Infinity 

螺良 羅辣羅

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第三部 Waiting All Night

12話

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 荒益と取り決めた通り、礼は椎葉家の別邸を月に二回訪れて、荒益の母の健康状態を診ている。三回目の訪問の時、礼が荒益の母と寝ている部屋で話をしていると、廊下に小さな陰がさした。礼は見逃さず、そちらに顔を向けると、荒益と朔の息子の伊緒理が屏風の陰からこちらを見ている。
「伊緒理、隠れていないでこちらにいらっしゃい」
 礼の動きで、荒益の母も気づいて孫を呼んだ。
 伊緒理は呼び寄せて欲しかったのか、たじろいだり、恥ずかしがったりせず、素直に屏風の後ろから出てきて、礼とは反対の祖母の傍に座った。
「礼殿、伊緒理はあなたのすることにとても興味があるみたいなの。前回、隠れてみていたのよ。これからは一緒にいてもいいかしら。だいぶ体も強くなって、もうすぐ荒益のもとに帰る予定ではあるのだけど、とても熱心に知りたがるものだから、ここにいる間は一緒に聞かせてやって」
 礼に異存はなく、頷いた。
 礼と荒益の母君の会話を伊緒理は黙って行儀よく聞いていた。
 暇を告げる礼に、母君は部屋で挨拶した。伊緒理は礼を見送りに簀子縁までついてきた。それで、礼は後ろを歩く伊緒理に話し掛けた。
「伊緒理、私とおばあ様のお話は面白い?」
「はい」
「なら、いいのだけれど」
「このことは私がおばあ様にこっそりお願いしたのです。私は体が弱くて、いつも褥で横になっていました。とても家の跡は継げないと言われています。私と違って弟は丈夫で、明るくて物怖じしない性格でおじい様やお父様は弟を大切にしているように見えました。お母様も……弟をかわいがっているように感じます。私の体が丈夫になれば、私も椎葉家の一人として立派に役に立つことができるでしょう。礼様のされていることは、私の体も治してくれるかもしれません。だから私はとても興味があります。おばあ様に一緒に話を聞かせてほしいとお願いしたのです」
 伊緒理の大人びた答えとそんな気持ちをもっていたことに、礼は驚いたが、表情には出さずに、逆にゆっくりと口元をほころばせて微笑んだ。
 礼が車に乗り込むのを幼い伊緒理は見送ってくれた。
 それから礼は椎葉家の別邸に行くことが楽しみになった。
 次の礼の訪問日、礼が椎葉別邸に行くと、荒益がいた。
「やあ、礼」
 いつもの部屋に案内されて、半分あげられた御簾をくぐって部屋の中に入ると、褥に起き上がった母君の左側に荒益と伊緒理が並んで座っていたのだ。
「まあ」
 礼は驚いたが、促されるままにいつもの母君の右側に腰を下ろした。
「どうなさいましたの?」
 着席した礼は、母君に会釈して荒益に話し掛けた。
「後ほど、少し話しをさせてくれないか。お願い事があって。ところで、私の母上はどうだろう。あなたに、いろいろと無理難題を言っていないかな」
「そんなことはありません。お母様は、とても私の言うことを聞いてくださいます。私のお薦めする薬湯がお体に合っていればよいのですが」
 礼は答えながら、荒益の母君の脈をとった。
「最近はとても気分がいいです。きっと、あなたが作ってくれる薬がいいのですわ。体を起こしている時間も増えているのです」
「おばあ様は、私とよくお話をしてくれます。とても、元気になられました」
 横から伊緒理もそう言葉を添えた。
 礼は嬉しくて笑顔になった。
 礼は母君の体調を訊ねて、変りがないことを確認すると、四人はしばらく雑談をした。
「母上。もう、お休みください。礼、私が訪ねてきたものだから、母上は長く体を起こしていてね。少し横にさせてもらうよ」
 荒益が母の背中を支えながらゆっくりと後ろに倒した。礼も手を貸して、母君を横にするのを手伝う。荒益の隣で、伊緒理もおばあ様の様子を見ながら、衾をいつでも掛けられるように端を持って待っている。
「ありがとう。ここにきて、とても調子が良いのよ。皆が私を大切にしてくれるからかしらね。ありがとう」
 そう何度も言って、完全に横になるとゆっくりと目を閉じた。
 荒益は礼を促して別の部屋に礼を連れていく。後ろを伊緒理も静かについて来た。何か話があるといっていたけど、どうも伊緒理に関係があるらしいと礼は感じた。
 すでに家の者たちで別の部屋は整えられており、あとは座るだけになっていた。荒益は礼に座るように手を差し出して、礼もそれに従った。それを見て、伊緒理も父の後ろに座った。
「急に現れて驚かせてしまったね。すまない。またまた、礼にお願いがあってね。もちろん、礼が嫌なら断ってくれてかまわないんだ」
 笑顔だった荒益が、急に神妙な顔つきになって、声音も変わった。伊緒理は緊張しているのか肩をいからせるようにあげたままの姿勢で、両手を座った膝に揃えて置いている。伊緒理を見ていると、礼もその緊張がうつって、顔がこわばった。
「実はね。私の息子、伊緒理のことなのだが。……あなたの、その薬草の知識や、医術にとても興味を示してね。勉強したいと言い出したのだ。……この子は、生まれた時から体が弱く、寝たり起きたりで年頃の子と遊ぶこともできず、部屋にじっとしいていることが多くて、心配していたところだったのだ。将来を案じることもあって、このようなことを言ってくることが嬉しくてね。やりたいということをやらせてやりたくてね。礼がここを訪ねてくれるときに、少し薬草のことを教えてやってほしいのだ。こんな小さな子供だから、どれだけのことを理解できるかわからないけれど、やる気だけは人一倍あるようだから」
 荒益は後ろで身を固くして座っている息子に目を移して、それから礼を見た。
「どうか、お願いしたい」
 荒益に頭を下げられて、礼はどうしたものかと思った。
 伊緒理は緊張してぴんと姿勢を正しているが恥ずかしがることもなく、じっと礼の方を見ている。
「医術を学んでいる者として、こんなに幼いころからその道を志すことはとても嬉しいことです。しかし、私よりももっと適任の方がいらっしゃるはず。椎葉家の懇意にされているお医者様がいらっしゃるでしょう。その方に教えを請うほうが伊緒理にはいいのではないでしょうか」
 礼は伊緒理のためには、自分よりも男性の医師に指導を受けた方がいいと思ったのだ。何よりも、伊緒理は椎葉家の嫡男である。
「うん……そうかな」
 荒益は礼の言葉に、やはり無理なことと悟って相槌を打ったところに。
「私は礼様に教えていただきたいです!」
 いきなり、父親の後ろで緊張して肩をいからせていた伊緒理がその場の空気を壊すほどの大きな声を発した。父親の荒益も驚いて、後ろを振り向いた。礼も、右目を伊緒理に向けた。
「父上、私は礼様に教えていただきたいのです。おばあ様の様子を見に来てくださるときに少しだけ私のお相手をしていただくだけでいいのです」
 伊緒理は振り向いた父親の袖を掴みかからんばかりに、前のめりになって懇願した。
「礼様。私に薬草のことを教えてください。おばあ様のご病気にも役立ちます。どうかお願いします」
 伊緒理は父親の向こうにいる礼の方に身を向けて、礼を見つめて言うと、床に額をつけるほどに頭を下げた。ひたむきな眼差しが礼を射て、心を揺さぶられた。
 前回、この別邸を訪れた時の伊緒理の言葉や、今の真剣な態度から本気で学びたいと思っているのだと感じた。その姿は、実言が南方の九鬼谷の戦いに行くため、束蕗原の叔母の館に預けられて、叔母の姿に感銘を受けて、教えてほしいと懇願した自分の姿に重なるものがあった。あの時、叔母の去が教えることを許してくれて今の自分があることを考えるとこの少年の真摯な思いを簡単に断れないと思えた。
「私も今でも医術を学んでいる途上の者ですから、どれほどのことができるかわかりませんが、伊緒理の力になりたいわ。私にできることをできる限りお教えしたいわ。……お受けします」
 礼が返事すると、親子は嬉しそうに顔を見合わせた。
「礼、ありがとう。恩に着るよ。いつも礼に頼み事ばかりだ。必ず、何かしらのお返しはするつもりだ。伊緒理、礼殿がお引き受けくださるとおっしゃってくれたよ」
「礼様、ありがとうございます」
 歳に似合わないほどしっかりとしている伊緒理は、深々と頭を下げた。
 礼は伊緒理を頼もしく思いながら、微笑んだ。
 伊緒理は、礼が断った時は、直に自分の気持ちを訴えて、どうしてもこの依頼を受けてもらおうと思っていた。礼が承諾したことで、安心したようで、父親の言葉に従って自分の部屋に帰っていった。
二人きりになって、荒益から口を開いた。
「あなたの負担のかからない程度でいいのだ。まだ、小さな子供だから、どこまで理解するかわからない。体の弱い子で、熱が出た、腹を壊したと言ったら何かと薬湯を飲まされていたから、自然と興味を持つこともわかるのだ。子供の遊びに付き合わせてしまうことになるかもしれないが、よろしく頼む」
「子供の遊びだなんて思ってないわ。伊緒理の真剣さが伝わってきました。この前訪れた時も、一緒に話を聴きたいといって、とても熱心に聴いていました。でも、荒益の言う通り、伊緒理にはまだ難しいかもしれません。身近な薬草についてお話するわ。彼が本気であるなら、ゆくゆくはどうか椎葉家で信頼しているお医者様の元で学ばせてあげて」
「そうだね……そうすることにしよう。本当に、あなたは立派な女人になった。頼もしいものだね。また、こうして会っていると、幼い時の記憶が思い出されて懐かしく、嬉しいよ」
 目を細めて荒益は笑った。
 礼も、幼馴染である荒益と対面すると無邪気な子供の頃を思い出され、気持ちは子供時代に戻るような気持だった。
 礼は椎葉家の別邸を訪れては、伊緒理に薬草について講義した。薬草の実物を手渡して、どのような効能があるか、病人のどの症状に使うのかを伊緒理は静かに聴いている。その様子は真剣で、子供だからと言って手を抜こうものなら、たちまち鋭い質問をよこして自分を馬鹿にするなと、怒られそうな雰囲気だ。真剣に向かい合うその時間が心地よく、礼には毎回楽しみであった。
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