旦那様の口づけには、秘密がある

武州青嵐(さくら青嵐)

文字の大きさ
5 / 39

5話 夜が明けるまで部屋を出るな

しおりを挟む
「志乃」
 ため息交じりに名前を呼ばれ、慌てて返事をした。

「はい。なんでしょう」
「明日からはお前の見立てた量で買ってくれ。毎食これは、多い」

「そうねぇ。でも、ちょっとずつ、たくさんの料理を楽しみたいわ。あら。それじゃあ、志乃さんの手間よね」
「いえ、私は問題ございません」
 首を横に振ると、千代は嬉しそうに頷いた。

「では、全体の量を減らしてくれ。出来るな」
 出来るか、ではなく、出来るな、と言うところが慶一郎らしいな、と志乃は思う。

「はい。かしこまりました」
 返事をすると、慶一郎は視線を千代に向ける。

「では、いただきましょう。お祖母様」
「そうね。この後の大福が楽しみだし」

「まだ召し上がりますか」
 うんざりしたように言い、慶一郎は手を合わせて「いただきます」と言って箸をとる。千代も「いただきます」と続き、なんなく箸を取った。

 探るように指を箱膳の上に這わせるが、危なげなく鉢を持ち、食事を始める。

(本当になれていらっしゃる……。これは、特に介護は必要なさそうね)
 不躾にならない程度に千代を観察しながら、志乃は思う。

 厠や風呂の誘導も、実はまったく必要ない。家の中の配置はさすがに熟知していて、立ち上がりにも不安さはない。

『みんな、心配してくださるけど……。ただ、目が見えないだけなの』

 ころころと笑いながら千代は言う。本当にその通りだと志乃は思う。

 数年前に、介護を手伝った雪宮の親族よりも断然やりやすい。あの時は、褥瘡じょくそうの世話から汚物の処理まで、大変だった。

(このあと、大福を召し上がるんだったわね)
 慶一郎の様子では、彼には必要なさそうだが、千代は心待ちにしているようだ。その手はずを考えていたら。

「志乃」
 名前を呼ばれ、慌てて気を引き締めた。

「なんでしょう」
 お茶だろうか、と目の前の盆を持つが。

「お前は何故食べない」
 問われて、きょとんと、目をまたたかせる。

「あら、そうなの? やだ。ごめんなさい。先にいただいてるわ」
 慌てる千代に、志乃は戸惑って首を横に振る。

「ごゆっくり召し上がってください。私はこのあと、いただきますから」
「一緒に食えばいいだろう。家族なんだから」
 不審そうに慶一郎が言い、そうだ、とばかりに千代が頷く。

「雪宮の家では、親御さんとお子さんは、別々に召し上がっていたの?」
 千代が小首をかしげるから、何と言っていいか分からない。

 異母弟妹は、父と一緒に食事をしていた。
 自分だけ、使用人と食べていたのだ。

「ここでは、家族はみんな一緒に食べるのよ」
 笑みを深めて千代に言われ、思わず、ぼろり、と涙がこぼれた。

「……な」
 ぎょっとしたように慶一郎が箸を止めるから、急いで顔を伏せ、袂で涙をぬぐう。

「どうしたの?」
 状況が分からないのだろう。千代が白濁する瞳を開き、周囲に視線を走らせる。慶一郎もどうしたものか、と無意味に口を開閉させていた。

「あの……。では、お言葉に甘えて。すぐに用意してきます」
 なんとか取り繕い、志乃は部屋を出る。

 家族一緒に、という一言が無性に嬉しかった。

 厨房で残り物を食器に盛り、お盆に乗せながら、それでも、じわりと涙が浮いて来る。

 血のつながりなどまるでない。
 今日、この家に来ただけなのだけど。
 それでも、「家族」と言われ、たとえようのないほど、身体が温かくなった。

 それが。
 きっと、自分の中で凍らせていた涙を溶かした気がする。

「……志乃」
 部屋に取って返し、それでもなんとなく部屋の隅の方で食事をしていたら、ため息交じりに、また名前を呼ばれた。

「はい」
 すん、と鼻を鳴らして志乃は応じる。なんだか胸がいっぱいで、あまりご飯が進まない。

「明日の朝から、一緒のものをお前も食うように。食器も同じものを」
 鳶色の瞳をすがめて、慶一郎が命じる。

 ふと、自分の膳を見た。
 おこげのご飯に、ほうれん草の根っこの胡麻和え。具の無い味噌汁に、白菜の漬物。

 雪宮の家では、これが普通だった。
 まだ、量が多い方だ。

「それから、お前の席はお祖母様の向いだ。明日からそのように」
「はい」
 返事をしながらも、志乃の鼓動は早くなる。

 いいのだろうか、そんなことをして。
 志乃の母がまだ生きていた時、何度か父親が別宅に足を運んだことがあったが。
 母は、父とは遠く離れて座っていた気がする。

「志乃」
「はい」

「食事がすむと、わたしに関してはもう、用はない。お祖母様の世話が済んだら風呂を使って寝ろ」
 慶一郎が、綺麗な箸遣いで鯖をほぐす。

「かしこまりました」
 ほ、と力が抜けた。ようやく、一日が終わる。

「朝にも言ったが、部屋はお祖母様の隣だ」
「はい」

「明日、わたしは六時に起床する。家を出るのは七時だ。朝飯を頼む」
「承知しました。お弁当はいかがいたしましょう」

「作ってくれるなら助かる。それから」
「はい」

「夜が明けるまで、部屋を出るなよ」

 鯖の身を慶一郎が食べる。こつり、と音が鳴ったのは千代が小鉢を膳に戻した音だ。

 それに続き。

 ごとり、と。

 二階でなにやら音がする。

「は……い」
 志乃は、慶一郎の言葉に違和感を覚えつつも、素直に頷いた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...