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010 私は私で貴方は貴方で幸せになろう
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門の前で青い顔をして所在なさげに立ち尽くしているコリンの姿に、ジリアンはダッシュで家に入ってしまいたい衝動に駆られる。
あのドマーゴ伯爵令嬢との仲睦まじい様子をまざまざと見せつけておきながら弁解もろくにしなかった男が、本当に昨日の今日で一体何をしにきたというのか。
――失恋の次の日だからって心配で見に来たってことかな。私は無事だから見届けたらそのまま帰ってくれないかな……。
そうは思ったがコリンは帰る様子もない。何か話があるのだろうか。もしや決定的な絶縁宣言をされるとか、ありそうな話だ。
しかし、一人の時ならまだしも今はエリアスと一緒にいる手前、彼にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかなくて、とりあえずコリンに何をしに来たのかを聞いてみようと、ジリアンは門のところに一歩踏み出した。しかしそんなジリアンの腕をエリアスの大きな手が掴んだ。
「ジル。今、彼の元へ行くのはあまりお勧めしないよ。君をあんなに傷つけた男なんだろう」
「エリアス様……でもこのままじゃ……早く帰ってもらわないと」
「どうしてもというなら私も君のそばで聞く。何かあってからでは遅いからね」
「は、はい……」
エリアスに不快な思いをさせたくない反面、彼がそばにいてくれれば心強いとも思って、ジリアンは物凄く気が乗らなかったがコリンのいる場所に足を向けた。背後にぴったりとエリアスが付いてきてくれている安心感から勇気が出る。
昨日までのコリンへの未練はもう無くなっていて、今彼にどんな決定的なきつい言葉を言われても傷つかない気がした。
コリンは近づいてくるジリアンに一瞬ほっとした表情をしたものの、ジリアンの背後についてくる大柄な騎士風の男の顔を見てぎょっとしてからみるみる恐怖に顔が青褪める。
コリンも王都民であり、流行の最先端を把握して商売をしている大店の息子であるからか、王都での有名人である三人の聖騎士の名と顔は知っていた。
どうしてハイランド兄弟のどちらかがジリアンの家にいて、しかも彼女と仲睦まじそうにしているのかと疑問に思っただろう。そしてなおかつ、卿がまるで射殺すようにジリアンの背後からコリンを睨みつけているのかも。
ジリアンがとうとうコリンの前にやってきて、腰辺りまでの門の鉄格子を挟んで相対した。
「ジ、ジリアン、あの、昨日は……」
「昨日は突然連絡もなく訪問して申し訳ありませんでした、ベネットさん。それと、改めましてご婚約おめでとうございます」
「……っ!」
何か言い募ろうとしたコリンの言葉を遮るようにジリアンは言葉を重ねて頭を下げた。責めるでもなく、ただ淡々と謝罪とそしてコリンのこれからを祈るように祝いの言葉を述べる。
昨日のコリンの態度を責めるのも、未練があった昨日までならできたかもしれない。だが今となってはもうジリアンには過去のこととして割り切れていた。傍らに寄り添ってくれる、幼い頃と変わらない包み込むような愛情をエリアスにあふれるほど注がれた今となっては、コリンを素直に祝えるようにすっきりとしていた。
そんなジリアンの言葉にエリアスはコリンを睨みつけるのをやめてジリアンをはっとした表情で見た。彼女の声色と表情から、もう完全に吹っ切れたことが良く分かったのだ。その瞬間、エリアスの表情はふんわりと柔らかくなって愛おしそうにジリアンを見つめるようになった。
「お幸せに、ベネットさん。ご家族も喜んでいましたし、あの美しいご令嬢となら貴方はきっと幸せになれそうです」
「ジ、ジリアン……」
「昨日の私の様子が心配で見に来てくれたんですよね。もう大丈夫です。昨日の仲睦まじいお二人を見たら、ああ叶わないなって……むしろ絵にしたいくらいお似合いでしたから」
口を挟む余地もなく紡がれるジリアンの言葉には今までコリンに対して話していた気安い言葉ではなく敬語がつけられている。そして交際していたころは愛おし気に「コリン」と名で呼んでくれたジリアンが、今自分のことを「ベネットさん」と家名で呼んだ。
そのことに、コリンはジリアンからきっぱりと別次元の人間と割り切られたことを知る。その言い方に嫌味が全く感じられないのは、ジリアンは本当に未練なく吹っ切れているからに違いない。負け惜しみの感じは全くなかった。
コリン側からしてみれば、昨日の今日で吹っ切れるのが早すぎではないかと思ってしまう。コリンとてジリアンと付き合った期間で彼女がどれほど深く愛してくれていたかを知っているので、昨日あんな突然の別れがあったというのに、未練など全くないといったすっきりした顔している彼女は一体どうしたというのか。別れたくないとわがままを言われると思っていたのに拍子抜けしたうえ、その潔さにたった一晩で一体彼女を吹っ切れさせる何があったというのだろう。
それに、彼女の後ろにいるあまりにも有名すぎる美丈夫、三年前王都を襲ったスタンピードで大活躍した三人の聖騎士の一人、ハイランド兄弟のどちらかはわからないが、そんな有名人がジリアンと一緒にいるという謎の光景がわからない。少しくっつきすぎじゃないのかと、今となってはそんなことを考える資格さえコリンにはないのにどうしても思ってしまうのだ。
「……そ、その人は……?」
「あ、紹介します。こちらエリアス・ハイランド様。名前とお顔はご存じですよね。実は幼馴染でして」
「えっ!」
「昨日あれから再会して……その、私もフリーになったし、エリアス様もいいよって言ってくれたから、お付き合いすることになりました。だからその……心配しないでください」
先制攻撃とばかりに事実を告げる。あくまで平和的に。それでいてきっぱりと。
みっともなく縋ることもしない。そもそもそんな未練はとっくにないし、いつまでもわだかまっていては自分もコリンも前に進めないから。
つとめて明るくコリンに伝えてみた。
「えっ! えっ……! ジ、ジリアン……? 昨日の、今日でか……?」
――いや、わかるよコリン。私も怒涛の展開になかなかついていけてないから。
「あはは、私もびっくりですけど、なんだかそうなりまして。あ、エリアス様、こちらはコリン・ベネットさんです。王都第三地区で一番大きな商会の御曹司なんですよ」
「初めましてベネット殿。私はハイドランジア正教会所属聖騎士のエリアス・ハイランド。以後お見知りおきを。ジルとは彼女が言ったように幼馴染でしてね。彼女の父上が画商として郊外の港町に滞在していたころ、そこの修道院の保育所で私は神学生として子供たちの相手をしていたんです。そこで知り合ってしばらく一緒にいたんですよ」
「は、はあ……」
コリンはジリアンから彼女が幼い頃画商の父の仕事の関係で王都郊外を点々としていたことは聞いていた。その際に保育所に行って過ごしたことも彼女が思い出としてコリンに聞かせてくれたことがあったのでそのエピソードは知っている。
知っているからこそ、この二人に嘘はないのがわかってしまった。
「ジルから聞きました。ご婚約、おめでとうございます。結婚式は正教会のカテドラルのご予定で?」
「あ、いえ、まだそこまでは……」
「そうですか。お相手はドマーゴ伯爵令嬢とか。私も彼女にお目にかかったことがございますが、彼女が貴方のような良縁に恵まれたようで安心しました。どうぞ末永くお幸せに」
にっこりと笑いながらそう言って聖職者として祈りの印をきるエリアスに口を挟めず、コリンはただぱくぱくと口を開閉するのみであった。
ジリアンの敬語にエリアスと幼馴染という話、そしてエリアスのジリアンを呼ぶ「ジル」という気安い略称。昨日の今日でジリアンがコリンのことを吹っ切れた原因が、このエリアスだったとしたら。そもそも幼馴染なんて、相手のことをわかっているからこそ嬉しいことも悲しいことも分かち合えていつでもそばにいて慰められる存在ではないか。
そう考えるとコリンは急に目の前が真っ暗になった気がした。
ジリアンはあのあと、このエリアスに慰められて、完全にコリンへの未練を断ち切ったのだ。だが、それをどうしても認められない自分がいる。
――あんなに愛し合っていたというのに。ちょっと別の女との場面を見たからってそんなにすぐにすっきりしていられるわけがないだろ?
「……は、そういうことかジリアン。昨日の今日でこれって変だろ? 幼馴染? 違うだろ、浮気相手ってことだろうが」
「は? そんなことあるわけないでしょう」
「ああわかったわかった、俺への当てつけで浮気したんだろう。意外だよ、お前がそんなことするなんて」
「なっ……」
「幼馴染ってとこは百歩譲ってそういうことにしておく。その幼馴染と俺の知らないところで今までずっと付き合ってたんだろう? だから昨日あんな場面見て慰めて欲しくてこの聖騎士様に縋ったんだ。そうだろうジリアン? お前がそんなたった一日でそんなに割り切れるわけないもんな!」
コリンは整った顔を歪ませて嘲笑うようにジリアンを責め立てた。ジリアンにしてみたら全く見当違いのことを言いたい放題言っているのだが、あまりのひどい言い方に反論したいが言葉が出ない。
「わかったよジリアン。俺だって婚約のことをお前に言わなかったし、今回のことはちょっとしたタイミングが悪かったんだ。だから仲直りしよう。俺はお前の浮気を許すよ。まだ一度目だしな」
――いや、許すって何よ。仲直りしてどうするというの? 貴族令嬢と婚約したのだから、私のことなんてそのまま放っといてくれればいいだけじゃないの?
「……ベネットさん、別れた女のことまで気にすることはないわ。婚約者様を大事にしてあげて」
「ああもういいよそういうの。ったく素直じゃないなジリアン。拗ねて俺を困らせようとしているんだ、そうだろう?」
「……」
交際中は優しかったコリンの豹変した様子と物言いに、ショックと恐ろしさで言葉が出ずにかたかたと震えるジリアン。そんな彼女を見て、エリアスはジリアンの後ろにいた場所からずいっと二人の間に出た。
「話に割り込むようで申し訳ない。ベネット殿、ジルの言っていることは本当だ。私たちは昨日久々に再会したのであってずっと浮気していたというのは間違いだ。私はジルがこの王都に居ることも昨日まで知らなかったし、交際しようということになったのも昨日の夕方からだ。そもそも私が公にできない女性と隠れて付き合っていたとしたら、それこそ正教会から破門されてしまうよ」
「……っ」
「次に進むのが早かったから君が浮気を疑うのは仕方ないが、ちゃんと相手と別れた女性が次の幸せを掴むために行動したって問題はないだろう? いや、わかるよ。こういう場合男性より女性のほうが意外と未練をすっぱり断ち切れるものだと聞くしね」
「で、でも、俺は別れるなんて一言も!」
確かに昨日のコリンはジリアンに対して無言を貫き、別れようの一言も、弁明すらなく、ドマーゴ伯爵令嬢と母親が言うに任せていた。
だからと言って、あれで破局してないと本気で思っていたのだろうかと、ジリアンは頭を抱えたくなった。
ジリアンが呆れて何も言えないでいると、エリアスが至極冷静に、それでいて聞き分けの無い子供を丁寧に諭すみたいに言葉を連ねる。
「おや? 君はドマーゴ伯爵令嬢と既に婚約したのだろう? 親も公認だし君も乗り気だったと聞いた。君はそんな家族の誰もが歓迎している婚約者がありながら、ジルともこのまま付き合っていくつもりだったのか? そうだとしたら……君はジルだけでなくドマーゴ伯爵令嬢をも傷つけることになるぞ。二人もの女性を不幸にするなど、君は一体何がしたいんだ」
「……いや、俺は……その」
「ベネット殿、男ならいい加減腹を括れ」
エリアスの言葉に顔色を悪くしたコリンに、ジリアンはさすがに長いこと交際していた情が残っているせいか少々罪悪感を感じたものの、自分とエリアスの言い方でコリンがこうなることは何となく予想がついていた。
エリアスを見上げてその視線に気づいた彼と目が合う。エリアスはジリアンにこくりと頷いてみせたので、ジリアンは心を決めてコリンに今ここで決別の言葉を言うことにした。
「ベネットさん。私のことは心配しないでください。私は私で幸せになります。だから、婚約者様を幸せにして差し上げてくださいね」
ジリアンが言ったタイミングで、エリアスは彼女の手をそっと握った。それに気づいてジリアンはエリアスを見上げ、二人の視線が絡み合う。
――緊張感があっという間になくなってあったかい気持ちになるかも。エリアス様がこうしてそばにいてくれるだけで……何だか不思議。
ふふ、とお互いに笑い合うジリアンとエリアス。そんな二人の様子に今度こそ決定打を打たれたらしいコリンは硬直した。
私は私で幸せになります――。
そうして手を握って見つめ合った二人を見るだけで、ジリアンが誰と幸せになろうとしているのか、この二人の関係がまだ清い形だけの関係ではなく、既に身も心も通じ合わせたことがわかってしまった。
「……っ!」
コリンはそれ以上二人を見ていられず、何も言わずに走って去っていってしまった。まるで、昨日のジリアン自身のようだと、去っていくコリンの姿を見て思うジリアンであった。
仕返しをしたつもりはなかったが結果的にそうなってしまったことに、罪悪感もありながら、これで終わったといささかすっきりとした感覚もあって、意外と普通でいられる自分にジリアンは驚く。
「……大丈夫か、ジリアン?」
「はい、意外と大丈夫でした。昨日それで泣いたのが嘘みたい。あはは」
「……良かった」
「え?」
「あんな強気に出ておきながら、私は柄にもなく心配してしまったんだ。彼の顔を見て彼を想う気持ちが復活したらどうしようと」
――そんな。私はもうとっくにコリンに未練はないのに……エリアス様が心配してくださったなんて、何だか心がぽかぽかする。
ジリアンは胸にあたたかな何かをジーンと感じてしばし惚けたのち、両の頬をぱちんと軽く叩いてからエリアスににっこりと笑った。
「横槍が入っちゃいましたが、エリアス様、今度こそどうぞわが家へおあがりください。ダッシュで身支度してきます!」
「ふふ、そうだったね。可愛くしておいで」
「デート、楽しみですね!」
「ああ、待ってるよジル」
「はい!」
気を取り直して家の中に入ってリビングにエリアスを案内したジリアンは、幸い散らかっていなかったリビングのソファーにエリアスを座らせた。
とっておきのお茶の用意をしてエリアスの前にセットしたあと、急いで自室に戻って身支度をすることにした。
あのドマーゴ伯爵令嬢との仲睦まじい様子をまざまざと見せつけておきながら弁解もろくにしなかった男が、本当に昨日の今日で一体何をしにきたというのか。
――失恋の次の日だからって心配で見に来たってことかな。私は無事だから見届けたらそのまま帰ってくれないかな……。
そうは思ったがコリンは帰る様子もない。何か話があるのだろうか。もしや決定的な絶縁宣言をされるとか、ありそうな話だ。
しかし、一人の時ならまだしも今はエリアスと一緒にいる手前、彼にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかなくて、とりあえずコリンに何をしに来たのかを聞いてみようと、ジリアンは門のところに一歩踏み出した。しかしそんなジリアンの腕をエリアスの大きな手が掴んだ。
「ジル。今、彼の元へ行くのはあまりお勧めしないよ。君をあんなに傷つけた男なんだろう」
「エリアス様……でもこのままじゃ……早く帰ってもらわないと」
「どうしてもというなら私も君のそばで聞く。何かあってからでは遅いからね」
「は、はい……」
エリアスに不快な思いをさせたくない反面、彼がそばにいてくれれば心強いとも思って、ジリアンは物凄く気が乗らなかったがコリンのいる場所に足を向けた。背後にぴったりとエリアスが付いてきてくれている安心感から勇気が出る。
昨日までのコリンへの未練はもう無くなっていて、今彼にどんな決定的なきつい言葉を言われても傷つかない気がした。
コリンは近づいてくるジリアンに一瞬ほっとした表情をしたものの、ジリアンの背後についてくる大柄な騎士風の男の顔を見てぎょっとしてからみるみる恐怖に顔が青褪める。
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ジリアンがとうとうコリンの前にやってきて、腰辺りまでの門の鉄格子を挟んで相対した。
「ジ、ジリアン、あの、昨日は……」
「昨日は突然連絡もなく訪問して申し訳ありませんでした、ベネットさん。それと、改めましてご婚約おめでとうございます」
「……っ!」
何か言い募ろうとしたコリンの言葉を遮るようにジリアンは言葉を重ねて頭を下げた。責めるでもなく、ただ淡々と謝罪とそしてコリンのこれからを祈るように祝いの言葉を述べる。
昨日のコリンの態度を責めるのも、未練があった昨日までならできたかもしれない。だが今となってはもうジリアンには過去のこととして割り切れていた。傍らに寄り添ってくれる、幼い頃と変わらない包み込むような愛情をエリアスにあふれるほど注がれた今となっては、コリンを素直に祝えるようにすっきりとしていた。
そんなジリアンの言葉にエリアスはコリンを睨みつけるのをやめてジリアンをはっとした表情で見た。彼女の声色と表情から、もう完全に吹っ切れたことが良く分かったのだ。その瞬間、エリアスの表情はふんわりと柔らかくなって愛おしそうにジリアンを見つめるようになった。
「お幸せに、ベネットさん。ご家族も喜んでいましたし、あの美しいご令嬢となら貴方はきっと幸せになれそうです」
「ジ、ジリアン……」
「昨日の私の様子が心配で見に来てくれたんですよね。もう大丈夫です。昨日の仲睦まじいお二人を見たら、ああ叶わないなって……むしろ絵にしたいくらいお似合いでしたから」
口を挟む余地もなく紡がれるジリアンの言葉には今までコリンに対して話していた気安い言葉ではなく敬語がつけられている。そして交際していたころは愛おし気に「コリン」と名で呼んでくれたジリアンが、今自分のことを「ベネットさん」と家名で呼んだ。
そのことに、コリンはジリアンからきっぱりと別次元の人間と割り切られたことを知る。その言い方に嫌味が全く感じられないのは、ジリアンは本当に未練なく吹っ切れているからに違いない。負け惜しみの感じは全くなかった。
コリン側からしてみれば、昨日の今日で吹っ切れるのが早すぎではないかと思ってしまう。コリンとてジリアンと付き合った期間で彼女がどれほど深く愛してくれていたかを知っているので、昨日あんな突然の別れがあったというのに、未練など全くないといったすっきりした顔している彼女は一体どうしたというのか。別れたくないとわがままを言われると思っていたのに拍子抜けしたうえ、その潔さにたった一晩で一体彼女を吹っ切れさせる何があったというのだろう。
それに、彼女の後ろにいるあまりにも有名すぎる美丈夫、三年前王都を襲ったスタンピードで大活躍した三人の聖騎士の一人、ハイランド兄弟のどちらかはわからないが、そんな有名人がジリアンと一緒にいるという謎の光景がわからない。少しくっつきすぎじゃないのかと、今となってはそんなことを考える資格さえコリンにはないのにどうしても思ってしまうのだ。
「……そ、その人は……?」
「あ、紹介します。こちらエリアス・ハイランド様。名前とお顔はご存じですよね。実は幼馴染でして」
「えっ!」
「昨日あれから再会して……その、私もフリーになったし、エリアス様もいいよって言ってくれたから、お付き合いすることになりました。だからその……心配しないでください」
先制攻撃とばかりに事実を告げる。あくまで平和的に。それでいてきっぱりと。
みっともなく縋ることもしない。そもそもそんな未練はとっくにないし、いつまでもわだかまっていては自分もコリンも前に進めないから。
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「えっ! えっ……! ジ、ジリアン……? 昨日の、今日でか……?」
――いや、わかるよコリン。私も怒涛の展開になかなかついていけてないから。
「あはは、私もびっくりですけど、なんだかそうなりまして。あ、エリアス様、こちらはコリン・ベネットさんです。王都第三地区で一番大きな商会の御曹司なんですよ」
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知っているからこそ、この二人に嘘はないのがわかってしまった。
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「あ、いえ、まだそこまでは……」
「そうですか。お相手はドマーゴ伯爵令嬢とか。私も彼女にお目にかかったことがございますが、彼女が貴方のような良縁に恵まれたようで安心しました。どうぞ末永くお幸せに」
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ジリアンの敬語にエリアスと幼馴染という話、そしてエリアスのジリアンを呼ぶ「ジル」という気安い略称。昨日の今日でジリアンがコリンのことを吹っ切れた原因が、このエリアスだったとしたら。そもそも幼馴染なんて、相手のことをわかっているからこそ嬉しいことも悲しいことも分かち合えていつでもそばにいて慰められる存在ではないか。
そう考えるとコリンは急に目の前が真っ暗になった気がした。
ジリアンはあのあと、このエリアスに慰められて、完全にコリンへの未練を断ち切ったのだ。だが、それをどうしても認められない自分がいる。
――あんなに愛し合っていたというのに。ちょっと別の女との場面を見たからってそんなにすぐにすっきりしていられるわけがないだろ?
「……は、そういうことかジリアン。昨日の今日でこれって変だろ? 幼馴染? 違うだろ、浮気相手ってことだろうが」
「は? そんなことあるわけないでしょう」
「ああわかったわかった、俺への当てつけで浮気したんだろう。意外だよ、お前がそんなことするなんて」
「なっ……」
「幼馴染ってとこは百歩譲ってそういうことにしておく。その幼馴染と俺の知らないところで今までずっと付き合ってたんだろう? だから昨日あんな場面見て慰めて欲しくてこの聖騎士様に縋ったんだ。そうだろうジリアン? お前がそんなたった一日でそんなに割り切れるわけないもんな!」
コリンは整った顔を歪ませて嘲笑うようにジリアンを責め立てた。ジリアンにしてみたら全く見当違いのことを言いたい放題言っているのだが、あまりのひどい言い方に反論したいが言葉が出ない。
「わかったよジリアン。俺だって婚約のことをお前に言わなかったし、今回のことはちょっとしたタイミングが悪かったんだ。だから仲直りしよう。俺はお前の浮気を許すよ。まだ一度目だしな」
――いや、許すって何よ。仲直りしてどうするというの? 貴族令嬢と婚約したのだから、私のことなんてそのまま放っといてくれればいいだけじゃないの?
「……ベネットさん、別れた女のことまで気にすることはないわ。婚約者様を大事にしてあげて」
「ああもういいよそういうの。ったく素直じゃないなジリアン。拗ねて俺を困らせようとしているんだ、そうだろう?」
「……」
交際中は優しかったコリンの豹変した様子と物言いに、ショックと恐ろしさで言葉が出ずにかたかたと震えるジリアン。そんな彼女を見て、エリアスはジリアンの後ろにいた場所からずいっと二人の間に出た。
「話に割り込むようで申し訳ない。ベネット殿、ジルの言っていることは本当だ。私たちは昨日久々に再会したのであってずっと浮気していたというのは間違いだ。私はジルがこの王都に居ることも昨日まで知らなかったし、交際しようということになったのも昨日の夕方からだ。そもそも私が公にできない女性と隠れて付き合っていたとしたら、それこそ正教会から破門されてしまうよ」
「……っ」
「次に進むのが早かったから君が浮気を疑うのは仕方ないが、ちゃんと相手と別れた女性が次の幸せを掴むために行動したって問題はないだろう? いや、わかるよ。こういう場合男性より女性のほうが意外と未練をすっぱり断ち切れるものだと聞くしね」
「で、でも、俺は別れるなんて一言も!」
確かに昨日のコリンはジリアンに対して無言を貫き、別れようの一言も、弁明すらなく、ドマーゴ伯爵令嬢と母親が言うに任せていた。
だからと言って、あれで破局してないと本気で思っていたのだろうかと、ジリアンは頭を抱えたくなった。
ジリアンが呆れて何も言えないでいると、エリアスが至極冷静に、それでいて聞き分けの無い子供を丁寧に諭すみたいに言葉を連ねる。
「おや? 君はドマーゴ伯爵令嬢と既に婚約したのだろう? 親も公認だし君も乗り気だったと聞いた。君はそんな家族の誰もが歓迎している婚約者がありながら、ジルともこのまま付き合っていくつもりだったのか? そうだとしたら……君はジルだけでなくドマーゴ伯爵令嬢をも傷つけることになるぞ。二人もの女性を不幸にするなど、君は一体何がしたいんだ」
「……いや、俺は……その」
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エリアスの言葉に顔色を悪くしたコリンに、ジリアンはさすがに長いこと交際していた情が残っているせいか少々罪悪感を感じたものの、自分とエリアスの言い方でコリンがこうなることは何となく予想がついていた。
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――緊張感があっという間になくなってあったかい気持ちになるかも。エリアス様がこうしてそばにいてくれるだけで……何だか不思議。
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「……っ!」
コリンはそれ以上二人を見ていられず、何も言わずに走って去っていってしまった。まるで、昨日のジリアン自身のようだと、去っていくコリンの姿を見て思うジリアンであった。
仕返しをしたつもりはなかったが結果的にそうなってしまったことに、罪悪感もありながら、これで終わったといささかすっきりとした感覚もあって、意外と普通でいられる自分にジリアンは驚く。
「……大丈夫か、ジリアン?」
「はい、意外と大丈夫でした。昨日それで泣いたのが嘘みたい。あはは」
「……良かった」
「え?」
「あんな強気に出ておきながら、私は柄にもなく心配してしまったんだ。彼の顔を見て彼を想う気持ちが復活したらどうしようと」
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「横槍が入っちゃいましたが、エリアス様、今度こそどうぞわが家へおあがりください。ダッシュで身支度してきます!」
「ふふ、そうだったね。可愛くしておいで」
「デート、楽しみですね!」
「ああ、待ってるよジル」
「はい!」
気を取り直して家の中に入ってリビングにエリアスを案内したジリアンは、幸い散らかっていなかったリビングのソファーにエリアスを座らせた。
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