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第1話 佐藤香織は悲哀に沈む
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煌びやかなネオンが街を彩っている。
春に合わせて作られたフルコースの香りが鼻腔をくすぐった。
有名高層ホテルの最上階。
薄暗く化粧された店内に穏やかな音色が流れる。
本来は私のお給料で来れるような場所ではないのだけど、彼氏であるコウジと一緒の時は別。
アルマーニのスーツを着こんで爽やかに笑いかけてくれるのを見ているだけで、ここを予約した甲斐が有ったなと思う。
将来を約束してくれた彼。なによりも大切な彼。
スーツも彼の腕につけてるロレックスもここの飲食費用も、私が全て出しているんだけど。
それでも幸せだった。
一目惚れが叶うってことがこんなにも幸せだとは思ってもいなかった。
彼に惚れたのは私。だからお代を持つのも当然私。
そう思っていた。
けれど。
貯金も底をつき、私のアパートには消費者金融からの督促状がいくつも届くようになっていた。
もっと早く言えば良かったなと思う。
お金を借りる前に言えば良かったなと思う。
でも言えなかった。
お金の切れ目が縁の切れ目。そんな言葉が過ってしまえばもう終わり。
彼を失うのだけは絶対嫌だった。
でも、もう無理。
これ以上はお金を用意することはできない。いくら彼のためでも風俗などの一線を越える夜の仕事はしたくなかった。
今ですら昼は公務員として勤めて、夜は内緒でキャバクラを掛け持ちしてるくらいなのだから。
将来を約束してくれたのだから言えば分かってくれるはず。
きっと私に協力してくれるはず。
今日はそれを言うために決心してここへやってきた。
最後の見栄を張ったのは、我ながら馬鹿だったとは思う。
なのに。
彼の笑顔から私に向けて残酷な言葉が放たれる。
「な、カオリ。今月もちょっと厳しくてさー。こんだけでいいから貸してくんね?」
キラリと白い歯を光らせ、両手を大きく広げみせてくる金額は10万ではなく100万。
とてもじゃないがそんなお金はもうない。
奥歯が揺れ心臓が破裂しそうになりながらも言葉を口にする。
「ご、ごめんなさい……もうお金……なくて、あの、それで……」
「ん? ないなら借りてくりゃーいいだけじゃん。帰り一緒によるからさー」
「もう借りれないの……。ブラックにも載っちゃって……」
「ブラックくらいだいじょーぶだいじょーぶ。俺誰でも借りれるとこあるのしってっから。金利たけーけど、ま、大丈夫だよ! 俺のためだと思ってさ!」
笑いかけてくれてはいるが、私の心は沈んでいた。
将来を約束した相手にそこまでするだろうか。
そもそも私はお金を借りたことは話していない。
にも関わらずブラックになってるということを心配する素振りすらない。
私は彼にお金がないことと借金の事を話して、一緒に返してもらおうと思っていたのに。
「それって……やばいところでしょ? コウジに借金一緒に返して欲しくて……それで」
「は? 何言ってんの? え……、てか借りないわけ?」
「これ以上は借りられないよ。コウジも働いてさ……一緒に頑張っていこ? 結婚に向けて頑張っていこうよ」
「結婚って、誰が? ま、まさか俺とお前が? 冗談はよしてくれよ、なんで二十歳なりたての俺が、アラサーの生き遅れ女を貰ってやらにゃならんわけ?」
私の背筋が凍りつくように震え、軽く眩暈を覚えた。
今の流れ、もしかしたらそんなこともあるのかと思ってたけれど、ここまで言われるとは思ってもいなかった。
楽しかった思い出が淡雪のように溶けていく。
「え、だって、いつも結婚しようって言ってくれてたじゃん。婚約破棄するっていうの……?」
コウジの大袈裟な溜息に、再度頭がふらついて視界が揺れた。
やはりお金だけの関係だったのではないかと涙がにじむ。
返ってきた言葉は私に絶望を与えるには十分だった。
「婚約って……はは。ベッドの上での言葉を真に受けてたん? 知ってるか? それ、法律上無効ってこと。もともとそんなものはありはしねーんだって」
「な、何言って……」
「はあああああああ。つか、なんだよ。金くれねーわけぇ!? じゃあ今の時間無駄じゃん。あー時間勿体ねぇ」
「そ、そんな言い方しないでよ……! 今日約束したのってお金せびろうとしてただけだったの?」
「せびるって……人聞きわりぃなぁ。ギブアンドテイクと言ってくれよ。ウィンウィンな関係だったろ?」
この時初めて私は気付いた。私たちは最初から付き合っていたわけじゃなかったんだってことに。
そういえばコウジは仕事をしていないはずなのに、平日の夜は絶対に会ってくれなかった。
キャバクラが終わって電話しても着拒されることが多かった。
なんで気付いてなかったんだろう。
あの楽しさは何だったんだろう。
考えてくると涙が零れてくる。料理の味なんてほとんど感じていなかったけれど、どんどん苦くしょっぱいものに変わっていく。
「おいおいー泣くなよ! なんか俺がわりぃみたいじゃん。カオリだって楽しそうにしてただろーが。ウィンウィンだろ? ウィンウィン!」
親指を立てながら流行りの言葉を口にするコウジが酷く滑稽に思えて、こんな男に騙されてたんだと思うと余計情けなくて。
それでも指の間から見るコウジの顔だけは格好良くて、もう何が何だか分からなかった。
しかし。
コウジはおもむろに電話をかけ出し、私に死の宣告を告げた。
「あ、ミナー? 今から会える? ちょっとさぁ厄介なことに絡まれちゃって金が要んだよ。あーそうそう、うん、いつものとこで!」
ニヤニヤしながら電話を切ったコウジに声を荒げて尋ねかける。
「い、今のって誰!? ミナ? 誰なのその女!」
「ん? カオリと同じATMだよ。ああーっと、ごめん、口が滑った。えーとウィンウィンな関係の女の子の一人だな、うん。じゃ、俺行くわ」
まだコースも終わっていないというのに立ち上がリ背中を見せるコウジ。
最後まで一緒にいる時間すら惜しいというの?
一体どこまで馬鹿にしてくれれば気が済むの?
さらにわざとなのか私に聞こえる程度の声で呟いて去って行った。
「ちっ、当てが外れたなー。もうちょい金引き出せると思ってたのに」
最初からお金だけが目的で近付いてきた男だった。
そんなことが自分の身に降りかかるだなんて思ってもいなかった。
私はそのまま泣き崩れて、若葉が彫りこまれた銀のナイフがカランと音を立て床に落ちる。
料理の残った皿に顔をつけなかったのは最後の意地か抵抗か。
けれど頭がくらくらして、なぜだかそのまま私は意識を手放してしまっていた。
春に合わせて作られたフルコースの香りが鼻腔をくすぐった。
有名高層ホテルの最上階。
薄暗く化粧された店内に穏やかな音色が流れる。
本来は私のお給料で来れるような場所ではないのだけど、彼氏であるコウジと一緒の時は別。
アルマーニのスーツを着こんで爽やかに笑いかけてくれるのを見ているだけで、ここを予約した甲斐が有ったなと思う。
将来を約束してくれた彼。なによりも大切な彼。
スーツも彼の腕につけてるロレックスもここの飲食費用も、私が全て出しているんだけど。
それでも幸せだった。
一目惚れが叶うってことがこんなにも幸せだとは思ってもいなかった。
彼に惚れたのは私。だからお代を持つのも当然私。
そう思っていた。
けれど。
貯金も底をつき、私のアパートには消費者金融からの督促状がいくつも届くようになっていた。
もっと早く言えば良かったなと思う。
お金を借りる前に言えば良かったなと思う。
でも言えなかった。
お金の切れ目が縁の切れ目。そんな言葉が過ってしまえばもう終わり。
彼を失うのだけは絶対嫌だった。
でも、もう無理。
これ以上はお金を用意することはできない。いくら彼のためでも風俗などの一線を越える夜の仕事はしたくなかった。
今ですら昼は公務員として勤めて、夜は内緒でキャバクラを掛け持ちしてるくらいなのだから。
将来を約束してくれたのだから言えば分かってくれるはず。
きっと私に協力してくれるはず。
今日はそれを言うために決心してここへやってきた。
最後の見栄を張ったのは、我ながら馬鹿だったとは思う。
なのに。
彼の笑顔から私に向けて残酷な言葉が放たれる。
「な、カオリ。今月もちょっと厳しくてさー。こんだけでいいから貸してくんね?」
キラリと白い歯を光らせ、両手を大きく広げみせてくる金額は10万ではなく100万。
とてもじゃないがそんなお金はもうない。
奥歯が揺れ心臓が破裂しそうになりながらも言葉を口にする。
「ご、ごめんなさい……もうお金……なくて、あの、それで……」
「ん? ないなら借りてくりゃーいいだけじゃん。帰り一緒によるからさー」
「もう借りれないの……。ブラックにも載っちゃって……」
「ブラックくらいだいじょーぶだいじょーぶ。俺誰でも借りれるとこあるのしってっから。金利たけーけど、ま、大丈夫だよ! 俺のためだと思ってさ!」
笑いかけてくれてはいるが、私の心は沈んでいた。
将来を約束した相手にそこまでするだろうか。
そもそも私はお金を借りたことは話していない。
にも関わらずブラックになってるということを心配する素振りすらない。
私は彼にお金がないことと借金の事を話して、一緒に返してもらおうと思っていたのに。
「それって……やばいところでしょ? コウジに借金一緒に返して欲しくて……それで」
「は? 何言ってんの? え……、てか借りないわけ?」
「これ以上は借りられないよ。コウジも働いてさ……一緒に頑張っていこ? 結婚に向けて頑張っていこうよ」
「結婚って、誰が? ま、まさか俺とお前が? 冗談はよしてくれよ、なんで二十歳なりたての俺が、アラサーの生き遅れ女を貰ってやらにゃならんわけ?」
私の背筋が凍りつくように震え、軽く眩暈を覚えた。
今の流れ、もしかしたらそんなこともあるのかと思ってたけれど、ここまで言われるとは思ってもいなかった。
楽しかった思い出が淡雪のように溶けていく。
「え、だって、いつも結婚しようって言ってくれてたじゃん。婚約破棄するっていうの……?」
コウジの大袈裟な溜息に、再度頭がふらついて視界が揺れた。
やはりお金だけの関係だったのではないかと涙がにじむ。
返ってきた言葉は私に絶望を与えるには十分だった。
「婚約って……はは。ベッドの上での言葉を真に受けてたん? 知ってるか? それ、法律上無効ってこと。もともとそんなものはありはしねーんだって」
「な、何言って……」
「はあああああああ。つか、なんだよ。金くれねーわけぇ!? じゃあ今の時間無駄じゃん。あー時間勿体ねぇ」
「そ、そんな言い方しないでよ……! 今日約束したのってお金せびろうとしてただけだったの?」
「せびるって……人聞きわりぃなぁ。ギブアンドテイクと言ってくれよ。ウィンウィンな関係だったろ?」
この時初めて私は気付いた。私たちは最初から付き合っていたわけじゃなかったんだってことに。
そういえばコウジは仕事をしていないはずなのに、平日の夜は絶対に会ってくれなかった。
キャバクラが終わって電話しても着拒されることが多かった。
なんで気付いてなかったんだろう。
あの楽しさは何だったんだろう。
考えてくると涙が零れてくる。料理の味なんてほとんど感じていなかったけれど、どんどん苦くしょっぱいものに変わっていく。
「おいおいー泣くなよ! なんか俺がわりぃみたいじゃん。カオリだって楽しそうにしてただろーが。ウィンウィンだろ? ウィンウィン!」
親指を立てながら流行りの言葉を口にするコウジが酷く滑稽に思えて、こんな男に騙されてたんだと思うと余計情けなくて。
それでも指の間から見るコウジの顔だけは格好良くて、もう何が何だか分からなかった。
しかし。
コウジはおもむろに電話をかけ出し、私に死の宣告を告げた。
「あ、ミナー? 今から会える? ちょっとさぁ厄介なことに絡まれちゃって金が要んだよ。あーそうそう、うん、いつものとこで!」
ニヤニヤしながら電話を切ったコウジに声を荒げて尋ねかける。
「い、今のって誰!? ミナ? 誰なのその女!」
「ん? カオリと同じATMだよ。ああーっと、ごめん、口が滑った。えーとウィンウィンな関係の女の子の一人だな、うん。じゃ、俺行くわ」
まだコースも終わっていないというのに立ち上がリ背中を見せるコウジ。
最後まで一緒にいる時間すら惜しいというの?
一体どこまで馬鹿にしてくれれば気が済むの?
さらにわざとなのか私に聞こえる程度の声で呟いて去って行った。
「ちっ、当てが外れたなー。もうちょい金引き出せると思ってたのに」
最初からお金だけが目的で近付いてきた男だった。
そんなことが自分の身に降りかかるだなんて思ってもいなかった。
私はそのまま泣き崩れて、若葉が彫りこまれた銀のナイフがカランと音を立て床に落ちる。
料理の残った皿に顔をつけなかったのは最後の意地か抵抗か。
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