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【過去編】第1章:屋上の透明人間
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第0章:放課後のプレリュード
地方都市の県立高校。
放課後のチャイムは、優音にとって「逃走」の合図だった。
「じゃあね、優音。バイト?」
「うん、まあ」
クラスメイトの軽い挨拶に曖昧に頷き、優音は教室を飛び出す。向かう先はバイト先ではない。北校舎の屋上に続く、誰も使わない踊り場だ。
そこは、埃と錆びた鉄の匂いがする、優音だけの聖域(サンクチュアリ)だった。
重い防火扉の陰に隠れ、背負っていたギターケースを開ける。
父が若い頃に使っていたというアコースティックギター。ネックは少し反っているし、ボディには傷がある。けれど、優音にとってはこの世で唯一、自分の声を預けられる相手だった。
(ここなら、誰にも聞こえない)
優音はクラスの中で「大人しい子」だった。目立たず、騒がず、空気のように振る舞う。それが、この閉塞的な教室で生き残るための処世術だった。
けれど、胸の内にはマグマのような感情が渦巻いている。
優音は弦を弾いた。
指先が痛くなるほど弦を押さえ、喉の奥から絞り出すように歌う。
♪
なんで なんで 笑ってるの
貼り付けた仮面が 剥がれ落ちていく
♪
その声は、教室で見せる弱々しいものではない。鋭く、荒々しく、空間を切り裂くような叫びだ。
一曲歌い終え、荒い息を吐く。
その時だった。
「……すげえ顔」
頭上から声が降ってきた。
優音は心臓が止まるかと思った。慌てて顔を上げると、さらに上の階、屋上への立ち入り禁止フェンスの向こうに、一人の男子生徒が座っていた。
「え……?」
夕陽を背にしていて顔は見えない。だが、そのルーズに着崩した制服と、気だるげな立ち姿には見覚えがあった。
蓮(れん)。
隣のクラスの有名人。入学早々「学年一のイケメン」と騒がれ、女子生徒の視線を独占している男子だ。
優音とは住む世界が違う。関わることなんて一生ないと思っていた人種。
「き、聞いてたの……?」
優音は顔を真っ赤にしてギターを隠そうとした。
蓮はフェンスを軽々と乗り越え、踊り場に飛び降りてきた。
「全部な。お前、教室にいる時と別人じゃん」
彼は優音の目の前にしゃがみ込み、面白そうにニッと笑った。
「その歌、誰の曲?」
「……自分で、作ったやつ」
「へえ」
蓮は感心したように目を細めた。
バカにされると思った。けれど、彼の瞳には嘲笑の色はなかった。むしろ、飢えた野良犬が餌を見つけたような、奇妙な切迫感があった。
「もっと聴かせろよ。今のやつ」
「えっ、無理。恥ずかしいし……」
「いいから。……俺、この学校の奴らの声、耳障りで嫌いなんだよ」
蓮はポケットからキャンディを取り出し、包装紙を剥きながら言った。
「でも、お前のその叫ぶみたいな声は、なんか……スカッとする」
それが、二人の最初の会話だった。
透明人間だった少女と、光の中にいすぎて輪郭を失っていた少年。
二つの孤独が、錆びたドアの陰で接触した瞬間だった。
(第1章 完)
地方都市の県立高校。
放課後のチャイムは、優音にとって「逃走」の合図だった。
「じゃあね、優音。バイト?」
「うん、まあ」
クラスメイトの軽い挨拶に曖昧に頷き、優音は教室を飛び出す。向かう先はバイト先ではない。北校舎の屋上に続く、誰も使わない踊り場だ。
そこは、埃と錆びた鉄の匂いがする、優音だけの聖域(サンクチュアリ)だった。
重い防火扉の陰に隠れ、背負っていたギターケースを開ける。
父が若い頃に使っていたというアコースティックギター。ネックは少し反っているし、ボディには傷がある。けれど、優音にとってはこの世で唯一、自分の声を預けられる相手だった。
(ここなら、誰にも聞こえない)
優音はクラスの中で「大人しい子」だった。目立たず、騒がず、空気のように振る舞う。それが、この閉塞的な教室で生き残るための処世術だった。
けれど、胸の内にはマグマのような感情が渦巻いている。
優音は弦を弾いた。
指先が痛くなるほど弦を押さえ、喉の奥から絞り出すように歌う。
♪
なんで なんで 笑ってるの
貼り付けた仮面が 剥がれ落ちていく
♪
その声は、教室で見せる弱々しいものではない。鋭く、荒々しく、空間を切り裂くような叫びだ。
一曲歌い終え、荒い息を吐く。
その時だった。
「……すげえ顔」
頭上から声が降ってきた。
優音は心臓が止まるかと思った。慌てて顔を上げると、さらに上の階、屋上への立ち入り禁止フェンスの向こうに、一人の男子生徒が座っていた。
「え……?」
夕陽を背にしていて顔は見えない。だが、そのルーズに着崩した制服と、気だるげな立ち姿には見覚えがあった。
蓮(れん)。
隣のクラスの有名人。入学早々「学年一のイケメン」と騒がれ、女子生徒の視線を独占している男子だ。
優音とは住む世界が違う。関わることなんて一生ないと思っていた人種。
「き、聞いてたの……?」
優音は顔を真っ赤にしてギターを隠そうとした。
蓮はフェンスを軽々と乗り越え、踊り場に飛び降りてきた。
「全部な。お前、教室にいる時と別人じゃん」
彼は優音の目の前にしゃがみ込み、面白そうにニッと笑った。
「その歌、誰の曲?」
「……自分で、作ったやつ」
「へえ」
蓮は感心したように目を細めた。
バカにされると思った。けれど、彼の瞳には嘲笑の色はなかった。むしろ、飢えた野良犬が餌を見つけたような、奇妙な切迫感があった。
「もっと聴かせろよ。今のやつ」
「えっ、無理。恥ずかしいし……」
「いいから。……俺、この学校の奴らの声、耳障りで嫌いなんだよ」
蓮はポケットからキャンディを取り出し、包装紙を剥きながら言った。
「でも、お前のその叫ぶみたいな声は、なんか……スカッとする」
それが、二人の最初の会話だった。
透明人間だった少女と、光の中にいすぎて輪郭を失っていた少年。
二つの孤独が、錆びたドアの陰で接触した瞬間だった。
(第1章 完)
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