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プロローグ2.灰色の部室にて

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 二十五年前まで女子高だった県内でも有数の進学校。ここには地下音楽室にある。白いべニア板に穴があいた、いわゆる吸音板ではなく一面灰色のコンクリートの部屋だった。無味乾燥とした音楽室はマンドリンクラブの部室でもある。他部活が全国的に活躍している中で唯一の地下部室だ。一見日陰者のような扱いだが、マンドリンクラブは「灰色の部室」の「金色サークル」と呼ばれていた。全国高等学校総合文化祭で最優秀賞を受賞すること十回。全国高等学校ギター・マンドリンフェスティバルでも優秀賞を七度受賞している。部室の入り口横の棚には所せましトロフィーが飾られていた。一人だけだがプロも輩出している。
 そんな伝統と実績のあるマンドリンクラブだったが男子生徒は今までいなかった。共学になったといっても文科系サークルは女生徒が多い。中学から楽譜に親しんできた男子生徒はごく少数だろう。ましてや全国クラスの名門部。共学以来、数々の黄色い勧誘にも全く男子の食指は動かなったようだ。そして今年も3日間だけある勧誘日に男子の姿はなかった。

「今年もダメか」

 部長の鈴原香奈枝はため息をついた。女子部員こそ十八人と例年より多く入部してきたが、音楽経験のある男子は吹奏楽部や管弦楽部に流れてしまっていた。マンドリンは若い世代には馴染みも薄いし無理からぬことだった。職員室に行くまで3回ほどため息をつく。

「失礼します。福屋先生はいらっしゃいますか?」

 マンドリンクラブ顧問の福屋信司を訪ねる。職員室の隅、非常勤教師のスペースに福屋はいた。福屋は全国的なマンドリンコンテストで金賞も取ったこともある、県内ではちょっとした有名人だ。非常勤で教壇に立ちつつもゆくゆくはプロとして活動することを決めている。

「ああ、鈴原さん。お疲れ様。入ってきてください」
「失礼します」
 やや距離のある職員室を横断する。

「新入部員の件でしょ!リストできた?」
「はい、こちらです」

 クリアファイルから一枚の紙を取り出す。クラスと氏名、性別が書かれていた。

「今年も男子生徒は入らなかったようだね」
「はい、残念です。」
「と、残念がるのは早いかもよ。さっき僕のところへ、見学したいって男子が来たよ。それも六人も」
「本当ですか?!」
「本当。今日は部活ないから月曜日にまた来てもらうことになったけど、できたら全員入ってもらいたいね。」
「はい!月曜日は頑張ります。」

 鈴原は気合を入れる。情報は部員全員にすぐに伝えた。女子部員は浮足立った。最近はマンネリ化も叫ばれていた。クラブ派閥のようなものもあり、飽き飽きして部員もいた。そんな閉塞感も打開するには新しい風が吹かなければならないのだ。一体どんな子たちだろうか。二年生以上の部員は新入部員紹介の日、ドキドキわくわくしながら登校した。そして放課後の部活時間。部員たちの気の高まりはややトーンダウンする。
 なんというかヘラヘラした雰囲気があった。仮にも進学校。もちろん染髪はしていないが、学年に数人は必ずいるヤンチャなタイプ。のように見えた。彼らはもっと自由闊達な部活がいいのではないか?
 いやいや見た目だけ決めてはいけない。根は真面目と信じよう。鈴原以下、女子部員たちは熱心だがやや積極性に欠ける勧誘を行う。
 六人は以外とすぐに入部を決めた。

「問題はここからね」

 いかにトラブルを起こさず、円満に部活動をしてもらえるか?共学以来、男子入部は望んできたが、どんなことが起こるか想定していなかった。正確には恋愛という必ず起こることに対するリアクションを想定していなかった。部活の運営方法から見直すことが出てくるかもしれない。
 鈴原の心配は最悪な方向で現実になった。
 一カ月毎に一人辞めていったのである。後で聞いた話では、まさに恋愛目的の入部であったようだ。動機が不純なだけに文化部にして唯一朝練がある厳しい活動内容に耐えられなかったらしい。しかも同じ学年の女生徒も1人辞めた。辞めた女生徒はだれかと付き合いのあることがなんとなく想像がついた。
 雰囲気はよろしくない。ギター・マンドリンフェスティバル直前にも一人辞める。三年連続の優秀賞を逃した。今年は優良賞だったが、三年連続優秀賞の高校には特別賞が授与されるので、特に三年生のショックは大きかった。総文祭の前にも一人辞めた。やはり最優秀賞は取れなかった。三年生は総文祭をもって事実上引退していたが、これ以上の退部は来年の活動にかかわる。
 一年男子は残り二人。いつまで耐えられるだろうか?

「と、いうのが今先輩たちが心配していることよ」

 残った男子の内の一人、佐竹守は幼馴染の高橋レナより現状の説明を受けていた。

「さっきから聞いてるとまるで俺たちが悪者みたいじゃないか」

 守はスマートフォンをいじくりながら抗議の声を上げる。

「悪者にしているわけじゃないけど、事実だし。辞められちゃ困るし!」
「わかったわかった。俺は辞めないから安心しなよ。この話はまた今度ね。」

 守は無理やり話を終わらせる。レナは納得してようだが、この手の話題は解決策 がないくせ議論しようとするので嫌いだった。

「辞めたら雰囲気が悪くなるとか問題じゃない。大事なのはなんでも前向きに考えることだろ!」

 偉そうに総括しようとする。あきれ顔の幼馴染に肩をすくませる。しかし、面倒臭いことになった。幼馴染が新しいことをやりたいとマンドリンクラブに入部し、どうせなら女子が多い方がいいと思いついていった。かなりのスパルタで辛いものがあったが、新鮮な音色に惹かれ今ではかなり熱心に取り組んでいるつもりだ。ところが、同窓の男子部員は1人を除いて辞めてしまい自分の動向に全部員の注目が集まっている。辞めるつもりはないといっても上級生は疑心暗鬼になっているらしい。

「守君が前向きなのはわかった、けど私はさっきから1つ不満に思っていることがあるんだけど・・・」
「はい、なんでございましょう?」
「人と話している時はスマホをいじらない!!」
「はい、申し訳ございません」
「その言い方もムカつく!!・・・あれ、この部室ネット繋がらないじゃん?」
 コンクリートの地下部室はほとんど携帯機器の電波が入らず、部員たちの不満の種の1つである。

「百科事典をスマホにダウンロードしているんだよ。ネットが入らなくてもどこでも素早く検索できて便利よ」
「へえ、そんなことできるんだ!」
「茂おじさんから教えてもらったんだよ」
「お父さんから?また色々手を出すんだから。・・・ってもう帰ろう。時間だよ」

 時計は午後六時を少し過ぎていた。学校は普段午後九時が門限だが、今日からテスト期間で一週間はサークル活動が禁止され門限も午後六時半までとなっていた。部活の話で守を呼び出し一方的に消化不良で終わらされたが仕方なく帰途につく。

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 城跡に建てられている高校は周囲の街並みと相いれない。建物はコンクリートだが、町と学校を隔てるのは当時の城壁である。校門までは100メートル程の坂道。その道の脇に有名な神社があった。幸山神社である。
 800年の歴史を持つ市内でも最も古い部類の由緒正しき神社。立派な御宮にグラウンドの半分程もある境内。巨大な御神木。この規模の神社なら都心にあれば参拝客が途切れることはないだろう。しかし、お世辞にも綺麗とはいえない。整理整頓とされていないわけではないが、明らかに管理が行き届いていない。御神木の他にも巨大な木々があり、境内を包み込むように植樹されているため昼間でも薄暗く怪しい雰囲気を醸し出している。高校のすぐそばにあるにも関わらず、月1兼任宮司が清掃に来る以外、訪問するものは少ない。
 それでも幸山神社が全国的に有名になった事件があった。女子高生行方不明事件である。30年も前の話だが、いまだに市内とネットで話題に上がる。無論、女子高生とは隣接する当時の女子高の生徒のことである。高校1年だった加藤弥生が行方不明になった。彼女の当日の行動はかなり詳細にわかっていた。
 昼休み、まだ綺麗だった神社で友人たちと弁当を食べていた。予鈴が鳴り、不意に弁当箱を落とした。神社の手水舎で洗うことにした。罰あたりじゃない?と忠告する友人たちは先に高校に戻った。まったく気にしない様子の加藤弥生。1人手水舎で弁当箱を洗う姿を一般の参拝客が目撃している。そして、予鈴がなってから20分間鳥居周辺で清掃をしていた宮司は彼女の姿を見ることはなかった。神社へ通ずる道はここだけである。
 午後の授業に顔を出さない加藤に対して担当教師は探しに行こうとしなかった。後にこれが一部非難の対象になるのだが、まさか以来30年にもわたって行方不明となるなど、想像もできないことである。放課後になっても姿を見せない。不安に駆られた友人たちが担任に詳細を報告するまで教師たちは自宅へ帰ったとばかり思っていた。
 自宅に帰った様子もなく警察によって本格的な捜索網が敷かれたが、加藤弥生の行方はついにまったく手掛かりがないまま迷宮入りしてしまったのである。
 全国区のニュースになり週刊雑誌でも大々的に取り上げられる中、周辺の聞き込みにより当時より60年前、つまり現在より90年前にも同じような行方不明事件があっていたことがわかった。当時70歳の柏原イクエは次のように証言していた。
「あたしが10歳くらいだったかな?大人たちが騒ぐのよ。○○さんがおらんくなったって!神隠しやって!○○がだれだったか覚えんね~。あたしんばあちゃんが言うのよ。昔もあったって!」
 同じような証言が2~3あったことから幸山神社女子高生行方不明事件は神隠しであると騒ぎ立てられるようになる。
 そんな事件も今は昔、世代が一回りしてもはや都市伝説のレベルまで昇華されつつある幸山神社は在校生にも学園7不思議筆頭として認知されていた。そして神隠しを恐れて、一部マニアを除いて訪問するもの激減。専任する宮司もいなくなり、管理不足の境内は「鳥居をぬけるとそこは異世界だった」と言われるほどの空間を作り出していた。
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 どんなに寂れても登下校する生徒たちは嫌でも鳥居を目にすることになる。
 守とレナは校門を抜けると最初に目にする人工物を眺める。

「立派な鳥居だけどちょっと、いやかなり不気味よね」
「そうだね。昔は綺麗に清掃されていて、よくウチ生徒が受験のお参りに来てたみたいだけど」
「みたいね。・・・あれ?」

 レナは鳥居の向こう側にあるワゴン車を指さす。

「車がある。だれか来てるのかな?」
「またマニアが観光しに来てるんじゃないの?」

 ネット上で常に話題の幸山神社は「神隠し」「心霊現象」カテゴリの検索で上位にあり、ホームページも作られているくらいだ。今も月に一度は市外から「観光客」が訪れている。
 が、停まっているワゴン車は見覚えがあった。

「ってあれはウチの車だ。夏美さんだよ」
「え~夏美さんの?こんな所にどうしたんだろう。学校に用事になら上の駐車場に停めればいいのに」

 夏美は守の義理の叔母にあたる。市内の本屋に勤めており、一週間に一度仕事帰りに自分の車で新刊や雑誌を高校の図書室に納入しに来る。
 ちなみに守は現在、その夏美宅である佐竹一家に居候していた。高橋家は佐竹家の道をを挟んだ向かいにある。

「ちょっと行ってみようか?久しぶりに」
「え、うん、そうね。ちょっとだけね」

 共学化して以来肝試しスポットでもある。夏休み、部活仲間と一緒に境内を一周した時は本当に神隠しにでも遭うのではないかと思った。夜8時にもなると大人でも逃げ出すほどのオドロオドロしい雰囲気である。
 鳥居をぬけると20メートルほどの石畳の参拝路がある。迫ってくるほどの巨大な竹林が両脇に茂る。この竹林のおかげに昼間でも薄暗い。その道の奥に御宮がある。ここも竹林に囲まれ街中であると忘れる異空間を作っていた。
 御宮へ続く石の階段に佐竹夏美は腰を下ろしてタブレッド端末を操作していた。

「夏美さん。どうしたんすか?こんなところで。」
「あれ~守君にレナちゃん。見つかっちゃったわね~」

 夏美は間延びした返事をする。今年で39歳になるはずだが、20代後半に見えるほど若々しい。小さい頃「叔母さん」と呼んだ時に返って来た笑顔は守にとってトラウマである。レナも同じような体験があるという。

「仕事も一段落したし、ちょっと気分転換にね」
「気分転換にこんなことに来なくても!」
「二人は知らないと思うけどね~昔は綺麗だったよ。小さい頃はよく遊びに来ていたの。それに受験生がよくお参りしてたみたいね。私が高校に入る頃はすっかり神隠しの神社って噂が経っていて、寂れていたけど」
「昔は綺麗の下りはさっきレナと話してましたよ」
「そっか~・・・二人は今帰りかな?それともデート?」
「デートじゃないです」「違います」

 異口同音に揃える。

「そう。でも相変わらず仲がいいのね~。レナちゃん。茂さんは元気?大学にはよく行くけど最近会う機会がなくて」
「元気ですよ。講義よりも趣味のほうが時間を割いているみたいで、この神社についても2冊目を出すそうですよ」

 レナの父、高橋茂は大学で世界史の教鞭をとっているが、歴史学者としてより超常現象研究家として有名だった。中世ヨーロッパが専門だが、その著作より超常現象の本の方がはるかに多い。大学から「UFO学科を新設しては?」と冗談を言われるほどだった。ちなみに幸山神社のホームページの管理人は茂である。

「そう。相変わらずすごいのね~ウチの本屋でも入荷してるしね~。たまには読もうかしら」
「いいですよ。あんなもの読まなくても」

 レナはことさら嫌そうな顔をする。父の研究にはあまり興味のない様子だった。

「そんなに毛嫌ってやるなよ。かなり面白いよあれ」

 守は茂のファンであり、著作は超常現象に関してものだけ全部持っている。おかげで守の本棚は怪しげなタイトルで埋まっていた。

「あなたみたいのがいるからお父さんが調子に乗るのよ。小さい頃からUFOやらUMAやら得意げに話されれば、だれだって嫌いになるよ」
「でもワクワクするというか好奇心が刺激されるというか、ともかく面白よね」
「はいはい、直接言ってやりなよ。喜ぶから・・・」

 レナは男子っていつまで経ってもガキなんだからと言わんばかりのあきれ顔で答える。

「レナちゃん落ち着いて、送って行くから一緒に帰りましょ」
「ありがとうございます。私は落ち着いています。
 ・・・せっかくだから乗っけてもらおうかな」

 レナを夏美に礼を述べる。守は軽く会釈をする。

 普段と少々場所は違うが、いつもの会話だった。いつも日常だった。世界に目を向ければ独立運動にテロに戦争といった物騒なキーワードがニュースを流れる。しかし、そんなことは自分たちの世界とは関係がなかった。これからも一生関係することはないだろう。
 3人はこの日、この時までそう思っていた。
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