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2.妖精たちとサクラの木
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夕暮れの町の中で、電線に二羽のツバメがとまっていました。
その背には、それぞれ一人ずつ妖精を乗せています。妖精は、イブキとハルトでした。
イブキとハルトは電線の下の道路を歩く女の人を静かに見ています。女の人は、大きな箱を両手で大事そうに抱えて歩いていました。ルルの入っている箱です。イブキたちは、女の人が、たくさん並んで建っている家の中の一軒に入っていくのを静かに見ていました。そこまで見届けて、イブキは大きく息をつくとハルトの方を見ました。
「待っててくれてありがとう」
「ルルさんが、ちゃんと帰れてよかったね」
ハルトが言います。
「うん! けど、ごめん。オレがわがままいったせいで遅くなっちゃったな」
最初、ハルトは早く仲間たちと合流しようといっていたのですが、イブキがルルがおうちに帰ることができたかどうか気になるからといって、結局戻ってきてしまったのです。
「いいよ」
ハルトは、言います。
「止めたって、イブキは夜に一人でこっそり戻ったりしそうだもん」
「どうしてわかったんだ?」
断られたらそうしようと、まさにイブキが思っていたことでした。
ハルトは盛大にため息をつくと言います。
「だって君はボクの一番のともだちなんだから、わかるに決まってるだろう」
「そっか」
なんだか、少し照れくさい気分になって、イブキは言いました。
「わがままを聞いてくれて、ありがとな」
「うん」
今度は、ハルトがうなずきます。その顔を夕陽が赤く照らしていました。
「あ」
ふいに、イブキが声を上げました。
「どうかした?」
ハルトが言います。
「お日さま、沈んじゃった」
今、ハルトの顔を照らしていた光は、太陽のかがやきの最後のひとかけらでした。
「また明日飛べばいいよ」
ハルトの落ち着いた様子に、イブキは思います。ハルトは頭がいいので、きっと、イブキがルルが家に帰るまで見届けたいと言った時から、こうなるとわかっていたのかもしれません。
「みんなで安全に寝られるところをさがそうか」
ハルトが言いました。
「そうしよう」
そうして、二人はそれぞれ、相棒のツバメのツーツとシーラに空を飛んでもらうように合図をしました。
太陽が沈み、冷たさが増してきている空気の中を、全員で今夜寝られそうな場所を探します。早くしないと、まだ少しだけ明るさを残している空も、すぐに暗くなってしまいます。イブキは、迎えに来てくれたハルトのためにも、いい場所を探そうと目をこらしました。
いい場所とは、ツバメのツーツとシーラがとまって休めるところと、イブキとハルトの休める木が近くにあるところです。そばに街灯があれば、なおよいのですが。そうして、寝る場所を探していると、町の中に不自然に光っている場所を見つけました。目をこらしてみると、それはイブキたちにとって大切なものでした。
「あ。あれ」
「見つけたの?」
ハルトが聞きます。
「ちがう。あれ、女神さまの力のかけらじゃない?」
イブキの示す方には、大きなサクラの木がありました。もう大分あたたかくなっているというのに、今にも咲きそうなツボミをつけたまま、一輪の花も咲かせていません。あかりに照らされているわけでもないのに、ほんのりと幹の中心の方から、かがやいているようにも見えます。
「ほんとうだ」
ハルトも、イブキが指し示す木を見つけてうなずきました。
イブキとハルトの一族は、春の女神さまにお仕えしています。
女神さまは、冬の終わりに旅立たれ、世界に春の力を配っていかれます。けれど、女神さまはとても大きいので、イブキたちのような小さな生き物にまんべんなく春の力を行き渡らせることができません。どうしても、春の力を配る際にかたよりができてしまいます。
そこで、女神さまの配った力を多いところから少ないところへ運んで、かたよりをなくすことがイブキたち妖精の一族の仕事でした。
見たところ、あのサクラの木は、女神さまの力をため込みすぎているように思えました。
「今日はもう遅いから、明日、見に行こうか」
「うん。けど」
その分、また、仲間たちに合流するのが遅くなってしまいます。ハルトはいいのでしょうか。気になりましたが、イブキが聞く前にハルトが口を開きました。
「めずらしくイブキの寄り道が役に立ったね」
「めずらしくってなんだよ」
ハルトのからかうような言い方に、イブキは唇をとがらせます。ハルトはイブキの表情にさらに笑います。そうしてひとしきり笑った後、ハルトははっとしたように顔を上げました。
「あ、あそこ!」
ハルトが指さした先には、街灯のそばにちょうどよく枝を伸ばしたハナミズキの木がありました。木のすぐ近くに電線も渡っていて、ツーツとシーラたちが休むところもあります。
「ハルト、すごい!」
一晩休むのに、とても良さそうな場所でした。けれど、ふと、イブキの胸に、むなしさがわき起こりました。ツーツの背中から落っこちて、仲間たちとはぐれて。ハルトは探しに来てくれましたが、その後もイブキはルルが家に帰るのを最後まで見届けたいとわがままをいいました。せめて、寝る場所くらいは見つけようと思ってがんばりましたが、それもハルトが見つけてしまいました。
落ち込んでしまいそうな気分を切り替えるように、イブキはハルトにいいます。
「ツーツとシーラが飛べなくなる前に、急ごっか」
「そうだね!」
イブキは、ツーツに、ハルトが見つけた場所におりるよう指示を出すと、ハナミズキの枝の上におろしてもらいました。
もうすっかり夜になっていました。ツバメのツーツとシーラは、電線の上にとまったまま器用に眠っています。
イブキとハルトは、それぞれ違う太い枝の上に横たわっていました。見上げると細い枝の先に咲くハナミズキの花が天蓋のように広がっています。電灯のあかりに照らされた薄紅色の花びらが、光を反射して闇の中にうっすらと浮かび上がっており、花と花の隙間からは、星がかがやいているのが見えました。
ハルトは、空を見上げながら、今日一日のことをふり返っていました。イブキがツーツから落ちた時はどうしようかと思いましたが、すぐに見つけることができました。仲間たちとは合流できませんでしたが、イブキのおかげで見逃していた女神さまの力のかたよりを見つけることができました。明日は、女神さまの力をみんなに配って、仲間たちのもとに出発です。ハラハラしたけれど、いい一日だったと思います。
「ねぇ、ハルト」
「なーに?」
同じように寝ころんでいたイブキに呼ばれました。どうしたのでしょうか。声に少し元気がありません。ネコのルルさんとのお別れが悲しかったのでしょうか。
「今日、オレ、ダメダメだったな」
「えっ」
そんな風にイブキが考えていたと思わず、ハルトは驚いてぽかんと口を開きました。
「だってさ、ツーツからは落ちるし。いつもは、寝る場所もオレの方が見つけるのが早いのに、何も役に立てなかったから。ルルが帰るのを最後まで見守りたいってわがまままで言ってさ、かっこ悪かったなって」
「そんなことないよ」
すぐにハルトは否定しました。けれど、ハルトの言葉はイブキの心には届いていないようでした。
「ハルトはやさしいから許してくれるけどさ。こんなんじゃだめだね。明日は、オレもがんばるから」
言いたいことだけ言うと、イブキは目を閉じてしまいました。すぐに寝息が聞こえます。色々あったので、疲れていたのでしょう。
ハルトは、胸の中で言いたいことがもやもやしていました。何でもやもやするのだろうと、寝てしまったイブキを見ながら考えます。
確かに、イブキの言うように、今までこうして出かけた時にはイブキが寝る場所を見つけてくれていました。ハルトは、ずっとそんなイブキのことをすごいと思っていました。そして、どうやったらイブキのようにできるだろうと、イブキのやり方を、気をつけて見ていました。だからこそ、今回、この場所を見つけることができたのです。
イブキがツーツから落ちてしまったのはとても心配しましたが、幸いイブキは怪我をしていませんでした。少し時間はかかってしまいましたが、夜になる前に見つけることができました。わがままだと言ったルルのこともそうです。本当にそれはわがままだったのでしょうか。友達を心配するのは、悪いことではないと思います。それに、イブキはちゃんとハルトに理由を伝えて、そうしたいと言ってくれました。ハルトもイブキの理由に納得して一緒に見ていたのです。ならば、それはわがままではないと思いました。
それに、今回はイブキがルルを見に行きたいと思ったからこそ、見逃していた女神さまの力のかたよりを見つけることができました。
悪いことばかりではありませんでした。
ようやく胸の中で思っていたことを整理できましたが、代わりに長い時間がかかってしまいました。月がいつの間にか空にのぼっていました。
スヤスヤと眠るイブキを見て、ハルトは寝ているイブキを起こしてまで、今考えたことを伝える必要はないだろうと考えました。明日も気にしているようなら、その時に伝えようと思います。
それにもし、明日伝えるタイミングがなかったとしても、きっと、今、考えたことは無駄にはならないでしょう。いつか今日みたいにイブキが落ち込むことがあったら、その時は、ハルトも、もっと早く、今みたいなことを考えられるはずです。そのときに、考えたことを伝えればいいのです。そうできたらいいなと思いながら、ハルトも目を閉じました。
翌朝。しんと冷えた空気を、のぼったばかりの太陽が温めています。晴れ渡った青空に、今日もよい一日になることが予感されました。
「ハルト起きて!」
「うーん、もうちょっと。あと少しだけ」
「太陽はもうのぼっているし、早くサクラを見に行こうよ」
「そうだったね」
イブキの声に、ハルトは目を開けました。ゆっくりと体を起こしているので、ハルトが再び寝てしまうことはないでしょう。
ハルトが大丈夫そうなのを見て、イブキはうーんとのびをしました。朝のさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、深呼吸をします。深呼吸を何度か繰り返した後、喉が渇いている気がして、あたりを見回しました。すると、ハナミズキの花の縁にシズクになっている朝露を見つけました。シズクを落としてしまわないよう、静かに口をつけます。朝露は花のかおりの溶け込んだやさしい味がしました。これで、今日一日がんばれそうです。ハルトも起き出して、イブキと同じように朝露を飲んでいます。
「おいしいね」
「うん」
ツバメのツーツとシーラは、今は姿が見えませんでした。昨日休んでいた電線にもいません。先に起きて朝食に出かけたようです。イブキがハルトと一緒に身だしなみを整えていると、二羽が帰ってきます。
「今日もよろしくね」
イブキとハルトはお互いの相棒の羽の手入れをしてあげます。そして、ツーツとシーラが満足すると、その背中にまたがりました。
「サクラの木まで、たのんだよ」
イブキが言うと、ツーツは飛び立ちました。ハルトとシーラがその後をついてきます。二羽はその背中に妖精を乗せているとは思えない速さで飛んでいきます。
「ひゅーっ」
「今日も早いね!」
ツバメたちの背の上で、二人ははしゃぎます。あっという間に、昨日見たサクラの木までやってきました。そのサクラの木は、丘の上に一本だけ生えていました。大きくて、見る限り、枝いっぱいにツボミをつけているのに、一輪の花も咲いていません。幹の中心に近い太めの枝の上にツバメたちがおり立ちます。
イブキとハルトは、ツーツとシーラの背からぴょんと飛びおりると、さらに中央付近へと進みました。
「やっぱりだ。女神さまの力のかがやきだ。でも、なんでだろう」
「やさしそうな木なのにね」
サクラの木は女神さまの力を一人占めするような意地悪な木には見えませんでした。
それに、このサクラの木が花を咲かせていないのも不思議でした。ふつう、女神さまの力は春を呼びよせます。なので、女神さまの力を受け取った生き物は、少しだけ早く花を咲かせたり、実を結んだりするのです。
ハルトは、サクラの木を見ながら、どうしてだろうと考え込んでいます。イブキは考えるのが苦手なので、ハルトが考えてくれるなら、答えはすぐにわかるだろうと、サクラの木を見て回ることにしました。イブキが見て回ったところ、サクラの木自身は、早く花を咲かせたがっているように見えました。
「うーん、なんだろう」
考え込んでいるハルトが言います。
「うれしそうなのに、なんだか苦しそうなんだよね」
「それだ!」
イブキが見て感じたことを口に出すと、ハルトが何かひらめいたようです。枝を移動しながら、サクラの木を色々な角度から眺めてゆきます。
「あった。ここだ!」
ハルトたちがおりた枝より少し高いところにある別の枝の根元に、まわりの枝に溶け込むように鳥の巣が作られていました。
「オレ、ちょっと見てくるよ」
イブキは言うと、登っていきます。こういうのはイブキの方が得意です。イブキは音を立てないよう、静かに近づいていき、ゆっくりと巣の中を覗いてみました。中にはたまごを抱えたモズの親鳥がいました。親鳥は不思議そうにイブキを見ましたが、騒ぐことはありませんでした。おどかさないよう、静かにハルトのところへ戻ります。
「たまご、あっためてた」
「そっか」
イブキがうなずきます。春とはいえ、まだ、急に寒くなる日も、驚くほど風が強い日もあります。きっと、そんな日に鳥たちを守るために、サクラの木は、女神さまの力をためていたのでしょう。
「どうしよっか」
「うーん」
イブキたちは、女神さまの力を平等に配るのが仕事ですが、サクラの木が鳥たちのために花を咲かせるのを我慢してまでがんばっていることを思うと、そうしてしまっていいのか悩むところでした。
「イブキはどう思う?」
「えっ、オレ?」
「だって二人の仕事じゃないか」
「そうだけど、考えるのはハルトが得意だろ」
「ボクだって一人じゃ決めらんないよ」
「それもそっか」
イブキはうーん、とうなりました。けれど、良い考えは浮かびません。ハルトは黙ってイブキが何か言うのを待っています。けれど、いくら考えても、答えは一緒でした。
「ほんとうは、ぜんぶ平等に女神さまのお力を配るのが正しいと思うんだ」
「うん」
「けど、少しだけ。せめて、あの鳥さんのヒナがたまごから出てくるまでだけでも、手助けをしてあげたいなって思った」
イブキがそういうと、ハルトもうなずきました。
「ボクたち、おんなじこと考えてたみたい」
「えっハルトも?」
「うん。けど、ボクはイブキみたいにそういう勇気がなかったから。先にイブキがどう思うか聞こうと思ったんだ」
「そうなんだ」
意外でした。いつも、ハルトはイブキよりも頭が良くて、イブキはハルトが間違うことなんてないのだと思っていたのです。
その時、イブキは思いつきました。
「そうだ!」
「どうしたの?」
ハルトが聞きます。
「ほんのちょっとだけ。オレとハルトと、このサクラの分を、あの鳥さんに残してあげたらいいんじゃないかな」
ハルトはイブキの提案に歓声を上げました。春の女神さまの力を配るときは、イブキたち妖精も女神さまのお力をわけてもらうことができるのです。取りすぎると怒られてしまいますが、イブキたちの仕事は危険なこともあるので、そうすることを女神さまも許してくれています。
「イブキ、ナイスアイディア!」
「えへへ」
そうして、二人は、それぞれサクラの木がためている女神さまの力を配りに行きました。
イブキはサクラの木の中にある女神さまの力を集めて、いつも持っている仕事用の袋につめます。すると、袋は風船のようにプカプカ空に浮かびました。女神さまの力は外に出すと空気みたいに見えなくなって飛んでいってしまうので、こうして風船のようにまとめて運ぶのです。イブキはサクラの木にたまった女神さまの力を持てるだけまとめると、ツバメのツーツに乗りました。
「じゃ、いってくるね」
「うん。ボクもこれが終わったら配ってくるよ」
サクラの木から力を取り出しているハルトに一言いうと、イブキはツーツと共に空に飛び立ちました。
まだ冷たい空気の残っている空の上から、女神さまの力を必要としている生き物を探します。冬眠から、なかなか目覚められずにいるカエルだったり、日当たりの悪いところにいるせいで、まだ青いツボミをしているチューリップだったり、そうした女神さまの力を必要としている生き物を見つけると、少しずつ風船に入れた女神さまの力を配っていきました。
イブキは、持てるだけ持っていった女神さまの力を配り終わると、またサクラの木のある場所に戻ります。ハルトとシーラはまだ戻っていませんでした。サクラの木は、ため込みすぎていた女神さまの力が減り、詰まっていた力が枝の方に流れ始めていました。たまごのお父さんでしょうか。小鳥が枝にとまって、イブキの方を不思議そうに首を傾けてみています。
「おかあさんとたまごに危ないことはしないから、心配しないでね」
驚かせないよう、小さな声で言うと、小鳥は反対方向に首をかしげます。伝わったかどうかはわかりませんが、たまごのお父さんも怒ったりはしていないようなので、イブキはふたたび、からっぽになった風船に女神さまの力をつめていきました。
そうして、イブキは何回もサクラの木と町の中を往復しました。ハルトとも何度かすれ違いました。
いつの間にか、太陽は高い位置にあり、ぽかぽかと空気があたためられていました。女神さまの力は、あともう少しで配り終わることができるでしょう。
誰かの家の庭に埋められて忘れられている遅咲きのクロッカスに女神さまの力を分け終わり、イブキがふたたびサクラの木のもとへ戻っている時でした。
イブキは道の端にカラスたちが集まっているのを見つけました。三羽ほど集まって、カァカァと興奮した様子です。
「なんだろうね」
そうツーツに話しかけながら覗き込むと、カラスたちの中心に、灰色のかたまりがちらりと見えました。驚いて、よく見ると、灰色のかたまりは、尻尾の先にだけ黒いシマが入った子猫でした。どうやら、カラスにいじめられているようでした。子猫はカラスにつつかれて、ぐったりしています。その姿を見てしまうと、イブキはもうじっとしていられませんでした。ツーツにお願いして、カラスたちの側を通るよう低く飛んでもらいます。そして、タイミングよくその背から飛びおりました。
「ツーツは先に戻ってて!」
ツーツは舞い上がると、イブキを心配してツピピィと鳴きながら上空で大きく回るように飛んでいましたが、イブキがふたたび行くように言うと、あきらめてサクラの木の方に飛んでいきました。
「これでよし」
突然子猫との間に現れたイブキを、カラスたちが不思議そうに見ています。
イブキが間に入っても、体も小さいし、ほんの小さな力しか持たないので、何もできることはありません。女神さまの力を残していれば何かできたかもしれませんが、ちょうど配り終わったところで、からっぽの風船しかありません。それでも、いじめられている子猫を見なかったことにすることはできませんでした。
「子猫をいじめんな!」
子猫をかばいながらカラスに言います。カラスたちはカァと不思議そうに鳴くと、イブキをそのつぶらな黒い瞳に映しています。そうして、少し考えた後、まずはつついてみることにしたようです。
「わ! こら! だから、だめだって」
くちばしでつついてこようとするカラスに、イブキは追い回されます。それを器用に避けながら、逃げ回ります。ときどき避けそこねて、痛い思いもしますが、カラスたちの興味は、わーわーと元気よく騒ぎ、よく動くイブキにほとんど移ったようでした。イブキもカラスの注意が子猫の方に行かないように、気をつけながら走り回ります。
子猫は具合が悪いのかうずくまったままです。心配ですが、近づくこともできません。
「はぁ、はぁ。結構しつこいな」
「カァ」
三羽のうちの一羽が追いかけっこにも飽きてきたようで、うずくまっている子猫の方をちらりと見ました。
「それは、ぜったいダメだからな!」
言ってみたものの、どうしたらよいでしょうか。すでに、やれることはやっていて、イブキの息も切れてしまっています。イブキに子猫の傷を治したり、カラスを追い払うような奇跡は起こせません。イブキにできるのは、全力をふりしぼっても、歩いている誰かの足を止めることくらいでしょうか。けれど、足を止めてくれた人が、助けてくれるかはわかりません。それでも、今がその力を使う時のようでした。
子猫に向かっていくカラスの前に走り出ながら、精一杯叫びます。
「誰か、子猫をたすけてー!」
イブキの体がピカリと光ります。カラスは光ったイブキに気を取られ、子猫ではなくイブキの方に近寄ってきます。イブキはそのまま子猫から離れるよう、大通りに向かって走りました。けれど、そういくらも走らないうちに、カラスに背中からつつかれ、地面に倒れてしまいました。
集まってきたカラスたちが、イブキがふたたび光らないか、体をくちばしでつついてきます。
「やめろって、いた、いたいっ」
振り払うものの、カラスはイブキをおもちゃだと思っているのか、つついてまわります。力を使った影響で、イブキの体からはどんどん力が抜けていきます。カラスたちにもさっきのように抵抗できず、されるがままになっていると、人間の男の人の低い声がしました。
「あれ、カラスだ。ん。あれは何かな」
どうやら、その人が足を止めてくれたようです。
「あ、子猫か!」
近寄ってくる男性に、カラスたちが飛び立ちました。イブキはほっとしましたが、傷が痛いのと、力を使いすぎてしまったので、立つこともできません。イブキは倒れたままそれを見ています。
「わ、傷だらけじゃないか」
男性は地面に膝をつき、子猫に触れていいものか、悩んでいる様子です。
「どうかされたんですか?」
どこかで聞いたことのある、やさしい声も聞こえました。
「あ。ネコちゃんだ」
「俺が来た時には、もうこの状態で―」
「カラスかな。痛そう。どうしよう。この怪我なら、私じゃ手当てはむずかしそうですね。病院に連れて行くのが一番いいんですが」
「そうか。病院。動物にも病院があるよな。よし、連れて行きます」
「私も一緒に行きます。もちろん、ご迷惑じゃなければ」
「こちらこそ。勝手がわからないので、一緒に来ていただけると助かります。その前に会社に電話をしないと」
「わかりました。じゃ、私はちょっとコンビニでタオルを買ってきます。傷に触れちゃうと、ネコちゃん痛そうだし」
そうして、女性が小走りに駆けていきました。きっと子猫はこれで大丈夫でしょう。
イブキは、力を抜いて横たわりました。
「ふふふ」
全身が痛いですが、子猫を助けることができて、とてもうれしいのです。
「イブキ!」
ハルトの声が聞こえた気がしました。ツーツとシーラの鳴き声も聞こえたような気がしました。けれど、イブキは限界がきてしまったようで、それ以上目を開けていることができませんでした。
冷たい風を頬に感じて、イブキは目を開けました。
いつの間にかイブキはツーツにつかまれて空の上にいました。ツーツの前をハルトとシーラが飛んでいます。ツーツには、先に帰るようにしか言わなかったのに、ハルトとシーラを呼びに行ってくれたようでした。
あっという間にサクラの木に着くと、そっと枝の間におろされます。
「イブキ、大丈夫?」
ハルトが、シーラからおりるとイブキに駆け寄ってきます。
「あぁ、こんなところまで怪我をしてるじゃないか」
ハルトが泣きそうに目をうるませて、必死にイブキの怪我の確認をしています。
「このくらい、ぜんぜん平気さ」
イブキは笑って答えます。
「ボクは心配したんだよ!」
ハルトの目から涙がこぼれ、次の瞬間、イブキはハルトに抱きしめられていました。
「いたっ」
反射的に走った痛みから出た言葉に、ハルトはあわててイブキを放してくれます。
「ごめん」
「うん」
ハルトに悪気がないのはわかっていたので、うなずきます。
「ボクたちだって力を使いすぎると消えちゃうんだからね」
「……うん」
わかっていたことを言われて、今度は、気まずく思いながらうなずきます。
それから、ハルトはサクラの木に残っていた女神さまの力を使って、イブキの治療をしてくれました。治療の間中、ハルトは黙っていましたが、イブキの治療が終わっても、ハルトはイブキの手をつないだままです。イブキがどうしたんだろうと思っていると、ハルトはポツリと言いました。
「ボクも。――何かするんなら、ボクも、呼んでよ」
「――え?」
驚いて、イブキはハルトの顔を見ます。
「イブキはいつも、自分一人でなんとかしようとするんだから」
「そんなことないと思うけど」
「それじゃ。今回のは?」
言葉に詰まるイブキに、ハルトは続けます。
「ボクじゃ頼りにならないかもしれないけど、ボクだってイブキの力になりたいんだよ」
そんな風にハルトが思っているとは思わず、イブキはとっさに否定します。
「そんなこと思ったことないよ。ハルトの方が頭がいいし、ハルトの方こそ、オレなんて必要ないだろ」
ハルトは首を横に振ります。
「イブキがいないとだめなのはボクの方だよ。イブキの方が目も良くて、寝る場所だって春の女神さまのお力だって、見つけるの、得意じゃないか。ボクの方がイブキにいつも教えられているよ」
「そうかなー?」
考えたことはありませんでしたが、言われてみて、確かにそういうことは多いかもしれないとうなずきます。
「でも昨日は、ハルトが寝る場所、見つけただろ」
「それは、ボク、いつもイブキがどうやって見つけてるのか、やり方とか見てたからだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。昨日は、たまたまなんだ」
「たまたまでも、それができるのは、すごいと思うんだけどな」
「イブキがいたからだよ」
それきり、ハルトは黙ってしまいました。
イブキは、ハルトに言われたことを考えてみます。ハルトが、イブキのことをそんな風に思っていたなんて知りませんでした。イブキにとってハルトは、とても頭がよくって、まったく悩みなんてなさそうと思っていたのに、違ったようです。
イブキは今までたくさんハルトを困らせてきたので、もしかしたら迷惑に思われているかもしれないなんて、ときどき考えたりしていましたが、そんなことはありませんでした。
今度、何かあったらさそってみようかな、とイブキは思いました。そうできる時間があれば、ですが。今回は、ハルトを呼びに行く時間はありませんでした。
思いついたら、考えるより先に体が動いてしまうので、がんばらないとむずかしいかもしれませんが、ハルトもイブキの知らないところでがんばっていたのです。イブキもがんばってみようと思いました。
たくさん考えて、イブキは疲れてしまいました。色々なことを深く考えているハルトみたいなことは、イブキには向いていないみたいです。やっぱりハルトは頭がいいな、なんてそんな風に思います。
ぽかぽかとした陽気に、イブキはだんだん眠くなってきてしまいました。眠気を払おうと、上を向くと、イブキはそれを見つけました。
「あ」
「どうしたの?」
「ほら、サクラが」
「わぁ―」
たまっていた女神さまの力を配って減らしたからか、いつの間にか、サクラが何輪か咲いていました。そうしているうちに、他のツボミもゆっくりと開いていきます。
「きれいだね」
ハルトが言います。
「うん」
イブキもうなずきます。青い空を背景に、だんだんと咲いていくサクラの花を、イブキとハルトは、いつまでも見ていました。
その背には、それぞれ一人ずつ妖精を乗せています。妖精は、イブキとハルトでした。
イブキとハルトは電線の下の道路を歩く女の人を静かに見ています。女の人は、大きな箱を両手で大事そうに抱えて歩いていました。ルルの入っている箱です。イブキたちは、女の人が、たくさん並んで建っている家の中の一軒に入っていくのを静かに見ていました。そこまで見届けて、イブキは大きく息をつくとハルトの方を見ました。
「待っててくれてありがとう」
「ルルさんが、ちゃんと帰れてよかったね」
ハルトが言います。
「うん! けど、ごめん。オレがわがままいったせいで遅くなっちゃったな」
最初、ハルトは早く仲間たちと合流しようといっていたのですが、イブキがルルがおうちに帰ることができたかどうか気になるからといって、結局戻ってきてしまったのです。
「いいよ」
ハルトは、言います。
「止めたって、イブキは夜に一人でこっそり戻ったりしそうだもん」
「どうしてわかったんだ?」
断られたらそうしようと、まさにイブキが思っていたことでした。
ハルトは盛大にため息をつくと言います。
「だって君はボクの一番のともだちなんだから、わかるに決まってるだろう」
「そっか」
なんだか、少し照れくさい気分になって、イブキは言いました。
「わがままを聞いてくれて、ありがとな」
「うん」
今度は、ハルトがうなずきます。その顔を夕陽が赤く照らしていました。
「あ」
ふいに、イブキが声を上げました。
「どうかした?」
ハルトが言います。
「お日さま、沈んじゃった」
今、ハルトの顔を照らしていた光は、太陽のかがやきの最後のひとかけらでした。
「また明日飛べばいいよ」
ハルトの落ち着いた様子に、イブキは思います。ハルトは頭がいいので、きっと、イブキがルルが家に帰るまで見届けたいと言った時から、こうなるとわかっていたのかもしれません。
「みんなで安全に寝られるところをさがそうか」
ハルトが言いました。
「そうしよう」
そうして、二人はそれぞれ、相棒のツバメのツーツとシーラに空を飛んでもらうように合図をしました。
太陽が沈み、冷たさが増してきている空気の中を、全員で今夜寝られそうな場所を探します。早くしないと、まだ少しだけ明るさを残している空も、すぐに暗くなってしまいます。イブキは、迎えに来てくれたハルトのためにも、いい場所を探そうと目をこらしました。
いい場所とは、ツバメのツーツとシーラがとまって休めるところと、イブキとハルトの休める木が近くにあるところです。そばに街灯があれば、なおよいのですが。そうして、寝る場所を探していると、町の中に不自然に光っている場所を見つけました。目をこらしてみると、それはイブキたちにとって大切なものでした。
「あ。あれ」
「見つけたの?」
ハルトが聞きます。
「ちがう。あれ、女神さまの力のかけらじゃない?」
イブキの示す方には、大きなサクラの木がありました。もう大分あたたかくなっているというのに、今にも咲きそうなツボミをつけたまま、一輪の花も咲かせていません。あかりに照らされているわけでもないのに、ほんのりと幹の中心の方から、かがやいているようにも見えます。
「ほんとうだ」
ハルトも、イブキが指し示す木を見つけてうなずきました。
イブキとハルトの一族は、春の女神さまにお仕えしています。
女神さまは、冬の終わりに旅立たれ、世界に春の力を配っていかれます。けれど、女神さまはとても大きいので、イブキたちのような小さな生き物にまんべんなく春の力を行き渡らせることができません。どうしても、春の力を配る際にかたよりができてしまいます。
そこで、女神さまの配った力を多いところから少ないところへ運んで、かたよりをなくすことがイブキたち妖精の一族の仕事でした。
見たところ、あのサクラの木は、女神さまの力をため込みすぎているように思えました。
「今日はもう遅いから、明日、見に行こうか」
「うん。けど」
その分、また、仲間たちに合流するのが遅くなってしまいます。ハルトはいいのでしょうか。気になりましたが、イブキが聞く前にハルトが口を開きました。
「めずらしくイブキの寄り道が役に立ったね」
「めずらしくってなんだよ」
ハルトのからかうような言い方に、イブキは唇をとがらせます。ハルトはイブキの表情にさらに笑います。そうしてひとしきり笑った後、ハルトははっとしたように顔を上げました。
「あ、あそこ!」
ハルトが指さした先には、街灯のそばにちょうどよく枝を伸ばしたハナミズキの木がありました。木のすぐ近くに電線も渡っていて、ツーツとシーラたちが休むところもあります。
「ハルト、すごい!」
一晩休むのに、とても良さそうな場所でした。けれど、ふと、イブキの胸に、むなしさがわき起こりました。ツーツの背中から落っこちて、仲間たちとはぐれて。ハルトは探しに来てくれましたが、その後もイブキはルルが家に帰るのを最後まで見届けたいとわがままをいいました。せめて、寝る場所くらいは見つけようと思ってがんばりましたが、それもハルトが見つけてしまいました。
落ち込んでしまいそうな気分を切り替えるように、イブキはハルトにいいます。
「ツーツとシーラが飛べなくなる前に、急ごっか」
「そうだね!」
イブキは、ツーツに、ハルトが見つけた場所におりるよう指示を出すと、ハナミズキの枝の上におろしてもらいました。
もうすっかり夜になっていました。ツバメのツーツとシーラは、電線の上にとまったまま器用に眠っています。
イブキとハルトは、それぞれ違う太い枝の上に横たわっていました。見上げると細い枝の先に咲くハナミズキの花が天蓋のように広がっています。電灯のあかりに照らされた薄紅色の花びらが、光を反射して闇の中にうっすらと浮かび上がっており、花と花の隙間からは、星がかがやいているのが見えました。
ハルトは、空を見上げながら、今日一日のことをふり返っていました。イブキがツーツから落ちた時はどうしようかと思いましたが、すぐに見つけることができました。仲間たちとは合流できませんでしたが、イブキのおかげで見逃していた女神さまの力のかたよりを見つけることができました。明日は、女神さまの力をみんなに配って、仲間たちのもとに出発です。ハラハラしたけれど、いい一日だったと思います。
「ねぇ、ハルト」
「なーに?」
同じように寝ころんでいたイブキに呼ばれました。どうしたのでしょうか。声に少し元気がありません。ネコのルルさんとのお別れが悲しかったのでしょうか。
「今日、オレ、ダメダメだったな」
「えっ」
そんな風にイブキが考えていたと思わず、ハルトは驚いてぽかんと口を開きました。
「だってさ、ツーツからは落ちるし。いつもは、寝る場所もオレの方が見つけるのが早いのに、何も役に立てなかったから。ルルが帰るのを最後まで見守りたいってわがまままで言ってさ、かっこ悪かったなって」
「そんなことないよ」
すぐにハルトは否定しました。けれど、ハルトの言葉はイブキの心には届いていないようでした。
「ハルトはやさしいから許してくれるけどさ。こんなんじゃだめだね。明日は、オレもがんばるから」
言いたいことだけ言うと、イブキは目を閉じてしまいました。すぐに寝息が聞こえます。色々あったので、疲れていたのでしょう。
ハルトは、胸の中で言いたいことがもやもやしていました。何でもやもやするのだろうと、寝てしまったイブキを見ながら考えます。
確かに、イブキの言うように、今までこうして出かけた時にはイブキが寝る場所を見つけてくれていました。ハルトは、ずっとそんなイブキのことをすごいと思っていました。そして、どうやったらイブキのようにできるだろうと、イブキのやり方を、気をつけて見ていました。だからこそ、今回、この場所を見つけることができたのです。
イブキがツーツから落ちてしまったのはとても心配しましたが、幸いイブキは怪我をしていませんでした。少し時間はかかってしまいましたが、夜になる前に見つけることができました。わがままだと言ったルルのこともそうです。本当にそれはわがままだったのでしょうか。友達を心配するのは、悪いことではないと思います。それに、イブキはちゃんとハルトに理由を伝えて、そうしたいと言ってくれました。ハルトもイブキの理由に納得して一緒に見ていたのです。ならば、それはわがままではないと思いました。
それに、今回はイブキがルルを見に行きたいと思ったからこそ、見逃していた女神さまの力のかたよりを見つけることができました。
悪いことばかりではありませんでした。
ようやく胸の中で思っていたことを整理できましたが、代わりに長い時間がかかってしまいました。月がいつの間にか空にのぼっていました。
スヤスヤと眠るイブキを見て、ハルトは寝ているイブキを起こしてまで、今考えたことを伝える必要はないだろうと考えました。明日も気にしているようなら、その時に伝えようと思います。
それにもし、明日伝えるタイミングがなかったとしても、きっと、今、考えたことは無駄にはならないでしょう。いつか今日みたいにイブキが落ち込むことがあったら、その時は、ハルトも、もっと早く、今みたいなことを考えられるはずです。そのときに、考えたことを伝えればいいのです。そうできたらいいなと思いながら、ハルトも目を閉じました。
翌朝。しんと冷えた空気を、のぼったばかりの太陽が温めています。晴れ渡った青空に、今日もよい一日になることが予感されました。
「ハルト起きて!」
「うーん、もうちょっと。あと少しだけ」
「太陽はもうのぼっているし、早くサクラを見に行こうよ」
「そうだったね」
イブキの声に、ハルトは目を開けました。ゆっくりと体を起こしているので、ハルトが再び寝てしまうことはないでしょう。
ハルトが大丈夫そうなのを見て、イブキはうーんとのびをしました。朝のさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、深呼吸をします。深呼吸を何度か繰り返した後、喉が渇いている気がして、あたりを見回しました。すると、ハナミズキの花の縁にシズクになっている朝露を見つけました。シズクを落としてしまわないよう、静かに口をつけます。朝露は花のかおりの溶け込んだやさしい味がしました。これで、今日一日がんばれそうです。ハルトも起き出して、イブキと同じように朝露を飲んでいます。
「おいしいね」
「うん」
ツバメのツーツとシーラは、今は姿が見えませんでした。昨日休んでいた電線にもいません。先に起きて朝食に出かけたようです。イブキがハルトと一緒に身だしなみを整えていると、二羽が帰ってきます。
「今日もよろしくね」
イブキとハルトはお互いの相棒の羽の手入れをしてあげます。そして、ツーツとシーラが満足すると、その背中にまたがりました。
「サクラの木まで、たのんだよ」
イブキが言うと、ツーツは飛び立ちました。ハルトとシーラがその後をついてきます。二羽はその背中に妖精を乗せているとは思えない速さで飛んでいきます。
「ひゅーっ」
「今日も早いね!」
ツバメたちの背の上で、二人ははしゃぎます。あっという間に、昨日見たサクラの木までやってきました。そのサクラの木は、丘の上に一本だけ生えていました。大きくて、見る限り、枝いっぱいにツボミをつけているのに、一輪の花も咲いていません。幹の中心に近い太めの枝の上にツバメたちがおり立ちます。
イブキとハルトは、ツーツとシーラの背からぴょんと飛びおりると、さらに中央付近へと進みました。
「やっぱりだ。女神さまの力のかがやきだ。でも、なんでだろう」
「やさしそうな木なのにね」
サクラの木は女神さまの力を一人占めするような意地悪な木には見えませんでした。
それに、このサクラの木が花を咲かせていないのも不思議でした。ふつう、女神さまの力は春を呼びよせます。なので、女神さまの力を受け取った生き物は、少しだけ早く花を咲かせたり、実を結んだりするのです。
ハルトは、サクラの木を見ながら、どうしてだろうと考え込んでいます。イブキは考えるのが苦手なので、ハルトが考えてくれるなら、答えはすぐにわかるだろうと、サクラの木を見て回ることにしました。イブキが見て回ったところ、サクラの木自身は、早く花を咲かせたがっているように見えました。
「うーん、なんだろう」
考え込んでいるハルトが言います。
「うれしそうなのに、なんだか苦しそうなんだよね」
「それだ!」
イブキが見て感じたことを口に出すと、ハルトが何かひらめいたようです。枝を移動しながら、サクラの木を色々な角度から眺めてゆきます。
「あった。ここだ!」
ハルトたちがおりた枝より少し高いところにある別の枝の根元に、まわりの枝に溶け込むように鳥の巣が作られていました。
「オレ、ちょっと見てくるよ」
イブキは言うと、登っていきます。こういうのはイブキの方が得意です。イブキは音を立てないよう、静かに近づいていき、ゆっくりと巣の中を覗いてみました。中にはたまごを抱えたモズの親鳥がいました。親鳥は不思議そうにイブキを見ましたが、騒ぐことはありませんでした。おどかさないよう、静かにハルトのところへ戻ります。
「たまご、あっためてた」
「そっか」
イブキがうなずきます。春とはいえ、まだ、急に寒くなる日も、驚くほど風が強い日もあります。きっと、そんな日に鳥たちを守るために、サクラの木は、女神さまの力をためていたのでしょう。
「どうしよっか」
「うーん」
イブキたちは、女神さまの力を平等に配るのが仕事ですが、サクラの木が鳥たちのために花を咲かせるのを我慢してまでがんばっていることを思うと、そうしてしまっていいのか悩むところでした。
「イブキはどう思う?」
「えっ、オレ?」
「だって二人の仕事じゃないか」
「そうだけど、考えるのはハルトが得意だろ」
「ボクだって一人じゃ決めらんないよ」
「それもそっか」
イブキはうーん、とうなりました。けれど、良い考えは浮かびません。ハルトは黙ってイブキが何か言うのを待っています。けれど、いくら考えても、答えは一緒でした。
「ほんとうは、ぜんぶ平等に女神さまのお力を配るのが正しいと思うんだ」
「うん」
「けど、少しだけ。せめて、あの鳥さんのヒナがたまごから出てくるまでだけでも、手助けをしてあげたいなって思った」
イブキがそういうと、ハルトもうなずきました。
「ボクたち、おんなじこと考えてたみたい」
「えっハルトも?」
「うん。けど、ボクはイブキみたいにそういう勇気がなかったから。先にイブキがどう思うか聞こうと思ったんだ」
「そうなんだ」
意外でした。いつも、ハルトはイブキよりも頭が良くて、イブキはハルトが間違うことなんてないのだと思っていたのです。
その時、イブキは思いつきました。
「そうだ!」
「どうしたの?」
ハルトが聞きます。
「ほんのちょっとだけ。オレとハルトと、このサクラの分を、あの鳥さんに残してあげたらいいんじゃないかな」
ハルトはイブキの提案に歓声を上げました。春の女神さまの力を配るときは、イブキたち妖精も女神さまのお力をわけてもらうことができるのです。取りすぎると怒られてしまいますが、イブキたちの仕事は危険なこともあるので、そうすることを女神さまも許してくれています。
「イブキ、ナイスアイディア!」
「えへへ」
そうして、二人は、それぞれサクラの木がためている女神さまの力を配りに行きました。
イブキはサクラの木の中にある女神さまの力を集めて、いつも持っている仕事用の袋につめます。すると、袋は風船のようにプカプカ空に浮かびました。女神さまの力は外に出すと空気みたいに見えなくなって飛んでいってしまうので、こうして風船のようにまとめて運ぶのです。イブキはサクラの木にたまった女神さまの力を持てるだけまとめると、ツバメのツーツに乗りました。
「じゃ、いってくるね」
「うん。ボクもこれが終わったら配ってくるよ」
サクラの木から力を取り出しているハルトに一言いうと、イブキはツーツと共に空に飛び立ちました。
まだ冷たい空気の残っている空の上から、女神さまの力を必要としている生き物を探します。冬眠から、なかなか目覚められずにいるカエルだったり、日当たりの悪いところにいるせいで、まだ青いツボミをしているチューリップだったり、そうした女神さまの力を必要としている生き物を見つけると、少しずつ風船に入れた女神さまの力を配っていきました。
イブキは、持てるだけ持っていった女神さまの力を配り終わると、またサクラの木のある場所に戻ります。ハルトとシーラはまだ戻っていませんでした。サクラの木は、ため込みすぎていた女神さまの力が減り、詰まっていた力が枝の方に流れ始めていました。たまごのお父さんでしょうか。小鳥が枝にとまって、イブキの方を不思議そうに首を傾けてみています。
「おかあさんとたまごに危ないことはしないから、心配しないでね」
驚かせないよう、小さな声で言うと、小鳥は反対方向に首をかしげます。伝わったかどうかはわかりませんが、たまごのお父さんも怒ったりはしていないようなので、イブキはふたたび、からっぽになった風船に女神さまの力をつめていきました。
そうして、イブキは何回もサクラの木と町の中を往復しました。ハルトとも何度かすれ違いました。
いつの間にか、太陽は高い位置にあり、ぽかぽかと空気があたためられていました。女神さまの力は、あともう少しで配り終わることができるでしょう。
誰かの家の庭に埋められて忘れられている遅咲きのクロッカスに女神さまの力を分け終わり、イブキがふたたびサクラの木のもとへ戻っている時でした。
イブキは道の端にカラスたちが集まっているのを見つけました。三羽ほど集まって、カァカァと興奮した様子です。
「なんだろうね」
そうツーツに話しかけながら覗き込むと、カラスたちの中心に、灰色のかたまりがちらりと見えました。驚いて、よく見ると、灰色のかたまりは、尻尾の先にだけ黒いシマが入った子猫でした。どうやら、カラスにいじめられているようでした。子猫はカラスにつつかれて、ぐったりしています。その姿を見てしまうと、イブキはもうじっとしていられませんでした。ツーツにお願いして、カラスたちの側を通るよう低く飛んでもらいます。そして、タイミングよくその背から飛びおりました。
「ツーツは先に戻ってて!」
ツーツは舞い上がると、イブキを心配してツピピィと鳴きながら上空で大きく回るように飛んでいましたが、イブキがふたたび行くように言うと、あきらめてサクラの木の方に飛んでいきました。
「これでよし」
突然子猫との間に現れたイブキを、カラスたちが不思議そうに見ています。
イブキが間に入っても、体も小さいし、ほんの小さな力しか持たないので、何もできることはありません。女神さまの力を残していれば何かできたかもしれませんが、ちょうど配り終わったところで、からっぽの風船しかありません。それでも、いじめられている子猫を見なかったことにすることはできませんでした。
「子猫をいじめんな!」
子猫をかばいながらカラスに言います。カラスたちはカァと不思議そうに鳴くと、イブキをそのつぶらな黒い瞳に映しています。そうして、少し考えた後、まずはつついてみることにしたようです。
「わ! こら! だから、だめだって」
くちばしでつついてこようとするカラスに、イブキは追い回されます。それを器用に避けながら、逃げ回ります。ときどき避けそこねて、痛い思いもしますが、カラスたちの興味は、わーわーと元気よく騒ぎ、よく動くイブキにほとんど移ったようでした。イブキもカラスの注意が子猫の方に行かないように、気をつけながら走り回ります。
子猫は具合が悪いのかうずくまったままです。心配ですが、近づくこともできません。
「はぁ、はぁ。結構しつこいな」
「カァ」
三羽のうちの一羽が追いかけっこにも飽きてきたようで、うずくまっている子猫の方をちらりと見ました。
「それは、ぜったいダメだからな!」
言ってみたものの、どうしたらよいでしょうか。すでに、やれることはやっていて、イブキの息も切れてしまっています。イブキに子猫の傷を治したり、カラスを追い払うような奇跡は起こせません。イブキにできるのは、全力をふりしぼっても、歩いている誰かの足を止めることくらいでしょうか。けれど、足を止めてくれた人が、助けてくれるかはわかりません。それでも、今がその力を使う時のようでした。
子猫に向かっていくカラスの前に走り出ながら、精一杯叫びます。
「誰か、子猫をたすけてー!」
イブキの体がピカリと光ります。カラスは光ったイブキに気を取られ、子猫ではなくイブキの方に近寄ってきます。イブキはそのまま子猫から離れるよう、大通りに向かって走りました。けれど、そういくらも走らないうちに、カラスに背中からつつかれ、地面に倒れてしまいました。
集まってきたカラスたちが、イブキがふたたび光らないか、体をくちばしでつついてきます。
「やめろって、いた、いたいっ」
振り払うものの、カラスはイブキをおもちゃだと思っているのか、つついてまわります。力を使った影響で、イブキの体からはどんどん力が抜けていきます。カラスたちにもさっきのように抵抗できず、されるがままになっていると、人間の男の人の低い声がしました。
「あれ、カラスだ。ん。あれは何かな」
どうやら、その人が足を止めてくれたようです。
「あ、子猫か!」
近寄ってくる男性に、カラスたちが飛び立ちました。イブキはほっとしましたが、傷が痛いのと、力を使いすぎてしまったので、立つこともできません。イブキは倒れたままそれを見ています。
「わ、傷だらけじゃないか」
男性は地面に膝をつき、子猫に触れていいものか、悩んでいる様子です。
「どうかされたんですか?」
どこかで聞いたことのある、やさしい声も聞こえました。
「あ。ネコちゃんだ」
「俺が来た時には、もうこの状態で―」
「カラスかな。痛そう。どうしよう。この怪我なら、私じゃ手当てはむずかしそうですね。病院に連れて行くのが一番いいんですが」
「そうか。病院。動物にも病院があるよな。よし、連れて行きます」
「私も一緒に行きます。もちろん、ご迷惑じゃなければ」
「こちらこそ。勝手がわからないので、一緒に来ていただけると助かります。その前に会社に電話をしないと」
「わかりました。じゃ、私はちょっとコンビニでタオルを買ってきます。傷に触れちゃうと、ネコちゃん痛そうだし」
そうして、女性が小走りに駆けていきました。きっと子猫はこれで大丈夫でしょう。
イブキは、力を抜いて横たわりました。
「ふふふ」
全身が痛いですが、子猫を助けることができて、とてもうれしいのです。
「イブキ!」
ハルトの声が聞こえた気がしました。ツーツとシーラの鳴き声も聞こえたような気がしました。けれど、イブキは限界がきてしまったようで、それ以上目を開けていることができませんでした。
冷たい風を頬に感じて、イブキは目を開けました。
いつの間にかイブキはツーツにつかまれて空の上にいました。ツーツの前をハルトとシーラが飛んでいます。ツーツには、先に帰るようにしか言わなかったのに、ハルトとシーラを呼びに行ってくれたようでした。
あっという間にサクラの木に着くと、そっと枝の間におろされます。
「イブキ、大丈夫?」
ハルトが、シーラからおりるとイブキに駆け寄ってきます。
「あぁ、こんなところまで怪我をしてるじゃないか」
ハルトが泣きそうに目をうるませて、必死にイブキの怪我の確認をしています。
「このくらい、ぜんぜん平気さ」
イブキは笑って答えます。
「ボクは心配したんだよ!」
ハルトの目から涙がこぼれ、次の瞬間、イブキはハルトに抱きしめられていました。
「いたっ」
反射的に走った痛みから出た言葉に、ハルトはあわててイブキを放してくれます。
「ごめん」
「うん」
ハルトに悪気がないのはわかっていたので、うなずきます。
「ボクたちだって力を使いすぎると消えちゃうんだからね」
「……うん」
わかっていたことを言われて、今度は、気まずく思いながらうなずきます。
それから、ハルトはサクラの木に残っていた女神さまの力を使って、イブキの治療をしてくれました。治療の間中、ハルトは黙っていましたが、イブキの治療が終わっても、ハルトはイブキの手をつないだままです。イブキがどうしたんだろうと思っていると、ハルトはポツリと言いました。
「ボクも。――何かするんなら、ボクも、呼んでよ」
「――え?」
驚いて、イブキはハルトの顔を見ます。
「イブキはいつも、自分一人でなんとかしようとするんだから」
「そんなことないと思うけど」
「それじゃ。今回のは?」
言葉に詰まるイブキに、ハルトは続けます。
「ボクじゃ頼りにならないかもしれないけど、ボクだってイブキの力になりたいんだよ」
そんな風にハルトが思っているとは思わず、イブキはとっさに否定します。
「そんなこと思ったことないよ。ハルトの方が頭がいいし、ハルトの方こそ、オレなんて必要ないだろ」
ハルトは首を横に振ります。
「イブキがいないとだめなのはボクの方だよ。イブキの方が目も良くて、寝る場所だって春の女神さまのお力だって、見つけるの、得意じゃないか。ボクの方がイブキにいつも教えられているよ」
「そうかなー?」
考えたことはありませんでしたが、言われてみて、確かにそういうことは多いかもしれないとうなずきます。
「でも昨日は、ハルトが寝る場所、見つけただろ」
「それは、ボク、いつもイブキがどうやって見つけてるのか、やり方とか見てたからだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。昨日は、たまたまなんだ」
「たまたまでも、それができるのは、すごいと思うんだけどな」
「イブキがいたからだよ」
それきり、ハルトは黙ってしまいました。
イブキは、ハルトに言われたことを考えてみます。ハルトが、イブキのことをそんな風に思っていたなんて知りませんでした。イブキにとってハルトは、とても頭がよくって、まったく悩みなんてなさそうと思っていたのに、違ったようです。
イブキは今までたくさんハルトを困らせてきたので、もしかしたら迷惑に思われているかもしれないなんて、ときどき考えたりしていましたが、そんなことはありませんでした。
今度、何かあったらさそってみようかな、とイブキは思いました。そうできる時間があれば、ですが。今回は、ハルトを呼びに行く時間はありませんでした。
思いついたら、考えるより先に体が動いてしまうので、がんばらないとむずかしいかもしれませんが、ハルトもイブキの知らないところでがんばっていたのです。イブキもがんばってみようと思いました。
たくさん考えて、イブキは疲れてしまいました。色々なことを深く考えているハルトみたいなことは、イブキには向いていないみたいです。やっぱりハルトは頭がいいな、なんてそんな風に思います。
ぽかぽかとした陽気に、イブキはだんだん眠くなってきてしまいました。眠気を払おうと、上を向くと、イブキはそれを見つけました。
「あ」
「どうしたの?」
「ほら、サクラが」
「わぁ―」
たまっていた女神さまの力を配って減らしたからか、いつの間にか、サクラが何輪か咲いていました。そうしているうちに、他のツボミもゆっくりと開いていきます。
「きれいだね」
ハルトが言います。
「うん」
イブキもうなずきます。青い空を背景に、だんだんと咲いていくサクラの花を、イブキとハルトは、いつまでも見ていました。
応援ありがとうございます!
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