44 / 44
第3章
第29話 その殺し屋、父と娘と①
しおりを挟む庭園に咲く薔薇の花弁に降りた朝露が、陽の光を蓄えキラキラと輝きを放っている。深呼吸をすると、爽やかで甘い香気が肺を満たし、吐き出した息に混じって、胸の奥の緊張が少しだけ溶けていく気がした。
私は胸元で揺れる、〈サートゥルヌス〉のペンダントをそっと握りしめ、真っ直ぐに前を見据える。視線の先には、黒塗りの四頭立ての馬車が佇んでいた。
艶やかな漆黒の車体には、パパラチア家の紋章が刻まれており、その隣には銀の装甲を纏った護衛騎士たちが、一糸乱れず整列をしている。
「さぁ、サフィラ。お手を」
微笑みと共に差し出された手は、白く、節くれ立ち、血管が浮き上がっていた。
口の中に溜まった唾をそっと飲み込み、私は躊躇いながらもその手を取る。
触れた瞬間、温もりの奥にひやりとしたものが混じっているのを感じた。暖かいのに、冷たい。そんな矛盾した感触を抱いたまま、父に促されるまま馬車へ乗り込む。
「サフィラ、無理をしてはダメよ? 異変を感じたら、すぐお父様に言うように。……道中、お気を付けて。両陛下へよろしくお伝えください」
お見送りに来てくれたお母様が、扉の前で私たちを交互に見つめ、穏やかに微笑んだ。
「ああ、勿論だとも。では行ってくるよ」
公爵は、身を乗り出してお母様の頬に、そっと唇を落とす。夫婦の儀式を終えた後に、馬車の扉が静かに閉じられた。
にこやかな表情で、優雅に手を振るお母様。
その後ろには使用人たちが控えており、皆一斉に頭を下げる。――その中の一人に、黒髪眼鏡の長身メイドの姿が見えた。
「……あ、アメリア」
思わず小声で、彼女の名前を呟く。
そして、同時に馬車がゆっくりと動き出した。車輪が回り、馬の蹄鉄が大地を蹴る音と共に、屋敷が、お母様が、アメリアの姿が遠ざかって行く。
……そう、アメリアは今日、私の側に居てくれない。公爵の命で、屋敷の留守を任されたのだ。
いつも一緒だった彼女と離れることに、一抹の不安を覚えるが、そうも思っていられない。
私はそっと視線を上げ、隣に座る公爵の顔を一瞥する。
「サフィラと二人で出かけるだなんて、いつ以来だろうね? 嬉しさのあまりに心が躍るよ」
声高らかにそう言って、絵に描いたような、にこやか笑顔を浮かべる公爵。そんな上機嫌な父親に対し、内心たじろぎながらも、私は返す言葉もなく曖昧に笑った。
――王宮に辿り着くまでの道中、この男と共に過ごすだなんて。正直、物凄く気が重い。
(……でも、私には私の目的がある。今は、その“任務”を遂行するための辛抱だ)
そう意気込みながら、そっと窓の外へ視線を逸らし、流れゆく街路樹を静かに眺めるのであった。
◇
馬車の中では、公爵の快活な声が響いていた。
ひとりで喋り続ける公爵と、それをただ聞き、時たま相槌を打つ私。――この人、よく息が持つなぁ。そんな感想が、ふと頭によぎる。
ゲームでもセリフ量が多かったし、元よりお喋りな人なのだろう。
先程から彼が語っている、外交や神学の話の内容はさっぱりだが、幸いなことにサフィラという少女は、元より無口な性格。
黙って頷いてさえいれば、疑われはしない筈だ。
(それに、前から思ってはいたけど……公爵の声――めちゃくちゃ良い)
至近距離で響く、香り立つような艶のあるバリトンボイスに、思わず聴き惚れてしまう。声が良い人は、話す言葉に説得力が増すと言うけど、まさにその通りだと思う。
背筋が伸びた、品の良い立ち姿。艶やかで清潔感のある髪。整った顔。そして、耳心地の良い声。
こんな素敵な公爵様に、耳触りの良いことを言われ続けたら、誰だってコロッとこの男を信頼してしまうだろう。
(多分、これが公爵の武器なんだろうな……本性を知ってて本当に良かった)
「――にしても、今日のサフィラのドレスはいつにも増して可憐だね? 暫く見ない間にお姉さんっぽくなって……成長に驚くよ」
……なんてことを考えていたら、いきなりドレスの話題を振られハッとする。
〝お着替え隊長〟ローズ曰く、本日のテーマは「愛らしい薔薇の蕾の妖精」――王宮訪問ということで、今日はお茶会のときよりもフォーマルな装いだ。
胸元から袖口にかけて透け感のある白いレースをあしらった、深い臙脂色のドレスが、エレガントなシルエットを描いていた。
髪型は王道のお嬢様スタイルである、三つ編みのハーフアップ。そしてその頭の頂には、赤い薔薇のコサージュが幾重にも重ねられたボンネットが合わせられている。
普段は髪や瞳の色に合わせた青みの服が多い私だけれど、今日は真紅の装い。
お着替え隊はみんな口を揃えて、「緋冠祭にご参加できないお嬢様の弔い合戦です!」だなんて大袈裟なことを言っていたけれど、鏡台に映った自分の姿はいつもより大人びて見えた。
「ありがとうございます。……お着替え隊のメイド達が、素敵にしてくれたお陰です」
「なるほど。確かに、彼女達のセンスには目を見張るものがある。……因みにこのペンダントも、彼女達の仕立てなのかい? 昨夜の晩餐の際にも付けていたね?」
突然、〈サートゥルヌス〉のペンダントに言及され、思わず胸が跳ね上がる。
このペンダントは、ルベルから贈られた輝石を加工したもの。ペンダントが届いたあの日から、私はこれを肌身離さず身につけている。
パパラチア公爵は、反ルベル派の筆頭。……ここで、彼の名を出すわけにはいかない。
それに、この輝石は――元々、彼の母親であるパライバ様が使用していた舞台演出用の幻影輝石と呼ばれるものだ。
パライバ様は、かつての大劇場の歌姫。この国で彼女を知らぬ者はいない、伝説の大女優。もしかすると、公爵は〈サートゥルヌス〉の名を知っているかもしれない。
(……ここは、〝何も知らない風〟を装うのが吉と見た)
このペンダントは、あくまでお着替え隊が用意してくれたアクセサリー。私はただ――〝与えられた装飾を身に着けているだけ〟という顔をしていよう。
「……はい。このペンダント、私のお気に入りなんです。あまりの美しさに一目惚れをして――毎日、身に付けています。……変、でしょうか?」
「いや、その逆さ。とても似合っているよ」
公爵はゆっくりと首を振り、口元に優美な弧を描く。
だがその直後――彼は突然、前のめりになり、〈サートゥルヌス〉へ顔を近付けてマジマジと覗き込んできた。唐突な奇行に、ギョッとして目を見張ってしまう。
「ほぉ……角度によって、茜や橙、翠の色彩を帯びるんだね。まるで黄昏空のような美しさだ。そして、微弱に光と雷の魔力を帯びているのか……」
光の宿らぬ蓮華色の瞳で、じっとりと〈サートゥルヌス〉を観察――いや、鑑定をする公爵。ほんの少しだけ湿度を感じる視線が不快で、眉を顰めてしまいそうになる。
「――流石は、我が娘。キミも知っていると思うが、雷の魔力は、元は神々のみが使役を許された特別な力。そんな神聖なる魔力が込められた輝石を選ぶだなんて、素晴らしい。だが、これはとても珍しい品だね? 輝きや大きさ……単なる、装飾用のものとは思えない」
公爵の声音は、娘の持ち物を褒めるそれではない。まるで尋問を受けているような、息苦しいほどの圧を感じる。
「元々は……〝別の用途〟に使用されていたものだったのではないかな?」
その一言が、胸の奥に冷たい針のように突き刺さった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
アリエッタ幼女、スラムからの華麗なる転身
にゃんすき
ファンタジー
冒頭からいきなり主人公のアリエッタが大きな男に攫われて、前世の記憶を思い出し、逃げる所から物語が始まります。
姉妹で力を合わせて幸せを掴み取るストーリーになる、予定です。
【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました
東野あさひ
ファンタジー
無能の烙印、婚約破棄、そして辺境追放――。でもそれ、全部“勘違い”でした。
王国随一の名門貴族令嬢ノクティア・エルヴァーンは、魔力がないと断定され、婚約を破棄されて辺境へと追放された。
だが、誰も知らなかった――彼女が「古代魔術」の適性を持つ唯一の魔導士であることを。
行き着いた先は魔物の脅威に晒されるグランツ砦。
冷徹な司令官カイラスとの出会いをきっかけに、彼女の眠っていた力が次第に目を覚まし始める。
無能令嬢と嘲笑された少女が、辺境で覚醒し、最強へと駆け上がる――!
王都の者たちよ、見ていなさい。今度は私が、あなたたちを見下ろす番です。
これは、“追放令嬢”が辺境から世界を変える、痛快ざまぁ×覚醒ファンタジー。
我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。
たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。
しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。
そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。
ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。
というか、甘やかされてません?
これって、どういうことでしょう?
※後日談は激甘です。
激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。
※小説家になろう様にも公開させて頂いております。
ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。
タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~
人見知りと悪役令嬢がフェードアウトしたら
渡里あずま
恋愛
転生先は、乙女ゲーの「悪役」ポジション!?
このまま、謀殺とか絶対に嫌なので、絶望中のルームメイト(魂)連れて、修道院へ遁走!!
前世(現代)の智慧で、快適生活目指します♡
「この娘は、私が幸せにしなくちゃ!!」
※※※
現代の知識を持つ主人公と、異世界の幼女がルームシェア状態で生きていく話です。ざまぁなし。
今年、ダウンロード販売を考えているのでタイトル変更しました!(旧題:人見知りな私が、悪役令嬢? しかも気づかずフェードアウトしたら、今度は聖女と呼ばれています!)そして、第三章開始しました!
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる