の前半部分について変更があった。師匠の麻奈見が思いついたと言って、細かい変更が入ったのだった。
 兄弟子の淡路が舞って見せて、二回目は三人で一緒に舞った。
 俺はなんとか兄弟子とほぼ同時に舞えたが、あの男は少しばかり遅れて舞っていった。その場の誰もがそれに気づいていたが、指摘することはなかった。
 でも、二度目の舞であの男の方がはしっかりと舞の勘所を捉えて舞っていた。
 舞の技量は上になったなんて思い上がっていてはいけない。そんな思いで過ごしていたら、今回も負けてしまう。
 そして、今日は後半の二人舞についての話があった。
 前半に変更があった時から、後ろも何か変えると言い出すと思っていたが、案の定、そうなった。
 後半は、疲れているだろうが、動きは大きく、激しくしたいということで再び、淡路が見本の舞を舞った。一度見て、その後淡路と向かい合って実津瀬と朱鷺世が立ち、同じように舞った。淀みなく舞う二人に、麻奈見が言う。
「さすがだな。一度見ただけで、もう舞えている。やはり、二人は今最高の舞手だ。桂様も楽しみにされている」
 桂と聞いて、朱鷺世はあのお姫さまのことを思い出した。
 この前も稽古場に来ていた。
 実津瀬は来るか?と尋ねられて、麻奈見がこの時間にここにいないとなると、今日は来ないと思われます、と答えた。前日にあの男は練習に来たから、通常では今日はここには来ないだろう。
「そうか……残念だ。二人の舞を見たかったのに。でも、朱鷺世の舞は見られる。それは救いだ」
 そう言って、二人で舞う最初の部分を淡路と一緒に舞った。
「朱鷺世、上手くっているな。本当に月の宴が楽しみだ。そうだ!麻奈見、衣裳はどうなっている?」
 と尋ねた。
「はい。昨年、桂様からいただきました衣装を着る予定です」
「ああ、あれか。確かに、とても良いものだから、使うのはいいだろう。だけど、昨年と同じというのは芸がない。それを少し手直ししよう」
「いいえ、そのようなことはもったいないことです」
 麻奈見が断りの言葉を言うと、桂は強い口調で言い返した。
「そんなことはない。これは私の道楽だ。やらせてほしい。明日、私の邸に衣装を持って来させておくれ。少し、私の方で手直しするから」
 麻奈見は深く頭下げて、その有難い申し出に感謝の気持ちを表した。
「ところで、勝負の一人舞はどうなっている?二人とも順調かい?」
 桂は目を輝かせて言った。
 桂といえども、菖蒲の一人舞は本番まではちらりとも見ないことにしているが、その出来については気になるので、こうして訊いてくる。
「はい。桂様とお話しした通り、今回は、基本的な舞の型に工夫を凝らすと決めて、二人とも考えています。基本的な型は華やかさに欠けるように思われるかもしれませんが、そこが工夫のしどころで、二人も我が力量の見せ所と、日々苦心しながら形にしているところです」
 と、麻奈見が答えた。
「そうか?宴が待ち遠しい。早くその日にならないかと、楽しみを数えて寝る子供のような気持ちだ」
「まだまだ寝なくてはなりませんね」
「うん。本当にまだまだだ。それでは、長居しては練習ができないだろう。私は帰ることにするよ」
 桂は機嫌よく練習場を後にした。
 麻奈見、淡路、他の雅楽寮の同僚たちと一緒に朱鷺世も桂を見送った。
 今回の一人舞を舞う順番は前回とは逆で、朱鷺世から舞うことになった。前回は好きに舞っていたが、今回は麻奈見が言ったように、基本の型を中心に舞を構成することになった。代わり映えしないが、その分技術の差が見えるものになると思われた。そして、いちばん頭を悩ませているのは工夫だ。
 同じ型を舞っているのに、舞を見たらそれは朱鷺世だ、とわかるようなものを舞いたいという思いがあるが、まだそこまでものになっているとは言えない。
 それに悩んで、息が詰まりふらふらと露のところに来てしまった。
「どうしたの?」
 露が言った。
「ん……何もないよ」
 朱鷺世は言って、怪我した露の左の手首を持って、懐に入れた。
 おまじないのようなその行為に露は微笑んだ。
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