Infinity 

螺良 羅辣羅

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第二部 wildflower

第五十一話

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 夜が明けた。寝たようで寝てないような気分で耳丸は体を起こした。既に礼も目を覚ましていて、二人で井戸へ行って、身支度をしたり、水筒に飲み水を入れたりした。すでに若田城も動きはじめており、何人かの役人や兵士の男たちとすれ違った。
 部屋に戻った耳丸は、礼に言った。
「馬を見てくる。しばらく、ゆっくりしていろ」
 耳丸は厩へと向かった。若見は誠実な男だと見ている。馬の世話もしっかりとしてくれているはずだと思うが、この目で確かめておきたいと思ったのと、礼を一人にしてやりたいと思ったので部屋を出た。男の装束を着て、男として振る舞っているが、一人気兼ねなく女人の身支度をしたいだろうと思ったからだった。
 厩にはなん頭もの馬が繋がれていた。耳丸はたどり着いた厩の端から順に自分たちの馬を探すと、自分がたどり着いた逆の端に二頭はいた。馬たちも耳丸のことがわかるのか、久しぶりの耳丸の手を大人くし受け入れた。
 若見は夜明けとともに起きて身支度をし、食堂で朝餉をとった。昨日帰って来た二人に朝餉を持っていくため、膳を用意してくれと頼んだ。朝は大勢の役人や兵士たちが政庁に出勤する前にこの食堂に集まるので、違ったことを頼むと食堂の世話係たちはいい顔をしない。仕方なく若見は自分で、膳を出してきて、昨夜と同じ粥と青菜の塩漬け、ワカメの汁の椀を受け取った。
 人の波をかき分けるようにして食堂を出ると、二人のいる宿舎に向かった。あたりも明るくなり、人の動きもあるので、二人も目覚めていると思うが、旅の疲れでまだ休んでいる可能性もある。そっと近づいた。戸はしっかりとはまっているので、まだ寝ているのかもしれないが、食事だけは届けたいと思い、若見は戸を片手で外しにかかった。
「……耳丸?……待っておくれ」
 戸を外すのに手間取ってカタカタと音をさせてしまい、二人を起こしてしまうと焦っていると、中から以外にも女人の声がした。びっくりしたが、そこで戸が外れて、その間から見えるのは、肩から上着をかけた肌着姿の髪を下ろした隻眼の医者だけがいた。医者は戸の向こうに立つ者が耳丸ではないことに驚いたようであるが、それは若見も同じで、膳を中に入れたくて戸を開けただけで悪意はなく、よもや女人がいるとも思わなかった。自分は部屋を間違えたのだろうか。しかし、目の前には昨日帰って来た隻眼の医師に他ならない。しかし、上着の下の体は女人の体つきを浮きたたせた肌着姿である。
「若見!」
 後ろから若見を怒鳴るように呼ぶと、耳丸は土間を飛んで框に沓のまま上がり、若見と女人の間に飛び込んできて、自分の体を間に滑り込ませた。
「頼む!」
 背中に女人を庇いながら、そう言った。
 土間で、膳を持ったまま立ち尽くしている若見は、その言葉が何を言わんとしているのか理解するのにしばし時間がかかった。
 自分の邪な想像とは違っていたのだ。女人のようにか弱そうな青年医師とそれに従う用心棒のただならぬ秘めた恋を妄想していたのに、蓋を開けたら普通に女と男の仲だったのだ。
 そして、女人とわかれば自分が襲うとでも思ったから、「それはやめてくれ」という思いの「頼む」であることがやっとわかった。
「……私は……食事をお持ちしただけですよ。ここに置いておきます。食器はこのまま置いておいてください。昼にでも仕事の合間に取りに来ますよ」
 若見はゆっくりと言って、膳を置いた。そして、戸口へと後ずさった。それを追って、耳丸が付いてきた。
「……確かに、お医者様は男にしては線が細く女っぽいと思っていましたが、まさか本当に女人とは思いませんでした。別に、このことを誰にも喋ったりしませんよ。身を守るためや他に理由があるのでしょうからね。……そして、私に対する心配も無用ですよ。男じゃないと分かれば、興味はありませんから」
 耳丸は内側から、若見は外側から戸をはめるのに力を貸す。戸を閉めきるときに、若見は言った。
「私は女人は好きではありませんので」
 ピシャリと戸がはまる。
 若見は耳丸を安心させようとうっすら笑顔を作ったが、耳丸は逆に怖くなった。
 男同士の愛があることを知らないわけではないが、若見はそうなのか、こんなに身近に感じたことはなかった。
 その間に、礼は何枚が上着を重ねていつもの姿になった。
「耳丸」
 不安そうに礼は言った。
「すまん。長く、離れすぎた」
「私も不用意だった……」
 厩で馬を見ていて、随分と時間が経ったと思い、急いで戻ってきてみれば若見と女の姿の礼が向かい合っている状況だった。はじめに若田城に来たときに、何かと若見が礼を気にする素振りだったから、女と疑っている、または見抜いているのではないかと心配していたのだった。だから、女と知れば若見も考えることがあるかもしれないと思って飛び出したのだが、全く的外れな想像だったらしい。
 昼に、朝餉の膳を下げに若見は部屋を覗いてくれた。
「今日はどうされます?」
 若見は膳を持って耳丸に尋ねた。
「まちに出て、買い物をしようと思う。着るものなどを少し調達したい。できるだけ早く都に向かって出発したい」
「そうですか。それはいいことです。これからここに兵士が多く集まって来る予定ですので、この宿舎も入りきらないほど人があふれます。風紀も乱れますので、お医者様を守るのも一苦労ですよ」
 女だった医者への嫌味を込めて言ったつもりが、耳丸は真顔で返事をした。
「それはどういうことだ」
 若見は声を落として言った。
「都や東国から兵士が五千人来ることになっています。また、岩城家が集めてきた精鋭の騎馬隊二百騎と歩兵八百もこちらに来ると聞きました。今までの大王軍は兵士の数は多くても、武器の扱いも知らない者や戦場の迫力に脱走する兵士が多く、あと一押しのところで退いてしまうことがある。実言様は訓練された一団を作ることを提案されたようです。このたび、その一団の準備も整ってこちらに進んでいるようです。冬になる前に、夷に大規模な戦いを仕掛けて、勝利したいものです」
 耳丸は、佐田江の庄で聞いたことを思い出していた。牧場のある佐田江の地で、騎馬隊の準備をしていることや、弓矢の得意な者や、体の大きな者を選別して、その人物にあった武術の訓練をしていることを。実言が都で準備していたことが実を結び、戦へと投入されるのだ。
 部屋の隅で礼も若見の話を聞いていた。この戦いの終わりが見えかけていることを少し感じ取れたかもしれない。
 夕暮れ時に、若見は食事を持って来た。準備が整ったかのように、部屋の隅にまとめられた荷物が見えた。
「明日、お立ちになるので?」
「あなたの話を聞いて、我々がここに長くいるべきではないことが分かったので、一刻も早く去るべきだと思った。あなたにはまた面倒をかけるが、明日から当分の携帯する食事の手配と、高峰様に会えるよう段取りをとっていただけないだろうか」
「わかりました。高峰様はこれからお呼びします。食事も明日の朝の役人の食事が終われば、残ったもので作ってくれるでしょうから、お任せください」
 礼と耳丸が夕餉を取り終わったころに、戸が揺れた。耳丸が中から開けると、高峰と若見が立っていた。無言で二人を招き入れる。
「明日、お立ちになるそうですね」
 高峰は立ったまま訊いた。
「はい。都に戻ります」
「おかえりになったら、園栄様に実言殿の様子をお伝えください。実言殿の行方が分からなくなって、とても心配されていましたが、見つからなければいい加減なところで諦めろと非情なことを書いた手紙をいただきました。実言様がご無事なことがわかって直ぐに使者を出していますが、あなた方が戻って、どのようなご様子がお話されれば、より現実をもって感じられるでしょうから。ああ、使者には岩城家がお遣わしになったあなた方のおかげだと書いた手紙を持たせておりますがね」
 それを聞くと、耳丸は内心ヒヤヒヤした。これは、岩城家の誰も知らない勝手な行動で、もし当主の園栄に本当のことが知れたら、どんなことになるだろうか、想像もできない。
「旅の準備はできているようですね。順調にいけば、二十日もかからないでしょう。どうかご無事で」
 高峰は部屋を出て行った。礼と耳丸は平身して見送った。
「では、明日の朝、朝餉をお持ちしますよ」
 と言って、若見も自分の部屋に帰って行った。
 翌日の若田城出発の日は、快晴である。礼は夜明けと共に起きた。耳丸も同じである。逸る気持ちが夜明け前に目を覚まさせたが、まだ早いといって、筵の上でじっと待っての夜明けだった。それから、陽は雲ひとつない真っ青な空に登っていった。礼は身支度を整えていつでも出発できる状態になった。
 朝餉の膳を戻しに行った若見が戻ってきた。手には竹を半分に割った入れ物に強飯や、塩漬けにした青菜、木の実の蒸したものや焼いたものがあった。三人で厩まで歩き、馬に荷物をくくりつけたら、あとは別れるばかりになった。
「通りまでお見送りしましょう」
 そう若見が言ってくれたが、耳丸は遠慮して答えた。
「あなたにも仕事があるでしょう」
「少し遅れても大丈夫ですから、心配いりません」
 そうきっぱりと言って、若見から馬の手綱を持って歩きだした。
 官舎の裏の築地塀の切れたところが、通常の馬の出入りするところだ。守っている番人に会釈して、三人は敷地の外に出る。人の往来もある官舎を囲う築地塀に沿って三人はかたまってぶらぶらと少しばかり歩いた。
「ここらで結構です」
 耳丸が申し出た。
「そうですか。私はいつも見送ってばかりで、寂しいものです。別れは寂しいものです」
 若見はそう言って、笑った。そして続けて。
「どうか、ご無事に都までお帰りください。ご幸運をお祈りしています」
「ありがとう、あなたも達者で」
 耳丸は礼を馬に乗せるのを手伝うために礼を振り向いが、礼は耳丸の後ろから若見の前に進み出て言った。
「ありがとう。感謝しています」
 深く下げた頭を上げると、直ぐさま、耳丸の元へ走り馬上へと上がった。耳丸も軽やかに飛び乗ると、若見に手を上げて馬を進ませた。若見は深く一礼して、体をあげると大きく手を振った。
 決まり切った日常に突如現れた二人との時間は、自分の妄想を掻き立てくれて、楽しいものだった。だから、別れが少し寂しくなって、若見は柄にもなく見えなくなるまでいつまでも二頭の馬の尻を見続けていた。
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