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第2話

1・俺の日常について

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 食器を片付け、身じたくを済ませると、俺は買ったばかりのスニーカーに足を突っ込んだ。

「じゃあ、行ってくる」

 居間に声をかけると、のっそりと大賀が顔を出した。

「早いな」
「今日の1限の教授、最初に出席カードを配るんだよ。それより廊下と居間にコロコロかけておけよ。尻尾の毛、けっこう抜けてるからな」
「わかった」
「やり方はわかるよな? 床と絨毯だとシートの種類が違うから、間違えんなよ?」
「問題ない」
「あと、今日はバイトで遅くなるから。眠くなったら先に寝ていてくれ」

 とたんに、大賀は何か言いたげな顔つきになった。
 なんだ、気になることでもあるのか? 少し待ってみたけれど、大賀はデカい口を引き結んだままだ。
 まあ、いいか。何も言わないってことは、大した内容じゃないんだろう。それに無言で察してもらおうだなんて、図々しいにも程がある。
 ジーンズのポケットに定期券が入っているのを確認して、俺はリュックを右肩にかけた。

「それじゃ、いってくる」

 玄関のドアを開けると、青空が広がっていた。
 ああ、今日も心がすくような秋晴れだ。
 俺の日常は、ごく一般的な大学生そのものって感じ。
 平日は大学にいって、講義を受ける。それが終わったら、バイトに行ったり、誰かと遊んだり。サークルにもいちおう入ってるけど、人数あわせで籍を置いているだけだからほとんど参加していない。なので、俺の日常はだいたい「大学とバイト」ってところだ。
 ちなみに、俺が籍を置いているのは経済学部経済学科。今日は朝からびっしり講義がある上に、苦手な経済英語がある。やばいな、居眠りしないように気をつけないと。

「うっす」
「おはよー若井」
「若井、今日の髪、ヤバくね?」
「そうか? ちょっとはねてるだけだろ」

 大学では、決まった連中数人とつるんでいることが多い。飲みにいったりするのも、ほぼこいつらと。交友関係を無理に広げようとは思わない。ただ、シャットアウトしているわけでもないから、声をかけられたらわりと誰とでもメシを食ったり遊んだりはしている。いちおう。
 で、午後までしっかり講義を受けたあとは、急いでバイト先へと向かう。
 駅前にあるチェーンのカフェ。近隣に大学が3校あるせいか、バイト仲間は同年代のヤツらが多くてかなり働きやすい。

「若井、レジとドリンクどっち入りたい?」
「どっちでもいいっすよ」
「じゃあ、ドリンクに入って新人ちゃんの指導をおねがい」
「了解っす」

 今、指示を出したのは昼の時間帯のバイトリーダーだ。大学4年で就活も落ち着いたらしく、最近は朝からバイトに入っている。

(ってことは、夜は俺が引き継ぎか)

 夜のシフトで、一番長くバイトをしているのは俺だ。というわけで、バイトリーダーは俺が引き継ぐことになる。

(新人ちゃんには19時から洗浄、ドリンクは俺ひとりでまわして、19時からの人は締め作業もできるからクローズまでレジをお任せして……)

「……あ」

 今日は「あの人」が店に来る日だ。
 とたんに、ズンッと胸が重くなった。気のあうメンツだけで店をまわせたら、バイトはいつだって楽しいのに。
 でも、仕方がない。世の中、ままならないことはたくさんあるんだ。
 新人ちゃんに「よろしくお願いします」と頭を下げられ、俺も「こちらこそ」と同じように返す。
 ひとまず「あの人」のことは忘れて、目の前の業務に取り組むとするか。
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