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第二十夜 追走
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一条は緋色の数珠から、数珠玉をひとつ取った。数珠は発火したかと思うと、次の瞬間には、全身黒の小刀へと変化する。その小刀で、正面から来る無面の頭を断ち、返す腕の勢いで、天井から強襲をかける敵に得物を投擲した。小刀は無面の頭部に突き刺さり、相手は一条たちの背後へと倒れ落ちた。突き刺さった小刀は、黒い灰になり一条の手元へと戻る。
そのまま廊下を走ると、ロビーでは気を失った店員が倒れていた。どうやら相手は無関係の人間を巻き込まないだけの良識はあるらしい。
新たな無面が現れる前に、一条たちはカラオケボックスを後にした。店の外へと出て驚いた。どうやら五法曼荼羅による人払いと認識操作は、カラオケボックスの外にまで及んでいるらしい。まだ昼間だというのに、路上はひっそりとしており、周囲には人の気配が感じられない。さらに悪いことに、路上の端々には、いまにも形を為そうとする半透明の無面たちがいた。
一条は走りながら念話で誘たちに語りかけた。だが呪術的な阻害を受けているのか、急に連絡が取れなくなっていた。一条は舌打ちをした。阻害を受ける直前に、互いが使用する類に資料の情報を上げておいたが見てくれただろうか。互いの情報に差が出ることは避けたかった。
無面が急に路地から飛び出し、斬り掛かってきた。一条は斬られる前に、小刀を相手の頭部に投げた。どうやら少しでも人がいない場所に来たら、襲撃をするつもりらしい。心王曼荼羅による認識操作があるとはいえ積極的なことだ。
足の遅い綾人が、少しだけ息を乱して言った。
「一条さん、修祓印でこっちも無面を出したりは……」
「出来ない。やろうとしたが、権利が剥奪されてるみたいでな。印が機能しない」
だがこのままではマズい。無面ごときにやられる一条ではないが、それでも消耗はする。
人通りの少ない所で襲ったということは、相手にもある程度、怪異を隠匿する意志はあるらしい。ならば人の多い場所なら襲撃を受ける可能性も少ない。
一条は綾人たちを連れて、車が多い道路へと走った。
道路に辿り着くと、無面たちの襲撃もぱったりと止んだ。一条は歩道の端に立ち、片手を上げてタクシーを止めようとした。だが、一台、二台、三台と無情にもタクシーは通り過ぎていく。心王曼荼羅の影響だ。こちらを認識しないよう、一般人に認識阻害が行われている。
「あぁもう、しゃらくせえぇッッ!」
「ちょっ、一条さんっ!」
業を煮やした一条は、向かってくるタクシーの前に飛び出した。
一条が轢かれそうになる直前、ギリギリの所でタクシーは止まった。
タクシーの扉が開かれ、運転手が焦った顔つきで出てきた。
「危ないだろ! あんた死ぬ気か!」
「すいません。急いでたもんで。飛び出したのは謝りますが、俺たちを乗せてくれませんか」
運転手は迷惑そうな顔をしつつも、曲がりなりにも客ということがわかると扉を開けた。
タクシーに乗ると、一条はほっと息をついた。数分の間だが休めるのは有り難い。
車が動き出すと、綾人は疑問を口にした。
「それで一条さん、飛び出したのは資料に書かれてた人のせい?」
類の共有記録に、資料の情報は載せている。だから直接資料を見ていなくとも、綾人はその内容をある程度知っていた。しかし、まだ信じられないのか、綾人の表情は疑わしげだ。
「紫堂秋水、本当にあの人が犯人なら、曼荼羅をこれだけ利用出来ることにも納得出来る。けど、あの人はもう死んでるんだよ」
資料に書かれていた犯人の名前は、紫堂秋水。
紫堂家の次期当主にして、二年前、現当主であった紫堂公彦と共に殺された筈の男だった。
「そうだな。けど、紫堂家は屍鬼造りの大家だ。霊地計画局に所属してこそいたが、あいつ自身、屍鬼造りの腕前はかなりのものだった。自分の身代わりを造るくらい出来るだろうよ」
「でも、さすがに対策局の眼を誤摩化すほど精巧な屍鬼なんて」
「そこは、これから正樹の所に行けばわかるさ」
「……まさか一条さん、正樹さんが屍鬼にされたって疑ってるの? けどそれなら誘ちゃんが気づいてるはず。それに、犯人に襲われてからの期間が短すぎる。屍法曼荼羅みたいに体を動かすだけならともかく、完全に屍鬼化させるのには無理があるよ」
「別に完全な屍鬼化をする必要はないさ。誘の感知能力は確かに高いが、例えば脳の一部だけの屍鬼化なら、霊圧が微弱であいつも気づかないかもしれない。それに秋水は紫堂家の出身だからな、こっちに来てる誘への対策も考えていた可能性だってあるだろ」
とはいえ、一条自身、秋水が生きていたという事実は信じがたかった。やはり局の呪術師の眼を欺けたとは、どうしても思えなかったのだ。
綾人を挟んだ向かい側の席にいた明乃が、強引に身を乗り出してきた。
「あの、正樹さんが屍鬼になったって、どういうことですか」
「あー君の上司な、もしかしたら敵に操られてる可能性がある」一般人ということもあり、少しオブラートに包んだ言い方をした。「あいつが俺たちに君を捜させたのは、曼荼羅の異変に気づいた人間をもろともに始末するためだ。縁を断たれた人間を捜すのは呪術師にとっても難しいんだ。敵は正樹と俺たちを利用して、君のことを捜させたんだよ。幾ら曼荼羅を利用出来るとは言っても限度はある。そこの資料に書かれてることが神祇省に渡れば終わりだからな」
彼女は小さく顔を伏せた。唇を開くが、まだ言葉を探せずにいるのか、すぐにそれは閉じられてしまう。だが迷いながらも、彼女は自分の意見を口にした。
「……あの、正樹さん、どうなるんですか。操られてるってことは、犯罪を手伝わされてるんですよね。いえ、それよりも正樹さんは、ちゃんと元の正樹さんに戻れるんですか?」
「まだはっきりとしたことは言えない。どんな手口を使ってるかもわからないからな。ただ、犯罪を手伝わされてることについては、ある程度は大丈夫だろう。犯人に繋がる資料も残してるし、何より自分の意志じゃないからな」
彼女は少しだけほっとした様子を見せた。
「あたし、正直、呪術社会のことってよく知らないんです。元は怪異事件に巻き込まれただけの一般人ですから。けど、ヒトを操る、なんて怖いことまで出来るんですね。……あの、祭塚さん、正樹さんのことお願いします。あのヒト、普段は頼りないけど、あたしを逃がしてくれた時みたいにカッコいい時があるんです。良いヒトなんです」
「わかってる。俺も正樹がいなくなるのは寂しいからな。出来る限りのことはする」
立花は「ありがとうございます」と言って小さく頭を下げた。
彼女を見て思うところがあったのか、綾人は席から立ち上がり、運転席に乗り出した。
「運転手さん、もっとスピード上げて!」
「こ、これ以上の速度は無理だって。もう大分飛ばしてんだからさ」
景色が次々に移り変わり、台東区の浅草にまでやって来る。
誘との縁を辿り、彼女たちの霊圧を近くにまで感じる地点で車を止めてもらった。一々金額を数えるのも面倒なので、無茶をしてもらったお礼に、代金よりも上の額を強引に渡してタクシーを降りる。誘たちのいる所を目指し、道路から人通りの少ない路地に入ると、不意に、誘と和泉に繋がる縁が断たれたのがわかった。
「っ一条さん!」
綾人の方も、誘たちとの縁を断たれたらしい。今まで連絡は取れずとも、居場所は把握出来たのに、それすらわからなくなってしまった。
だが、まだ縁を断たれて間もない。急げば間に合う筈だ。
幾つもの角を曲がり、民家や神社を通り過ぎると、路地を歩くヒトの数が徐々に少なくなっていくのがわかった。周辺に人払いがかけられているのに気づき、彼女たちのいる場所が近いと確信する。そして前方の曲がり角を左に曲がった先に、二人はいた。
誘と和泉、その二人の姿を見た瞬間、一条のなかに焦燥が沸き上がる。
住宅街の路地の壁に背をつけて、誘は気を失っていた。彼女の体には何故か草の蔓のようなものが絡んでいる。だがそれ以上に問題なのは和泉だ。地面に倒れ伏した彼女の腹部には斬られた傷痕があり、大量の血を流していた。斬られてから腹這いに動いたのか路上には夥しい血痕がついている。
傷ついた和泉の側には、正樹が立っていた。
右腕を持ち上げ、逃げようとする和泉に、今にも凶器を突き立てようとしている。
「正樹ッ!」
一条は右手の数珠から珠をひとつ取り、それを正樹に投げつけた。数珠玉は宙を飛び交う間に全身黒色の燕へと姿を変えて飛翔する。正樹の一メートル手前まで飛ぶと、燕は小さな爆発を起こして彼を吹き飛ばした。
正樹が手放した凶器が和泉の側に転がった。それは刃物などではなく、病院にでもありそうな注射器だった。予想しない道具に疑問を感じながら、一条は和泉に駆け寄った。
「和泉、無事……なわけねえよな。待ってろ。すぐに落ち着いた場所に連れてくから」
抱き上げようとする一条の手を和泉は止め、顔面蒼白になりながら言った。
「待って……あたしなら、自分で治せるから、先に誘ちゃんを……」
一条は顎で綾人に誘のもとへ行くよう指し示した。綾人はすぐに誘のところへ駆けつけた。その間にも、一条は容態を確かめるため、和泉の服をずらして腹部の傷の具合を見た。彼女の脇腹の辺りには、二十センチほどの長さの傷痕がある。
刃物でつけられたような傷で、ぱっくりと綺麗に裂かれた脇腹からは赤い内蔵がちらちらと見えた。気になったのは、傷痕の周辺に僅かに散る赤い粉だ。その粉に既視感を感じ、過去の記憶を探る。そしてそれが岸本杏の死体の側にもあったことを思い出した。
可能性の一つには入れていたが、まさか、本当に正樹が彼女を殺した犯人だったとは……。
和泉の傷痕は、ぱっと見であれば酷いものではあったが、普通の人間の数十倍はある早さで徐々に塞がっていく。人魚に近い体質のお陰で、傷の治りが早いのだ。
彼女の言う通り、これなら自分で何とか出来るだろうが、それでも放置はしておけない。一条は和泉の鞄から、彼女が携帯している薬を取り出した。丹村家は代々薬師の家系だ。その家に連なる和泉自身が造った薬なら良く効くだろう。
あとは誘だが、その疑問に答えるように綾人が叫んだ。
「一条さん大変ッ! 誘ちゃん息してない! っていうか心臓止まっちゃってるよ!」
綾人が見たこともないほど不安そうな顔をした。身近な者の死にそれほど慣れてない彼にはショックなことだったらしい。一緒に誘を見ている立花も、悲痛な顔をしていた。
だが一条に動揺はない。屍鬼の姫とも言える彼女が、その程度で死ぬ筈がないからだ。
「落ち着け。腕に草絡まってるだろ。それを解いてみろ」
誘の腕に絡まっているのは藤蔓だ。
藤の蔓は、正式な屍鬼造りの際、ばらばらの死体を縫い合わせるのに利用される。本来の製造法と異なるとはいえ、本質的には屍鬼である彼女には、藤の蔓による拘束は良く効くのだろう。加えて、あの藤蔓自体が特殊な屍鬼らしく、異様な霊圧も感じる。
綾人は慌てて彼女に絡まる藤蔓を解き始めた。
それを阻もうと、綾人に向けて指先程の大きさの赤い物体が飛ぶ。
一条は黒い小刀を投擲してそれを阻んだ。赤色の凶器は半ばから真っ二つになり、綾人たちの側に落ちる。それは全身が赤色のチョークだった。
正樹は足下に落ちた帽子を拾い、その埃を払いながらため息をついた。
「あーあ、一条先輩も間が悪いな。あと少し遅く来てれば終わってたのに」
彼は懐から鋏を出すと、その指穴に人差し指を入れてくるくると回し出す。
いつも通りの正樹の態度だった。だからこそ、彼の行動は一条の神経を逆撫でした。
一条は、肉体を活性化させる粉薬を和泉に呑ませながら言った。
「あえて聞いてやるけどよ。お前、自分が何してるかわかってんのか」
「やだなぁ。わかってるに決まってんじゃないっすか、子供じゃないんだから。和泉先輩と誘ちゃんを襲って、これ以上余計なことされないようにしたんすよ。……あれ、でも」
くるくると回していた鋏を止めて、正樹はぶつぶつと呟き出した。
「なんで俺そんなことしてんだっけ。わからないな。でも、わからないけどやらないと。誰も曼荼羅の真相に近づけちゃいけない。いけないんだ」
自分自身に暗示をかけるように同じ言葉を繰り返す。
どうやら本当に操られているらしい。自分自身の行動に確信を得ていないのに、病的に目的を遂行しようとしている。表面上、呪的な干渉は感じられないから、やはり体の内部に手を出された可能性がある。
「っぷふぁっ! あぁ死ぬかと思った! いえ、ちょっとだけ死んでましたけど、機能停止してましたけど、もう大丈夫です!」
綾人が絡んでいた草をむしり取り、誘が息を吹き返した。
「あんなもの用意するなんて卑怯ですよ、正樹さん! 覚悟してください。今すぐ目を覚ましてあげますから……ってあれ」
足に力が入らず、立ち上がれないらしい。機能を回復して間もないからだろう。
和泉に水を呑ませ終えると、一条はその体を抱き上げて、綾人たちのもとへ運んだ。
「まだ休んでろ。魂は問題なくても、体の方は完全に生命活動を止めてたんだ。綾人、結界張って守りに徹しててくれ。あいつを倒さないと、ここを離れるのも難しそうだからな」
いつの間にか、周囲には無面の姿があった。
いまの正樹には、この連中を使用する権利も与えられているらしい。
綾人は素直に頷き、両腕に刻まれた墨の呪刻で結界を造り始めた。
最後に一条は資料を仕舞った鞄を立花に渡した。
自問自答を止めた正樹が、ポケットから赤いチョークを複数放り捨てた。
「あぁもう理由なんてどうでも良い! 俺は先輩たちを止めなきゃならないんだよぉっ!」
赤いチョークが不過視の力によって地面を走り出す。霊体を憑かせて無理矢理動かしているらしい。チョークはジグザク線を描きながら、一条の方へと向かって来る。
そのまま廊下を走ると、ロビーでは気を失った店員が倒れていた。どうやら相手は無関係の人間を巻き込まないだけの良識はあるらしい。
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足の遅い綾人が、少しだけ息を乱して言った。
「一条さん、修祓印でこっちも無面を出したりは……」
「出来ない。やろうとしたが、権利が剥奪されてるみたいでな。印が機能しない」
だがこのままではマズい。無面ごときにやられる一条ではないが、それでも消耗はする。
人通りの少ない所で襲ったということは、相手にもある程度、怪異を隠匿する意志はあるらしい。ならば人の多い場所なら襲撃を受ける可能性も少ない。
一条は綾人たちを連れて、車が多い道路へと走った。
道路に辿り着くと、無面たちの襲撃もぱったりと止んだ。一条は歩道の端に立ち、片手を上げてタクシーを止めようとした。だが、一台、二台、三台と無情にもタクシーは通り過ぎていく。心王曼荼羅の影響だ。こちらを認識しないよう、一般人に認識阻害が行われている。
「あぁもう、しゃらくせえぇッッ!」
「ちょっ、一条さんっ!」
業を煮やした一条は、向かってくるタクシーの前に飛び出した。
一条が轢かれそうになる直前、ギリギリの所でタクシーは止まった。
タクシーの扉が開かれ、運転手が焦った顔つきで出てきた。
「危ないだろ! あんた死ぬ気か!」
「すいません。急いでたもんで。飛び出したのは謝りますが、俺たちを乗せてくれませんか」
運転手は迷惑そうな顔をしつつも、曲がりなりにも客ということがわかると扉を開けた。
タクシーに乗ると、一条はほっと息をついた。数分の間だが休めるのは有り難い。
車が動き出すと、綾人は疑問を口にした。
「それで一条さん、飛び出したのは資料に書かれてた人のせい?」
類の共有記録に、資料の情報は載せている。だから直接資料を見ていなくとも、綾人はその内容をある程度知っていた。しかし、まだ信じられないのか、綾人の表情は疑わしげだ。
「紫堂秋水、本当にあの人が犯人なら、曼荼羅をこれだけ利用出来ることにも納得出来る。けど、あの人はもう死んでるんだよ」
資料に書かれていた犯人の名前は、紫堂秋水。
紫堂家の次期当主にして、二年前、現当主であった紫堂公彦と共に殺された筈の男だった。
「そうだな。けど、紫堂家は屍鬼造りの大家だ。霊地計画局に所属してこそいたが、あいつ自身、屍鬼造りの腕前はかなりのものだった。自分の身代わりを造るくらい出来るだろうよ」
「でも、さすがに対策局の眼を誤摩化すほど精巧な屍鬼なんて」
「そこは、これから正樹の所に行けばわかるさ」
「……まさか一条さん、正樹さんが屍鬼にされたって疑ってるの? けどそれなら誘ちゃんが気づいてるはず。それに、犯人に襲われてからの期間が短すぎる。屍法曼荼羅みたいに体を動かすだけならともかく、完全に屍鬼化させるのには無理があるよ」
「別に完全な屍鬼化をする必要はないさ。誘の感知能力は確かに高いが、例えば脳の一部だけの屍鬼化なら、霊圧が微弱であいつも気づかないかもしれない。それに秋水は紫堂家の出身だからな、こっちに来てる誘への対策も考えていた可能性だってあるだろ」
とはいえ、一条自身、秋水が生きていたという事実は信じがたかった。やはり局の呪術師の眼を欺けたとは、どうしても思えなかったのだ。
綾人を挟んだ向かい側の席にいた明乃が、強引に身を乗り出してきた。
「あの、正樹さんが屍鬼になったって、どういうことですか」
「あー君の上司な、もしかしたら敵に操られてる可能性がある」一般人ということもあり、少しオブラートに包んだ言い方をした。「あいつが俺たちに君を捜させたのは、曼荼羅の異変に気づいた人間をもろともに始末するためだ。縁を断たれた人間を捜すのは呪術師にとっても難しいんだ。敵は正樹と俺たちを利用して、君のことを捜させたんだよ。幾ら曼荼羅を利用出来るとは言っても限度はある。そこの資料に書かれてることが神祇省に渡れば終わりだからな」
彼女は小さく顔を伏せた。唇を開くが、まだ言葉を探せずにいるのか、すぐにそれは閉じられてしまう。だが迷いながらも、彼女は自分の意見を口にした。
「……あの、正樹さん、どうなるんですか。操られてるってことは、犯罪を手伝わされてるんですよね。いえ、それよりも正樹さんは、ちゃんと元の正樹さんに戻れるんですか?」
「まだはっきりとしたことは言えない。どんな手口を使ってるかもわからないからな。ただ、犯罪を手伝わされてることについては、ある程度は大丈夫だろう。犯人に繋がる資料も残してるし、何より自分の意志じゃないからな」
彼女は少しだけほっとした様子を見せた。
「あたし、正直、呪術社会のことってよく知らないんです。元は怪異事件に巻き込まれただけの一般人ですから。けど、ヒトを操る、なんて怖いことまで出来るんですね。……あの、祭塚さん、正樹さんのことお願いします。あのヒト、普段は頼りないけど、あたしを逃がしてくれた時みたいにカッコいい時があるんです。良いヒトなんです」
「わかってる。俺も正樹がいなくなるのは寂しいからな。出来る限りのことはする」
立花は「ありがとうございます」と言って小さく頭を下げた。
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「こ、これ以上の速度は無理だって。もう大分飛ばしてんだからさ」
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「っ一条さん!」
綾人の方も、誘たちとの縁を断たれたらしい。今まで連絡は取れずとも、居場所は把握出来たのに、それすらわからなくなってしまった。
だが、まだ縁を断たれて間もない。急げば間に合う筈だ。
幾つもの角を曲がり、民家や神社を通り過ぎると、路地を歩くヒトの数が徐々に少なくなっていくのがわかった。周辺に人払いがかけられているのに気づき、彼女たちのいる場所が近いと確信する。そして前方の曲がり角を左に曲がった先に、二人はいた。
誘と和泉、その二人の姿を見た瞬間、一条のなかに焦燥が沸き上がる。
住宅街の路地の壁に背をつけて、誘は気を失っていた。彼女の体には何故か草の蔓のようなものが絡んでいる。だがそれ以上に問題なのは和泉だ。地面に倒れ伏した彼女の腹部には斬られた傷痕があり、大量の血を流していた。斬られてから腹這いに動いたのか路上には夥しい血痕がついている。
傷ついた和泉の側には、正樹が立っていた。
右腕を持ち上げ、逃げようとする和泉に、今にも凶器を突き立てようとしている。
「正樹ッ!」
一条は右手の数珠から珠をひとつ取り、それを正樹に投げつけた。数珠玉は宙を飛び交う間に全身黒色の燕へと姿を変えて飛翔する。正樹の一メートル手前まで飛ぶと、燕は小さな爆発を起こして彼を吹き飛ばした。
正樹が手放した凶器が和泉の側に転がった。それは刃物などではなく、病院にでもありそうな注射器だった。予想しない道具に疑問を感じながら、一条は和泉に駆け寄った。
「和泉、無事……なわけねえよな。待ってろ。すぐに落ち着いた場所に連れてくから」
抱き上げようとする一条の手を和泉は止め、顔面蒼白になりながら言った。
「待って……あたしなら、自分で治せるから、先に誘ちゃんを……」
一条は顎で綾人に誘のもとへ行くよう指し示した。綾人はすぐに誘のところへ駆けつけた。その間にも、一条は容態を確かめるため、和泉の服をずらして腹部の傷の具合を見た。彼女の脇腹の辺りには、二十センチほどの長さの傷痕がある。
刃物でつけられたような傷で、ぱっくりと綺麗に裂かれた脇腹からは赤い内蔵がちらちらと見えた。気になったのは、傷痕の周辺に僅かに散る赤い粉だ。その粉に既視感を感じ、過去の記憶を探る。そしてそれが岸本杏の死体の側にもあったことを思い出した。
可能性の一つには入れていたが、まさか、本当に正樹が彼女を殺した犯人だったとは……。
和泉の傷痕は、ぱっと見であれば酷いものではあったが、普通の人間の数十倍はある早さで徐々に塞がっていく。人魚に近い体質のお陰で、傷の治りが早いのだ。
彼女の言う通り、これなら自分で何とか出来るだろうが、それでも放置はしておけない。一条は和泉の鞄から、彼女が携帯している薬を取り出した。丹村家は代々薬師の家系だ。その家に連なる和泉自身が造った薬なら良く効くだろう。
あとは誘だが、その疑問に答えるように綾人が叫んだ。
「一条さん大変ッ! 誘ちゃん息してない! っていうか心臓止まっちゃってるよ!」
綾人が見たこともないほど不安そうな顔をした。身近な者の死にそれほど慣れてない彼にはショックなことだったらしい。一緒に誘を見ている立花も、悲痛な顔をしていた。
だが一条に動揺はない。屍鬼の姫とも言える彼女が、その程度で死ぬ筈がないからだ。
「落ち着け。腕に草絡まってるだろ。それを解いてみろ」
誘の腕に絡まっているのは藤蔓だ。
藤の蔓は、正式な屍鬼造りの際、ばらばらの死体を縫い合わせるのに利用される。本来の製造法と異なるとはいえ、本質的には屍鬼である彼女には、藤の蔓による拘束は良く効くのだろう。加えて、あの藤蔓自体が特殊な屍鬼らしく、異様な霊圧も感じる。
綾人は慌てて彼女に絡まる藤蔓を解き始めた。
それを阻もうと、綾人に向けて指先程の大きさの赤い物体が飛ぶ。
一条は黒い小刀を投擲してそれを阻んだ。赤色の凶器は半ばから真っ二つになり、綾人たちの側に落ちる。それは全身が赤色のチョークだった。
正樹は足下に落ちた帽子を拾い、その埃を払いながらため息をついた。
「あーあ、一条先輩も間が悪いな。あと少し遅く来てれば終わってたのに」
彼は懐から鋏を出すと、その指穴に人差し指を入れてくるくると回し出す。
いつも通りの正樹の態度だった。だからこそ、彼の行動は一条の神経を逆撫でした。
一条は、肉体を活性化させる粉薬を和泉に呑ませながら言った。
「あえて聞いてやるけどよ。お前、自分が何してるかわかってんのか」
「やだなぁ。わかってるに決まってんじゃないっすか、子供じゃないんだから。和泉先輩と誘ちゃんを襲って、これ以上余計なことされないようにしたんすよ。……あれ、でも」
くるくると回していた鋏を止めて、正樹はぶつぶつと呟き出した。
「なんで俺そんなことしてんだっけ。わからないな。でも、わからないけどやらないと。誰も曼荼羅の真相に近づけちゃいけない。いけないんだ」
自分自身に暗示をかけるように同じ言葉を繰り返す。
どうやら本当に操られているらしい。自分自身の行動に確信を得ていないのに、病的に目的を遂行しようとしている。表面上、呪的な干渉は感じられないから、やはり体の内部に手を出された可能性がある。
「っぷふぁっ! あぁ死ぬかと思った! いえ、ちょっとだけ死んでましたけど、機能停止してましたけど、もう大丈夫です!」
綾人が絡んでいた草をむしり取り、誘が息を吹き返した。
「あんなもの用意するなんて卑怯ですよ、正樹さん! 覚悟してください。今すぐ目を覚ましてあげますから……ってあれ」
足に力が入らず、立ち上がれないらしい。機能を回復して間もないからだろう。
和泉に水を呑ませ終えると、一条はその体を抱き上げて、綾人たちのもとへ運んだ。
「まだ休んでろ。魂は問題なくても、体の方は完全に生命活動を止めてたんだ。綾人、結界張って守りに徹しててくれ。あいつを倒さないと、ここを離れるのも難しそうだからな」
いつの間にか、周囲には無面の姿があった。
いまの正樹には、この連中を使用する権利も与えられているらしい。
綾人は素直に頷き、両腕に刻まれた墨の呪刻で結界を造り始めた。
最後に一条は資料を仕舞った鞄を立花に渡した。
自問自答を止めた正樹が、ポケットから赤いチョークを複数放り捨てた。
「あぁもう理由なんてどうでも良い! 俺は先輩たちを止めなきゃならないんだよぉっ!」
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彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。
テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。
SF味が増してくるのは結構先の予定です。
スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。
良かったら読んでください!
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
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主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
盾の間違った使い方
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その日は快晴で、DIY日和だった。
まさかあんな形で日常が終わるだなんて、誰に想像できただろうか。
マンションの屋上から落ちてきた女子高生と、運が悪く――いや、悪すぎることに激突して、俺は死んだはずだった。
しかし、当たった次の瞬間。
気がつけば、今にも動き出しそうなドラゴンの骨の前にいた。
周囲は白骨死体だらけ。
慌てて武器になりそうなものを探すが、剣はすべて折れ曲がり、鎧は胸に大穴が空いたりひしゃげたりしている。
仏様から脱がすのは、物理的にも気持ち的にも無理だった。
ここは――
多分、ボス部屋。
しかもこの部屋には入り口しかなく、本来ドラゴンを倒すために進んできた道を、逆進行するしかなかった。
与えられた能力は、現代日本の商品を異世界に取り寄せる
【異世界ショッピング】。
一見チートだが、完成された日用品も、人が口にできる食べ物も飲料水もない。買えるのは素材と道具、作業関連品、農作業関連の品や種、苗等だ。
魔物を倒して魔石をポイントに換えなければ、
水一滴すら買えない。
ダンジョン最奥スタートの、ハード・・・どころか鬼モードだった。
そんな中、盾だけが違った。
傷はあっても、バンドの残った盾はいくつも使えた。
両手に円盾、背中に大盾、そして両肩に装着したL字型とスパイク付きのそれは、俺をリアルザクに仕立てた。
盾で殴り
盾で守り
腹が減れば・・・盾で焼く。
フライパン代わりにし、竈の一部にし、用途は盛大に間違っているが、生きるためには、それが正解だった。
ボス部屋手前のセーフエリアを拠点に、俺はひとりダンジョンを生き延びていく。
――そんなある日。
聞こえるはずのない女性の悲鳴が、ボス部屋から響いた。
盾のまちがった使い方から始まる異世界サバイバル、ここに開幕。
【AIの使用について】
本作は執筆補助ツールとして生成AIを使用しています。
主な用途は「誤字脱字のチェック」「表現の推敲」「壁打ち(アイデア出しの補助)」です。
ストーリー構成および本文の執筆は作者自身が行っております。
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