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第三部 Waiting All Night
54話
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佐保藁の邸で、春日王子は部屋で酒を飲みながら物思いに耽った。
大王が息子の香奈益王子に朝議の場で頼る姿に心の中では苦々しく思っていた。春日王子よりもより近い場所に座らせて、いつでも声をかけて話をしている。春日王子が意見を言っても、香奈益王子にどう思うか、と顔を向ける。こんなことでは、もしもその時が訪れたら、その時はやはり次の大王は誰なのか、意見が二つに別れてしまうだろう。
今までどうにか大王から、次期大王は弟に譲るとの言葉を引き出したかったが、そうはならなかった。こうなっては、相手の勢力が整う前に何かしらの行動を起こさなければならないだろう。最小限の混乱で、その権力を自分のものにするにはどうしたらいいか。今はまだ、これまでの慣例から兄から弟へ譲ることを支持する王族、臣下が多いはずだ。年齢、経験、実績を考えても、成人した者とは言え、香奈益王子より春日王子を推す者が多いだろう。今は、異国の政情は安定しており、また異国との関係は良好で、侵略を心配することはないだろう。だから、大王の位の継承に全力を向けていい時だ。
昔から関係の深い王族や都の臣下たち、地方の豪族たちにはすでに水面下で接触し、協力を取り付けてある。この力をもっと大きくして、圧倒的な勢力を作らなくてはいけない。
相手は、大后と大后と結託している岩城園栄の勢力である。岩城一族をよく思っていない者たちの賛同を得られるだろうが、それと同じほどに岩城の世話になっている臣下がいる。どっちつかずをどれだけ取り込めるだろうか。
朔の夫、椎葉荒益が春日王子側に着けば面白いだろうな。椎葉家が着くならと、春日王子へ着く者が少なからずいるだろう。朔に何か策を授けて、あの男をこちらに取り込めないだろうか。
哀羅王子には、これからまだ声をかけていない王族を説得させて、春日王子の陣営に引き込ませようと思っていたのに、こんな時に十五年前のことにこだわり始めて、協力できないなどと馬鹿なことを言い始めた。真実を教えるのはもっと後にすればよかったが、もう手遅れである。どうにか、その気持ちを抑えつけてこちらの言うことを聞かせるしかない。
これで哀羅王子は、まるっきり信頼できる男ではなくなった。そうなるとあの男には、大事なものを託していたから、あれをどう取り返すか考えなくてはならないな。
酒が無くなったので取りに行った侍女が戻ってきた。二人きりの時は、愛人の顔になって、侍女は甘えて、春日王子の肩にしなだれかかって杯に酒を注いだ。春日王子は、先ほどまで煮詰めた物思いが億劫になって、女の腰を引き寄せて抱いた。
机に向かって書物を読んでいた哀羅王子は、驚いて顔を上げた。
「何?本当か!」
舎人が慌ただしく簀子縁を踏み鳴らして、庇の間に入ってきて告げた言葉に哀羅王子が返事したのだった。
「ええ、そうおっしゃっています。どのようにしたらいいでしょうか」
うろたえる舎人に哀羅王子もすぐに返す言葉がなかった。
大田輪王が今、この邸をお訪ねになったとの報告に、客を迎えてもてなす用意のないこの邸に哀羅王子は、どのように対応したらいいか戸惑った。それに、大田輪王は花の宴の時にお会いして、父である渡利王と従兄弟であることを教えてもらい、父親のことを少し話しただけである。なぜ、この邸をお訪ねいただいたのか、皆目見当がつかなかった。
「せっかく、お訪ねいただいたのだから、部屋を準備してお通ししろ。台所にも、酒を用意するように言え」
そう言って、哀羅王子も宮廷にいく時の袍に着替えた。
御簾も几帳も新しくした部屋に大田輪王を通して、後から哀羅王子はその部屋に入った。そこには、花の宴で向かい合わせになった大田輪王が座っていた。
「大田輪様!花の宴以来にお目にかかります。ご無沙汰しております」
哀羅王子は慌てた素振りを装った。
「ああ、哀羅殿。突然にお訪ねして申し訳ない」
大田輪王は花の宴でお会いした姿をより小さくして、低頭して挨拶する。
哀羅王子は父である渡利王との思い出にこの邸を訪ねられたのだろうかと、訝しんだ。
「近くへ来たということもあるのだが、あなたをお誘いしたいことがあって、寄らせていただいたのだ」
「はい……」
「渡利とはよく、歌の読み合いをしたものだった。そのことを思い出して、今度内輪で歌の読み合いをするのに、あなたもお誘いしたいと思ってこうして参ったのです」
大田輪王の言葉に、どう返事をしたものか迷いながら、哀羅王子は頷いた。
「歌……ですか。私は父とは違いそのような素養がありませんが……」
「いやいや、かしこまった場ではないので、うまい下手を気にすることはない。好きなものが集まって夜通し遊ぼうというだけだ。あなたも都に還ってきて、こちらの生活にも慣れたことだろうから、私たちの遊びにもお誘いしたいと思ってね」
「はい」
目尻を落としてゆっくりと話す大田輪王に、哀羅王子はどのように返事をしようか考えた。本当の気持ちは面倒で断りたかったが、こうして邸まできて誘われるのをこの場で無下に断ることもできない。
「無理は言わないよ。しかし、来ればきっとあなたのためになると思うから」
大田輪王は言って、庭に目を転じた。
これからの宮廷のしきたりや、王族同士の付き合いを考えると、このような誘いも億劫がらずに顔を出す方がいいのだろう。断る理由を考えることや、それを相手に不快に思われずに言葉を尽くすことの方がより面倒にも思えてきた。
「私のような、わからぬ者が入って皆さまの邪魔をするのではないかと心配ではありますが、参加させていただきとうございます」
「そうか!」
庭を見ていた顔が哀羅王子のほうへ振り向き、大田輪王は言った。
「あなたのような若い人に加わってもらうと、私たちも楽しいよ」
会は五日後でその時に迎えに来ると言って、大田輪王は立ち上がろうとした。
「酒などご用意いたします」
「いや、けっこう。五日後には好きなだけ飲んで語ることができるので。楽しみはそれまで取っておこう」
哀羅王子は大田輪王を見送るのに、一緒に簀子縁に出た。
「美しい庭だね」
庭の奥の方へ目を向けて、独り言のように大田輪王はつぶやいた。
「いいえ、池には水ははれませんし、荒地のようなものです」
「いいや、目に浮かぶよ。渡利もあなたが戻ってきてくれて嬉しいだろうよ」
哀羅王子は戸惑いながら大田輪王を見送った。
大王が息子の香奈益王子に朝議の場で頼る姿に心の中では苦々しく思っていた。春日王子よりもより近い場所に座らせて、いつでも声をかけて話をしている。春日王子が意見を言っても、香奈益王子にどう思うか、と顔を向ける。こんなことでは、もしもその時が訪れたら、その時はやはり次の大王は誰なのか、意見が二つに別れてしまうだろう。
今までどうにか大王から、次期大王は弟に譲るとの言葉を引き出したかったが、そうはならなかった。こうなっては、相手の勢力が整う前に何かしらの行動を起こさなければならないだろう。最小限の混乱で、その権力を自分のものにするにはどうしたらいいか。今はまだ、これまでの慣例から兄から弟へ譲ることを支持する王族、臣下が多いはずだ。年齢、経験、実績を考えても、成人した者とは言え、香奈益王子より春日王子を推す者が多いだろう。今は、異国の政情は安定しており、また異国との関係は良好で、侵略を心配することはないだろう。だから、大王の位の継承に全力を向けていい時だ。
昔から関係の深い王族や都の臣下たち、地方の豪族たちにはすでに水面下で接触し、協力を取り付けてある。この力をもっと大きくして、圧倒的な勢力を作らなくてはいけない。
相手は、大后と大后と結託している岩城園栄の勢力である。岩城一族をよく思っていない者たちの賛同を得られるだろうが、それと同じほどに岩城の世話になっている臣下がいる。どっちつかずをどれだけ取り込めるだろうか。
朔の夫、椎葉荒益が春日王子側に着けば面白いだろうな。椎葉家が着くならと、春日王子へ着く者が少なからずいるだろう。朔に何か策を授けて、あの男をこちらに取り込めないだろうか。
哀羅王子には、これからまだ声をかけていない王族を説得させて、春日王子の陣営に引き込ませようと思っていたのに、こんな時に十五年前のことにこだわり始めて、協力できないなどと馬鹿なことを言い始めた。真実を教えるのはもっと後にすればよかったが、もう手遅れである。どうにか、その気持ちを抑えつけてこちらの言うことを聞かせるしかない。
これで哀羅王子は、まるっきり信頼できる男ではなくなった。そうなるとあの男には、大事なものを託していたから、あれをどう取り返すか考えなくてはならないな。
酒が無くなったので取りに行った侍女が戻ってきた。二人きりの時は、愛人の顔になって、侍女は甘えて、春日王子の肩にしなだれかかって杯に酒を注いだ。春日王子は、先ほどまで煮詰めた物思いが億劫になって、女の腰を引き寄せて抱いた。
机に向かって書物を読んでいた哀羅王子は、驚いて顔を上げた。
「何?本当か!」
舎人が慌ただしく簀子縁を踏み鳴らして、庇の間に入ってきて告げた言葉に哀羅王子が返事したのだった。
「ええ、そうおっしゃっています。どのようにしたらいいでしょうか」
うろたえる舎人に哀羅王子もすぐに返す言葉がなかった。
大田輪王が今、この邸をお訪ねになったとの報告に、客を迎えてもてなす用意のないこの邸に哀羅王子は、どのように対応したらいいか戸惑った。それに、大田輪王は花の宴の時にお会いして、父である渡利王と従兄弟であることを教えてもらい、父親のことを少し話しただけである。なぜ、この邸をお訪ねいただいたのか、皆目見当がつかなかった。
「せっかく、お訪ねいただいたのだから、部屋を準備してお通ししろ。台所にも、酒を用意するように言え」
そう言って、哀羅王子も宮廷にいく時の袍に着替えた。
御簾も几帳も新しくした部屋に大田輪王を通して、後から哀羅王子はその部屋に入った。そこには、花の宴で向かい合わせになった大田輪王が座っていた。
「大田輪様!花の宴以来にお目にかかります。ご無沙汰しております」
哀羅王子は慌てた素振りを装った。
「ああ、哀羅殿。突然にお訪ねして申し訳ない」
大田輪王は花の宴でお会いした姿をより小さくして、低頭して挨拶する。
哀羅王子は父である渡利王との思い出にこの邸を訪ねられたのだろうかと、訝しんだ。
「近くへ来たということもあるのだが、あなたをお誘いしたいことがあって、寄らせていただいたのだ」
「はい……」
「渡利とはよく、歌の読み合いをしたものだった。そのことを思い出して、今度内輪で歌の読み合いをするのに、あなたもお誘いしたいと思ってこうして参ったのです」
大田輪王の言葉に、どう返事をしたものか迷いながら、哀羅王子は頷いた。
「歌……ですか。私は父とは違いそのような素養がありませんが……」
「いやいや、かしこまった場ではないので、うまい下手を気にすることはない。好きなものが集まって夜通し遊ぼうというだけだ。あなたも都に還ってきて、こちらの生活にも慣れたことだろうから、私たちの遊びにもお誘いしたいと思ってね」
「はい」
目尻を落としてゆっくりと話す大田輪王に、哀羅王子はどのように返事をしようか考えた。本当の気持ちは面倒で断りたかったが、こうして邸まできて誘われるのをこの場で無下に断ることもできない。
「無理は言わないよ。しかし、来ればきっとあなたのためになると思うから」
大田輪王は言って、庭に目を転じた。
これからの宮廷のしきたりや、王族同士の付き合いを考えると、このような誘いも億劫がらずに顔を出す方がいいのだろう。断る理由を考えることや、それを相手に不快に思われずに言葉を尽くすことの方がより面倒にも思えてきた。
「私のような、わからぬ者が入って皆さまの邪魔をするのではないかと心配ではありますが、参加させていただきとうございます」
「そうか!」
庭を見ていた顔が哀羅王子のほうへ振り向き、大田輪王は言った。
「あなたのような若い人に加わってもらうと、私たちも楽しいよ」
会は五日後でその時に迎えに来ると言って、大田輪王は立ち上がろうとした。
「酒などご用意いたします」
「いや、けっこう。五日後には好きなだけ飲んで語ることができるので。楽しみはそれまで取っておこう」
哀羅王子は大田輪王を見送るのに、一緒に簀子縁に出た。
「美しい庭だね」
庭の奥の方へ目を向けて、独り言のように大田輪王はつぶやいた。
「いいえ、池には水ははれませんし、荒地のようなものです」
「いいや、目に浮かぶよ。渡利もあなたが戻ってきてくれて嬉しいだろうよ」
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