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第1章
第2話 その殺し屋、どうやら染みついている
しおりを挟む普通の女の子。
それは前世の私からしたら、とても遠い存在で、同時に最も憧れていたものだった。
前世で殺し屋として生きていた私は、別に好きでその生業をしていたわけではない。
そもそも私は孤児で、物心ついた頃からなんちゃら児童福祉センターという施設で育った。
広いけど古くて埃っぽい建物で、いつだって無機質で冷たい空気に満ちている。そんな場所だった。
そこには、私と同じように、親のいない子どもたちがたくさんいたが、みんな、無表情でどこか虚な目をした子が多かった記憶だ。
部屋は相部屋制だったけど、特に誰と仲がいいとかは無く、大人たちも必要最低限の世話をするだけで、そこに『愛情』なんてものはなかった。
そんな場所で私は、生きる理由も、将来の夢も希望も、何も知らないまま、規則正しい施設のルールに従い、ただ淡々と日々を過ごしていた。
そんなある日のこと。
突然、私の「叔父」を名乗る男が施設にやってきて、私を引き取りたいと申し出てきたのだ。
私には親族がいるなんて聞かされたこともなかったし、当然、その男の顔に心当たりなんてなかった。
けれど施設の職員たちは、特に引き止める訳でもなく、「良かったわね」とありきたりな笑顔を浮かべるだけで――私はよくわからないまま、男が差し出した手を、何のためらいもなく取ったのだ。
まさかこの手が、私から〝普通の人生〟を奪う存在だとは、つゆ知らずに。
そう、その「叔父」が殺し屋だったのだ。
前世の私のボスに当たる人物で、私に「生きる術」として、殺しのイロハを叩き込んだ張本人だ。
真冬の森で、手の冷たさを我慢して銃を分解したり、夜の市街地を音もなく歩く練習をしたり――。
他にもナイフの持ち方、銃の扱い方、毒薬の作り方、追跡、潜入、暗殺…その他諸々の殺しのテクニックを、彼は遊びを教えるみたいに私に仕込んだ。
私も私で才能があったのか、スポンジのごとくそれらを吸収し、小学校を卒業する頃には〝簡単な仕事〟はこなしていた。
そして中学校の卒業と同時に「叔父」と共に海外に渡り、そこから本格的に、〝殺しの仕事〟の日々が始まったのだ。
名前も素性も国籍も知らない、罪が有るのか無いのかもわからない人の命を奪い、血の匂いと、銃声と、刹那的な死の気配にまみれて生きる毎日。
それが、私の〝日常〟。
そんな生活をしていた私が、心のどこかで憧れていたのが、〝普通の女の子〟だ。
メイクをして、可愛い服を着て、おしゃれなカフェで友だちと笑い合いながら、他愛のないおしゃべりに花を咲かせて、甘くて美味しいスイーツを、何も気にせず頬張るそんな生活。
血も、ナイフも、銃もない世界だなんて、前世の私からしたら、そんなのただの幻想。
手の届かない、たとえ届いたとしてもすり抜けてしまうような、遠い存在だった。
でも、今なら――
この私なら、あの頃ずっと夢見ていた存在になれるかもしれない。
唾が喉を通り、胸が高鳴る。
再び感情が溢れ出しそうになった、まさにその時だった。
「……お嬢様、お目覚めでしょうか?」
外から慎ましいノック音と共に、優しいがよく通る女性の声がした。
お嬢様? 一体誰のことだろう? と、ほんの一瞬だけ考えたが、この部屋に居るのは私ひとり。
こんな豪勢な部屋に住んでいて庶民と言う可能性は低い。恐らく、いいや間違いなく私のことなのだろう。
憶測通り、良いところの子だと言うのは確定した。――にしてもお嬢様だなんて。生まれて初めての呼ばれ方に、むず痒さを感じる。
本来であれば、すぐに返事をするべきだったのだが……あろうことに私は、
「………」
いつもの、――いや昔の癖で、声を潜めてしまった。
しかも、体が勝手に動いていたようで、いつの間にかベッドの下に潜り込んでいる。
「どうしてッ!?」
己の不可解な行動に、思わず小声でセルフ突っ込みを入れてしまった。
『殺し屋は影の存在。相手に、勘付かれてはいけない』
幼少の頃から、「叔父」に口酸っぱく言われていた言葉だ。
その言葉は輪廻を超えて私の魂に染みついていたのか、ドアの外の相手はターゲットでもなんでもないというのに…!
脊髄の反射で、そんな行動を取ってしまったようだ。
私は頭を抱えながら、心の中で高らかに叫ぶ。
(やってしまった……!!)
もしかしたら、普通の女の子になれるのかも――そんな淡い希望を抱いた、ほんの数分後の出来事だった。
前世の幼少期、「叔父」に天才だと称された程、殺し屋の才能に満ち溢れていた私。
前世の頃から、このように誰かに声をかけられると、つい身構えて、声をひそめてしまう癖があった。
他にも、つい背後を取られないように動いてしまうし、つい物音を立てずに歩いてしまう。
それに、道ゆく人の動線も、そんなつもりがなくても瞬時に読んでしまう。それは仕事の時だけではなく、日常生活においてもそうだった。
別人に生まれ変わっても、この魂に染みついた〝殺し屋ムーブ〟は、そう簡単に抜けないらしい。
悔しさに、唇を噛み締めているその時だった。
――ガチャ、キィィィ。
と控えめに、しかし確かな音を立てて、扉が開いてしまった。
「お嬢様?」
コツ、コツ、とノック音同様控えめな靴音を鳴らしながら、先ほどの人物が部屋に入ってきたようだ。
ドア越しに聞こえていた声が、再度私のことを呼ぶ。
その声には困惑が滲んでいて、私がすぐに返事をしなかったことに対する訝しみが感じられた。
私は、はっとして身を固めた。しかし、時既に遅し。
なぜなら私は今、ベッドの下に潜り込んでいるという、どう考えても「お嬢様」としてはありえない姿勢で、彼女を迎えてしまっていたからだ。
こんな姿を見られたら、何と言われるだろうか。
――いや、まだわからない。
この儚げ美少女、こんななりして、案外いたずら好きのお転婆娘の可能性も…。
「お、お嬢様……!? 一体、何をなさっているのですか?」
現れたのは、黒いロング丈のメイド服を纏った、若い女性だった。
白いエプロンに、白い手袋、きちんとまとめられた髪、控えめだけど気品のある佇まい。
そんな彼女が、ベッドの下から顔だけ出している私を見た途端、目をパチクリと瞬かせる。
動揺しているのは明らかだった。
残念。このお嬢様、どうやらお転婆娘ではないみたいだ。
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