十年監禁

小林マコト

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 翌朝は話をする暇もなく、夜まで彼を待つことにした。忙しい彼を邪魔するわけにはいかない。ただでさえ私は彼にとって無駄な荷物だ。わがままは言えない。

 昼頃にはだいぶ落ち着いてきて、だらだらごろごろしていられる余裕も出てきた。昨夜の疑惑も、不安も、全部私の思い込みなんじゃないか。きっとそうだ、優しい彼がそんなことするわけない。
 大体、私を監禁したって彼の利益になることは何一つないのだ。私を誘拐して、監禁して、身代金を得るためだったとしても、そんなものを要求できる親族はもう私にはない。両親も死んだ。――私が殺した。だから、殺人犯である私を監禁しても、彼の不利益になることこそあれ、利益になることはない。

 夕方になるにつれて、胃がきりきり痛み出した。この部屋に唯一の時計を何度も見てしまう。
 そして、部屋の鍵が開けられる音がして、私は目を閉じた。

「ただいま」

 彼の声。
 出会った頃より、少し、深みが増した気がする。

「おかえり」

 私の声はどうだろうか。自分のことはよくわからない。
 彼はいつも通りだった。私が昨夜、錯乱状態だったことを知らずに。

 持ち込んだ食材で、二人分の食事を作る彼。私は滅多に包丁も持たせてもらえない。危ないからと言って、子ども扱いするのだ。もう二十六になったのに。今日も、持たせてもらえなかった。

「割れたお皿の代わりに、新しいの、持ってきたから」
「ありがと。手間かけちゃって、ごめん。……プラスチックにしたんだね」
「うん。これなら、割れにくいでしょ。どうせなら全部、きれいに揃えたいから、いっぱい買っちゃったよ」
「……そこまでしなくていいのに」
「僕がしたいだけだから、君は気にしないで」

 気にしないなんて、できるはずないのに。軽くてよけいに落としてしまいそうな皿が、なんだか憎くなった。

 隣に立って、レタスを千切ることだけが私に与えられた仕事だ。にこにこ笑って楽しげにする彼の言葉は聞き流す。彼はそんなことで怒るような人ではないし、ただ私に彼の言葉を聞いていてほしいだけだと、この十年でよく理解している。

 私たちの会話は、ほとんどを彼が喋っている。私は、うん、そうだね、それは一体どういうこと、とかそういう簡単な言葉ばかりを口にする。私自身に話すことがないからだ。
 けれど、つまらないなんてことはない。彼は話し上手だ。十年前は聞き上手な印象だったけれど、よく喋った私が喋らなくなっていくにつれ、彼の口数が増えていき、今に至る。無理をさせているのかも、と心配になったこともあったけど、彼は聞くのも喋るのも好きらしい。心底幸せそうな顔をしているのだからいいかと、もう気にもしない。

 食事の間は、彼も私も、あまり喋らない。二人ともそういう風に教育を受けたからだ。彼の家は特殊だし、私の家は、なんというか、母親が厳しかったから。自然と必要な会話以外はしなかった。
 食べ終わってから、食器を運んで、後片付けをする。昨日、皿を割ってしまったから、今日は食器洗いの手伝いすらさせてもらえなかった。仕方なくテーブルをいつも以上に念入りに拭く。折り畳み式のこのテーブルも、二代目になる。

「他に手伝えること、ある?」
「ないよ。大丈夫。ありがとう」
「じゃ、じゃあ、ちょっと、話、聞いて」

 どもってしまった。ちょっと恥ずかしい。
 私の様子から不穏なものを感じたのか、彼の笑みがすうっと消えていく。どうしたの。深い声が、耳に心地よいはずの声が、責めているように聞こえてしまう。
 さっき食事をしたときのように、テーブルを挟んで、向かい合って座る。慣れた座布団だけど、なんとなく座り心地が悪い。

「あの、私、もう十年ここにいるよ、ね」
「うん、そうだね」
「き、昨日も言ったけど、そろそろ、外、に、出たくて」

 なんだろう。彼相手に、こんなに喋りにくいなんて。これまでなかったことだ。彼はこちらの話によく耳を傾けてくれて、聞き上手で、だから以前はよく私も喋り倒していたはずなのに。
 少し息が苦しい。上手く呂律が回らない。理由のない恐怖と不安が、私を襲っている。心臓が、痒い。

「僕も、昨日言ったはずだよね」
「うん。わかってるん、だけど」
「わかってないよ、今日もまた、そんなことを言うなんて」

 彼が溜め息を漏らした。それすら色っぽいなあ、なんて場に似合わないことを思ってしまう。

「いい? 外は君にとって危険な場所なんだ。高校生になったばかりの君が見ていたような世界じゃないんだよ、もう」
「わかってる。わかってるけど、そろそろ、申し訳なくて」
「何度も言ってるけど、君は心配しなくていい。僕が好きでやってるだけだから」
「そんなの……」

 そんなの、無理だ。どうしても申し訳なくなってしまう。この部屋の家賃だって、十年分となったらずいぶんと大金を払ってきただろうし、食費も、光熱費もばかにならないだろう。
 何より、私のやってしまったことをごまかすのも手伝ってもらってしまった。今だって、ごまかし続けている。死んだことにしようと提案して、本当にそうしてしまったのも。彼がいなければ、私は今、こうしていられなかったはずだ。どちらにせよ、自由ではないから変わり映えはしないだろうけれど。

「君はいい子だね。でも、悪い子でもある。大人の言うことは、子どもらしく聞いてほしいな」
「私もう、子どもじゃないよ。酒も煙草もできる歳だし、もう三十も見えてきた大人だよ。だから――」
「だめなものはだめ。どうして、いきなりそんなことを言いだしたのかな? 昨日はちゃんとわかってくれたと思ったのに」
「だ、だって!」

 勢いに任せて立ち上がり、カーテンを引っ掴む。
 だって、見てしまった。私はあるはずのものがないことに気が付いてしまった。それを不信に思うことは、自然なことだろう。騙されたと感じてしまうことも。

「窓があるって、言った、けど、なかった」

 カーテンを開いてみせると、彼の表情が消えた。纏う空気も、変わった。急に肌寒くなった気がする。彼のきれいな顔が、今は、あまりに冷たい。
 今まで私に向けられてきた目は、とてもあたたかいものだった。こんな冷たいものは、絶対に、向けられなかったのに。

「僕との約束、破ったんだね」

 ゆっくりと立ち上がった彼は、私に近付いて、手を伸ばす。叩かれるか、殴られるか。痛みに耐えようと体を固くして目をぎゅっとつむったけれど、彼の手は私を通り過ぎた。
 そっと目を開けてみれば、彼は表情を変えずにカーテンをレールから外していた。すべて外して、きれいに畳む。そこに残ったのは、壁と、そこにあるべきではないレールだけ。
 しばらく彼は何も言わなかった。俯いて、こちらを見ることもなかった。奇妙な沈黙が、不安を加速させる。

「ばれちゃったなら、これは、もういらないね」

 そう言って、ぱっと顔を上げた彼はいつもの笑みを浮かべていた。十年、見慣れた笑顔だ。
 何も言えない私をよそに、彼は畳んだカーテンを持って帰り支度をはじめてしまった。あるはずの窓のことは、説明もない。ただ淡々と、いつものように、振る舞っている。

「帰るよ。作り置き、まだ冷凍庫にあったよね。明日は来ないから」
「来ない、の?」
「うん。明日は来ない。じゃあね、また明後日にでも。……早く、あっちを向きなさい」

 彼は私の頭をぽんと撫でた。そして、玄関とは反対の方に向かせる。十年前に交わした約束の一つだ。彼の出入りのときに、玄関を、少しでも外を見ない約束。
 扉が閉まる音、次に、鍵を閉める音。その二つが、普段聞くものよりとても大きく聞こえた。足音が遠のいて、緊張が一気に解ける。いつの間にか息を詰めていたらしい。その場に崩れ落ちて、咳き込んだ。
 吐き気と眩暈が襲う。咳が収まってから、そのまま、べちょっとうつぶせに寝そべる。フローリングの床は、冷たくて気持ちがいい。
 体が熱い。苦しい。理由はわからないけど、ただひたすら、こわい。一体何が怖いのかも、わからないけど。
 これは、十年前の感覚と同じだ。彼に、初めてこの部屋に連れてこられたときに感じた、言いようのない恐怖と同じだ。あのときは自分がやってしまったことと、これからの生活の不安が、恐怖を感じさせていた。でも、今は?
 今はもう、ずいぶんと慣れて、怖いことなんて何もないはずなのに。彼も優しくて、毎日顔を見に来てくれる。不自由なこともなくて、わずらわしいことも、やりたくないことをやることもないのに、私は一体、何を怖がっているんだろう。私にとって、この生活は、満ち足りているはずなのに。

 気が付いたら朝になっていた。床に寝転がったままでいたと知ったら、彼は怒るだろう。朝からシャワーを浴びて、冷凍庫の中にある作り置きを温めて食べた。いつもよりなかなか減らない朝食は、確かにおいしいはずなのに、味がしないようにも感じた。

 その夜、彼は、本当に来なかった。



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