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4話 今日は何の日だ
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◇◇◇◇
その日の夕飯時。
部屋の隅で待機していた志乃は、何とも言えない雰囲気に戸惑っていた。
(……なにか、やらかしたかしら……)
箱膳を前に、明らかに慶一郎と千代は困惑しているように見える。
ちらり、と志乃は彼らふたりのために用意した食事に視線を走らせた。
白米、味噌汁、鯖の塩焼きに、ほうれん草の胡麻和え。わかめの酢の物に、厚揚げの煮物。にんじんとれんこんのきんぴら。香の物として白菜の浅漬けを小鉢に入れて添えている。味噌汁の具は、里芋なのだが、豆腐屋が持ってきた揚げの方がよかったのだろうか。あれは、明日の朝、使おうと思ったのだが。
目まぐるしく頭を働かせていると、慶一郎と目が合った。
今の彼は、洋装ではない。
単衣に角帯という着物姿だ。眼鏡はつけているが、風呂から上がったばかりの、無造作で濡れた髪も相まって、昼間とは随分印象が違う。
だからだろうか。
彼からは、「なんだ、これは!」という怒りではなく、「なんだろう、これは?」という戸惑いを感じた。
「申し訳ありません。ひょっとして、お食事も洋風でご用意させていた方がよかったのでしょうか」
志乃の口からすんなり詫びの言葉が出たのも、慶一郎のこの変化があったからだ。
「作ったことはございませんが……。ご指示くだされば、今からやり直してまいりますが……」
片膝を立てて立ち上がるそぶりを見せると、「いや」と慶一郎が声を放つ。
「……お祖母様」
志乃を制したまま、左前に座る千代に、ごほりと咳ばらいをする。ついでに、眼鏡もすり上げた。かちゃり、と小さな金属音が鳴る。
「はい、なんでしょう」
応じる千代も不思議そうだ。
目の悪い彼女のために、志乃は料理と配置を口頭で説明していた。
よく考えたら、その時から、なんだかふたりの様子がおかしかった。
「今日は……、その、なにか祝い事か記念の日でしたか。あいにく、うっかりとしておりましたが」
「いえ、そのことを妾も聞きたかったのですが……。あなた、商売でなにか大成功でもしましたか」
「残念ながら、いつも通りです」
きょとんとする志乃の前で、ふたりは、「今日は何の日だったか」を互いに探りあっている。
「……志乃」
名前を呼ばれ、改めて座りなおして背筋を伸ばす。
「今日はなぜ、このような膳を用意したのだ?」
慶一郎が尋ねる。座敷ランプの灯を受けて、彼の眼鏡もその色に染まっていた。
「あ!! いやだ。そうよ。あなたたちが夫婦になった日ではないですか! これはその祝い膳的な何かなのでしょう!? まあ、だったら、鯛がよかったわねぇ。魚屋に言うべきでした」
千代が手を合わせ、嬉しげに言うから、慌てて首を横に振った。
「いえ……、あの。旦那様が仰る通り、昼間、出入りの商人がやってまいりまして……」
志乃は、狼狽しながら説明をした。
慶一郎が言う通り、魚屋、八百屋、豆腐屋、酒屋、菓子屋がやってきた。
酒屋は酒の減りを見て「また今度来る」と帰っていったが、そのほかの商人は、「いつも通りの量」を置いて帰った。
『これは何日分ですか』
多いな、と思ったのは確かだ。だから確認をすると、いずれの商人も、『一日分だ』という。
実家の雪宮は、裕福だが、志乃の生活や食事は粗末だった。
だから、やはり一流の家は違うのだ、これだけ準備するのか、と志乃は認識を改めたところだったのだが。
「なんと、まあ。なぜ、今日は三時におやつが出るのかしら、と思っていたのよ」
志乃の説明を聞いて、いきなり笑いだしたのは千代だった。
口元を袂で隠し、ほほほ、と少女のように笑う。
「笑い事ではございませんよ、お祖母様」
対して、慶一郎は、というと苦虫をかみつぶしていた。朝出会った時よりも、とっつきにくそうな剣呑な色を瞳に宿している。
「申し訳ありません。やはり、私が間違えて……」
頭から血の気が引く。きっと、数日分の量だったのだ。
とんだ失態だ、と身体をこわばらせた。
「違う。お前を叱っているのではない」
だが、慶一郎は苦み走った顔で言った。
「お前が来る前に、短期的に雇った使用人どもが食ってたんだろう。まったく。追い出されても仕方ない奴らだ」
「………は?」
思わず、硬直した胸から息が漏れる。
「あのね。いつもは、ごはんとお味噌汁。それから、この半分ぐらいのお魚なのよ」
「半分どころか。もっと小さいですよ。おまけに、夕食に副菜がついたことなど、久しいですな、お祖母様」
「あら。志乃さんが言うには、このあとまだ、大福もあるそうですよ。楽しみだわ」
は、と慶一郎は呆れたように笑い声を立てる。
「あとで、しっかりと過去の明細を見なければなりませんな。仕事にかまけて……。こういうことが全くできていませんでした」
そんな会話を聞きながら、志乃はなんとなく気づいた。
前の使用人たちが、大量に食材を発注し、食べていたのだ。勝手に。
この家には、昼間、目の悪い千代しかいないことを良いことに、勝手に仕入れて自分たちが食べていたのだろう。
支払いは慶一郎がまとめて行っているようだが、家事や商品の適正価格には疎かったのかもしれない。だいたい、言い値を払えてしまう財力もあった。
(それで、嫁が必要だったのか……)
ああ、なるほど、と合点がいく。
好き勝手やられる使用人よりも、介護もできる嫁の方がいい、という判断だったのだ。
その日の夕飯時。
部屋の隅で待機していた志乃は、何とも言えない雰囲気に戸惑っていた。
(……なにか、やらかしたかしら……)
箱膳を前に、明らかに慶一郎と千代は困惑しているように見える。
ちらり、と志乃は彼らふたりのために用意した食事に視線を走らせた。
白米、味噌汁、鯖の塩焼きに、ほうれん草の胡麻和え。わかめの酢の物に、厚揚げの煮物。にんじんとれんこんのきんぴら。香の物として白菜の浅漬けを小鉢に入れて添えている。味噌汁の具は、里芋なのだが、豆腐屋が持ってきた揚げの方がよかったのだろうか。あれは、明日の朝、使おうと思ったのだが。
目まぐるしく頭を働かせていると、慶一郎と目が合った。
今の彼は、洋装ではない。
単衣に角帯という着物姿だ。眼鏡はつけているが、風呂から上がったばかりの、無造作で濡れた髪も相まって、昼間とは随分印象が違う。
だからだろうか。
彼からは、「なんだ、これは!」という怒りではなく、「なんだろう、これは?」という戸惑いを感じた。
「申し訳ありません。ひょっとして、お食事も洋風でご用意させていた方がよかったのでしょうか」
志乃の口からすんなり詫びの言葉が出たのも、慶一郎のこの変化があったからだ。
「作ったことはございませんが……。ご指示くだされば、今からやり直してまいりますが……」
片膝を立てて立ち上がるそぶりを見せると、「いや」と慶一郎が声を放つ。
「……お祖母様」
志乃を制したまま、左前に座る千代に、ごほりと咳ばらいをする。ついでに、眼鏡もすり上げた。かちゃり、と小さな金属音が鳴る。
「はい、なんでしょう」
応じる千代も不思議そうだ。
目の悪い彼女のために、志乃は料理と配置を口頭で説明していた。
よく考えたら、その時から、なんだかふたりの様子がおかしかった。
「今日は……、その、なにか祝い事か記念の日でしたか。あいにく、うっかりとしておりましたが」
「いえ、そのことを妾も聞きたかったのですが……。あなた、商売でなにか大成功でもしましたか」
「残念ながら、いつも通りです」
きょとんとする志乃の前で、ふたりは、「今日は何の日だったか」を互いに探りあっている。
「……志乃」
名前を呼ばれ、改めて座りなおして背筋を伸ばす。
「今日はなぜ、このような膳を用意したのだ?」
慶一郎が尋ねる。座敷ランプの灯を受けて、彼の眼鏡もその色に染まっていた。
「あ!! いやだ。そうよ。あなたたちが夫婦になった日ではないですか! これはその祝い膳的な何かなのでしょう!? まあ、だったら、鯛がよかったわねぇ。魚屋に言うべきでした」
千代が手を合わせ、嬉しげに言うから、慌てて首を横に振った。
「いえ……、あの。旦那様が仰る通り、昼間、出入りの商人がやってまいりまして……」
志乃は、狼狽しながら説明をした。
慶一郎が言う通り、魚屋、八百屋、豆腐屋、酒屋、菓子屋がやってきた。
酒屋は酒の減りを見て「また今度来る」と帰っていったが、そのほかの商人は、「いつも通りの量」を置いて帰った。
『これは何日分ですか』
多いな、と思ったのは確かだ。だから確認をすると、いずれの商人も、『一日分だ』という。
実家の雪宮は、裕福だが、志乃の生活や食事は粗末だった。
だから、やはり一流の家は違うのだ、これだけ準備するのか、と志乃は認識を改めたところだったのだが。
「なんと、まあ。なぜ、今日は三時におやつが出るのかしら、と思っていたのよ」
志乃の説明を聞いて、いきなり笑いだしたのは千代だった。
口元を袂で隠し、ほほほ、と少女のように笑う。
「笑い事ではございませんよ、お祖母様」
対して、慶一郎は、というと苦虫をかみつぶしていた。朝出会った時よりも、とっつきにくそうな剣呑な色を瞳に宿している。
「申し訳ありません。やはり、私が間違えて……」
頭から血の気が引く。きっと、数日分の量だったのだ。
とんだ失態だ、と身体をこわばらせた。
「違う。お前を叱っているのではない」
だが、慶一郎は苦み走った顔で言った。
「お前が来る前に、短期的に雇った使用人どもが食ってたんだろう。まったく。追い出されても仕方ない奴らだ」
「………は?」
思わず、硬直した胸から息が漏れる。
「あのね。いつもは、ごはんとお味噌汁。それから、この半分ぐらいのお魚なのよ」
「半分どころか。もっと小さいですよ。おまけに、夕食に副菜がついたことなど、久しいですな、お祖母様」
「あら。志乃さんが言うには、このあとまだ、大福もあるそうですよ。楽しみだわ」
は、と慶一郎は呆れたように笑い声を立てる。
「あとで、しっかりと過去の明細を見なければなりませんな。仕事にかまけて……。こういうことが全くできていませんでした」
そんな会話を聞きながら、志乃はなんとなく気づいた。
前の使用人たちが、大量に食材を発注し、食べていたのだ。勝手に。
この家には、昼間、目の悪い千代しかいないことを良いことに、勝手に仕入れて自分たちが食べていたのだろう。
支払いは慶一郎がまとめて行っているようだが、家事や商品の適正価格には疎かったのかもしれない。だいたい、言い値を払えてしまう財力もあった。
(それで、嫁が必要だったのか……)
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好き勝手やられる使用人よりも、介護もできる嫁の方がいい、という判断だったのだ。
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