1話役5000字のホラー連作集

武州青嵐(さくら青嵐)

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2話 ずっと見てる

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 スーツの尻ポケットにねじ込んだスマホが震えたとき、井上は顔をしかめて腕時計を見た。

 18:00。恋人の千佳との待ち合わせ時間は18:30。彼女のアパートに近い駅前にある、いつもの居酒屋だ。

(会社からだったら無視しよう)

 JRから地下鉄に乗り換えて……と、考えていたら、もう一度会社に戻って対応する時間はない。千佳とはこのところすれ違いが続いており、今晩はどうしても会いたいところだった。

 足は最寄り駅に向かいながら、スマホを引っぱりだす。

(拓斗?)
 スマホの表面に表示されたのは、おもいがけず友人の名前だ。

 珍しい、と思った。
 結婚したのは去年だったか。

 井上も結婚式に招待され、余興を依頼された。大学時代の友人たちと当時流行していたダンスグループを真似てカラオケとダンスをしたのだが……。予想以上に難しく、「なんでこんなのを選んだんだ」と最後には仲間割れをしかけた。

「はぁい。俺だけど」

 耳に当てて、背負ったビジネスバッグを揺すりあげる。中にいれているノートパソコンが移動したのか、なんだか左肩ばっかりが重い。

「あ、いのっち?」
「おうよ。なになに、どした」

 駅が見えた。
 自分と同じようなサラリーマンや学生が、吸い込まれるように改札へと向かう。

「ごめん、変なこと聞くけどさ」
「おう?」

 変なこと?と井上は心の中で繰り返しながら、スーツのポケットからICカードを取り出した。

 人の波に乗って改札を抜けようとしたら、ひとつ前で警告音が鳴った。
 ICカードに不具合があったらしい。中年男性が舌打ちし、後ろにいた女性に会釈をして下がる。

「あ、ひょっとしていま、忙しいか? 出先?」

 そんな音や雑踏が聞こえたのだろう。拓斗がうかがうような声音になる。

「いや、いま会社出て。千佳と待ち合わせしている居酒屋行くところ」

 目の前の女性が改札を通る。
 合わせて自分も行こうとしたが、警告音が鳴り、目の前で扉が閉まる。

「あれ? あ、すんません」
 後ろの学生に頭を下げ、井上はいったん改札から出た。

(おかしいな。残高、まだあるはずなんだけど)

 首をかしげながら、チャージ機の列に並ぶ。

「そうなんだ。いや、ちょっとだけ尋ねたいだけなんだ」
「おうよ。なに? あ、新居に招待してくれるとか?」

 結婚数年はふたりで暮らすが、そのあとは拓斗の両親と二世帯住宅を建てるとかなんとか。そんな話を披露宴で聞いた気がする。

「いや、そうじゃなくて」
「ん?」

「優香から連絡とか、ないよな」
「優香?」

 言ってから眉根が寄る。
 誰だ、それ。
 そんな疑問が浮かんだのだが、すぐに拓斗の妻だと思いだした。

「奥さん? 俺に……連絡?」

 なんで、と言いかけてやめる。というのも、スマホの向こうから重いため息が聞こえたからだ。

 井上はスマホを肩に押し当て、背負っていたビジネスバックを前に回した。財布を探りながら尋ねる。

「なんかあったのか?」
「昨日から帰って来てないんだ。スマホ鳴らしても出ないし、アプリは既読にならないし……。朝、向こうの実家に連絡したんだけど『来てない』って言うし……。昼休みを使って、俺の知っている優香の友人に連絡してみたんだけど、誰も『来てない』『会ってない』って」

「ケンカしたとか?」
「う……」

 返事は不明瞭だが、否定はしなかった。
 千円札を数枚つかみ出し、バッグを背負う。
 スマホを持ち換え、井上は言った。

「奥さんのスマホや財布とかないんだろ? だったらどっかビジホとか泊ってんじゃないの?」

 順番が来て、チャージ機の前に立つ。

「そう……だよなぁ。でも、いつもなら優香の実家とかにいるんだ」
「いつもって」

 井上はわざと陽気に笑って見せた。

「新婚なのに、いっつも家出しとんかぁい」
 ICカードを既定の場所に置き、入金する。

「でもそのたび帰ってきてんだろ? もう少し様子見たら? そもそも、毎回家出先がバレてるから、今回はビジホとかネカフェにしたのかもよ? ……ん?」

「なに、どうした」
「あ、いやなんでもない」

 井上は首を傾げた。
 残金が、まだあるのだ。

(おかしいな。たまたまはじかれたのか?)

 まあでも、と井上は入金をしてカードを取った。

「そうだな。もう少し様子を見てみるよ」
「おう。俺もなんか聞いたら連絡するよ」

 そう言って通話を切り、井上はふたたび改札に向かった。



「でも心配だね。奥さん連絡つかないとか」
 千佳が不意に顔を上げた。

 額をくっつけるようにしてメニュー表をみていたから、すぐ間近に彼女の顔がある。

 かわいいなぁ、と改めて思った。
 彼女も仕事帰りのはずだが、メイクはしっかり。服だってばっちりだ。

 なかなか会えなかったが、少しの時間でも惜しまずに彼女のために使うべきだと思った。でないと、有象無象にあっさりさらわれそうな気がする。たとえば、千佳の仕事上の上司とかに。

「ケンカのたびに戻ってきているから大丈夫だと思うんだけどなぁ」
「でも今回は違うんでしょう? やばいよ、それ。もう離婚考えてるのかもよ」

「え、心配ってそっち?」
「そりゃそうでしょう。財布もスマホもないんでしょう? 未成年じゃないんだし。どこでだって泊まれるわけだしさ。もう愛想がつきて離婚後のアパートとか探して住んでるかもよ?」

「マジで? それはないでしょ。新婚だよ?」
「結婚直後と子ども生まれた直後が一番別れを決意するらしいよ。『こんなやつとは一緒にいられない』って」

 千佳の言葉がぐっさりと胸に刺さる。結婚も子どももまだだが、千佳にそう思われていたらどうしよう。よく考えれば、交際が始まる前の方が千佳とまめに会ったり連絡をやりとりしていたような気がする。

(いかん。釣った魚にエサをやらないタイプだと思われているかも……)

 それどころか、結婚のために昇格を意識し、残業しているというのに。

「ってかさ、いのっち」
「ん? な、なに」

 頬杖をつき、千佳がじっとりとした視線を向けてくる。

「ヒトヅマと連絡とりあってるんだ」
「は? え? あ! その優香さんってひとのこと⁉」

 とんでもない、と井上は首を横に振った。

「知らない、知らない! 拓斗とは大学の同期だけど、優香ってひとは拓斗のバイト先の先輩で……!」
「でも『うちのツマから連絡あった?』って夫氏から連絡あるんだ」
「あいつ、焦ってなんかわかんないことしてるんだって!」

 井上は尻ポケットからスマホを取り出し、メニュー表の上にドンっと置いた。

「見てくれ」
「見るって?」
「登録。アプリのほうも見ていいから」

 井上は千佳の前でロックを外し、ずい、と押し出した。
 当初たじろいだ姿勢を見せた千佳だが、上目遣いに井上を見る。

「いいの?」
「いいよ。隠すことないし」

 千佳はスマホを手に取らず、その場で指を走らせる。
 電話帳を開いてスクロールさせるが、そもそも女子の名前などない。
 あるといえば『営業二課杉下良子さん』といった仕事関係のものばかりだ。
 アプリの方も可愛いアイコンなど皆無。ほぼ、フットサル関係の野郎どもばかり。

「……ありがと」
 千佳は三つ指つかんばかりにスマホを、すすす、と井上に押しやる。

「納得した?」
 ほっとして井上が言うと、「うん」と小さくうなずき、もぞもぞと動く。なんだろうと思ったら、千佳が自分のスマホを出した。

「私のも見る?」
「いや、いいよ!」

 びっくりして断るが、千佳は可愛らしく眉根を寄せた。

「だってそれじゃあなんか、フェアじゃないし」
「フェアって……。俺から言い出したんだからいいんだよ」

「その……。最近さ」
「うん」

「あんまり会えなかったじゃない?」
「う、うん」

「その……」
「なに」

「ほかに、好きな人ができたのかなぁ、とか」
「ありえないし!」

 思わず立ち上がって否定すると、ほかの客が何事かと顔を向ける。「ちょっと」と真っ赤な千佳に袖を引っ張られ、慌てて井上は座った。

「ご、ごめんね」
「俺こそ……誤解させて。あの、本当に忙しくて、仕事。っていうのも、企画を通して、昇格して……なんとか千佳と……」

 結婚したくて、と焦って言いかけたとき。

 スマホが振動した。
 メニュー表の上にふたつ並んだスマホ。

 その。
 井上の方が揺れている。小刻みに。

「え……」

 パネルに表示された名前に、井上は呟く。
 そこには。

 ゆうか、とひらがなで表示されていた。

「え……。いや、登録……してない」

 井上が首を横に振る。千佳もいぶかしそうな顔をしつつもうなずいた。なにしろさっき確認したばかりなのだから。

「とにかく、とってみたら?」
 千佳に言われたが、井上は拒否する。

「よくわかんないやつからなんだし」
「でも、本当にお友達の奥さんかもしれないよ? だったら、みんなが心配しているからって伝えた方がよくない?」

 言われて思い直す。
 そうだ。
 拓斗だけではない。きっと彼女の両親も心配しているのかもしれないのだから。
 井上は迷った末に、パネルをタップした。そしてスピーカーにする。

「もしもし?」
「あの。井上さんの携帯でしょうか」

 スマホから流れてきたのは、明らかに女性の声だ。

「そうですが。あの……?」
「小林の……優香と申します。結婚式で一度お会いしたかと思いますが」

 井上は千佳と顔を見合わせた。

「ええ、あの。ちょうどさっき小林からも連絡あって。あの、みんな心配されているので、一度家にもどられてはどうでしょうか」
「家?」

「ええ。いろいろあったとは思うんですが」
「いろいろ、ね」

 ふふ、と優香が不意に笑い、井上は唇を閉じる。視線を感じて顔を起こすと、千佳もなにやら気味が悪そうに口の両端を下げていた。

「あの……優香さん」
「小林から何度も何度も何度も何度も連絡があるんですけど」

「だと思います。あいつ、俺のところにまでかけてきたぐらいですから」
「私はずっといますから」

「え?」

 井上は問い返した。

「いるって、どこに」
 ふふふ、とまた電話の向こうから笑い声が漏れる。

「ずっとずっとそばにいますから」

 そうして、不意に通話が切れた。
 井上と千佳はただ無言で暗転したスマホを見つめる。

「ご注文、お決まりでしょうかぁ?」

 店員がやってきてようやくふたりは金縛りから解けた気分だ。

「あ。……あ、あの。じゃあ、生ビールひとつと、千佳はレモンサワーかな?」
「う、うん。あと、いつもの……シーザーサラダと。から揚げと。とりあえずはこれで……いいかな」
「うん」

 うなずいた井上だったが、店員が「あれ?」と素っ頓狂な声を上げる。

「あ……すみません。なんか調子悪くて……」

 手に持っていた端末のPDTを指ではじくが、機能停止したらしい。

「一旦、戻りますね」
 店員はそう言って「店長!」と厨房のほうに走って行った。

「ね、ねえ。とにかくお友達に連絡したら? 奥さんから連絡あったって」
 千佳に言われ、井上は我に返った。

「そうだな」
 スマホを手に取り、拓斗に電話をする。

「もしもし?」
「あ、俺。井上なんだけど」

「ああ、さっきは……」
「いま、優香さんから連絡あったぞ。なんか、ずっとそばにいるとかなんとか……」

 しばらく無言が続き、通話は一方的に切られた。



 半年後、小林拓斗が妻の優香殺害容疑で逮捕された。
『別れ話でもめた』とのことだった。

 そもそも、拓斗はこの結婚に乗り気ではなかったが『それなりの年齢の女性とつきあったってことは、そういうことよね?』と押し切られたらしい。

 いざ結婚したものの溝は埋まらず、離婚をめぐって幾度もケンカが起こった。
 このままでは一生離れられないと恐怖を感じた拓斗は優香を殺害。

 アリバイつくりと心証をよくするために、「行方不明になった妻を探す夫」を演じていたらしい。

 優香の遺体は、ふたりが暮らすアパートのウォークインクローゼットから発見されたらしい。

 井上は事件に関して警察官から事情を聴かれた。
 というのも。
 優香から連絡があったこのとき。すでに優香は死んでいるのだ。
 その彼女から連絡があったとなると、事件の様相が変わってくる。

 警察が通話履歴を調べたのだが。
 履歴上は誰からも電話がかかってきてはいなかった。また、井上のスマホにも受信記録が消え失せていた。

 この事実が拓斗にとって有利に働くと感じた弁護士が、拓斗に伝えたのだが。

『そんなはずはない! あのときはもう優香は死んでたんだ! やめてくれ!』
 拓斗は発狂するほど、否定したという。

『ずっとずっとそばにいますから』

 井上も千佳も。
 いまでも優香のこの電話の声が忘れられない。
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