131 / 131
エピローグ
2・ロマンティックの欠片もない
しおりを挟む
チェックアウトを済ませたふたりを待ち受けていたのは、ガチガチに固まった雪道だった。
「やばいな、これ」
「そうだね、気を抜くとすぐに転んで……」
言ってるそばから、ブーツの底がずるりと滑る。
そのままひっくり返りそうになった菜穂の身体を、緒形の右腕がとっさに受けとめた。
「あっ……ぶな……」
「ごめん、慎重に歩いてるつもりだったんだけど」
「いいって。この雪道じゃ、仕方ないだろ」
緒形にすがりつくような格好で、なんとか体勢を元に戻す。
ふう、と息をついたところで、緒形が「どうぞ」と手を差し伸べてきた。
「転ばぬ先のなんとやら──ってことで」
「……」
「ん? お姫さま抱っこのほうがいい?」
からかうように目を細める緒形に、菜穂は「そうじゃなくて」と慌てて首を横に振る。
「手をつないじゃったら、どちらかが転んだとき、一蓮托生にならない?」
「あーそうかも」
でもさ、と緒形は笑みを深くした。
「それならそれでいいだろ。運命共同体ってことで」
「そうかなぁ」
「そうだって。だから……ほら」
改めて差し伸べられた右手に、菜穂は恐る恐る左手をのせた。
緒形とこんなふうに手をつなぐこと自体は、決して初めてのことではない。それなのに、ぎゅっと握りしめられたとたん、菜穂の鼓動はひときわ早くなる。
(懐かしいな、この感じ)
緒形と付き合っていた高校時代、幾度となくこうしたくすぐったい気持ちを味わった。
(それが、まさかこの年になって……)
しかも、その相手は当時と同じ人物だ。
そう考えると、緒形雪野というひとは、つくづく自分と何か強固な縁があるに違いない。
「あのさ」
その緒形が、不自然なほどまっすぐ前を向いたまま口を開いた。
「これからどうする?」
「どうするって……」
今日の予定のことだろうか。それとも──?
うかがうように返答を濁すと、緒形は「今後のこと」とすぐに補足した。
「これでおしまい? それともよりを戻す?」
「……」
「俺の答えは決まってるけど。よかったら、三辺の答えも──」
そこまで言いかけたところで、緒形の身体ががくんと沈んだ。
転んだら一蓮托生──そう口にした菜穂だったが、実際のところ、そうはならなかった。とっさの判断で、緒形が菜穂の手を離してくれたおかげだ。
「痛っ……てぇ」
呻くように雪上を転がる緒形に、菜穂は恐る恐る声をかけた。
「あの……大丈夫?」
「大丈夫じゃない……ほんとヤバい……」
「えっ、もしかして怪我とか?」
慌ててしゃがみこもうとする菜穂に、緒形は「いや」と首を横に振った。
「怪我はしてない……けど」
「けど?」
「……悪い、とりあえず手を貸して」
のろのろと差し出された右手を、菜穂は「もちろん」と捕まえようとした。
けれど、その声はすぐさま悲鳴へと変わった。緒形の手を掴んだ瞬間、逆にぐいっと引っ張られたからだ。
当然、菜穂の身体は、緒形に向かって大きく倒れ込んだ。
(えっ、どうして……)
うろたえる菜穂を抱え込んで、緒形は軽やかな笑い声をあげた。
「言ったじゃん、転ぶときは一蓮托生って」
言った──たしかに言ったけれど。
さすがに、この状況は想定していない。
抗議するべく、菜穂は身体を起こそうとした。
けれど、それは叶わなかった。背中にまわされていた両手が、再び菜穂の身体を囲い込んでしまったせいで。
「ごめん、許して」
「だったら、まずはこの手を……」
「それはダメ。もうちょっとこのままでいさせてよ」
初めて耳にする緒形の甘えたような声に、菜穂はぐっと言葉を詰まらせた。
高校時代の彼は、交際中でもこんな姿を見せてはくれなかった。菜穂の記憶にあるのは、どこか斜に構えた「かっこつけ」の緒形雪野だ。
(じゃあ、どうして?)
菜穂が知らない十年の間に、誰かが彼に甘えることを教えたのだろうか。それとも──
(夜を、一緒に過ごしたから?)
だから、これまで知らなかった彼の一面を、こうして見せてもらえているのだろうか。
(だったら、後者がいいな)
前者だと、見知らぬ誰かに嫉妬してしまう。菜穂は、半ば無意識のうちに緒形の胸元をきゅっと掴んだ。
「……三辺?」
緒形の声が、うかがうようなものに変わった。
「ええと……やっぱり怒ってる?」
「怒ってない」
「その言い方が、すでにちょっと尖ってるんだけど」
菜穂は、今度こそ上体を起こした。
それにつられたように、緒形も恐る恐る身体を起こす。
「ちょっと、嫉妬しただけ」
「……えっ」
「私が知らない10年間で、緒形くんはどんな人と付き合ってたのかなって……そんなことを考えたら、ちょっと『やだなぁ』って思っただけ」
ぽろりとこぼれた菜穂の本音に、緒形はメガネの奥の目を軽く瞬かせた。そこから伝わってくるのは戸惑い、あるいは困惑といったところだろうか。
「ええと……なんでこの状況で三辺がそんなことを考えたのか、いまいち理解できないんだけど」
でもさ、と彼の指先が、菜穂の乱れた髪の毛を耳にかけてくれた。
「それって、つまり俺のことが好きってこと? その……嫉妬してくれる程度には」
「そうだよ」
「……マジか」
緒形の口元が、はっきりと緩む。
次の瞬間、菜穂の身体は三度緒形の腕のなかにおさめられていた。
「じゃあ、今のが、さっきの答えでいい?」
「『さっきの』って?」
「いや、だから……『これからどうするか』の答えっていうか」
急に自信なさげな様子を見せる彼に、菜穂は思わず破顔してしまった。
そうだよ、そのとおりだよ。
これから末永くよろしくお願いします。
言葉にするなら、こんなところだろうか。
けれど、菜穂はそれらを敢えて言葉ではない手段で伝えてみることにした。
唇から唇へ──歩道の上、雪にまみれたロマンティックの欠片もないシチュエイションかもしれないけれど。
(それでいい)
緒形とのこれからは、どんなものでも「とびきり」になるはずだから。
「やばいな、これ」
「そうだね、気を抜くとすぐに転んで……」
言ってるそばから、ブーツの底がずるりと滑る。
そのままひっくり返りそうになった菜穂の身体を、緒形の右腕がとっさに受けとめた。
「あっ……ぶな……」
「ごめん、慎重に歩いてるつもりだったんだけど」
「いいって。この雪道じゃ、仕方ないだろ」
緒形にすがりつくような格好で、なんとか体勢を元に戻す。
ふう、と息をついたところで、緒形が「どうぞ」と手を差し伸べてきた。
「転ばぬ先のなんとやら──ってことで」
「……」
「ん? お姫さま抱っこのほうがいい?」
からかうように目を細める緒形に、菜穂は「そうじゃなくて」と慌てて首を横に振る。
「手をつないじゃったら、どちらかが転んだとき、一蓮托生にならない?」
「あーそうかも」
でもさ、と緒形は笑みを深くした。
「それならそれでいいだろ。運命共同体ってことで」
「そうかなぁ」
「そうだって。だから……ほら」
改めて差し伸べられた右手に、菜穂は恐る恐る左手をのせた。
緒形とこんなふうに手をつなぐこと自体は、決して初めてのことではない。それなのに、ぎゅっと握りしめられたとたん、菜穂の鼓動はひときわ早くなる。
(懐かしいな、この感じ)
緒形と付き合っていた高校時代、幾度となくこうしたくすぐったい気持ちを味わった。
(それが、まさかこの年になって……)
しかも、その相手は当時と同じ人物だ。
そう考えると、緒形雪野というひとは、つくづく自分と何か強固な縁があるに違いない。
「あのさ」
その緒形が、不自然なほどまっすぐ前を向いたまま口を開いた。
「これからどうする?」
「どうするって……」
今日の予定のことだろうか。それとも──?
うかがうように返答を濁すと、緒形は「今後のこと」とすぐに補足した。
「これでおしまい? それともよりを戻す?」
「……」
「俺の答えは決まってるけど。よかったら、三辺の答えも──」
そこまで言いかけたところで、緒形の身体ががくんと沈んだ。
転んだら一蓮托生──そう口にした菜穂だったが、実際のところ、そうはならなかった。とっさの判断で、緒形が菜穂の手を離してくれたおかげだ。
「痛っ……てぇ」
呻くように雪上を転がる緒形に、菜穂は恐る恐る声をかけた。
「あの……大丈夫?」
「大丈夫じゃない……ほんとヤバい……」
「えっ、もしかして怪我とか?」
慌ててしゃがみこもうとする菜穂に、緒形は「いや」と首を横に振った。
「怪我はしてない……けど」
「けど?」
「……悪い、とりあえず手を貸して」
のろのろと差し出された右手を、菜穂は「もちろん」と捕まえようとした。
けれど、その声はすぐさま悲鳴へと変わった。緒形の手を掴んだ瞬間、逆にぐいっと引っ張られたからだ。
当然、菜穂の身体は、緒形に向かって大きく倒れ込んだ。
(えっ、どうして……)
うろたえる菜穂を抱え込んで、緒形は軽やかな笑い声をあげた。
「言ったじゃん、転ぶときは一蓮托生って」
言った──たしかに言ったけれど。
さすがに、この状況は想定していない。
抗議するべく、菜穂は身体を起こそうとした。
けれど、それは叶わなかった。背中にまわされていた両手が、再び菜穂の身体を囲い込んでしまったせいで。
「ごめん、許して」
「だったら、まずはこの手を……」
「それはダメ。もうちょっとこのままでいさせてよ」
初めて耳にする緒形の甘えたような声に、菜穂はぐっと言葉を詰まらせた。
高校時代の彼は、交際中でもこんな姿を見せてはくれなかった。菜穂の記憶にあるのは、どこか斜に構えた「かっこつけ」の緒形雪野だ。
(じゃあ、どうして?)
菜穂が知らない十年の間に、誰かが彼に甘えることを教えたのだろうか。それとも──
(夜を、一緒に過ごしたから?)
だから、これまで知らなかった彼の一面を、こうして見せてもらえているのだろうか。
(だったら、後者がいいな)
前者だと、見知らぬ誰かに嫉妬してしまう。菜穂は、半ば無意識のうちに緒形の胸元をきゅっと掴んだ。
「……三辺?」
緒形の声が、うかがうようなものに変わった。
「ええと……やっぱり怒ってる?」
「怒ってない」
「その言い方が、すでにちょっと尖ってるんだけど」
菜穂は、今度こそ上体を起こした。
それにつられたように、緒形も恐る恐る身体を起こす。
「ちょっと、嫉妬しただけ」
「……えっ」
「私が知らない10年間で、緒形くんはどんな人と付き合ってたのかなって……そんなことを考えたら、ちょっと『やだなぁ』って思っただけ」
ぽろりとこぼれた菜穂の本音に、緒形はメガネの奥の目を軽く瞬かせた。そこから伝わってくるのは戸惑い、あるいは困惑といったところだろうか。
「ええと……なんでこの状況で三辺がそんなことを考えたのか、いまいち理解できないんだけど」
でもさ、と彼の指先が、菜穂の乱れた髪の毛を耳にかけてくれた。
「それって、つまり俺のことが好きってこと? その……嫉妬してくれる程度には」
「そうだよ」
「……マジか」
緒形の口元が、はっきりと緩む。
次の瞬間、菜穂の身体は三度緒形の腕のなかにおさめられていた。
「じゃあ、今のが、さっきの答えでいい?」
「『さっきの』って?」
「いや、だから……『これからどうするか』の答えっていうか」
急に自信なさげな様子を見せる彼に、菜穂は思わず破顔してしまった。
そうだよ、そのとおりだよ。
これから末永くよろしくお願いします。
言葉にするなら、こんなところだろうか。
けれど、菜穂はそれらを敢えて言葉ではない手段で伝えてみることにした。
唇から唇へ──歩道の上、雪にまみれたロマンティックの欠片もないシチュエイションかもしれないけれど。
(それでいい)
緒形とのこれからは、どんなものでも「とびきり」になるはずだから。
5
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ソツのない彼氏とスキのない彼女
吉野 那生
恋愛
特別目立つ訳ではない。
どちらかといえば地味だし、バリキャリという風でもない。
だけど…何故か気になってしまう。
気がつくと、彼女の姿を目で追っている。
***
社内でも知らない者はいないという程、有名な彼。
爽やかな見た目、人懐っこく相手の懐にスルリと入り込む手腕。
そして、華やかな噂。
あまり得意なタイプではない。
どちらかといえば敬遠するタイプなのに…。
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
Re.start ~学校一イケメンの元彼が死に物狂いで復縁を迫ってきます~
伊咲 汐恩
恋愛
高校三年生の菊池梓は教師の高梨と交際中。ある日、元彼 蓮に密会現場を目撃されてしまい、復縁宣言される。蓮は心の距離を縮めようと接近を試みるが言葉の履き違えから不治の病と勘違いされる。慎重に恋愛を進める高梨とは対照的に蓮は度重なる嫌がらせと戦う梓を支えていく。後夜祭の時に密会している梓達の前に現れた蓮は梓の手を取って高梨に堂々とライバル宣言をする。そして、後夜祭のステージ上で付き合って欲しいと言い…。
※ この物語はフィクションです。20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。
この作品は「魔法のiらんど、野いちご、ベリーズカフェ、エブリスタ、小説家になろう」にも掲載してます。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
Fly high 〜勘違いから始まる恋〜
吉野 那生
恋愛
平凡なOLとやさぐれ御曹司のオフィスラブ。
ゲレンデで助けてくれた人は取引先の社長 神崎・R・聡一郎だった。
奇跡的に再会を果たした直後、職を失い…彼の秘書となる本城 美月。
なんの資格も取り柄もない美月にとって、そこは居心地の良い場所ではなかったけれど…。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
課長のケーキは甘い包囲網
花里 美佐
恋愛
田崎すみれ 二十二歳 料亭の娘だが、自分は料理が全くできない負い目がある。
えくぼの見える笑顔が可愛い、ケーキが大好きな女子。
×
沢島 誠司 三十三歳 洋菓子メーカー人事総務課長。笑わない鬼課長だった。
実は四年前まで商品開発担当パティシエだった。
大好きな洋菓子メーカーに就職したすみれ。
面接官だった彼が上司となった。
しかも、彼は面接に来る前からすみれを知っていた。
彼女のいつも買うケーキは、彼にとって重要な意味を持っていたからだ。
心に傷を持つヒーローとコンプレックス持ちのヒロインの恋(。・ω・。)ノ♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる