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1.絶望の伯爵家

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「申し上げます。ドルフ近郊において西方諸王国軍、敗北!死傷者多数。レイブン伯戦死!!」
「そんなばかな!!」「連合軍が!!」
 
 地方領主の館としては大きくも小さくもない屋敷。その中で一番大きな部屋に集まっていた者たちに衝撃が走った。集まっていたのは領地の行政官、地方警備の長や大商人などの有力者と仕える王国から派遣されていた騎士たちである。この屋敷の主、レイブン伯の執事、アーサー・グッドマンは驚きと同時に舌打ちした。この場には伯の一人娘、十六歳のイリカ・レイブンもいたのだ。一番ショックを覚えるのは彼女のはずだ。それをいきなり報告するとは。配慮不足もいいとこである。

「・・・っ」

 絶句するイリカ。アーサーには掛けることば見つからなかったが、どこにでも空気を読めない者はいるようだ。派遣されてきた騎士の一人が声をかける。

「お嬢様。誠に御愁傷様ではありますが、こうなってしまった以上は一刻の猶予もございません。我々とともにすぐに王都に避難を」

 第一報からわずか三十秒、イライラが止まらないアーサー。お前たちはイリカを護るより先に心を壊すつもりなのか。しかし、周りが同様する中、アーサーが思っていたよりイリカは気丈に振る舞う。

「・・・民はどうなりますか」

 まだ三十歳と若い騎士団長、エルブルスは答える。

「もちろん、直ちに全領民に事を知らせ避難を促します。ですが、おそらくは王都までは間に合わないしょう」
「そんな・・・」

 敵対している東方の騎馬民族は非常に残虐であると聞く。既に十を超える国が敵の版図に取り込まれた。この伯領にも近隣の都市から難民が押し寄せその数は増加の一途をたどっていた。難民たちは恐怖に怯え自らの体験を話す。「少しでも抵抗した都市は焼き尽くされた。男は直ちに打ち首。女は犯された後殺されたか奴隷にされた」
騎馬兵の進軍速度は一日に五十~七十リーグ(五十~七十キロ)以上と言われる。早ければ七日で伯領の城塞都市グランチェに到達する。ここは敵の侵攻を食い止めるため集まった諸王国軍の拠点の一つになっていた。蹂躙の対象であるに違いない。だが、イリカは顔を強張らせながらも何かを決意したように正面を見据えた。

「民を見捨て、私だけ逃げることはできません。皆には避難をしてもらい、私たちここに残ります。王都まで避難民が逃げる間、敵を牽き付けます」

 その決意は驚きをもってして迎えられたが、すぐに騎士団長エルブルスが諭すように答える。

「お嬢様。我々もできればそうしたいと考えています。しかし、敵がわざわざ籠城しているこの城塞都市を攻めるとは限りません。王都まで歩けば二十日はかかます。敵はここを迂回し無防備な避難民を攻撃する可能性もあります」

「あ」と小さく声を上げるイリカ。先ほど威勢よく胸をはったが、自らの考えの浅はかさを恥、縮こまる。

「お嬢様、そう落ち込まないでください。私は王都までと申し上げました。ここから南に一日歩けば山岳地帯へ入ります。歩道はありますが、細く、険しいので騎馬兵では追うのは難しいでしょう。その先に湖がありますが、あそこは王都でも人気の避暑地です。普段は人も少ない場所ですが、確か大型の船も接岸できる港もあったはずです。そこで救助の船を待ちましょう」あらかじめ救助船の手配をしておけば七日で避難できるはずだと騎士団長は計算してみせた。
 提案は現状最善の避難法だと思われたが、イリカはアーサーと顔を見合わせた。アーサーは仏頂面のまま重々しく口を開く。

「実は・・・山岳地帯に続く山道は二カ月前に大規模な崩落を起こし、現在復旧の見込みが立たんのです」
「なんですと!!」

 今度はエルブルスが絶句する番だった。

「な、なぜそのままにしていたのですか?」
「我々では手に負えず王国に支援を要請していたのですが、軍の編成準備のため忙しいと断られていました。避暑地への唯一の道ですが、通る者も少なく湖路を利用した方が効率的だったため、復旧は後回しになっていました。まさか、このような形であの道が必要になるとは思ってみませんでした。ついでに申し上げると二カ月でここまで進軍されるとは思いませんでした」

 明らかに非好意的な口調と毒を含んだ発言にエルブルスは何かを言いかけて黙った。

「ど、どうしましょう」

 今度こそ途方に暮れるイリカ。地元の警備隊長が発言する。

「いっそのこと、領民ごとグランチェに立てこもり、王国からの援軍を待つべきではないでしょうか?幸い物資は豊富にあります。警備隊と騎士団、領民と難民を合わせても籠城なら一年は耐えられるでしょう」

 一部から賛同の声があがる。
 この場の軍事的な決済権は騎士団長であるエルブルスが握っていたのだが、当初の案を失い衆目は警備隊長へ移っていた。

「攻撃を受けたとしてどれくらい持ちこたえられるでしょうか?」

 イリカは不安げに警備隊長に尋ねる。
「我が警備隊は一〇〇〇名です。今回の為に有志を集い増やしました。領民の中から男性を集えばさらに数だけなら一〇〇〇は集められると思います。騎士団は三〇〇〇名程でしたか?これだけいれば援軍が到着するまでは耐えられると思います」

 自信たっぷりに話す警備隊長だったが、彼自身も内心不安だった。しかし、慌てても事態は好転しそうないし、これ以上イリカを不安がらせたくもない。他に良い思案があれば柔軟にそちらに変えればよいだけだ。警備隊長はエルブルスに視線を向ける。
 彼もすぐに代案は思い浮かばないようだ。

「まだ協議するべき点があると思いますが、私も今のところ警備隊長の意見に賛成です」

その言葉に皆、不安ながらも籠城する覚悟が決めかけた。「早速だが軍議を開く」と一同を集めるが、一人だけ顔を青くしていているものがいた。最初に諸王国軍の敗北を知らせた騎士だった。

「何かあるのか?」

 エルブルスはもっともな疑問を口にする。
 
「て、敵は増援をした模様で、その数は五万に上ります」

 再び驚愕する一同。
「他にはないだろうな」の問いかけに「それだけ」と伝える騎士。たったこれだけなら早く言えと全員心の中で突っ込みを入れる。
 防御側の戦力の十倍。非戦闘員を含めても二倍になる。攻城戦では攻め手は守り手の三倍必要と言われるが、果たして援軍到着まで護りきれるだろうか?それとも絶対服従を条件に降伏してみるか?やはり避難を促すべきだろうか?思案を巡らすが、降伏は騎馬民族の噂を信じれば選択指になかった。避難もできない。ならば地方領の中では最も堅牢と言われる城塞都市と領民を信じて戦うしかない。

「作戦に変更はない。籠城の準備を進める」
 
 絶望的と表現するに相応しい状況だが一同はようやく一つの目的に向かって行動を開始した。しかし、動揺が収まりつつある場へさらなる緊急連絡が届く。

「申し上げます!」

エルブルスはギロリと睨み、普段は見せない迫力のある顔と声で詰問する。

「報告は簡潔に、かつ要点は全て述べなさい」
「は、はい。グランチェ近郊の草原にて、正体不明の男女を捕らえました。言葉が通じず変わった衣服を身にまとい、巨大な金属の乗り物のようなものに乗っていました。その乗り物はなんと馬もなく移動することができるカラクリを備えていました。」
「避難民ではないのですね」
「避難民ではないようです。まだ、若い三名ですが、敵の斥候とも考えられます。現在、街に拘留しております」

 言葉が通じず変わった衣服、これに反応したのは伯爵家の面々だった。
 この窮地に旅人が駆けつけてくれた。伯爵家にとって知恵の源泉。きっと助けてくれるに違いない。
「すぐにその方々をここへ。礼を失してはなりません」
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