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1.ねこのルルとツバメに乗った妖精さん
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あるところにルルというネコがいました。
ルルは毎日、窓のそばのあたたかい場所で、外を見ながらうとうとするのが楽しみでした。
ある、うららかな春の日のことです。
ルルの前を窓越しに、黄色い蝶々がとおりすぎました。
蝶々は庭に咲いている花から花へ、かろやかに舞っていきます。
ヒラヒラと飛ぶ蝶々にルルの目はくぎづけです。
しばらくの間、蝶々は庭に植えられた花と花の間をひらひらしていましたが、やがて、ルルのいる窓の外に植えられている、桃色のチューリップの上にとまりました。
蝶々はチューリップにとまったまま、羽をパタパタさせています。
しばらくの間そうしていると、蝶々はふたたび飛び立ちました。
今度は、そのままゆっくりとカベの向こう側へと行ってしまいました。
ルルはその様子をじっと見ていましたが、ふと、あのカベの外には、何があるのだろうと思いました。
外に出ることができれば、自由に確かめることができるはずです。
ルルは窓を押してみましたが、開きません。
諦めようとしたところで、部屋の反対側にあるもう一つの窓が目につきました。
そちらは日当たりが悪く、寒くて普段はあまり近寄ることはないのですが、試してみようと思いました。
足場はありませんが、あのくらいの高さなら、ルルのジャンプで届くでしょう。
ルルは窓枠に飛び乗ると、窓を押してみます。すると少しだけ動きます。
もう少し押してみると、今度はレールの金具がカタンと音を立て外れました。
その後は、簡単でした。
ルルが通ることができるくらいに窓を開けると、ルルははじめてのお出かけに出発しました。
まずは、庭にストンと飛びおります。
肉球に、ひんやりと冷たい土の感触がありました。元気よく生えている草が、ちくちくと刺さります。においをかいでみると、青くさい葉っぱのにおいがしました。はじめてかぐにおいでしたが、嫌いではありません。
そのにおいに、ルルはいつも窓から眺めているだけだった庭にいることを実感しました。
庭には、不規則に、けれど小道にも見えるように丸い石が置かれています。石のフチには濃い緑の草が生えていて、薄く紫色の入った白い花を咲かせていました。
その少し近くにはツンツンした葉っぱが元気よく伸び、庭の隅にはヒョロヒョロしたツタを持つ草が濃いピンクの花を咲かせています。
少し目線を上げると、遠くにふわふわした紫の花と、先ほど蝶々がとまっていた桃色のチューリップが見えました。
ルルはのんびりと草むらを歩き、いつも見ているばかりだった花を間近に見て、かおりを楽しみました。
その時でした。どこからともなく、なんとも言えない、よいかおりがして、ルルはあたりを見回しました。
カベの向こうの離れたところからただよってきているようでした。
蝶々が行った先です。ルルは迷うことなくそちらへ進みます。
カベに飛び乗ると、反対側に飛びおりて、それを何度かくり返し、ジグザグに進みます。
そうして、ついに見つけました。
大きな木いっぱいに、ルルの顔ほどの白い花が咲いています。
香りは、その木の方からしているようです。
木の下には、少し茶色くなった花がいくつか落ちています。
ルルがその木の根元の近くをぐるりと一周すると、落ちた花の上に小さな影が倒れているのを見つけました。
側に寄り、鼻を近づけます。
その影はルルのお世話をしてくれる人と似た姿でした。きちんと小さな服も着ています。
けれど、大きさはルルの尻尾の半分ほどしかありません。妖精と言うのでしょうか。
かおりは、間違いなく、その影からただよっていました。あまりにも良いかおりがしたので、ペロリとなめてみることにします。
味はそこまでしませんでした。ルルはどちらかというと味よりもかおりが好みです。
けれど、味がしないとわかっていても、かおりにつられて、つい、なめてしまいます。
「……う」
何度かくり返すと、かすかな声が聞こえました。かまわず、なめ続けます。
「え、なに、や、やめろって! オレはおいしくないぞっ」
妖精が飛び起きました。
「うわぁ、ベトベトだ」
妖精は泣きそうな声で、しきりに顔をふいています。なめてはいけなかったのでしょうか。
妖精の様子にルルは申し訳ない気持ちになりました。
その気持ちのまま、妖精をなぐさめようと顔を近づけたところで、ヒゲをつかまれてしまいました。
ルルの体を雷が走ったような衝撃がおそいます。
「にゃあっ⁉」
ルルは飛び上がって、毛を逆立てて声を上げました。しかし、妖精も涙目でルルに立ち向かってきます。
「また、なめるなら、オレも容赦しないからなっ」
いいかおりのする妖精は、とても凶暴なようでした。
「にぁあ」
ルルは少し考えて、返事をします。ヒゲをひっぱられてしまうよりは良いと思ったからです。
「し、心配だな」
妖精は不安げにルルを見つめます。
ルルも良いにおいのする妖精を見つめます。
そうして見つめあっていると、妖精のお腹がくぅと可愛い音を立てました。
妖精は、お腹が空いていたのでした。
お腹が減っているから、怒りっぽいのかもしれません。
ルルはイブキに、いつもルルが食べているごはんをご馳走してあげようと思いました。
「にぁーあ?」
「えっ、なめたおわびにごはんをご馳走してくれる⁉」
ルルが言うと、妖精は飛び上がってよろこびました。妖精は、ルルのお世話をしてくれる人と違って、言葉が通じるようでした。
「お前いいやつだな!」
妖精は顔をかがやかせて言います。
「さっきはヒゲをつかんで悪かったな」
「にぁあ」
ルルは気前よく、妖精を許してあげました。
「オレ、イブキっていうんだ」
「にゃ」
「へぇ、ルルっていうのか」
「にゃ! にゃー」
「背中に乗ればいいんだな!」
好物のおやつをイブキは気にいってくれるでしょうか。ルルはワクワクしながら足を踏み出しました。
「ルルは一人でいるの?」
「にゃ」
「へー、一緒に住んでる人がいるんだな。オレは相棒のツバメのツーツと、オレと同じ妖精族のハルトと、ハルトの相棒のツバメのシーラといつも一緒にいるんだ。他にも仲間がいて、仕事をしながら旅をしてまわってる。けど、今日はなんでかオレだけはぐれちゃったみたいだ。いてて」
頭がズキンと痛み、イブキは痛んだところをさすりながら続けます。
「オレ、なんであんなところにたおれていたんだろう。まぁ、でも、すぐにみんなに会えると思うし、今度、会ったら紹介するな」
「にゃ」
「ツーツの背中の黒いところは、お日さまの光にツヤツヤ青く光って、とってもかっこいいんだぜ!」
「にゃー?」
道を歩きながら、イブキは自分のことを話してくれます。どうやらイブキは旅の途中で、仲間がいたそうです。けれど、どうして倒れていたのかは覚えていないようでした。
「にぁあ」
「なぐさめてくれてありがとよ。やさしいんだな」
「にゃ」
そうして、イブキの小さな手が、背中の毛をなでていきました。やさしい手の動きに、ルルは思わず、みゃぁと甘えた声を出してしまいます。
「ん? どうしたんだ? あ、ここがいいのか」
「みゃ」
イブキが笑いながら、背中を少し強くかいてくれます。それがくすぐったく、ルルは声を出して笑いました。イブキも笑っています。
その後は、ルルの話をしたり、イブキに歌を教えてもらったりして進んでいきました。
不思議なことに、ルルが進めば進むほど、周りにあるおうちは少なくなっていきます。なかなかルルのおうちに帰りつかないので、おかしいな、と思っていたところで、イブキが声を上げました。
「あっ、あっち!」
ルルはなんだろうと思いながら、イブキの言う方に走ります。
家と家の間にあるヘイの上を走り、ついに、その端までたどり着きました。目の前には、一面のレンゲ畑が広がっていました。
「わぁぁぁい!」
イブキは、まだヘイの上にいるルルの背中から、そのままレンゲ畑に飛び込みました。
「レンゲ畑だ! ルル、ありがとう!」
イブキは、かろやかに着地すると、レンゲの花に顔を近づけて、かおりをかいでいるようです。そうして気にいるとレンゲの花に口をつけて、しばらくすると、また次の花へと移ります。そして、そのたびにイブキはさらに元気になっていくようでした。
ルルがこのレンゲ畑を見つけたのは偶然でしたが、レンゲの花はイブキのご馳走のようでした。ルルは、おやつをご馳走できなかったことを残念に思いましたが、イブキが満足そうにしているので、すぐにその気持ちはなくなりました。
楽しそうなイブキを見て、ルルも花畑に飛び込みます。さわやかな花の甘いかおりが、胸いっぱいに広がりました。
それはイブキと同じかおりでした。
たくさん花のかおりをかいで満足すると、ルルは心地よさそうな草の上に足を折りたたんで座って、目を閉じました。
日の光は穏やかで暖かく、時々はしゃぐイブキの声が聞こえてきます。
とても心地よい時間でした。
どれくらいそうしていたでしょう。鳥の鳴き声がして、ルルは目を開けました。
ツバメが二羽、空の上で円を描くようにゆったりと飛んだかと思うと、急に方向を変えて、イブキのそばへ、おり立ちました。
二羽のツバメのうち、小柄な方のツバメの背からイブキと同じくらいの大きさの妖精がおりてきました。
「イブキ!」
「お、ハルトじゃん!」
彼がさきほど名前が出ていたハルトでしょうか。イブキとよく似ています。
しかし、違うところもありました。イブキは丸い耳をしていますが、新しく来たもう一人は、長くとがった耳をしています。
ツバメたちはルルを警戒しているのか、ハルトを下ろすとすぐに飛び立ちました。
「お、じゃなくって! 心配したんだよ!」
「そうなの?」
「空の上で一回転してみせるとか言って、回ってる途中にツーツの背中から落ちるし。あんなところで手を離したら、ボクたちだって落ちちゃうよ。たくさん探したんだよ」
「え、オレそんなことしてたの⁉」
「覚えてないの?」
「うん、その時のこと覚えてなくって」
「えええ⁉」
「なんでオレそんなことしたんだろうな?」
「ボクにわかるわけないよ」
そういうと、ハルトは泣き出しました。
「うわ、泣くなよ」
最初、怒っていたはずのハルトは、今はイブキになぐさめてもらっています。
ハルトが落ち着いたところでイブキが言いました。
「そういえば、イブキはどうしてここに?」
「お腹が減ったっていったら、ルルがここに連れてきてくれたんだ」
急に名前を出され、ルルはイブキの方を向きます。ハルトは涙でぬれた顔をごしごしとふくと、ルルの前に歩いてきました。
「そっか。ルルさん、ボクはハルトっていいます。イブキを助けてくれてありがとう」
「にゃ」
ルルはうなずきます。ハルトはルルがうなずいたのを見て、イブキの方をふり返りました。
「イブキ」
「ん?」
「そろそろ行かないと。みんな、先に行って待ってるって」
「あ、そっか」
イブキがルルを見ます。お別れなのでしょうか。ルルはさみしいと思いましたが、どうしようもありません。
「ルル、今日はありがとう」
「にゃ」
「オレ、場所とか覚えるの、得意じゃないけどさ、ハルトは得意だから。だから、また、来年、きっと会いに来るよ」
「……にゃぁ」
また会えるという約束はうれしいのに、今日はこれでお別れだと思うとさみしくて、ルルは元気よく返事をすることができませんでした。
けれど、今までの楽しい時間のお礼の気持ちを込めて、ルルはイブキを見つめると、ゆっくりと目を閉じて、開きます。ねこは、そうやって親愛の気持ちを伝えるのです。
「ルルも、元気でね」
イブキがぎゅっとルルを抱きしめました。
お別れをすませると、イブキたちはツバメたちを呼びます。
そして、その背に乗ると空に旅立ちました。
ルルは、ずっと、彼らが旅立った空を眺めていました。
冷たい風が吹いてきました。
気がつくと大分日が落ちてきています。
夕暮れの時間が近づいていました。
だんだん寒くなってくるにつれて、心細くなっていきました。
ルルは外で夜を過ごしたことなどありません。
おうちに、帰りたい。
そう思って道を探します。どこから来たのか自信はありませんでしたが、なんとかレンゲ畑に面している家を見つけ、来た時に通ったと思う道を進んでいきます。
けれど、同じような家と、知らないにおいに満ちた町の中は、その道が正しいのかすらわかりません。
ルルとルルのお世話をしてくれている人のおうちはどこでしょうか。
「にゃー」
心細さに声を上げます。
「ルル⁉ ルルちゃん⁉ 近くにいるの⁉」
すると、知っている声が聞こえました。
「どうしよう。声も聞こえたし、首輪は、こっちって出てるのに」
ルルのお世話をする人の声です。
「ルルー! ルルちゃーん。お願い、出てきて!」
聞こえてくる声には悲痛さがにじんでいます。ルルも、出て行っても大丈夫だとわかっていましたが、なぜか足は強張ったように動きません。
何度もルルを呼ぶ声が聞こえましたが、そのすべてにルルは答えることができませんでした。そのため、ルルの名を呼んでいる声が遠ざかっていっても、ここにいる、と知らせることができませんでした。とうとう、声が聞こえなくなり、あたりはまた静かになりました。
ルルが何もできなかったせいで、ルルのお世話をする人は行ってしまったのです。ルルは目の前が真っ暗になったような気がして、その場に座り込みました。どれくらいそうしていたでしょうか。
気がつくと、どこからか、かぎなれた自分のにおいがしてきました。
どうしてだろうと思いましたが、気になって仕方がないので、ルルは立ち上がると、見に行ってみることにしました。
少し探すと、物陰にルルのにおいがついている箱が置かれていました。
さっきまで、あったでしょうか。覚えていませんが、その箱からルルのにおいがしているのです。
きっと風向きが違って気がつかなかったのでしょう。
ルルはその中に入ることにしました。知らないにおいばかりの世界に疲れていたこともあり、ルルはその箱の中に入るとすぐに眠ってしまいました。
気がつくと、ルルはルルのおうちにいました。
見回すとルルのお世話をする人が同じ部屋にあるソファに座り、静かに本を読んでいます。
あれは夢だったのでしょうか。あたりを見回すと、いつもなら換気のためにわずかに開いている窓はしっかりと閉められていました。
どちらだろうと考えながら起き上がると、ひとまず用意されているごはんを食べることにします。
満腹になると、ふたたび眠くなりました。
ルルはルルのお世話をする人の膝の上にゆっくりと乗りました。落ち着く場所を探し、丸くなると、やさしい手が、心得たように背をなでてくれました。
その心地にひたりながら、ルルはもう一度、イブキとハルトのことが夢だったかどうか考えました。
けれど、ゆっくりと背をなでていくリズムに、考えがうまくまとまりません。
なんとか、彼らが来年、会いに来るということは思い出しました。
ならば、来年を待てばよいのです。夢だったかどうかは、その時にわかるでしょう。
ルルはおだやかなリズムにひたりながら、ゆっくりと目を閉じました。
ルルは毎日、窓のそばのあたたかい場所で、外を見ながらうとうとするのが楽しみでした。
ある、うららかな春の日のことです。
ルルの前を窓越しに、黄色い蝶々がとおりすぎました。
蝶々は庭に咲いている花から花へ、かろやかに舞っていきます。
ヒラヒラと飛ぶ蝶々にルルの目はくぎづけです。
しばらくの間、蝶々は庭に植えられた花と花の間をひらひらしていましたが、やがて、ルルのいる窓の外に植えられている、桃色のチューリップの上にとまりました。
蝶々はチューリップにとまったまま、羽をパタパタさせています。
しばらくの間そうしていると、蝶々はふたたび飛び立ちました。
今度は、そのままゆっくりとカベの向こう側へと行ってしまいました。
ルルはその様子をじっと見ていましたが、ふと、あのカベの外には、何があるのだろうと思いました。
外に出ることができれば、自由に確かめることができるはずです。
ルルは窓を押してみましたが、開きません。
諦めようとしたところで、部屋の反対側にあるもう一つの窓が目につきました。
そちらは日当たりが悪く、寒くて普段はあまり近寄ることはないのですが、試してみようと思いました。
足場はありませんが、あのくらいの高さなら、ルルのジャンプで届くでしょう。
ルルは窓枠に飛び乗ると、窓を押してみます。すると少しだけ動きます。
もう少し押してみると、今度はレールの金具がカタンと音を立て外れました。
その後は、簡単でした。
ルルが通ることができるくらいに窓を開けると、ルルははじめてのお出かけに出発しました。
まずは、庭にストンと飛びおります。
肉球に、ひんやりと冷たい土の感触がありました。元気よく生えている草が、ちくちくと刺さります。においをかいでみると、青くさい葉っぱのにおいがしました。はじめてかぐにおいでしたが、嫌いではありません。
そのにおいに、ルルはいつも窓から眺めているだけだった庭にいることを実感しました。
庭には、不規則に、けれど小道にも見えるように丸い石が置かれています。石のフチには濃い緑の草が生えていて、薄く紫色の入った白い花を咲かせていました。
その少し近くにはツンツンした葉っぱが元気よく伸び、庭の隅にはヒョロヒョロしたツタを持つ草が濃いピンクの花を咲かせています。
少し目線を上げると、遠くにふわふわした紫の花と、先ほど蝶々がとまっていた桃色のチューリップが見えました。
ルルはのんびりと草むらを歩き、いつも見ているばかりだった花を間近に見て、かおりを楽しみました。
その時でした。どこからともなく、なんとも言えない、よいかおりがして、ルルはあたりを見回しました。
カベの向こうの離れたところからただよってきているようでした。
蝶々が行った先です。ルルは迷うことなくそちらへ進みます。
カベに飛び乗ると、反対側に飛びおりて、それを何度かくり返し、ジグザグに進みます。
そうして、ついに見つけました。
大きな木いっぱいに、ルルの顔ほどの白い花が咲いています。
香りは、その木の方からしているようです。
木の下には、少し茶色くなった花がいくつか落ちています。
ルルがその木の根元の近くをぐるりと一周すると、落ちた花の上に小さな影が倒れているのを見つけました。
側に寄り、鼻を近づけます。
その影はルルのお世話をしてくれる人と似た姿でした。きちんと小さな服も着ています。
けれど、大きさはルルの尻尾の半分ほどしかありません。妖精と言うのでしょうか。
かおりは、間違いなく、その影からただよっていました。あまりにも良いかおりがしたので、ペロリとなめてみることにします。
味はそこまでしませんでした。ルルはどちらかというと味よりもかおりが好みです。
けれど、味がしないとわかっていても、かおりにつられて、つい、なめてしまいます。
「……う」
何度かくり返すと、かすかな声が聞こえました。かまわず、なめ続けます。
「え、なに、や、やめろって! オレはおいしくないぞっ」
妖精が飛び起きました。
「うわぁ、ベトベトだ」
妖精は泣きそうな声で、しきりに顔をふいています。なめてはいけなかったのでしょうか。
妖精の様子にルルは申し訳ない気持ちになりました。
その気持ちのまま、妖精をなぐさめようと顔を近づけたところで、ヒゲをつかまれてしまいました。
ルルの体を雷が走ったような衝撃がおそいます。
「にゃあっ⁉」
ルルは飛び上がって、毛を逆立てて声を上げました。しかし、妖精も涙目でルルに立ち向かってきます。
「また、なめるなら、オレも容赦しないからなっ」
いいかおりのする妖精は、とても凶暴なようでした。
「にぁあ」
ルルは少し考えて、返事をします。ヒゲをひっぱられてしまうよりは良いと思ったからです。
「し、心配だな」
妖精は不安げにルルを見つめます。
ルルも良いにおいのする妖精を見つめます。
そうして見つめあっていると、妖精のお腹がくぅと可愛い音を立てました。
妖精は、お腹が空いていたのでした。
お腹が減っているから、怒りっぽいのかもしれません。
ルルはイブキに、いつもルルが食べているごはんをご馳走してあげようと思いました。
「にぁーあ?」
「えっ、なめたおわびにごはんをご馳走してくれる⁉」
ルルが言うと、妖精は飛び上がってよろこびました。妖精は、ルルのお世話をしてくれる人と違って、言葉が通じるようでした。
「お前いいやつだな!」
妖精は顔をかがやかせて言います。
「さっきはヒゲをつかんで悪かったな」
「にぁあ」
ルルは気前よく、妖精を許してあげました。
「オレ、イブキっていうんだ」
「にゃ」
「へぇ、ルルっていうのか」
「にゃ! にゃー」
「背中に乗ればいいんだな!」
好物のおやつをイブキは気にいってくれるでしょうか。ルルはワクワクしながら足を踏み出しました。
「ルルは一人でいるの?」
「にゃ」
「へー、一緒に住んでる人がいるんだな。オレは相棒のツバメのツーツと、オレと同じ妖精族のハルトと、ハルトの相棒のツバメのシーラといつも一緒にいるんだ。他にも仲間がいて、仕事をしながら旅をしてまわってる。けど、今日はなんでかオレだけはぐれちゃったみたいだ。いてて」
頭がズキンと痛み、イブキは痛んだところをさすりながら続けます。
「オレ、なんであんなところにたおれていたんだろう。まぁ、でも、すぐにみんなに会えると思うし、今度、会ったら紹介するな」
「にゃ」
「ツーツの背中の黒いところは、お日さまの光にツヤツヤ青く光って、とってもかっこいいんだぜ!」
「にゃー?」
道を歩きながら、イブキは自分のことを話してくれます。どうやらイブキは旅の途中で、仲間がいたそうです。けれど、どうして倒れていたのかは覚えていないようでした。
「にぁあ」
「なぐさめてくれてありがとよ。やさしいんだな」
「にゃ」
そうして、イブキの小さな手が、背中の毛をなでていきました。やさしい手の動きに、ルルは思わず、みゃぁと甘えた声を出してしまいます。
「ん? どうしたんだ? あ、ここがいいのか」
「みゃ」
イブキが笑いながら、背中を少し強くかいてくれます。それがくすぐったく、ルルは声を出して笑いました。イブキも笑っています。
その後は、ルルの話をしたり、イブキに歌を教えてもらったりして進んでいきました。
不思議なことに、ルルが進めば進むほど、周りにあるおうちは少なくなっていきます。なかなかルルのおうちに帰りつかないので、おかしいな、と思っていたところで、イブキが声を上げました。
「あっ、あっち!」
ルルはなんだろうと思いながら、イブキの言う方に走ります。
家と家の間にあるヘイの上を走り、ついに、その端までたどり着きました。目の前には、一面のレンゲ畑が広がっていました。
「わぁぁぁい!」
イブキは、まだヘイの上にいるルルの背中から、そのままレンゲ畑に飛び込みました。
「レンゲ畑だ! ルル、ありがとう!」
イブキは、かろやかに着地すると、レンゲの花に顔を近づけて、かおりをかいでいるようです。そうして気にいるとレンゲの花に口をつけて、しばらくすると、また次の花へと移ります。そして、そのたびにイブキはさらに元気になっていくようでした。
ルルがこのレンゲ畑を見つけたのは偶然でしたが、レンゲの花はイブキのご馳走のようでした。ルルは、おやつをご馳走できなかったことを残念に思いましたが、イブキが満足そうにしているので、すぐにその気持ちはなくなりました。
楽しそうなイブキを見て、ルルも花畑に飛び込みます。さわやかな花の甘いかおりが、胸いっぱいに広がりました。
それはイブキと同じかおりでした。
たくさん花のかおりをかいで満足すると、ルルは心地よさそうな草の上に足を折りたたんで座って、目を閉じました。
日の光は穏やかで暖かく、時々はしゃぐイブキの声が聞こえてきます。
とても心地よい時間でした。
どれくらいそうしていたでしょう。鳥の鳴き声がして、ルルは目を開けました。
ツバメが二羽、空の上で円を描くようにゆったりと飛んだかと思うと、急に方向を変えて、イブキのそばへ、おり立ちました。
二羽のツバメのうち、小柄な方のツバメの背からイブキと同じくらいの大きさの妖精がおりてきました。
「イブキ!」
「お、ハルトじゃん!」
彼がさきほど名前が出ていたハルトでしょうか。イブキとよく似ています。
しかし、違うところもありました。イブキは丸い耳をしていますが、新しく来たもう一人は、長くとがった耳をしています。
ツバメたちはルルを警戒しているのか、ハルトを下ろすとすぐに飛び立ちました。
「お、じゃなくって! 心配したんだよ!」
「そうなの?」
「空の上で一回転してみせるとか言って、回ってる途中にツーツの背中から落ちるし。あんなところで手を離したら、ボクたちだって落ちちゃうよ。たくさん探したんだよ」
「え、オレそんなことしてたの⁉」
「覚えてないの?」
「うん、その時のこと覚えてなくって」
「えええ⁉」
「なんでオレそんなことしたんだろうな?」
「ボクにわかるわけないよ」
そういうと、ハルトは泣き出しました。
「うわ、泣くなよ」
最初、怒っていたはずのハルトは、今はイブキになぐさめてもらっています。
ハルトが落ち着いたところでイブキが言いました。
「そういえば、イブキはどうしてここに?」
「お腹が減ったっていったら、ルルがここに連れてきてくれたんだ」
急に名前を出され、ルルはイブキの方を向きます。ハルトは涙でぬれた顔をごしごしとふくと、ルルの前に歩いてきました。
「そっか。ルルさん、ボクはハルトっていいます。イブキを助けてくれてありがとう」
「にゃ」
ルルはうなずきます。ハルトはルルがうなずいたのを見て、イブキの方をふり返りました。
「イブキ」
「ん?」
「そろそろ行かないと。みんな、先に行って待ってるって」
「あ、そっか」
イブキがルルを見ます。お別れなのでしょうか。ルルはさみしいと思いましたが、どうしようもありません。
「ルル、今日はありがとう」
「にゃ」
「オレ、場所とか覚えるの、得意じゃないけどさ、ハルトは得意だから。だから、また、来年、きっと会いに来るよ」
「……にゃぁ」
また会えるという約束はうれしいのに、今日はこれでお別れだと思うとさみしくて、ルルは元気よく返事をすることができませんでした。
けれど、今までの楽しい時間のお礼の気持ちを込めて、ルルはイブキを見つめると、ゆっくりと目を閉じて、開きます。ねこは、そうやって親愛の気持ちを伝えるのです。
「ルルも、元気でね」
イブキがぎゅっとルルを抱きしめました。
お別れをすませると、イブキたちはツバメたちを呼びます。
そして、その背に乗ると空に旅立ちました。
ルルは、ずっと、彼らが旅立った空を眺めていました。
冷たい風が吹いてきました。
気がつくと大分日が落ちてきています。
夕暮れの時間が近づいていました。
だんだん寒くなってくるにつれて、心細くなっていきました。
ルルは外で夜を過ごしたことなどありません。
おうちに、帰りたい。
そう思って道を探します。どこから来たのか自信はありませんでしたが、なんとかレンゲ畑に面している家を見つけ、来た時に通ったと思う道を進んでいきます。
けれど、同じような家と、知らないにおいに満ちた町の中は、その道が正しいのかすらわかりません。
ルルとルルのお世話をしてくれている人のおうちはどこでしょうか。
「にゃー」
心細さに声を上げます。
「ルル⁉ ルルちゃん⁉ 近くにいるの⁉」
すると、知っている声が聞こえました。
「どうしよう。声も聞こえたし、首輪は、こっちって出てるのに」
ルルのお世話をする人の声です。
「ルルー! ルルちゃーん。お願い、出てきて!」
聞こえてくる声には悲痛さがにじんでいます。ルルも、出て行っても大丈夫だとわかっていましたが、なぜか足は強張ったように動きません。
何度もルルを呼ぶ声が聞こえましたが、そのすべてにルルは答えることができませんでした。そのため、ルルの名を呼んでいる声が遠ざかっていっても、ここにいる、と知らせることができませんでした。とうとう、声が聞こえなくなり、あたりはまた静かになりました。
ルルが何もできなかったせいで、ルルのお世話をする人は行ってしまったのです。ルルは目の前が真っ暗になったような気がして、その場に座り込みました。どれくらいそうしていたでしょうか。
気がつくと、どこからか、かぎなれた自分のにおいがしてきました。
どうしてだろうと思いましたが、気になって仕方がないので、ルルは立ち上がると、見に行ってみることにしました。
少し探すと、物陰にルルのにおいがついている箱が置かれていました。
さっきまで、あったでしょうか。覚えていませんが、その箱からルルのにおいがしているのです。
きっと風向きが違って気がつかなかったのでしょう。
ルルはその中に入ることにしました。知らないにおいばかりの世界に疲れていたこともあり、ルルはその箱の中に入るとすぐに眠ってしまいました。
気がつくと、ルルはルルのおうちにいました。
見回すとルルのお世話をする人が同じ部屋にあるソファに座り、静かに本を読んでいます。
あれは夢だったのでしょうか。あたりを見回すと、いつもなら換気のためにわずかに開いている窓はしっかりと閉められていました。
どちらだろうと考えながら起き上がると、ひとまず用意されているごはんを食べることにします。
満腹になると、ふたたび眠くなりました。
ルルはルルのお世話をする人の膝の上にゆっくりと乗りました。落ち着く場所を探し、丸くなると、やさしい手が、心得たように背をなでてくれました。
その心地にひたりながら、ルルはもう一度、イブキとハルトのことが夢だったかどうか考えました。
けれど、ゆっくりと背をなでていくリズムに、考えがうまくまとまりません。
なんとか、彼らが来年、会いに来るということは思い出しました。
ならば、来年を待てばよいのです。夢だったかどうかは、その時にわかるでしょう。
ルルはおだやかなリズムにひたりながら、ゆっくりと目を閉じました。
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