夢を買う人

水野七緒

文字の大きさ
上 下
13 / 19
第6話

12

しおりを挟む

 満員電車のピーク時を過ぎているとはいえ、駅のホームはまだまだサラリーマンやOLたちで混雑している。
 自動販売機のすぐ横のベンチに腰をおろしていた哲平は、かれこれ30分近くもそんな彼らの背中をぼんやりと見送っていた。

「幸せそうだね」

 哲平の隣りには、黒猫を抱えた件の少年が座っていた。

「よっぽど楽しかったんだ?」
「まぁな」

 答える声に力が入らないのは、頭のなかがまだぼんやりしているせいだ。

「なんつーかさ、もう……」
「もう?」
「すごいよな、やっぱ」

 右手を開き、ぎゅっと握る。
 まだ、この手が覚えている。
 あの肌の温度を。
 髪をすいたときの感触を。

「やっぱりいいよな、人肌って」

 甘ったるく響いたのだろう哲平の呟きに、少年は「あ、そう」と軽く肩をすくめた。
 膝の上では、黒猫が退屈そうにあくびをしている。

「で?」

 少年は、ちろりと哲平を見上げた。

「今晩はどうするの? 夢、また買う? 2万円だけど」
「ああ、それなんだけどさ」

 哲平は少し考え込んでから、思いきって口を開いてみた。

「もう少し安くなんない?」
「どうして?」

 そんなの決まっている。
 金がなくなってきたのだ。

「だってさ、この3日で4万だろ?」
「そうだね」
「オレ、フツーの大学生だしさ。いちおうバイトしてるけど月払いだし」

 先月のバイト代は、あと5千円で底をつく。それでも今晩の夢を買うとしたら、仕送りしてもらっている光熱費や食費に手をつけなければいけない。

「値下げはできないね」
「なんでだよ」
「この間、特別セールやったばかりだもん。こっちだって商売だからさ」

 安易な値下げは、自分の首を絞めることになるんだよねぇ。
 いっぱしの商売人よろしく、少年はもったいぶった口調で答える。
 哲平は、小さく舌打ちした。

「なんだよ、ケチ」
「そう言われてもさぁ。『金の切れ目は縁の切れ目』っていうくらいだし」
「じゃあ、なんだよ? 今晩のアイツの夢は、オレには売れないってことかよ?」
「このままだと、そういうコトになるよね」

 小憎たらしく返されて、哲平は小さく歯噛みした。
 見た目は自分より年下だとしか思えないのに、どうしてなかなかしっかりしているようだ。

(仕方ないな)

 こうなったら自力で増やすしかない。
 といっても、哲平にできることといえば、せいぜい日雇いのアルバイトをするくらいだ。

(でも、今やってるバイトもすでにシフトが決まっちまってるし)

 軽くうなる哲平の横で、少年は「ねぇ、どうするのさ?」と催促してくる。

「うるさい。ちょっと黙ってろよ」
「ちぇ」

 少年は、不満げに唇を尖らせた。
 が、すぐに、どうしたことか「お兄さん、お兄さんっ」と哲平の肘を強く揺さぶってきた。

「来たよ! ほら」

 少年の形のいい顎が、クイッと動く。
 その指し示すほうを振り向いて、哲平は身を硬くした。
しおりを挟む

処理中です...