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第三部 Waiting All Night
32話
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「家族団らんのところをお邪魔したかな?」
「そんなことはないさ。子供達も疲れて寝てしまったし、礼も一日忙しかったから休みたいだろうよ」
「……それならいいのですが」
「それに、私が麻奈見と話したがっていることが分かったのだよ。少し話をしようじゃないか。久しぶりだし」
「ええ、もちろん」
酔って動けないでいる者が休むのに庇の間は人で込み合っている。実言は誰もいない部屋を探して、麻奈見と共に簀子縁を歩いた。そして、水を張った池の水面に映る月が美しい眺めの良い角の部屋を見つけて、そこへ腰を落ち着けた。
実言は傍を通った侍女に酒を持ってくるように言いつけた。しばらくすると、膳の上に銚子と杯、少しの料理を載せたものが運ばれてきた。まずは実言が徳利を取って、麻奈見に杯を持つように促した。麻奈見は遠慮した。
「ここは私が主で、あなたはお客さまなのだから、形ばかりでも。後は自由にやろうじゃないか」
と言われたので、麻奈見は杯を取った。実言はその杯に酒を注ぎ、膳の上の自分の杯にも注いで、二人は酒をあおった。
実言は弟の志埜部の舞について話をしたが、その話も一段落すると切り出した。
「……先日、春日王子の邸宅でも宴があったらしいね」
「……そうですね」
「今は、積極的に大王のご快復を祝う宴が行われている。今日の我が邸の宴も、大王のご快復の祝いと有馬王子、碧妃の気晴らしにと催したものだが。各邸の宴は招かれる人の顔ぶれが様々でいろいろと噂が飛び交っているみたいだから」
実言はそう言って、杯を膳の上に置いた。
最近は大王の快復を喜び、祝いの宴と称して小さな集まりが催されている。そして宴と称して集まった者たちが大王に快癒の祝いの品を贈ることが流行っているのだった。岩城家でもいろいろと地方から取り寄せた幸や珍しい品を大王に贈る算段でいる。
「……」
麻奈見はにこにこと笑って、杯に口をつけた。実言の独り語りのような現在の宴合戦に口を挟む気はないという風であった。
「春日王子の邸宅の宴にも、宮廷楽団から多くの人が行ったと聞いているけど、麻奈見もいたのかな」
「……ええ、私も呼ばれて舞を一つ披露いたしました」
「そう……ふふっ」
すました顔だった実言は、急に吹き出すように笑った。怪訝そうな顔の麻奈見を見て、実言は詫びた。
「すまない。こうも、うわべだけの会話を続けるのがおかしくなってね。周りに人もいないことだし、いつもの単刀直入な友人同士の会話にしよう」
と言って、実言は膳から取り上げた杯に唇を寄せて湿らせた。
「春日王子の宴に招かれた方々の顔ぶれはどういったものだっただろうか。王族の方々が中心とは思うが、中には珍しい顔ぶれがあるものかと思ってね。あなたの答えられる範囲でいいから、その顔ぶれを教えてもらいたくてね」
実言は明後日の方向を見ながら、独り言のように言うが、最後は麻奈見の方を向いて、顔を上げた麻奈見と視線を合わせた。
「……そうですね……邸には多彩な顔触れがいらっしゃいました……」
「断っておくけど、音原家に迷惑をかけるつもりはない。では、私が尋ねることだけでも答えられる範囲で答えてもらえたら嬉しいな」
実言は麻奈見の杯が空いたことに気付いて、銚子を取り上げると麻奈見の方へ傾けた。麻奈見は杯を取って受けた。
「宴には王族の方々が大勢いらっしゃっていたと聞いている。……重祢(かさね)王子や若狭王子などもいらっしゃったのかな」
「ええ、今お名前の挙がった方も含め、王族の方は大体お顔を揃えられていたと思いますよ」
大王の快癒を祝う宴ごとに連名で大王への贈り物が行われるので、王族の方々は春日王子の宴に合わせてこぞって名を連ねたと思われる。
王族も王族だからといって裕福なわけではない。位によって支給される禄だけでは生活が苦しい方々もいらっしゃる。単独で祝い品を贈るのは苦しいので、連名にし、微々たるものをひねり出す方もあるということだった。
実言が名を出した王子たちは、齢は四十、五十くらいの先々代の大王の兄弟の子息たちだ。親から受け継いだものを、守るにも才覚がいる。位が高くなければ、よい後援者でも作ることができればいいのだが、そうできなければ生活は困窮していくばかりだった。
王族の中で、春日王子は特別だ。大王の異母弟であり、政を取り仕切る才覚もある。地方の豪族と繋がりを持ち、経済力がある。王族の多くはそのような春日王子のいうことに従う者が多い。だから、宴の出席も大体想像がつく。
「ふうん。……哀羅王子もいらっしゃったかな?」
「ええ、春日王子の隣に座っていらっしゃいました。とても親密にお話されていました」
「ああ、そうか。他に臣下や地方からの豪族もいたことだろう」
「ええ、大勢の方がいらっしゃいました。末席には地方から来た豪族の長もいたと思います。どちらの方かはわかりませんが」
春日王子は西にも東にも有力な豪族と繋がりを持ち、その者たちが入京したと聞いていたから、想定内の話ではある。
「そういえば、椎葉家の方はいたかな?」
実言はさりげなく訊いた。
「いいえ」
麻奈見は首を横に振った。
「荒益が何か?」
「……いや……何も」
椎葉家……荒益は春日王子と繋がりはないのか……。
実言は哀羅王子を追って後宮の奥の春日王子が与えられている館に行った時、哀羅王子と入れ替わりに館に向かって渡殿を歩く朔の姿を見た。それで、椎葉家は春日王子に何かしらの繋がりがあるものと思った。朔は何かしらの連絡役を買って出ていると考えられた。しかし、この度の宴に出席していないということはどういうことだろう。春日王子の勢力には完全に入っていないということだろうか。
では、朔は何のために春日王子のところに行ったのだろうか。
この度の春日王子邸の宴に出席しなかったのは偽装ということだろうか。
顎に手をやって考えている実言を、麻奈見は興味深く眺めていた。
「……ああ、すまないね」
実言の杯が空なのに気づいた麻奈見が銚子を持ったので、実言は杯を差し出した。
実言は春日王子のことは一旦忘れて、再び弟の志埜部と麻奈見の舞のことを話題にした。夜も更けて、二本目の銚子も空になったので、麻奈見は辞去すると言って、実言は供を付けて帰した。
「そんなことはないさ。子供達も疲れて寝てしまったし、礼も一日忙しかったから休みたいだろうよ」
「……それならいいのですが」
「それに、私が麻奈見と話したがっていることが分かったのだよ。少し話をしようじゃないか。久しぶりだし」
「ええ、もちろん」
酔って動けないでいる者が休むのに庇の間は人で込み合っている。実言は誰もいない部屋を探して、麻奈見と共に簀子縁を歩いた。そして、水を張った池の水面に映る月が美しい眺めの良い角の部屋を見つけて、そこへ腰を落ち着けた。
実言は傍を通った侍女に酒を持ってくるように言いつけた。しばらくすると、膳の上に銚子と杯、少しの料理を載せたものが運ばれてきた。まずは実言が徳利を取って、麻奈見に杯を持つように促した。麻奈見は遠慮した。
「ここは私が主で、あなたはお客さまなのだから、形ばかりでも。後は自由にやろうじゃないか」
と言われたので、麻奈見は杯を取った。実言はその杯に酒を注ぎ、膳の上の自分の杯にも注いで、二人は酒をあおった。
実言は弟の志埜部の舞について話をしたが、その話も一段落すると切り出した。
「……先日、春日王子の邸宅でも宴があったらしいね」
「……そうですね」
「今は、積極的に大王のご快復を祝う宴が行われている。今日の我が邸の宴も、大王のご快復の祝いと有馬王子、碧妃の気晴らしにと催したものだが。各邸の宴は招かれる人の顔ぶれが様々でいろいろと噂が飛び交っているみたいだから」
実言はそう言って、杯を膳の上に置いた。
最近は大王の快復を喜び、祝いの宴と称して小さな集まりが催されている。そして宴と称して集まった者たちが大王に快癒の祝いの品を贈ることが流行っているのだった。岩城家でもいろいろと地方から取り寄せた幸や珍しい品を大王に贈る算段でいる。
「……」
麻奈見はにこにこと笑って、杯に口をつけた。実言の独り語りのような現在の宴合戦に口を挟む気はないという風であった。
「春日王子の邸宅の宴にも、宮廷楽団から多くの人が行ったと聞いているけど、麻奈見もいたのかな」
「……ええ、私も呼ばれて舞を一つ披露いたしました」
「そう……ふふっ」
すました顔だった実言は、急に吹き出すように笑った。怪訝そうな顔の麻奈見を見て、実言は詫びた。
「すまない。こうも、うわべだけの会話を続けるのがおかしくなってね。周りに人もいないことだし、いつもの単刀直入な友人同士の会話にしよう」
と言って、実言は膳から取り上げた杯に唇を寄せて湿らせた。
「春日王子の宴に招かれた方々の顔ぶれはどういったものだっただろうか。王族の方々が中心とは思うが、中には珍しい顔ぶれがあるものかと思ってね。あなたの答えられる範囲でいいから、その顔ぶれを教えてもらいたくてね」
実言は明後日の方向を見ながら、独り言のように言うが、最後は麻奈見の方を向いて、顔を上げた麻奈見と視線を合わせた。
「……そうですね……邸には多彩な顔触れがいらっしゃいました……」
「断っておくけど、音原家に迷惑をかけるつもりはない。では、私が尋ねることだけでも答えられる範囲で答えてもらえたら嬉しいな」
実言は麻奈見の杯が空いたことに気付いて、銚子を取り上げると麻奈見の方へ傾けた。麻奈見は杯を取って受けた。
「宴には王族の方々が大勢いらっしゃっていたと聞いている。……重祢(かさね)王子や若狭王子などもいらっしゃったのかな」
「ええ、今お名前の挙がった方も含め、王族の方は大体お顔を揃えられていたと思いますよ」
大王の快癒を祝う宴ごとに連名で大王への贈り物が行われるので、王族の方々は春日王子の宴に合わせてこぞって名を連ねたと思われる。
王族も王族だからといって裕福なわけではない。位によって支給される禄だけでは生活が苦しい方々もいらっしゃる。単独で祝い品を贈るのは苦しいので、連名にし、微々たるものをひねり出す方もあるということだった。
実言が名を出した王子たちは、齢は四十、五十くらいの先々代の大王の兄弟の子息たちだ。親から受け継いだものを、守るにも才覚がいる。位が高くなければ、よい後援者でも作ることができればいいのだが、そうできなければ生活は困窮していくばかりだった。
王族の中で、春日王子は特別だ。大王の異母弟であり、政を取り仕切る才覚もある。地方の豪族と繋がりを持ち、経済力がある。王族の多くはそのような春日王子のいうことに従う者が多い。だから、宴の出席も大体想像がつく。
「ふうん。……哀羅王子もいらっしゃったかな?」
「ええ、春日王子の隣に座っていらっしゃいました。とても親密にお話されていました」
「ああ、そうか。他に臣下や地方からの豪族もいたことだろう」
「ええ、大勢の方がいらっしゃいました。末席には地方から来た豪族の長もいたと思います。どちらの方かはわかりませんが」
春日王子は西にも東にも有力な豪族と繋がりを持ち、その者たちが入京したと聞いていたから、想定内の話ではある。
「そういえば、椎葉家の方はいたかな?」
実言はさりげなく訊いた。
「いいえ」
麻奈見は首を横に振った。
「荒益が何か?」
「……いや……何も」
椎葉家……荒益は春日王子と繋がりはないのか……。
実言は哀羅王子を追って後宮の奥の春日王子が与えられている館に行った時、哀羅王子と入れ替わりに館に向かって渡殿を歩く朔の姿を見た。それで、椎葉家は春日王子に何かしらの繋がりがあるものと思った。朔は何かしらの連絡役を買って出ていると考えられた。しかし、この度の宴に出席していないということはどういうことだろう。春日王子の勢力には完全に入っていないということだろうか。
では、朔は何のために春日王子のところに行ったのだろうか。
この度の春日王子邸の宴に出席しなかったのは偽装ということだろうか。
顎に手をやって考えている実言を、麻奈見は興味深く眺めていた。
「……ああ、すまないね」
実言の杯が空なのに気づいた麻奈見が銚子を持ったので、実言は杯を差し出した。
実言は春日王子のことは一旦忘れて、再び弟の志埜部と麻奈見の舞のことを話題にした。夜も更けて、二本目の銚子も空になったので、麻奈見は辞去すると言って、実言は供を付けて帰した。
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